9月18日 会計事務。
9月19日 小松左京追悼イベント(なんば紅鶴)に参加。
9月23日 東京スタッフ会議
9月25日 資材棚卸

大会資材の文房具・LANケーブル・電源コード等が大量に余っています。
9月25日に棚卸を行い、リストを公開致し、11月~12月に行う予定の打上げにて欲しい方に譲渡または安価で売却しますので、お楽しみに。


あいつらの悲歌(エレジー) (光文社文庫)

初出・〈SF宝石〉1979年10月号~1980年12月号 → 単行本・1981年6月(光文社) → 文庫本・1987年1月(光文社文庫)

 『あいつらの悲歌』……「悲歌」には「エレジー」とルビが振ってある。
「UFO来襲! 地球の危機せまる ―― 宇宙人の巨大な謀略の秘密とは何か? あいつらの計画は着々と進行している…」と、帯にある。
この「あいつらの悲歌」は静岡SFである。こう言うと、首をかしげる人が多いかもしれない。
 主人公・貢の務める月刊アンバランス編集部のオフィスは「日本橋から東京駅にかけての一画」にあるし、彼が最初、UFO搭乗者の話を聞くために訪れるのは鎌倉である。UHOが着陸するのは茅ヶ崎の海岸だし、宇宙人の基地ができるのは、武蔵野の中心部…。
 そう、この物語にはかなりあちこちの地名が登場する。
その中にまぎれてわかりにくくなってはいるが、重要なラストの舞台となるのは、静岡のここである。

「なぜ、石廊崎でなければだめなんですか?」
 貢はハンドルを小きざみに回しながらたずねた。
 海岸道路は、崖のひだに沿って、右に左に屈曲する。
「それはだな」
 石堂修二郎は、まばたきもせずに、しだいに近づいてくる石廊崎を見つめていた。
「それはだな。わしの思念が信号となってかれらの感覚器官にはたらき、思考を刺激するにもっとも適した場所には、石廊崎の位置がいいのだ」
                (単行本 338頁)

 そして、石廊崎には「地球に来ている円盤」がすべて集まってくる。「二千や三千ではきかないかもしれない」それらが石廊崎に集結し、そして、物語は大団円を迎える。
 さて、どうして石廊崎がUFOを集めるのに「もっとも適した場所」として設定されたのか?
  
 日本SF第一世代の作家達にUFO……空飛ぶ円盤という存在が与えた影響の大きさについては、今さら言うまでもないだろう。「日本空飛ぶ円盤研究会」で知り合ったメンバーたちが、日本SFを創り上げる核の部分を形成していったのだから。
評論賞を受賞後、評論賞チームの一員でUFO現象専門家の礒部剛喜氏と「『あいつらの悲歌』は面白い!」という話で盛り上がったことがあった。
宮野「おお、私以外にもあのマイナーな『あいつらの悲歌』に着目している人がいたなんて!」
礒部「あれは、超常現象大集合の観がありましたよね。主人公が勤務先で編集している超常現象専門誌〈アンバランス〉なんて、極めてマニアックなネーミングですね。円谷プロの『ウルトラQ』の企画段階のタイトルは『アンバランス』なんですよ」
宮野「そ、そうなんですか」
礒部「その企画には脚本家として光瀬さんも加わっていたようですね」
宮野「なるほど。そんなふうに、多分、個人的な要素が他にも一杯詰まっている作品なんでしょうね。語り得るギリギリのところを語っているという感触があるんです。あれは、光瀬龍について論じるのに絶対に外せない作品です。でも、その確信を「論」として言語化することが難しくって…。だけど、光瀬龍が最初から最後までUFOにこだわった人だということは、明らかですよね?」
礒部「それは同感です」

作品内の「土地」とは、不可思議な存在である。
 この世のものであって、この世のものでない。
 作者が作品の舞台としてある土地を選びだすという作業は、多分、何がその人を作家にしたのかという問題と深く結びついている。
 
石廊崎は伊豆半島の最南端に位置する。縁結び、役行者…伝説の多い土地である。
海に突き出た場所…それは異界への入り口である。その意味では、伊豆半島そのものが、海に突き出た場所としての側面を持つ。
 そして、伊豆は光瀬龍にとって特別な土地である。
伊豆の下田には、筑波大学の臨海実習所がある。筑波大学の前身、東京教育大学で学んだ光瀬龍はここで学生時代のひとときを過ごし、新婚旅行の行先にもした。
 また、彼がそのペンネームを作中の人物の名から採るほどに(註)敬愛した作家、井上靖は伊豆でその少年時代をすごした。自伝的小説『あすなろ物語』の舞台も伊豆である。

「明日は檜になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。でも、永久に檜にはなれないんだって! それであすなろうと言うのよ」
                       (新潮文庫『あすなろ物語』47頁)

 主人公は自らを「あすなろう」だと認識しつつ大人になっていく。大人になっても、やはり、「あすなろう」である。
そして、光瀬龍は次のように書いている。

決して勝つことができないものを相手にして阿修羅王は戦いつづけなければならないのです。決して勝つことができない相手、つまり絶対者を相手どって阿修羅王は永遠に戦いつづけなければならなくなったのです。
(早川文庫旧版『百億の昼と千億の夜』巻末の「あとがきにかえて」)

決して勝つことができないものを相手にして永遠に戦いつづけなければならない存在……これは「あすなろう」の姿そのものである。
光瀬龍はそのペンネームを井上靖の作品から獲得する前は、菊川善六という名で詩を書いていた。
小説家として名高い井上靖も、文学的出発は詩であった。
多くのすぐれた詩を遺しているが、その中に次のようなものがある。

      アスナロウ
下北半島のアスナロウの林をジープで走った。夕方から雪が落ち、突端の小さい部落へはいった時は吹雪になっていた。同行した森林管理人は宿の土間で、ゴム長の雪を払いながら、アスナロウの交配が寒中、このような吹雪の中で行われるということを語った。
私は昼間通り抜けた鬱蒼たる大原始林が雪に降り込められているさまを目に浮かべながら、絶えてない解放された思いに打たれた。そこでは生と死はスポーツのように軽快であった。どうしてこのようなことに気付かなかったのか。太古から死はまさしく吹雪のように空間に充満して来るものであったし、その中に於て、生はアスナロウの花粉のように烈しく飛び交うもの以外の何ものでもなかった筈だ。
                     (新潮文庫『井上靖全詩集』74頁)

この詩のイメージでもって、『あいつらの悲歌』のラストを読んではいけないだろうか?
石廊崎の上空にUFOは集結する。「銀色の点刻の集まりとなって浮遊して」(344頁)くる。……そう、まるで、雪のように。
 太古から、死はまさしくUFOのように空間に充満してくるものだったし、その中において、生は阿修羅王のように烈しく戦いつづけるもの以外の何ものでもなかった筈だ。
 井上靖と同じく、光瀬龍の文学的出発も「シ」からであった。
光瀬龍の仕事場には、井上靖の詩集が常に置かれていたという。
                               (宮野由梨香)

(註)光瀬龍というペンネームは、井上靖の短編小説「チャンピオン」の登場人物に由来する。拙稿「阿修羅王は、なぜ少女か」(〈SFマガジン〉2008年5月号所収)参照。 

【付記】原稿を評論賞チームのMLに流したところ、関竜司さまから次のようなメッセージを戴きました。非常に貴重なご指摘なので、ご了解を得て、ここに載せさせていただきます。

確かに半島の突端とか岬などは、船乗りにとって神聖な場所で宮野様のおっしゃられるように異界の入り口でもあったと思います。
石廊崎に熊野神社があるのも、大阪から紀伊半島を回って一端、熊野あたりに集まって、そこから黒潮に乗って東に向かう海上交通のルートがあったからで、伊豆半島や石廊崎はその中継地点に使われていたようです。(ちなみに石廊崎の次は日米和親条約で開港した下田です。)
こうした海からの視点というのは実は静岡という地域を考えるうえで重要で、海上交通とか貿易といった観点が、静岡のハイカラで国際的な感覚(サッカーが好きとかクラシックカーが好きとか)と結びついているのではないかと思います。
ただそれ以上に重要なのは石廊崎上空というところはどうもB29の侵入ルートだったということです。(恐らくレーダーも設置されていたと思われます。)
宮野さんの原稿を読む限り、ここでの空飛ぶ円盤のイメージは直接的にはB29と重ねあわされているのではないかと思います。特に静岡には中島飛行機の工場があったわけで静岡の人は日本とアメリカの工業力の差を、まざまざと見せつけられるわけです。
しかも戦後は、航空機産業は凍結されて日本人は「空が飛べなくなる」。
そこで中島飛行機の技術者たちは自動車とかバイクとかに転身するわけですが、「空飛ぶ」という言葉一つにも、実は敗戦の刻印があるのではないかなと思いました。

昨日の、忘れ物のお知らせのうち、SDカードについては、落とし主が見つかりました。

昨日に引き続き忘れ物のお知らせです。
・現金と埼玉県の酒屋のレシートが入った財布。
・化粧ポーチ
・カサ多数

お心当たりの方は、実行委員会までお問い合わせください。

忘れ物のお知らせです。

その1
14時30分ごろ、6階シールコレクションにSDカードの忘れ物がありました。
モンハン特急、鉄人28号、ホビーショーに展示されていたザクの頭部の写真が入っていました。

その2
会場内にミニ四駆の忘れ物がありました。

お心当たりの方は実行委員会までお問い合わせください。

いよいよ当日になりました。

中井久夫『分裂病と人類』(1982)

分裂病と人類 (UP選書 221)

