初出〈2008年増刊モーニング・ツー〉14号 

→ 単行本『聖☆おにいさん』第3巻(講談社モーニングKC 2009年3月23日刊)

 

  「聖☆おにいさん」とは、ブッダとイエス・キリストのことである。超有名人物である2人は、休暇を「アパートをシェアして下界で」(1巻10頁)過ごすことにした。2人が暮らすアパートは、東京都立川市にある。彼らはそこで「普段、半径1㎞以内から でない」(3巻54頁)まったりとした生活を送っている。 

 この2人が連れだって旅行へ出かける。イエスが近所の商店街の福引で温泉旅行を当てたからだ。その道中を描いたのが「その18 いい旅極楽気分」である。2人の行先は静岡県……修善寺温泉である。

 さて、どうして、彼らは立川に住み、そして修善寺に出かけるのか?

 これに関しては、たとえば、次のような記事が参考になる。

 作者の中村光さんは静岡出身。出版元の講談社によると、立川には姉が住んでおり、子どものころから度々訪れて親しみがあったという。「東京といえば立川というイメージがあるそうです」と編集者。昨年は手塚治虫文化賞短編賞を受賞し、一躍注目を浴びた。                          (〈朝日新聞〉2010年10月11日朝刊多摩版)

 静岡出身だから修善寺、立川に姉が住んでいたから立川……思わず納得しそうになるが、事はそう単純ではない。『聖☆おにいさん』を描く時点での作者が、東京で立川以外の場所を知らないわけがないし、静岡で修善寺以外の場所を知らないわけがない。知っている多くの場所の中から「立川」「修善寺」が選び採られたのだ。その理由は何なのか?

 修善寺駅に着いたブッダとイエスは、まず記念撮影を行う。駅前には「伊豆の踊子」にちなんだ「記念撮影用書割」があるのだ。人物の顔の部分がくりぬいてあるアレである(写真参照)。

 「伊豆の踊子」冒頭には、修善寺温泉のことが書かれている。執筆時の伊豆旅行で実際に川端康成が泊まった場所でもある。そのことによって、この地は近代文学の聖地として成立した。

 修善寺が聖地なのは、それだけではない。

 駅から温泉行きのバスに乗った2人はバスガイドの説明を聞く。

 えー この修善寺温泉 伝説では弘法大師が独鈷で岩を砕き そこから湯が湧いたと言われております(同 42頁)

 ブッダの「後輩」の事績に刺激をうけたイエスは、携帯電話のアンテナで地面をつつく。そこからブドウ味のファンタが噴きだす。「ファンタも君の血にカウントされるのかい……?」とあきれるブッダ。

 そう、聖地をつくるということでは、この2人にかなう者はいない。だって2人は世界史上屈指のスーパーアイドルなのだから。

 聖地の成立……ある土地が独自の引力を獲得することについて、この「聖☆おにいさん その18 いい旅極楽気分」の冒頭に次のような言葉がある。

 

 偉大な人物の旅路には くっきりと痕跡が残る 

 それは土地の人々が 大好きなその人が訪れたことを 決して忘れたくないという思いゆえか……

         (『聖☆おにいさん』 第3巻 39頁)

 

 作者・中村光は、「立川」「修善寺」を作品の中に書きとめた。意識するしないにかかわらず、そこは作者・中村光にとって「決して忘れたくない」場所なのだ。そこを忘れることは、自分が自分ではなくなることであるような場所とも言える。

 作品を作り出す時に、自動的に引き寄せられてくるような場所がある。それは実は作者が選んでいるのではない。神の采配の領域である。

 このマンガによって、立川も修善寺も新たな聖地となった。

 行くところがすべて聖地になってしまうブッダとイエスの珍道中は、実はそのまま現実でもある。

 先に引用した朝日新聞多摩版の見出しは「マンガでも聖地に」であった。

 「聖☆おにいさん」の舞台には、立川駅構内や近隣のオニ公園も登場する。――中略―― 立川駅にほど近いオリオン書房ルミネ店には、23区内や横浜からわざわざ舞台になった立川まで買いに来る客もいる。販売担当の池本美和さんは、「物語の舞台に少しでも近い場所で買いたいという心理が働くようです」と推測する。そんなお客を見込んで、池本さんは「おにいさん」のコーナーにPR文を掲げた。「お買い上げは是非〈聖地〉で!」                                     (〈朝日新聞〉2010年10月11日朝刊多摩版)

 そして、私、宮野の家には、修善寺駅につくなり、「あ、あれだっ。写真撮って!」と書割に駆け寄る小学生たち(おこづかいで『聖☆おにいさん』の単行本を買っている)がいたりするのである……。            (宮野由梨香)