評論賞チーム新メンバーの関竜司さんをご紹介します。             関さんは私・高槻と同じでどちらかというとSFジャンル外、アニメ評論からこの世界に入ってこられました。

 現在は大学の研究課程に在籍しておられ、専門の芸術学を駆使した緻密な分析で高い評価を受けました。                             

 SFが私や関さんのようなジャンル外の視点に寛容になったのはとてもありがたいことです。せっかく評価していただいた期待にこたえられるようがんばらなくてはいけません。                                                

 どうぞよろしくお願いします。

 藤元さんとまったく違う繊細にして情熱的な人柄は、奥深く秘めた力を見せてくれそうです。                                        (高槻真樹)

「戦後日本の誕生」--『日本誕生』

   『日本誕生』は、昭和三十四年(1959年)に「東宝映画1,000本製作記念映画」という触れ込みで作られた特撮映画である。1,000本製作記念映画という触れ込みは伊達ではなく、上映時間三時間、カラーシネスコープ、着ぐるみでない遠隔操作で動かす怪獣(ヤマタノオロチ)など当時の技術の粋を集めた意欲的な作品である。一方でこの映画は『日本誕生』というタイトルであるにもかかわらず、日本が誕生するシーンは最初の十分程度で、あとは実質的にヤマトタケルを主人公した映画である。その理由は、この映画が、神話の中の日本の誕生ではなく、戦後民主主義の誕生を語ろうとしているためではないかと思われるが、なぜそう言えるのかは、追々説明していきたいと思う。
   まずこの映画のカット割りの特徴から述べていきたい。
   この映画は第一部と第二部で、かなり違うカット割りをしている。第一部では、一つ一つのカットが比較的、特定の言葉に置き換えやすく、全体の印象も淡白で散文的な印象を受ける。一方、特撮シーンが多く登場する第二部では、言語化しにくい無意味なカットを混ぜたり、同じカットを繰り返し見せたりすることで、見る観客の意識の流れに沿った説得力のあるカット割りを取っている。
   例えば、ヤマタノオロチがスサノオたちの用意した酒を飲むシーンがあるが、そこには一カットだけ無意味に尻尾が揺れるシーンが差し込こまれている。またオロチとスサノオが対決するシーンも、スサノオに襲い掛かるオロチを背後から見るカットとスサノオのアップを中心に、オロチとスサノオを側面から見るカットや、オロチの長い首を影にして見るカットを巧みに差し挟むことで、リズミカルでスピード感のある画面を演出している。特に注目すべきは、こうした細かいカット割りが、ヤマトタケルの乗った船が嵐に会うシーンや、ヤマトタケルの霊が白鳥になって天変地異を起こすシーンなど、特撮を使うシーンで多くみられることである
   『日本誕生』の監督を担当した稲垣浩は、もともと動きのあるシーンを作るのが得意な監督ではあるが、言語化できないような極端に無意味なカットを挟むような監督ではない。恐らくこれら特撮シーンに関しては、製作に協力した円谷プロの影響が強く反映され、そのカットの構成に稲垣も学ぶところがあったのではなかろうか。事実、第二部になると一部に比べて、散文的なカットが消え、リズミカルでスピード感のあるシーンが観客を引き込んでいく。もちろんこうした手法は、さらにさかのぼれば、エイゼンシュテインにまで行き着く。
   静岡との関係で言えば、富士の麓に住む相模国造クロヒコを討つシーンが印象的である。そしてこのシーンは、ヤマトタケルという主人公の作品上での位置を変えてしまう点でも非常に重要なシーンである。
   このシーンでヤマトタケルは、大和で出世することに目のくらんだクロヒコの罠にかかって周囲から火責めにあってしまう。しかし草薙剣をつかった向火(むかいび)の秘法で風向きを変え、窮地を脱し、クロヒコを討つ。だがクロヒコは死ぬ間際に、お前を討てと命じたのは天皇であると言い残して死ぬ。
   相模の国に来た当初、ヤマトタケルは、濛々と煙を吐く富士の山を見て「あの火と煙と地響きは、今の世の人の醜さを怒っているように思える」と言っていた。が、ここに来て富士の姿は、タケルの怒りと悲しみの象徴になる。そしてクロヒコの残した言葉の真偽を確かめるためにタケルは、天皇の命に背いて大和へ引き返す。
   しかし皇命に背いて大和に帰ってきたヤマトタケルは、今度は逆賊として討伐される側なってしまう。恐らくヤマトタケルが逆賊だったという解釈は、記紀をどう読んでも成り立たないと思われるのでこの解釈は完全に創作である。しかしこの創作の部分こそが、この映画の中でもっとも面白いところなのである。
   大伴氏を中心とする天皇の軍の計略にはめられ攻撃されたタケルの軍は奮戦するが及ばず、ヤマトタケルは、唯一生き残った部下のヤクモとともに伊勢の山中に逃れる。そこでタケルは言う。「今もこの国で石を投げてつけられて死んでいくものがいる。」それに対してヤクモは答える。「ミコトも石を投げられた一人です。」
   天皇のために戦っていたつもりが、いつの間にか天皇のために死ぬことになっている。ここにいたってこの映画は、かなりあからさまな天皇批判の映画であったことが明らかになる。
   第二部の冒頭、西国討伐から帰ってきたヤマトタケルに、すぐさま東国征伐の任が与えられたことに対して、タケルが「父は私が死ねばいいと思っているのだ」と嘆くシーンが出てくる。このセリフはヤマトタケルの人間的な苦悩をあらわしたセリフとして有名なものであるが、恐らく観客はこのセリフに、第二次大戦で赤紙を受け取った兵士たちの心情を重ねあわせていたのではないだろうか。またタケルたちが傷つき死んでいく姿に、第二次大戦で無念なまま死んでいった兵士たちの姿を見ていたのではないだろうか。
   ヤマトタケルは死ぬ間際、次のような意味深なセリフを残している。少し長いが引用したい。  