分裂病と人類 (UP選書 221)

  • 作者: 中井 久夫
  • 出版社/メーカー: 東京大学出版会
  • 発売日: 1982/01
  • メディア: -



何故『分裂病と人類』などというSFとも静岡とも何の縁もなさそうなタイトルをわざわざ「静岡SF大全」に寄稿するのか、といぶかる読者の方々もいらっしゃると思う。今回、「静岡SF」と言われて、はたと考え込んでしまった、「SFにとって静岡とは何か、静岡にとってSFとは何か」という重大問題に対して、果たして自分は答えを出せるのだろうか。その問いに対して、答えが出たと感じたのが、この本なのである。

漠然とした印象と散漫な引用で論を進める怠惰をお許しいただけるなら、僕個人が初めて静岡に行った際の感想から始めたい。駅周辺や、整備された森などにはそれほど感銘を受けなかった。驚いたのは、バスで移動しているときに見た「茶畑」である。あまりに整然としていて、ずっと続いている。もこもこした地面にもこもこと茶があるのに、全体が西洋庭園のように整然としている。これは一体なんだ、変な空間だ、と新鮮に思った記憶がある。

『分裂病と人類』の第2章「執着気質の歴史的背景」を読んでいて、はっと膝を打つ箇所があった。「執着気質的職業倫理は人文地理的には扇状地型農業にむすびついたものと言いうるかもしれない。明治期以後、二宮の方法と倫理が実践された代表的な例は静岡県の茶栽培であり、茶が扇状地に最適の作物であることは周知の通りである」(東京大学出版版 p62)。

そうなのか! とこれを読んで膝を打つ人はおそらくいないと思うので、「執着気質型職業倫理」と「二宮」について説明を加えたい。

執着気質型職業倫理とは、大雑把に言えば、近代化の原動力になったと中井が考えている心性である。その典型を、中井は二宮尊徳に見ている。

二宮尊徳は「農村構造改革」と「農業技術革新」を行った人物である。「計算可能性」に基づいて、窮乏した村落の「立て直し」をした人物である。一般的には「二宮金次郎」として知られている。

この中井の論は、戦後のメンタリティから遡って二宮を発見したとも言える側面がある。実際中井はこう言っている。「高度成長を支えた者のかなりの部分が執着気質的職業倫理であるとしても、高度成長の進行とともに、執着気質者の、より心理的に拘束された者から順に取り残され、さらに高度成長の終末期には倫理そのものが目的喪失によって空洞化を起こしてきた」(p68)。これはどこか、『日本沈没』において成長が達成された社会への違和感が原動力になって「危機」自体を作り出すメンタリティと、似てはいないだろうか。

二宮は「比較的近い過去に興隆した栄光の歴史」を持っていたが、五歳のときに災害(水害)によって一帯を壊滅させられてしまう。その災害が、彼の人生に影響をした。「執着気質的職業倫理は、本質的に『建設の倫理』ではなく『復興の倫理』である」(p49)。そのような災害を経験した二宮が「執着気質的職業倫理」すなわち、簡単に言えば「勤勉」になるのは必然だったであろう。そして思想家としての彼の意見や改革を受け入れるだけの社会構造になっていたであろうと中井は言う。

この「復興の倫理」とは、どこか、戦後の日本のようではないだろうか。特に、敗戦による焼け跡を原動力としていた小松左京を強く思い起こさせはしないだろうか。『日本アパッチ族』がこの時代に書かれていたら、滅んだ村から物語が始まったかもしれない。

中井は戦争にも言及する。「農民だけではない。この倫理に従った技術者たちは、敗戦によって他の人々のような深刻な同一性(アイデンティティ)の混乱を起こさず、戦争と政治への反省を行わなかった。彼らはたとえば軍艦のかわりにタンカーをつくる。大戦直後には鍋釜さえつくった――『とにかくわれわれは頑張ったのだ』『科学の力の差だ』」(p60)

そしてその「立て直し」の路線は「世直し」の路線と対比される。「世直し」の路線においては、「カタストロフへの待望は、カタストロフへの恐怖と表裏一体をなして、潜在し続けたのである」(p60)。「『立て直し』路線は、『世直し』路線の人をたえず『立て直し』路線にくり込み、ついにくり込みえない者を極端な破滅的幻想の中に追いやるだけの強力性をもっている」(p63)。どこか、『日本沈没』のようでも、『AKIRA』のようでも、その後の終末論的な作品のブームのようでもあり、オウム真理教によるサリン事件すら想起させられる。(ついでにいえば、「執着気質者であろうとなかろうと、『立て直し』の倫理としての執着気質的職業倫理は、成功とともにその持ち主に対する規範としての力を失う」(p52)という箇所は、90年代、ゼロ年代の構造不況や閉塞感などの背景に漠然と存在している心的機制の原因をすら説明しているように思う)

さて、これが静岡とどう関係するのか。二宮が、近代化、そして戦後に至るまで続く日本の精神を形成したとする中井の仮説を受け入れるなら、彼がその倫理と思想を作り上げた場所である、窮状にある村々がその原点にあるだろう。二宮が「立て直し」を実施した村々は「二宮の故郷の村に酷似していた」と中井は言う。「それは河川が山間部より出たところでつくる扇状地にある。扇状地は洪水に荒されるとはいえ排水がよく、水利は上流より分水して導水路をつくることによって行うことが可能である。天災の危機にさらされやすいとはいえ、復興もまた容易で、方法はすべての村民に理解せしめうるほど明快である」(p61)

中井の「二宮が近代化・戦後日本の精神を形成した」という仮説を受け入れるにしろしないにしろ、彼の論じている内容と日本SFが似ているように感じることは拒絶しがたい事実である。この関係性については、真の熟考が必要とされるので、本論では示唆のみに留めたい。

ここで僕が提出してみたいのは、ささやかな思い付きである。思い付きであるので、いい加減なものである点はご容赦願いたい。

それは、『日本沈没』についてである。『日本沈没』が何故静岡を舞台に使うのか、実は今までよくわからなかった。「静岡SF論4」で石和義之はその点について以下のように述べた。

『日本沈没』は、伊豆沖で沈んだ島の挿話に始まり、3月12日の富士山の大噴火をクライマックスとして終わる。主な舞台が静岡を選んでいるのは、偶然にもそこに「糸魚川静岡構造線」が走っているからだ。東日本と西日本を分かつユーラシアプレートと北米プレートの境界線が「糸魚川静岡構造線」なのである。「本州を西と東にわける関東山脈の下の富士火山帯は、今や一斉に燃え上がり……」と作品中では描かれているが、ここでは日本という風土のみならず、それ以上に昭和という時代そのものが燃え上がっているようだ。

これに対し、中井の論は『日本沈没』の射程が「昭和」より広いのではないかと考えさせられる。二宮思想の実践の代表例が静岡の茶畑であり、その「災害」と「立て直し」に、小松左京が敗戦と復興を経験したことを「重ね合わせ」たのだとしたら――

これは、とっぴな思い付きではない。『日本沈没』は、『日本沈没 第二部』で描かれるように、「ディアスポラ」を描く予定の物語であった(D計画のDとは、ディアスポラのDである)。山本七平の『日本人とユダヤ人』に影響を受けたこの日本人とユダヤ人の気質の重ね合わせと検討の中で、小松が山本の『日本資本主義の精神』の影響を受けなかったとは考えにくい。『日本資本主義の精神』においては日本人の社会倫理と精神が、江戸時代の思想家・石田梅岩や鈴木正三に起源が求められていたが――中井の言う、二宮説と同じような意見もどこかで目にしていたのかもしれない。

その上で、『日本沈没』の企みを、そこをあえて「静岡」に設定することで「災害」と「立て直し」の象徴としての「茶畑」を想起させようとしていたと仮定するなら、この書物の「重ね合わせ」の試みは、以下のように整理できる。

水害による村の壊滅と「立て直し」

敗戦による焼け野原からの戦後復興

地震と噴火による日本沈没とその後の世界中でのディアスポラ(『第二部』)

ユダヤ人のディアスポラとその復活

この中で、「ディアスポラ」が何故描かれるのか、僕は長年分からなかった。クラークの一神教的な『幼年期の終わり』に対抗して日本の宗教的伝統を用いて『果しなき流れの果に』を書いたぐらいなので、ユダヤ教が背景にあってディアスポラが耐えられた、あるいはディアスポラによってユダヤ教が世界宗教になった、そういう事柄を「日本」的な宗教なり道徳に置き換えて思考実験しようとしているものなのかと勝手に解釈していた。

先日、偶然、長崎浩の『共同体の救済と病理』を読んでいて、その中でユダヤ教の預言書である「エレミヤ書」を紹介する箇所に出会った。それは「社会に蔓延する不正と不義を告発し、罪と背信にたいする神の裁きとして民に災いが下ることが告知され、それでもなおたかをくくってヤハウェに立ち帰らない民を弾劾する」(p167)内容である。

その中の一節が、まさに『日本沈没』の背後にあったテーマだと、恥ずかしながら、僕はこのときに知った。孫引きで申し訳ないが、引用させていただきたい。

永久の愛をもって、わたし(ヤハウェ)はあなたを愛した。

それ故に、わたしはあなたに慈愛を注ぎ続けた。

わたしは再び、あなたを建て直す。

あなたは建て直される、乙女イスラエルよ。

再びあなたは、鼓で身を飾り、

楽を奏でる者たちの、踊りの輪に入る。

再びあなたは

サマリアの山々に、諸々の葡萄畑を作る。

植える者たちは植え、そして収穫を得る。

まことに、見張りの者たちが、

エフライムの山で、呼ばわる日が来る。

「あなたたちは立ち上がれ。

われわれは上ろう、

シオンへと、

われわれの神ヤハウェのもとへ」と。 (関根清三訳)

