(昭和61(1986)年12月25日発行・静岡出版)

 閑ヶ丘(しずがおか)はひとつの地名である。しいてその地点を求むるならば、果しなき流れの果ての縁側の南、百億の昼と千億の夜の寄せかえす台所の北西、銀河鉄道から降り立った銀色の髪の亜里沙が、蜂を追う少年と結ばれるべき床の間のはるかな東と考えられる。

 実に閑ヶ丘は、作者・杉山恵一の心象中にこのような情景をもって実在したドリームランドとしての日本静岡県である。

 そこではあらゆることが可能である。人は一瞬にして富士山の姿を別の地点に見出すこともあれば、桶田ヶ池に発生するトンボと未来を語ることもできる。

 罪や、かなしみでさえそこでは聖くきれいにかがやいている。深い虎爪山の密林や、風や影、高級住宅地、高野ヶ原南斜面に建つロココ趣味の邸宅…、それはまことにあやしくも楽しい国土である……。

 以上、宮澤賢治の『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』の広告ちらし(【新】校本宮澤賢治全集 第12巻 校異篇 10頁)をもじって書いてみた。「イーハトヴは一つの地名である」で始まる、「イーハトヴ」について論じる際によく引用される文章である。

 宮澤賢治が生前に出版した童話集は『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』ただ一冊だけである。その「序」において、彼は次のような説明をした。

 

   これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹(にじ)や月あかりからもらってきたのです。

 ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。 (【新】校本宮澤賢治全集 第12巻 本文篇 7頁)

 

 「どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです」……多分、杉山恵一も「閑ヶ丘物語」について、このように言うだろう。

  もちろん「閑ヶ丘」とイーハトヴは同じではない。それは静岡県と岩手県とが違う場所であり、また、杉山恵一と宮澤賢治とが違う人物である以上、当然のことだ。

  宮澤賢治は、幼い時から「石コ賢さ」と呼ばれるほど、岩石を愛し集めた。

  杉山恵一は昆虫を愛し集めた。特に情熱の対象となったのは、蜂である。

  そのことについて、彼は次のように語っている。

 そもそも昆虫などというものは、一般の人々にとって存在しないも同然である。そんなものに深いまなざしを注ぐ人間は、いわば見えないものを見ている人間、つまり幻に犯された人間であり、異界をさまよう不可解な人物である。――中略――  彼には、たまたま人間に生まれたからという、ただそれだけの理由で、人間一般に対して親密感を抱くことの方が不思議なことのように感じられる。

(杉山恵一『ハチの博物誌』1989年 青土社・285~6頁)

 だから、杉山恵一の書くものはSFになる。「たまたま、今、生物である」という視点で書かれた宮澤賢治の作品がSFになってしまうのと同じ理由による。

  彼等の見るものが幻ならば、現実とはすべて幻なのだ。むしろ、見えないものを見る目こそが、人間や土地の真の姿を見抜くことがある。

  1921年の日付を持つ童話「注文の多い料理店」は、「西洋近代」や「東京」の傲慢さを鋭く告発していた。

  そして、1986年に出版された『閑ヶ丘物語』は、農地解放による土地の破壊(22頁)や、原子炉のある土地を地震が襲う恐怖(99頁)を描く。

  『閑ヶ丘物語』は、我々の生きる「戦後」という時代を誠実かつ濃密に反映している。それも、作者はいわゆる「社会派」ではないので、いっそう的確なのである。

  だからこそラストのオチが衝撃的かつ素晴らしいのであるが、ネタバレになるのでこれ以上は書かない。童話「注文の多い料理店」のラストを未読の人に話すようなものだ。そんな無粋なことを、誰がするものか!

 思えば、『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』だって、それが出版された時点ではほとんど理解されなかった。作者が多くを買いとらざるを得なかったし、子供たちに駆けっこをさせて、順位に関係なく配ったなんてエピソードも伝わっている。それが今では、多くの人に読まれ、教科書にも載っている。

   こういった本は、その存在自体がSF的とも言えよう。
 とにかく一度読んでごらん。面白いぜ! 

     (宮野由梨香)

「空から見た閑ヶ丘」(2011年7月25日撮影)