 「大和に帰ったら俺は父に話す。みんなに話す。人と人とが裏切ることのない力に満ちた明るさと大らかな喜びだけがあふれた世界を、ずっと昔にこの国の人たちが作り上げたということを。だから今、岩戸神楽が鳴り渡る高天原の心をこの世界に引き戻せぬはずはないと。その世をこの目で見ぬうちは、俺は死なんぞ。」

   力に満ちた明るさと大らかな喜びに満ちた世界。それは日本神話の世界であるという以上に、手塚治虫のモブシーンに代表される戦後民主主義の理想的な姿だったはずである。追っ手の矢を受けて死んだヤマトタケルの霊は、白鳥となって山や湖の周りを回り、天変地異を起こして、裏切り者の大伴氏の軍を飲み込んでいく。そしてタケルの軍の中でただ一人生き残ったヤクモは、大和に帰ってみんなに伝える。
「あの白い鳥を追え。」
    ここには皇国史観や神国思想に捉われていた日本人が、いかに敗戦という事実と向き合い、どのように自分たちを納得させて戦後民主主義というものを受け入れていったかを知る手がかりがある。そして恐らく戦後の日本人は、第二次大戦で非業な最期を遂げた英霊たちを、戦後民主主義の守護神と見立てることで、それ以前と以後の世界を結びつけようとしたのである。事実、『キネマ旬報』でこの映画を批評した小菅春生氏は、この映画が、一部で反天皇制映画ではないかと揶揄されていると指摘している。
   と同時に、この映画以降、日本神話を題材にした巨大スペクタクルが作られなくなったところをみると、戦後民主主義に想像力を明け渡した日本神話が、西洋近代を礼賛する機運の中で、「封建的遺物」、「負の遺産」として急速に訴求力を失っていった姿も垣間見える。この映画がつくられたのと同じ年に、『S‐Fマガジン』が創刊されたのも偶然ではないだろう。その意味でも『日本誕生』という映画は、日本神話を扱った映画というよりも、「戦後日本の誕生」を扱った映画であったと言った方が妥当なように思われる。                                                    (関竜司)

(参考文献)
 小菅春生,「日本誕生」,『キネマ旬報』(1959年12月上旬号), キネマ旬報社, p.89.
 沖浦和光,『幻の漂白民・サンカ』,文春文庫, 2004年, pp.270-273.