乙女イスラエルを「日本」に置き換えた上で、最後の四行の一神教的構造に対してどう日本的な結末をつけるか。そこは、あまりにも、難問であっただろう。よく考えれば、『神への長い道』においても小松はこの問題を思考しているのであった。(『第二部』をお読みの方なら、この四行がどう反映したかご存知の筈だ)

となると、「サマリアの山々」は「静岡の山々」で、「葡萄畑」は「茶畑」か。そんな馬鹿な、と言いたくなるが、「葡萄」がユダヤ教において「怒りの葡萄」=踏み潰された人々の血であると同時に、キリスト教においては神の血であることを踏まえると、一神教的な構造に対決した『果しなき流れの果に』のラストが縁側でのんびりするシーンであったことを思い出さずにはいられない。それが小松にとって「神」や「救済」の代わりであったとするならば、そこに必要な「神の血」は、当然「茶」ということになる。

その「茶」は、洪水などで壊滅した人々の「立て直し」の刻苦と勤勉さの象徴のようなものである。まさに流された血と汗の結晶なのである。

西洋庭園の整然とした幾何学的空間とも、日本庭園のような「自然と人工の調和」とも違う、独特の、歪んでモコモコしているのに、異様に均質的で強迫神経的な「茶畑」に僕が感じた驚きの正体がここに明らかになったような気がした。そこには西洋庭園、日本庭園に対比されるべき「茶畑の哲学」があり「茶畑の美」がある。

「茶畑の哲学」なり「茶畑の美」の背景には、災害と「立て直し」の精神と、長い勤勉さと刻苦の歴史がある。我々は茶を飲むとき、その歴史を共有し、聖体拝領を行い、血を飲んでいるのであると伝えるために、小松左京が『日本沈没』の舞台を静岡にしたのだという仮説―― この仮説によって、初めて僕は、「SFにとって静岡とは何か、静岡にとってSFとは何か」という答えの一端に、たどり着けたような気がした。(藤田直哉)

ビアル星の記憶 ――富野アニメに見る神秘主義の起源

礒部剛喜

神は人類の堕落を憎み、地上に悪疫を流行らす風を吹き送った。純粋な毒は地上に 舞い降り、あらゆるものを死滅させた。このとき、人並みすぐれて誠実な家長は彼が 選んだ一団の人びととともに頑丈な扉のついた囲いの中に(洞窟か?)閉じ込もっ た。こうしてわずかに一握りの人びとだけが無事に避難できた。…リオン湖の堤がこ われ、大津波がイギリスの岸べに迫り、どしゃぶりの雨が続いて地上に大洪水が起 こった。(村社伸訳)

ドネリー『ラグナロク――火と瓦礫の時代』(一八八 三)

アーサー・C・クラークが近代懐疑主義精神の持主であることは、決して疑いよう がない。二十世紀イギリスを代表するSF作家として、彼がUFO,ESP,オー パーツ、ネッシー,いずれの存在にも懐疑的だった。ただクラークはノンフィクショ ンとしての神秘主義を肯定することはなかったが、フィクションにおいては必ずしも そうではなかった。

クラークの代表作『幼年期の終り』(一九五三)は、彼に内在された神秘主義の産 物だと言えたからだ。大都市の上空に浮かぶ銀色に輝く雲のような宇宙船、堕天使を 思わせる征服者オーヴァーロード、無意識下で発揮される超常現象能力、そして心霊 書記によるコンタクト。物語に散りばめられたキーワードを追えば、『幼年期の終 り』はクラークの神秘主義的な宇宙観を全面的に押し出している。『幼年期の終り』 を読む限りにおいては、クラークの内心にあるはずの懐疑主義の気配は微塵も感じら れない。

『幼年期の終り』は、近代懐疑主義精神が神秘主義と共存していても矛盾はないとい う事実を示唆していると言えるのではないだろうか? アイザック・ニュートン卿に したところで、占星術と無縁とは言えなかったのだから。ではクラークの内面に、懐 疑主義と神秘主義の両者を併存させることになった起源は何なのだろうか。その解答 は彼自身の幼年期における読書体験にあると言えるかもしれない。

さて、クラークの神秘思想の起源を辿るとき、そこに静岡を舞台にしたSF作品に接 点が浮かぶとして、両者に通底した神秘主義が存在していたと考えるのは荒唐無稽な 着想なのだろうか。

共通した神秘主義を内包したという点で、『幼年期の終り』と接点を持つ作品として 取り上げてみたいのは、静岡県駿河湾を起点に始まる富野喜幸(現・由悠季)監督の 巨大ロボット・アニメーション『無敵超人ザンボット3』(一九七七)である。ク ラークの『幼年期の終り』と、『無敵超人ザンボット3』が同質の起源を共有してい たと推断することは、それ自体が擬似科学的な発想なのだろうか?

十二歳の少年神勝平は、焼津市漁港の網元、神一族の長男だ。一族の長老神北兵左 衛門は、埋没したご先祖の遺産を見つけたと言い出して、駿河湾で採掘工事を始めて いた。そんなおりもおり、焼津市に正体不明の怪物が出現して街を破壊しだす。沖合 の採掘現場も破壊されるが、海底から巨大な宇宙船が浮上し、勝平を収容する。神一 族の祖先が残した遺産とは、宇宙船〈ビアル一世〉だった。神一族は、かつて宇宙の 破壊者ガイゾックに母星を滅ぼされ、地球に逃れてきたビアル星人の末裔だったの だ。街を襲った怪物は、ガイゾックの放ったロボット・メカブーストだった。勝平と 神一族は、祖先の残した宇宙船〈キング・ビアル〉と巨大ロボット兵器ザンボット3 に乗り込み、ガイゾックを迎え撃つ。

物語の基本構成は単純で明快ながら、人間ドラマに焦点を置いた展開は、決して正義 対悪という単調な図式に収まってはいない。神一族は、ほとんど単独でガイゾックに 闘いを挑み、ほぼ全員が壮烈な最期を遂げ、勝平だけが地球に生還するという衝撃的 な結末だった。加えて特筆すべきは富野監督のキャスティングセンスで、神勝平を演 じるのは、後にドラえもん役で知られる大山のぶ代その人である。

この作品で最も重要なのは、古代に滅亡した高度な文明の残した超技術の産物が現代 に復活するという構図である。『勇者ライディーン』(一九七五)で始められた、太 古の超文明の遺産である巨大ロボットを受け継ぐという着想は、『ザンボット3』、 『伝説巨神イデオン』(一九八〇)と、富野アニメで繰り返し用いられている。『機 動戦士∀ガンダム』(一九九九)も、この範疇に含まれていい。

失われた古代科学の再生という着想は、現代SFから忘れられて久しい〈第一期文 明仮説〉に基づいている(古代に異星人が地球を訪問していたという〈古代宇宙飛行 士飛来仮説〉もこれに含まれる)(1)。かつて高度なテクノロジイを持った (ムー、アトランティス、レムリア、パンとあまたの呼び名がある)大文明が繁栄し ていたが、地球規模のカタストロフによって滅亡したという〈第一期文明仮説〉は、 本来SFには古典的なテーマだった。

〈第一期文明仮説〉は、現在では〈シェイヴァー・ミステリ〉(2)同様に、完全な 擬似科学と見なされるようになったため、最近のSFのテーマとして浮上してくるこ とは稀であるものの、同質の着想が富野アニメで繰り返されたことは黙殺すべきでは ない。

さまざまな歴史的な材料を物語に巧みに導入している点が、富野アニメの特徴だった ことを考えれば、滅亡した文明のテクノロジイを受け継ぐという着想と展開にも、同 じような史実性の援用が含まれているはずであり、彼が用いる小道具を軽視してはな らない。

たとえば『機動戦士ガンダム』(一九七九)における宇宙要塞〈ア・バオア・クー〉は、ボルヘスの『幻獣事典』から引用された回教神話の妖怪に起因していることはよ く知られているし、『重戦機エルガイム』(一九八四)では、重層性のある背景を中 国史に求めている。〈ペンタゴナ・ワールド〉の帝王ポセイダルの情報機関〈十三人 衆〉とは、中国国民党の秘密警察〈藍衣社〉と同義語であった。

SFの文学史的な潮流から見ても、決して擬似科学として排撃してよいものではない〈第一期文明仮説〉テーマの作品は無数に書かれたが、その起源となったのはイグ ネーシャス・ロヨーラ・ドネリーの『アトランティス――大洪水以前の世界』(一八 八二)であった。フィラデルフィアの弁護士で、ミネソタ副知事を経て連邦下院議員 となったドネリーは、あらゆる古代文明は水没した幻の大陸アトランティスを起源と するという仮説を極めて一般的なものにすることに大きく貢献したのである。

ドネリーの仮説が広く受け入れられた理由は、それが――後に、モーリス・ジェサッ プ、フランク・ドレイク、ル・ポア・トレンチ卿といった〈古代宇宙飛行士飛来仮 説〉を支持した人々に模倣されたように――聖書の世界観を再構築したものだったか らだ(3)。すなわちドネリーが示してみせたのは、ユダヤ・キリスト教的世界観の 正当性だった。これはクラークの『幼年期の終り』と矛盾するものではない。後に有 名になるヴェリコフスキーの『衝突する宇宙』が、ドネリーの直径の子孫であったこ とは、旧約聖書神話の実証の試みという点で明らかである。

そしてクラークはその少年時代に、ドネリーの『アトランティス…』と『ラグナロク ――火と瓦礫の時代』(一八八三)に強い影響を受けていた。『幼年期の終り』の結 末で、霊的存在へと進化した人類が、繭を破るように地球を崩壊させる光景は、ドネ リーの描写した天変地異とよく似ている。クラークがドネリーを擬似科学の守護聖人 と批判しても、『幼年期の終り』に関する限り、ドネリーの影響を拒絶することは困 難である(4)。

確かに『ザンボット3』は、『ライディーン』や『イデオン』に較べれば神秘的な色 彩は希薄である。しかしそれは、前作『ライディーン』で神秘性が強すぎるという理 由で総監督を降番となった反省に立っていたからだと見なしても誤りではないであろ う。『イデオン』と比較しても『ライディーン』のキリスト教色は際立って強かった からだ。ヒロイン明日香麗は、修道女から戦闘機のパイロットに転身してくるのだ。

かくてユダヤ・キリスト教的な〈第一期文明仮説〉という鏡に映し出せば、富野ア ニメに秘められた神秘主義的な世界観は、『幼年期の終り』と限りない酷似性を共有 していたと見なせるのではないだろうか。                ――ニ 〇一一年七月

(1)〈第一期文明仮説〉を扱った作品には、ハミルトン『虚空の遺産』ラインス ター『死都』が有名だ。ホーガンの『星を継ぐもの』も、〈第一期文明仮説〉に関し ては、豊田有常『神話と伝説にみる異郷体験』(『SFファンタジア 第三巻異世界 編』(学研)収録)が詳しい。
(2)現代のSF史から故意に抹殺された、滅亡した古代レムリア文明の末裔とのコン タクト・ストーリー〈シェイヴァー・ミステリ〉騒動については、アシュリー『SF雑 誌の歴史』(東京創元社)を読まれたい。
(3)いずれも〈古代宇宙飛行士飛来仮説〉の先駆者たちである。太古に異星人が地 球を訪問していたという仮説は、E・V・デニケンの著書『未来の記憶』(角川文庫) が有名だが、同書がベストセラーになった理由は、その先駆者たちよりキリスト教色 を希薄にしている点にある。
(4)クラークの神秘主義的世界観の起源については、自伝的読書録『楽園の日々』(早川書房)を参照。

いよいよ前日です。

竹取物語考――「ものをかたることの出で来はじめ」

1. 《物語の出で来はじめの祖》なる竹取物語

或る三月のうららかな春の日のこと、宮中は一斉に色めき立っていました。今をときめくふたりの姫君、すなわち、源氏の君が擁立する梅壷の女御と権中納言が擁立する弘徽殿の女御とが、帝のご寵愛をめぐって勝負をすることになったからです。その勝負の内容は、帝が絵をたいへんお愛であそばされるのにちなみ、物語を描いた絵巻を互いに持ち寄って、どちらの見せる作品がよりすぐれた芸術であるかを女官たちに品評させるというものでした。そこで梅壷の女御が提出したのが《物語の出で来はじめの祖》、つまり日本で最初の物語と呼ばれる『竹取物語』の絵巻だったのです。

梅壷の女御を応援する女官たちは『竹取物語』の価値を弁護してこう言います。「なるほど『竹取物語』は、話中の竹取の翁よろしく、古くさくつまらなく感じられるお話かもしれません。でも、かぐや姫がこの世界の穢れに染まることなく矜持を保って天へとのぼる姿は、神代の出来事にも似て、浅薄な人間にはちょっとわからぬ崇高性が感じられるのです」。弘徽殿の女御の側に立つ女官たちは、これに反論してこう言います。「かぐや姫がのぼったという天の世界がもはや人間の想像の及ばぬ境地だというのなら、そんなものは物語になりようがないでしょう。そもそもかぐや姫を育てた竹取の翁はきっと身分の卑しいひとだから、貴族であるわれらとは無縁です。じっさい、かぐや姫は、もったいなくも帝のご寵愛を受けながらとうとう妃にならなかったではありませんか。おまけに『竹取物語』に登場する公達がとても無様に描かれているのはけしからぬことです」。

上に引いたのは、『源氏物語』の第17帖「絵合」の巻の中の一節です。このくだりは『竹取物語』の名前が言及される最古の記述であると同時に、現存する限りで歴史上はじめての『竹取物語』についてのまとまった論評と見ることができます。じっさい、梅壷の女御を応援する女官たちも、弘徽殿の女御の側に立つ女官たちも、作品を擁護するか誹謗するかでは立場が分かれるものの、両者の主張の内容自体はそれほどかけはなれてはいません。両者とも、かぐや姫をいささか傲慢な人物と見なす点で一致しています。そして、かぐや姫を傲慢と見なす評価の背後には、『竹取物語』の価値観が貴族社会のそれとおそらく相容れないだろうという判断がはたらいています。なぜなら、『竹取物語』とは竹取の翁という「下人」を中心にして展開する物語であるのみならず、貴人たちを――あまつさえ帝その人を――ないがしろにしていると受け取れる節すらあるからです。

じっさい、『源氏物語』から千年近く下った時代にあって、川端康成が『竹取物語』の解説を書くさいに苦慮したのもまさにこの点でした。なぜなら、彼が『竹取物語』の現代語訳を上梓した1937年は、日中戦争が開始した年でもあったからです。天皇制のイデオロギーを中心にして日本の価値観が一元化されていく大きな流れの真っただ中で、川端は、かぐや姫が帝に肘鉄を食わせる描写を不敬と見る向きを刺激しないよう、細心の注意を払いながら『竹取物語』の文学的価値を擁護しなければなりませんでした。にもかかわらず、そんな難しい時期に敢えて川端が『竹取物語』の訳業を遂行したのだとすれば、きっとそれだけの理由があったはずです。彼がリスクと引き換えにするだけの意義を『竹取物語』に認めていたのだと仮に想像したところで、これはあながち的外れな推測だとは言えないでしょう。

それでは、川端康成が『竹取物語』に見いだした意義とは何でしょうか。じつのところ、彼は『竹取物語』を「わが国小説の始祖」、つまり日本で最初の小説作品と見なしていたのでした。川端が『竹取物語』に対して送る賞賛の言葉はすべて、「小説としての善し悪し」という観点から下された判断に基づいています。少し長くなりますが、川端本人の言を見てみましょう。

竹取物語は、小説として、発端、事件、葛藤、結末の四つがちゃんとそろっている。そしてその結構にゆるみがないこと、描写がなかなか潑溂(はつらつ)としていて面白いこと、ユーモアもあり悲哀もあって、また勇壮なところもあり、結末の富士の煙が今も尚天に昇っているというところなど、一種象徴的な美しさと永遠さと悲哀があっていい。しかし何よりもいいのはやはりその文章である。簡潔で、要領を得ていて力強く、しかもその中に自然と色々の味が含まっているところ、われわれはどうしても現代文でその要領のよさを狙うことはできない。しかしその中にちゃんと調子(トーン)があって、強まるべきところは強まり、抑えられるべきところは抑えられてあって、この作者がなかなか芸術家であることが感じられる

つまり、川端康成も、そして紫式部も、『竹取物語』をひとつの芸術作品として――しかも、最初の芸術作品として――捉える点にかけて共通しているわけです。いまぼくは「芸術作品」と言いました。この場合の「芸術作品」とは、その物語が、何らかの伝説を語り継ぐことによって生み出されたのではなく、たとえ氏名不詳にせよ、単一の作者による独創を基にして創作されたのだということを意味します。だから、『竹取物語』は、さまざまな神話伝承を編纂することによって生まれた『記紀』とは峻別されるのです。

川端が賞賛する『竹取物語』の文章の美点とは、言うなれば、その作者が“自分は創作行為をおこなうのだ”と自覚できていたからこその結果に他なりません。そして、この自覚の背後には、『竹取物語』の作者が、神話の伝承というコンテクストから分断されていたという事態が存在します。すでに『源氏物語』の時点で、『竹取物語』は、いつ制作されたかもわからないほど古い物語だと語られていると同時に、その内容は「まるで神々の時代の事蹟のようである」と述べられています。ということは、紫式部でさえ、『竹取物語』の起源についてまったく知らなかったにもかかわらず、これを『記紀』で語られるような神話から区別しなければならないと理解していたことになります。もし『竹取物語』を神話の範疇に数え入れていたのなら、彼女はこれを指して「まるで神々の時代の事蹟のようだ」などという言い回しは用いなかったでしょうから。

この原稿でわたしたちは、『竹取物語』が《物語の出で来はじめの祖》と呼ばれる理由を、「神話と物語の違い」という観点からできるだけつまびらかにしようと考えています。そして、この試みは同時に、『竹取物語』の主題とはそもそも何であるのかという謎に一抹の光を投げかけるでしょう。

2. 言葉の起源をめぐる物語

みなさんにも思い出していただきたいのですが、『竹取物語』は、言葉の起源を解き明かす説話というスタイルを採っています。その一例として、世にもたぐいまれなる美貌とうわさされるかぐや姫のすがたを一目見ようと、野次馬たちがむらがった場面を挙げましょう。男たちは、夜も眠らず竹取の翁の屋敷の周りにやってきて、垣根に穴をあけてのぞきこんでは、あちらこちらをうろつくのでした。そして、このようにかぐや姫を求める男たちが夜中に徘徊することから「夜這い」という言葉が生まれたのだと『竹取物語』は説明しています。

「よばい」とは、もともとは「呼ばふ」の名詞形に由来する言葉です。たとえば、『古事記』では、八千矛神(やちほこのかみ)が沼河比売(ぬなかはひめ)の家に来て妻問いの歌を詠み呼びかけるときに、「よばひ」という言葉を用いています。ところが『竹取物語』は、言うなれば、神聖な求婚の儀式としての「よばひ」を、あさましい男たちの「夜這い」へとすり替えてしまうことで、パロディの笑いを生み出しているわけです。

神話の世界では、言葉の起源を解き明かす説話は、必ず特定の神の行為とその神にまつわる特定の地名とに結びつけられます。特定の地名は、その土地を嘉する神にちなんで命名されるものなので、他のどんな言葉とも交換できない特別な価値を秘めているのです。たとえば、『常陸国風土記』では、ヤマトタケルが新しい泉の水に袖をひたしたという事蹟にちなんで、常陸の国と名づけられたと説明されています。《その國俗(くにぶり)のことわざに、筑波岳に黒雲かかり、衣袖漬(ころもでひたち)の國》と『常陸国風土記』が語るとき、その背後には、神託によってその土地の呼ぶべき名があらわされた以上、土地の名とは神に呼びかけるための神の名でもあるという信仰が隠れています。風土記に言う「ことわざ」とは、神託の言葉であると同時に神を呼ぶ言葉なのであって、この発想は、やまとうたの枕詞へと引き継がれるでしょう。

このように言葉が呪能をもつと考えるいわゆる言霊信仰の発想と『竹取物語』のそれとを引き比べると、両者の違いは歴然と言わねばなりません。『竹取物語』においては、言葉の起源を説明するのは、神ではなく人間たちの事蹟なのですから。五人の皇子がかぐや姫の出す難題にほんろうされたあげく次々と失敗していく様子を指して、「恥(鉢)を捨てる」とか「あへ(阿部)なし」とかといった言葉が生まれたとする『竹取物語』の語り口には、『源氏物語』で女官たちが憤慨したように、貴族社会への揶揄が見え隠れします。しかし、さらにもう一歩踏み込んで考えるなら、『竹取物語』が徹頭徹尾まなざしを向けているのは、人間世界の何たるかなのです。かぐや姫に求婚する貴族たちが情けなく描かれるのは、貴族という社会身分が情けないのではなく、そもそも神ならぬ人間という存在が情けないからです。このことについてはまたあとで、あらためて考える機会があるでしょう。

神ではなく、あくまで人間に密着して言葉の起源を語ろうとする『竹取物語』の姿勢は、富士山の命名の由来を解き明かす結末の段に、端的にあらわれています。すなわち、当該のくだりでは、なぜ富士山がそう呼ばれるようになったかと言うと、山の頂上で「不死」の薬を燃やすさいに「あまたの士」が山をのぼったからだと語られているのです。ここで注目して欲しいのは、『竹取物語』の作者が、「富士の山」という地名をめぐって、「ふじ」という音の観点から「不死」という観念を想起させると同時に、「富士」という字形の観点から「あまた(富)の士」という観念を関連づけている点です。つまり、『竹取物語』の作者は、空想物語という表現を用いているとはいえ、音韻と字義という純粋に言語論的な地平から/純粋に言語論的な地平にとどまって「富士」という言葉を語ろうとしているのです。言い換えると、『竹取物語』は、言葉そのものについて鋭敏な感覚をもったひとの手になる物語だと見なす必要があります。

『竹取物語』が書かれたと推定されている平安朝初期は和歌が衰退して漢詩が興隆した時代だったという理由で、国文学者の小島憲之氏はこの時期を指して国風暗黒時代と形容しました。じっさい、『竹取物語』の作者も漢学の素養を備えた人物だったと考えられています。しかし、もう少し高い目線から考えるなら、この時代は、ただ和歌が漢詩に圧迫されていた時期というだけでなく、日本の文化それ自体が大陸の文化と混淆して、旧来の日本のアイデンティティが消失の危機を迎えた時代でさえあります。そして、消失の憂き目にあったものの中には、日本の古い神話の伝統も含まれているのです。そんな具合に、伝統的な文化と新しい異文化とが混淆を起こして、両者の境界があいまいになる危機の時期には、必ず「日本とは何か」という問いがひとびとの中で発生します。伝統とは、そうした問いかけの中で獲得された思惟に基づいてあらためて境界を画定され、再構成されながら存続していくものなのです。

『竹取物語』は、まさしく、再構成された新たなる国風の芸術として生み出されました。『竹取物語』の作者は、漢学に精通していた人物だった――ということは、この人物は、日本語という言語の世界の外側に出て、日本語の限界を見直すだけの展望をもつひとでした。じっさい、国文学者の泰斗・西郷信綱氏は、『竹取物語』の作者を指して、当時の漢学者たちはバイリンガルな世界に生きながら自国語を対象化して、その全体としてのあり方を意識せざるをえない立場にいたと述べています。仮に日本人が大陸の文化の影響をこうむることがなければ、日本語それ自体を考察するという発想はけして生まれはしなかったでしょう。したがって、『記紀』で語られるような日本神話の伝統がひとつの節目を迎えて、その代わりに『竹取物語』のような新しい形式の文学が誕生するという事態と、『竹取物語』の作者が言語に鋭敏な感性をもちながら、日本語それ自体を主題化するような物語を創作するという事態とは、じつは表裏一体をなしているのです。

ところで、このように『竹取物語』の作者は、或る意味でそれまでの日本の伝統を総括するという思想のもとに創作をおこなっているのですが、彼と相通じる思想をもつ偉大なSF作家をわたしたちはよく知っています。それは小松左京氏です。みなさんもよくご存知の通り、小松左京氏は、その長きにわたる作家活動を通していつも、わたしたちが生きるこの宇宙と未来との関係を、繰り返し問い直そうと試みました。わたしたち人間は、この宇宙のあり方について「なぜ」という問いを発さずにはいられません。「なぜわたしたちは存在するのか」、「なぜこの宇宙は存在するのか」、「なぜわたしたちは問わずにはいられないのか」……などなど。しかるに、わたしたちが「なぜ」という問いを発するとは、未だ見ぬ答えを既存の世界を超えた地点に求める行為に他なりません。つまり、「未来への問い」に他ならないのです。そして、わたしたちが未来に向かって一歩を踏み出すとは、これまでの世界の限界を線引きして、既存の秩序のすべてを――人類を、モラルを、社会を、文明を、歴史を――総体として思惟の対象にすることを意味します。この「未来への問い」を物語という表現を通して思索するというのが、小松左京氏の定義するサイエンス・フィクションです。そして、この意味で『竹取物語』は、日本で最初の物語であると同時に、日本で最初のSF小説でもあると言えるのです。

3. 《我をな視たまひそ》――『古事記』と『竹取物語』の穢れ観

しかし、『竹取物語』が“問い”の対象にするのは、ただ言葉の由来に尽きるというわけではありません。みなさんは、『竹取物語』がきわめてあざやかな手腕でもって、人間社会の縮図を表現していることにお気づきでしょうか。これは、『源氏物語』の中で女官たちが『竹取物語』を指して、身分の卑しいひとの生きる世界を描いた物語だと評していた点とも関係します。

いまさら言うまでもありませんが、『竹取物語』は、竹を取ることを生業にしている竹取の翁が、竹林で一本の不思議な光る竹を目撃して、その竹の中に小さな女の子を見つける場面からはじまります。女の子を見つけて以来、翁はたびたび竹の節の中に黄金が入っているのを発見するようになりました。そうして翁は富豪になって権勢をふるうようになります。女の子が成人して「かぐや姫」と名づけられたさいに催されたお祝いの儀では、身分の貴賎を問わず男なら誰も彼もが呼び集められて、大宴会が興じられました。しかしそのためにかぐや姫の評判が天下にひろまって、五人の貴人の求婚者があらわれ、やがて帝その人までもが姫に恋することになります。

つまり、『竹取物語』には、竹取りという卑しい身分である翁からはじまって、次にその翁が富豪となって、さらに続いて貴族たちがやって来て、最後に帝があらわれるというかたちで、社会の最下層から頂点に至るまで――シンボリックな表現方法で簡略化されているとはいえ――あらゆる身分の人間が順番に物語に登場するのです。これは、言い換えると、『竹取物語』の作者の“問い直し”の対象にされる定めからは、人間世界の最高存在たる天皇ですら逃れられていないということを意味します。その意味では、川端康成が対応に苦慮したあの『竹取物語』が天皇制を揶揄しているという非難の声に、まったく謂われがないというわけでもないと言えるでしょう。ただし、『竹取物語』論でよく話題に出るように、帝がかぐや姫に袖にされたかどうかが問題なのではありません。本当の問題は、『竹取物語』の中で、この地上世界の全体が「穢きところ」とされている点にあるのです。

平安朝の社会に生きたひとびとが「穢れ」をめぐる世界観によって諸般の行動を全面的に規制されていたことについては、あらためて説明の要もないでしょう。『竹取物語』とほぼ同時代に書かれた『延喜式』は、穢れの忌避について細かな規則を定めています。しかし、当然ながら、一定の規則体系として整備されるのに先駆けて、穢れという観念自体はひとびとの意識の中に存在していたはずです。なぜなら、穢れとは、時代を下るにつれて形骸化したイデオロギーと化していくものの、もともとは人間の自然な身体感覚から発生した観念だからです。わたしたちは『古事記』の中に、穢れの観念の原型をあらわしている挿話を求めることができるでしょう。その模範例が、有名なイザナギの黄泉国訪問譚です。

そのあらましについては、ここで語るまでもないでしょう。むしろわたしたちが目を向けたいのは、黄泉の国から帰還したさいにイザナギがこう語ることです。《吾はいなしこめしこめき穢き国に至りて在りけり。故、吾は御身の禊為む》。イザナギは、黄泉の国に足を踏み入れて身体が黄泉の穢れに触れてしまったから、その穢れを浄めるためにミソギをしなければならないと宣言します。しかし、問題なのは、いったいどうしてイザナギは黄泉の国に行っただけで穢れを身に帯びることになったのかという点です。イザナギが黄泉の国をおとずれたとき、イザナミはすでに「ヨモツヘグヒ」をしていたせいで生者の世界へ帰ることができませんでした。「ヨモツヘグヒ」とは、黄泉の国のカマドで煮炊きしたものを食することです。黄泉の国のかまの飯を食べると黄泉の国の人となってしまい、もはやこの世に戻ることはできなくなります。「ヨモツヘグヒ」とは、生者と死者とを分つひとつの境界線であって、イザナミはこの境界線を超え出てしまったから、死者たちに仲間入りしてしまったのでした。しかし、イザナギの方はどうでしょう。はたして「ヨモツヘグヒ」に類するような行為を何かしでかしていたのでしょうか。

自分を迎えにきたイザナギに対して、イザナミは、「わたしが生の世界に帰れるかどうかをこれから黄泉の神と相談して来るので、そのあいだわたしをけして見ないで下さい」と言い置き、黄泉の国の奥殿へとすがたを消します。しかし、待ちきれなくなったイザナギは、灯りをともして奥殿へと入り込み、そこで腐乱したイザナミのすがたを目撃することになります。これは、通説では「見るなのタブー」と呼ばれる物語定型と説明されます。すなわち、「見るな」と禁止されているにもかかわらず見てしまうことから破局が生まれるという、世界中でひろく観察される民話のモチーフだというわけです。ギリシャ神話の「パンドラの箱」、オルペウスの冥府下り、日本のおとぎ話の「鶴の恩返し」、「三枚のお札」などがその有名な例です。とはいえ、『古事記』の黄泉の国に関する記述を、その他の民話と同列の「見るなのタブー」の一例というだけで片付けてしまってはいけません。イザナギの黄泉国訪問では、単に定型であることを超えて、「見る」という行為が特別な意味をもつからです。

その片鱗は、すでに「黄泉」という名称それ自体にうかがえます。というのは、「ヨミ」とは、「ヤミ(闇)」が母音交替によって転化して生まれた言葉であって、つまりは視覚に由来する名称だからです。奥殿へと消えたイザナミを追いかけるときにイザナギがひとつ火をともして殿に入ったという記述からも、黄泉の国が闇に閉ざされた場所だというイメージが喚起されます。そしてまた、黄泉の国から帰還したさいにイザナギがミソギをして、最後に目を洗うことによってアマテラスが誕生する点も見逃せません。それはつまり、イザナギが黄泉の穢れをミソギで清める中で、とくに目を清めることが重要だったことを意味しているからです。だから、わたしたちはここでひとつの仮定を立ててみるとしましょう。すなわち、イザナギは、イザナミの死体を「見た」せいで穢れたのだと。

穢れは接触を介して伝染するという理解が一般的ですので、見るという行為が穢れを伝染するという解釈は奇妙に聞こえるかもしれません。この点についてみなさんに納得していただくためには、先に、『古事記』が語る黄泉の世界像が「モガリ」と呼ばれる古代の埋葬儀礼と結びついていることを説明する必要があります。じっさい、書紀一書に曰く、イザナギはその妹を見たいと欲して《モガリの処》へと至ったとされています。モガリとは、死者のなきがらを埋葬するまでのあいだ、一時的に安置しておくことです。生と死の判別が容易ではなく、また火葬が導入される以前の日本では、死者が腐敗して腐臭を発するようになるまでは、その肉体を保管して“早すぎる埋葬”の間違いをしでかすまいと用心していたわけです。このことを踏まえた上で、黄泉の国でのイザナミの記述を振り返るなら、《ウジタカレコロロキテ》という表現は、まさに死体が糜爛して、血膿がこぼれ、おびただしい数のウジ虫がうごめいている様子を形容していることに気づかされます。《コロロク》とは「むせび泣く」の意であって、ウジが死体を旺盛にむさぼるさまをコロコロと鳴く虫の声になぞらえているのです。

しかし、明らかに腐敗死体と確認されるより以前のなきがらについては、生死の判断が留保されていました。モガリの最中の死体は、厳密に言えば、生者の領域にも死者の領域にも属さず、一方から他方への移行状態にあると考えられていたのです。このことは、イザナミにもあてはまります。『古事記』によると、イザナミのなきがらは《出雲国と伯伎国の堺の比婆の山》に葬られたとあります。ここで言う「出雲国」とは、たとえば想像上の「西方」が極楽浄土と比定されるのと同じで、『古事記』の神話宇宙の中で“死の世界”の役割をになう場所です。つまりイザナミは、出雲国ではなく、出雲国の“境”に埋葬されたのだから、ただちに死者と認定されたのではありません。そして同じ意味で、黄泉の国は、じつは「死の世界」ではなく、正確には「生と死の中間領域」と理解されなければなりません。そうすれば、イザナギが黄泉の国におもむいた理由も納得がいくようになります。そもそも黄泉の国が死の世界であるのなら、イザナミを生の世界に連れ戻すことなどはじめから不可能だからです。そしてまた、以上の話から、イザナミが《我をな視たまひそ》と発言したわけも今や明らかです。というのは、イザナミは、イザナギに自分のすがたを見られない限り、死者と認定されることなく、少なくとも生死不明の状態でいられたのですから。

要するに、モガリにおいて死体を「見る」という行為は、生死未分のグレーゾーンに決着をつけ、生と死とのあいだにあらためて境界線を確定するという決定的な意義をもっていました。そして、「穢れ」とは、このように生死が決定不可能な状態のことを指す言葉だったのです。じっさい、平安期のひとびとの意識では、同じ死体であるとはいえ、白骨に触れたところで触穢とは見なされませんでした。あるいは、手とか足とかのようなごく一部しか残存しない死体もまた穢れを触発しないか、あるいは、穢れを触発するにしてもその程度として、完全な死体に比べて軽微であると判断されていました。つまり、誰が見ても完全に死に終えている死体はもはや穢れてはいないのであって、穢れとは、生と死とが混淆して宙吊りにされている状態に固有の観念なのです。

こうしてみると、まるで『古事記』の黄泉国訪問譚は、千年以上前に先取りされた「シュレーディンガーの猫」の感があると思われるかもしれません。しかし、穢れという現象が、それを認識する者との関係によって決定されるという発想こそ、平安朝のひとびとを支配する思考なのでした。その顕著な例は、触穢に対する忌みの作法に求められます。『延喜式』の定めるところ、穢れに触れた人間は、一定の日数だけ、参内なり神事なり公の行事への参加を忌み慎まなければなりません。なぜなら、穢れに触れた人間に接触した人間もまた、穢れに伝染すると見なされていたからです。しかし、忌み日の日数をいつから数えはじめるかというと、死の瞬間から測るというのが一般的だったようです。それはつまり、いつをもって死を死と認めるかという判断と穢れとが、切っても切り離せないことを意味します。でも、もっと面白いことがあります。それは、穢れものが存在すると知らずに穢れに触れていた場合、穢れものが発見されたときから忌みのはじまりを数えはじめるか、あるいはそもそも忌みの必要がないと考えられていたことです。たとえば『為房卿記』九月二十日のくだりでは、前日の夕方から内裏に犬の死体があったにもかかわらず、その発見は殿下がすでに内裏を出てからのことだったので、殿下は穢に触れたことにならなかったと記されています。ここからも、穢れは人間の認識が生み出すのであって、認識されない穢れはもはや穢れではないという考えがうかがえるでしょう。

話を元に戻しましょう。「穢れ」が「見る」という認識行為と相即しているという事態は、もうひとつの重要な帰結を導きます。穢れは、「空間認識」によって規定されるのです。イザナギにすがたを見られたイザナミは、《吾に辱見せつ》と言って彼を追いかけます。そこでイザナギは、ヨモツヒラサカに千引の石を引き塞えて、イザナミにコトドを渡します。「ヨモツヒラサカ」の「ヒラ」とは、切り立った崖を意味します。すなわち、地上と地下深い世界とを行き来するための通路をなす境界の意であって、それが「サカ」、つまり境という言葉に通じます。この黄泉の世界と現世との境に石を置くとは、生と死とのあいだに境界を画定することを意味して、この境界画定を宣言する行為が「コトド」に他なりません。「コトド」の「コト」とは「別」であって、つまりは別れの言葉なのですが、ただし、ひろく信じられているように、これをイザナミに離縁を告げる言葉と解釈するのは間違いです。「コトド」とは、モガリにおいて生死不明の状態にある死者に対して、死を確認してそれを宣言する呪言なのです。ゆえに、コトドは、感覚の次元でも観念の次元でも、生の空間と死の空間の境界を線引きする行為と言わねばならないでしょう。よく黄泉国訪問譚と比較されるオルペウスの冥府下りの物語でも、オルペウスは、「振り向くな」と禁じられていたにもかかわらず、地上に出た瞬間にエウリュディケーを案じて振り向いてしまいます。そのときオルペウスが目撃するのは、エウリュディケーが生の境界線の向こう側に立っているすがたです。つまり、この神話の中でも「見る」という行為はそのまま境界画定の行為と相即しているのです。

じっさい、モガリとは、喪屋を建てて、死体の安置されている空間と生者のそれとを区別する営為であって、この喪屋は「モガリの宮」とか「アラキの宮」と呼称されます。『総合日本民俗語彙』によると、青森県の津軽地方では、喪のある家の表口に二本の木をななめ十字に組んで立て、これをモガリと呼ぶそうです。これは要するに、かつて死体の置かれていた空間を垣根で囲んでいた習俗の名残りです。同じく、茨城県では小児を葬るさい、四十九本の青竹を割って周囲に柵を結い、これをモガリと称していたという話からも、このことは確認できます。そして、死者のための空間を画定するというモガリの意識は、平安朝の穢れの観念へと受け継がれます。すなわち、穢れが伝染する範囲は、空間の境界によって定められていたのです。たとえば、建物の壁に囲われた空間は、建物の外部で発生した穢れから、建物内にいる人を守ってくれます。反対に、建物の内部で穢れが発生したさいには、穢れは建物を囲む垣根を越えてひろがっていくことはないとされていました。

今や、わたしたちは、黄泉の国におもむいたイザナギが穢れに触れたとされる理由を、完全に理解することができます。イザナギは、モガリの宮でイザナミと空間を共有したから、穢れを身に受けたのです。なぜなら、モガリにおいて生死未分の存在に決定を下すとは、自分自身がこの生死未分の中間状態へと入り込むことを意味したからです。「見る」とは、視の対象と同じ世界に帰属することです。死を見つめようとするひとは、死において、死から見つめ返される。それが、「空間を共有する」という事態の本質に他なりません。だからこそ、モガリという行為は、穢れという危機的事態を触発すると同時に、視覚と切っても切り離せない関係を有するのです。

そして、ここであらためて『竹取物語』の記述を振り返るなら、この地上世界のすべてを「穢きところ」と呼ぶ感覚が、『古事記』の世界観といかにかけ離れているかということに気づかされます。『竹取物語』の世界では、穢れの概念は、モガリの空間を越境して、極限にまで拡大されています。そしてその背後には、おそらく、仏教によってもたらされた火葬の経験が潜在しています。

繰り返しになりますが、モガリとは、生から死への移行態にある死体を、完全に死が確認されるまでの期間だけ保存することでした。つまり、モガリの死体は、再生する可能性を保持しています。それがヨミガエリです。じっさい、『日本霊異記』には、ヨミガエリにまつわる挿話がいくつか収録されています。そして、それらのエピソードでは、突然に死を遂げた人物がいて、その死体を《モガリして置く》と、数日後にヨミガエるという物語のパターンが共通しています。しかし反対に、『霊異記』には、火葬によって葬られたひとの話も載せられています。中巻二十五に曰く、死すべき定めにあった或る女が閻魔の使いに賄を送ったおかげで、この使いの鬼は、同名の女を冥途に連れて行きました。しかし、鬼のごまかしは閻魔の知るところとなって、冥途に連れて来られた女は現世に帰ることになります。ところがすでに、女の身体は焼かれてしまっていました。そこで代わりに、本来死すべきだった女の身体に入ってヨミガエる……そんな話です。つまり、火葬は死の最終決定であって、ひとたび身体が荼毘に付されてしまっては、もはや蘇生の可能性は絶無となってしまうのです。

前節で見た通り、『竹取物語』の時代とは、相異なる文化の混淆によってあいまいになった日本のアイデンティティがあらためて画定された時代です。そして、生と死の境界線をどこに引くかという問題もまた、この時期に火葬という新しい方法で、新しい回答が与えられるようになりました。死者に対して向き合う態度が変化した結果、生から死への移行態という観念もまた変質をこうむるでしょう。すなわち、人間が「生きる」ことそれ自体が、すでにして生死未分の状態、すなわち「穢れ」であるとする思想が誕生するのです。それが「穢土」という観念です。どうして竹取の翁に《さかきの造》という名前がわざわざつけられているのかという謎の答えもまた、この点に存します。というのは、作者が竹取の翁の素性をどのようなものとして構想していたかに関係なく、翁に「造」という「姓(カバネ)」が与えられている点こそが重要だからです。

「姓」とは、本来は地方豪族の称号だったものが、大和朝廷によって政治制度として組織化され、社会の階級をあらわす呼称となりました。しかし、さらに下って律令国家の時代になると、姓は一般民衆にまで拡大されて、誰もが戸籍をもつようになります。血縁集団という発想は、「姓」という表現を与えられてはじめて実体化するものです。つまり、戸籍制度の発足から百年以上の時間を経て平安朝の時代には、一般民衆にまで「家族」という概念が浸透していたということです。だからこそ、竹取の翁は、かぐや姫に対して、「女性のしあわせとは結婚して、男女の契りを交わして一門を増やすことだ」と説くのです。しかし、人間が生殖によって子孫を増やすという行為の裏には、人間が死すべき存在だという事実が存在します。その意味で、「姓」は「屍」に通じるのです。

生殖も死もかぐや姫にとっては、同じひとつの現象の表と裏に過ぎません。すなわち「穢れ」です。かぐや姫にとってのこの地上の人間は、イザナギにとっての黄泉のイザナミにひとしい存在だと言い換えてもかまいません。かぐや姫が貴人たちからの求婚をこばみ続けるのは、穢れに触れまいとする努力であって、つまりはかたちを変えたコトド渡しなのです。だから、かぐや姫は、五人の皇子たちに絶対に達成不可能な試練を課しました。そうして五人の皇子たちは、かぐや姫にほんろうされながら、はじめから失敗が約束されている冒険を繰り広げるでしょう。その中には、石作皇子のように、ずるくて姑息な振る舞いもあります。車持皇子のように、同じ詐術にしても大胆不敵で、機知にあふれた作戦もあります。阿部御主人のように、間抜けで、それだけに憫笑を引き起こす顛末もあります。大友御行大納言のように、すったもんだの滑稽譚もあります。中納言石上麻呂足のように、精一杯力を尽くした甲斐もなく、みじめに失敗して破滅する悲劇もあります。しかし、そんな人間的な喜怒哀楽のすべてが、かぐや姫にとっては穢れに他なりません。

このことを象徴的に表現しているのが、かぐや姫が帝に言い寄られて、あわや連れ去られようとした場面での出来事です。そのときかぐや姫は、帝にこう言います。「わたしがこの国に生まれたものであったなら、お宮仕えもいたしましょう。しかし、そうではないのですから、お連れになるわけにはいかないでしょう」。そして次の瞬間、かぐや姫は、突然影になって消えてしまいます。ここでかぐや姫の言う「国」を、国家とか政治体制とかといった意味に解してしまうと、もうその次の展開の意味がわからなくなってしまうでしょう。この「国」という言葉は、「黄泉の国」がそうであるように、ひとつの次元を指し示します。したがって、「この国に生まれたのではない」というかぐや姫の台詞は、地上の人間と自分とではそもそも「生」の次元が違うのだということを言っていると解さなければなりません。生の違いは世界の違い、すなわち帰属する空間の違いです。だから、かぐや姫は、影のようにかき消えて、人間である帝には見えも触れもしない存在へと変貌します。「影のようになる」とは、かぐや姫が地上と同じ空間に属していないというテーゼの想像的表現です。そしてそれゆえに、のちに姫がじつは月のひとだったと明かされるとき、その意想外の展開が読者にすんなりと受け容れられるための布石ともなっているのです。

「生きる」という事態の内容が本質的に異なる以上、かぐや姫と地上のひとびととのコミュニケーションは、最初からすれ違いに終わることが決定しています。たとえかぐや姫その人が共感と同情とを示しているように見える場合でさえ、この大前提は揺るぎません。なぜなら、かぐや姫を本当の娘のように愛して慈しんだり、姫が月に帰らなければならないと聞いて「いっそ死んだ方がいい」と嘆き悲しんだりする竹取の翁の思いも、月を見あげては憂い悩んだり、竹取の夫婦を残して月に帰ることを心苦しく感じたりするかぐや姫の思いでさえも、物語の結末では、すべてひとしく「穢れ」として決着をつけられる定めにあるからです。しかし、それと同時に、この結末においては、「言葉」と「穢れ」という『竹取物語』のふたつの主題が、一瞬の邂逅を見せるでしょう。わたしたちは最後にこのことについて考えてみなくてはなりません。

4. ものをかたることのあはれ

かぐや姫が地上に対峙するときの態度というものを考えるとき、『古事記』の国譲りの段、アメノワカヒコにまつわる挿話が連想されます。アメノワカヒコとは、葦原中国の荒ぶる神々を平定するために、高天原から遣わされた神です。ところが彼は、葦原中国に降り立つと、土着の神の首長である大国主の娘、下照比売(したてるひめ)を妻にめとって、この国を支配してやろうという野心を抱き、天への復命を放棄してしまいます。その結果、彼は、最後には天からの呪いを受けていのちを落とすことになりました。

しかし、この話にはさらに続きがあります。すなわち、アメノワカヒコの妻・下照比売は、夫の死を嘆き悲しんで、その哭き声は風とともに天にまで届きました。そうして彼の死を知ったアメノワカヒコの家族が地上に降りて喪屋を建て、八日八夜のあいだ哀哭し続けていると、ワカヒコの友であったアヂスキタカヒコネがとむらいに来ます。ところが、アヂスキタカヒコネを見た家族たちは、彼の容姿が生前のワカヒコととても似ていたせいで、ワカヒコがモガリからヨミガエったのだと勘違いして、「わが子は死なないでいた」、「わが夫は死なないでいらっしゃった」と言うと、彼の手足にすがって泣きました。するとアヂスキタカヒコネは激怒して、「親しい友と思えばこそとむらいに来たのに、どうしてわたしを穢い死人になぞらえるのだ」と叫び、剣を抜いてワカヒコの喪屋を切り倒して、足で蹴飛ばしてしまうのです。

アヂスキタカヒコネが、アメノワカヒコと見間違えられたことに怒った理由は、モガリという観念を延長することで理解できます。すなわち、生死未分の閾であるモガリにおいて、死者であるワカヒコに「なぞらえられる」ということは、アヂスキタカヒコネにとって、文字通り致命的な危機を引き起こしかねない事態なのです。だから、アヂスキタカヒコネがワカヒコの喪屋を破壊したのも、たんなるうっぷん晴らしではなく、《穢き死人》になぞらえられた危機に対処するための呪的行為と考えなくてはなりません。つまり、アヂスキタカヒコネは、ワカヒコのモガリを強制的に終了させることで、ワカヒコの死を完全に確定してコトドを言い渡したと考えるべきなのです。

しかし、ワカヒコの喪屋が破壊されたことの背景には、もうひとつの理由が存在します。それは、アメノワカヒコが、国つ神たちを平定するために葦原中国に派遣されたにもかかわらず、その使命をまっとうせず、かえって国つ神たちにおもねるような《邪き心(キタナキココロ)》の持ち主だったことです。のみならず、ワカヒコは、高天原から彼の様子を見に来た使者である雉を矢で射殺することまでします。この矢は、雉を貫いて、天つ神のいる天にまで射上げられました。それゆえに、天つ神は、「もしアメノワカヒコに邪き心があるならこの矢に当たって災いあれ」と宣言して矢を投げ返すことで、ワカヒコを呪い殺すのです。つまり、アメノワカヒコの死は、不吉な死に他ならないのであって、モガリをまっとうして祖霊たちのいる世界へと移行することははじめから禁じられていました。こうして、ワカヒコの霊は、永久に安らぎをうることなく、この地上をさまよい続ける死霊となるでしょう。

このアメノワカヒコの物語を、かぐや姫のそれと比べるなら、両者が一種の対称型をなしていることに気づかされます。すなわち、かぐや姫は月の世界で罪をえた結果、この地上に降りてくるものの、人間世界の栄華におもねることなく、地上の首長たる帝に嫁いで国を支配しようという野心を起こすことなく、月からの命にしたがってまた元の世界へと帰って行きます。つまり、かぐや姫は、ワカヒコと違って地上に執着する《邪き心》をもたない人物なのです。しかしながら、かぐや姫は、《邪き心》を自分の意志で克服できていたわけではありません。なぜなら、かぐや姫は、竹取の翁に自分の出自を説明してから、こう語るからです。――「わたくしは、この世界で長いあいだお世話になってすっかり慣れ親しんでしまいました。今さら月の世界に帰ると言っても、嬉しい気持ちなど感じず、ただただ悲しいばかりです。けれども、自分の意志ではどうにもならないことなので、帰らなければならないでしょう」。つまり、『竹取物語』の世界では、地上に残るか天に帰るかの選択は、もはや自発的な意志でどうこうするものですらないと言わねばなりません。ここに「穢れ」の観念の決定的な転換があります。『古事記』と違って『竹取物語』では、穢れた心をもっているかどうかが問題にされているのではありません。その代わりに、心とはもとより穢れではないかという問いが、新たに思考されているのです。

先にわたしたちは、かぐや姫と地上のひとびととでは、「生きる」という概念の内容が決定的に異なっているということを見ました。それでは、『竹取物語』の作者は、月のひとびとの生をいったいどんな具合に思い描いているのでしょうか。かぐや姫は、月のひとは《いとけうらに、老をせずなん。思ふこともなく侍るなり》と語ります。《老をせずなん》とは、つまり、「時間にともなう変化が存在しない」ということを意味します。また、そう解釈するなら、月のひとびとがかぐや姫を迎えに来る場面の描写も、理解可能となります。というのは、竹取の翁が帝に要請して用意してもらった武士たちは、月のひとびとが天から降りてくるや否や、気力がなえて、身動きができなくなるからです。「周囲のひとびとの毛穴が見える」と形容されるほど明るく神々しい光に満たされる空間を背景に、他のすべての人物が静止している中を、かぐや姫だけがひとりしずしずと月からの迎えの前に歩み出る光景は、『竹取物語』の描写の中でもっとも美しく神秘的なものだと言えますが、この場面の要点は、《いとけうらに、老をせずなん》と語られる月のひとびとの属性が、視覚空間に仮託して描き出されているというところにあります。つまり、清らかな月の光に満たされて、完全なる静謐が顕現しているこの空間では、つかの間のあいだだけ地上が天の世界へと変容を遂げているのであって、この神秘の世界では、時が止まっているがゆえに、運動も変化もありはしないのです。したがって、月のひとは《思ふこともなく侍る》と語るとき、『竹取物語』の作者は、「老い」だけでなく「思い」もまた、時間の中に生きる存在に固有の属性だと考えていることになります。

そもそも「喪」とは、「オモヒ(思)」に由来する言葉だそうです。地上の人間が思いを抱くことと、死に定められていることとは、人間が時間の中で変化しながら生きる存在だという単一の事実が見せるふたつの相貌に他なりません。それゆえに、かぐや姫は、月からの使者に差し出された不死の薬を口にして天の羽衣を身にまとうと、その心は変容してしまい、竹取の翁を愛おしく悲しいと思うこともなくなって、月へと帰っていってしまいます。その直前に、かぐや姫は、翁に向かって「あなたを見捨てて帰ってしまうのでは、天にのぼる道中でも、また地上へと落ちてしまうような心持ちがいたします」と書き置いた手紙を残しているだけに、このかぐや姫の変容は、よりいっそう残酷な現実となって読者に突きつけられます。翁のことを愛して、別れを憂い嘆いていたかぐや姫はもはや消滅して、どこにもいなくなってしまい、ただ過ぎ去った思いを書き付けた手紙だけがあとに残されるばかりです。しかし、「思い」と「言葉」の関係とは、いつもそういうものではないでしょうか。じっさい、地上を去る最後の瞬間にかぐや姫が帝のために詠じた一首こそ、この両者の関係について表現した歌に他ならないのです。

今はとて 天の羽衣 きるおりぞ 君をあはれと 思ひいでける

この歌に言う「あはれ」とは、「愛しい」という意味でも「可哀想」という意味でもあって、このふたつの意味が分ちがたく結びついています。じっさい、「愛しい」という思いを抱くことはまた、哀れなことなのです。なぜなら、ひとが心に抱く思いも、思いの対象も、この地上の時間の中ではいつか必ず滅びずにはいられないからです。だから、かぐや姫は、この歌を詠んでいる今この瞬間には帝のことを「あはれ」と思っていようと、歌を詠み終えた次の瞬間にはそう思わなくなってしまいます。そして、ただ「あはれ」という言葉だけが残存するでしょう。これが竹取物語の最終的な帰結です。言い換えると、永遠は人間の手に届くかどうかという問いが、『竹取物語』の究極の主題なのです。

もともとかぐや姫は、竹取の屋敷の奥に閉じこもって隠れ続け、家族を除いて誰の目に触れることもなく、求愛の手紙に答えることさえありませんでした。そんなかぐや姫がどうして男たちの評判を呼び、貴族たちから求婚を受け、帝まで呼び寄せる展開になってしまったのか。これを、「おとぎ話だから」の一言で片付けてしまうのは、『竹取物語』の作者の知性をあなどる行為だと言わねばなりません。発想を逆にしなければならないのです。かぐや姫は、誰の目にも触れたことがなかったからこそ、また誰からの誘いをも拒み続けたからこそ、万人の欲望を掻き立てたのでした。なぜなら、人間は未だ見たことの無いもの、未だこの世界に存在しないものをこそ真に欲する生物だからです。そしてそれゆえに、かぐや姫は、この時間の中で生成変化する世界を超越して、これに絶対の「否」を通告する存在として、欲望の究極の対象たる永遠を象徴するのです。

穢土を超越した世界を「月」に重ねてイメージするという『竹取物語』に固有の発想も、おそらくはこの点に由来します。というのは、歳月を通じて変わることなく天を周回する「月」は、一方では、当然ながら経過する時間に通じるとともに、他方では、時間を超えてけしてうつろわないものの存在を想起させるからです。この意味で、月とは、時間的な世界と非時間的な世界の境界面であって、言うなれば、天に引き塞えられた「千引の石」として構想されているのです。さればこそ、月のひとびとは、わたしたち地上の人間に対してコトドを渡すでしょう。この穢土の世界に永遠は存在しないのだと。それが、大陸の文化との混淆という危機の時代を経て、『竹取物語』の作者があらためて画定した人間と神的なものとの関係性に他なりません。

「今は昔」という言葉ではじまった『竹取物語』は、「言い伝えたる」という言葉で閉じられます。過ぎ去っていくものは、ただ言語の中にのみ保存される。それが、死に定められているあわれな存在に到達可能な限界点です。言い伝えは、不死の薬を燃やした煙は、未だ雲の中へとたちのぼると語ります。富士の煙は、荼毘の煙です。「不死」が「ふじ」へと読み替えられるのは、たんなる地口なのではありません。不死ならぬ人間には、大切な思いが荼毘に伏されたあとに残る、言葉――文字と音韻――という遺灰を獲得することしか許されていないのです。しかも、その「言い伝える」という営みでさえ、たちのぼる煙がいつ途切れてもおかしくないように、いずれ途絶えてしまうでしょう。富士から煙がたちのぼる光景は、人間が「ものをかたる」という行為のあわれを、これ以上ないほど痛切に表象しているのです。(横道仁志)

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