新潮文庫

 

評論賞チーム新メンバーの藤元登四郎さんをご紹介します。 

私・高槻や岡和田さんと同様、最終選考落ち二度の苦節を経験し、「三度目の正直」で栄冠をつかんだ努力と執念の人です。せっかくですから私たち「三度目の正直」なメンツで会でも作りましょうか。やはり何もしないとは思いますが「お互い大変だったよねえ、うんうん」とお互い言い合う場面も今後増えるでしょう。これもまた、SF愛のかたちです。  

 藤元さんの飄々とした洒脱なキャラクターは、チームの陣容に厚みを加える新たな戦力となりそうです。                               (高槻真樹) 

 円月殺法富士を斬る―眠狂四郎孤剣五十三次  

柴田錬三郎(柴錬)の眠狂四郎シリーズ(1)はきわめてSF的あるいは幻想的である。このことは、柴錬がボードレールとヴィリエ・ド・リラダンを愛読していたことから十分納得できることである(2)。柴錬は彼らの影響を受けて、小説というものはエトネ(人を驚かすこと)の精神を基盤とすべきだと考えていた。

エトネという点では山田風太郎が連想されるが、柴錬との大きな違いは、風太郎の作品では男性が犠牲者であるのに対して、柴錬はそれが女性であるという点である。さらに眠狂四郎はボードレール風の美学に貫かれているという特徴がある。

眠狂四郎はオランダ人の「ころびバテレン」を父親、日本人を母親として生まれ混血児である。柴錬は狂四郎の誕生について、次のように書いている。

「戦後において、混血児という存在が、奇妙な浮びあがりかたをして、万人の関心をあつめていることに、気がついた。そこで私は、当時、禁教として戦前の『赤』よりももっと、忌避されたキリシタンをむすびつけることにした。異国の伴天連が、拷問のゆえに、信仰を裏切って、ころび、悪魔に心身を売って、女を犯したあげく、生まれた子―これほど、形而上的にも、形而下的にも、陰惨な生いたちは、ない。ニヒリストたらざるを得ないではないか」(3)

このような生い立ちのために、深い精神的なトラウマを受けた眠狂四郎は、気持ちをストレートに表現できないゆがんだ性格であったが、その裏には誰にもまして優しい心と正義感が隠されていた。そのニヒリスト狂四郎が富士山に最高のオマージュを捧げたのであった。それはいかなるものであったか。

その前に、狂四郎の使う円月殺法の魔力について説明しておこう。

円月殺法は、愛刀、岡崎五郎正宗がゆるやかに、なめらかに空間を円月に斬る間に、相手を空白の眠りに落ち込ませる。円月殺法にリアリティがあるのは、「円月」という象徴的な言葉に由来している。自然のものである「月」そして人工のものである「円」は、古来心理的に重要な意味を持っている。「円」は多面的な心の全体性をあらわしており、そこには人間と自然との全体的な関係が包含されている。これは、原始人の太陽崇拝、 初期の天文学者が考えていた球体にみられる円の象徴などにみられる通りである。空飛ぶ円盤は、アダムスキの体験記とともに世界中を魅了したが、これも円形である。

ユングは、空飛ぶ円盤のことを全体性を表す心の内容を投影したもので、その円形がこの時代に生きる人々の心の分裂を癒すものであるという説をとなえた(4)。一 方、「月」は太陽とともに天体神話として多くの象徴的な意味を持っている。たとえば占星術では、「月」は母親、流動と変化、子供、普通の人々、夜など、多くの意味がある。満月から三日月へ変化していく「月」と、変わることのない「円」が組み合わされて「円月」となると、渦巻きのような錯乱が生まれる。

さて、眠狂四郎は江戸を出発して、東海道五十三次に出発し、箱根街道を通って三島宿にやってきた。このとき、柴錬も取材のために実際五十三次を回りながら、この作品を執筆したという。その頃、眠狂四郎は誕生してから十年ほどたっており、毎週一作づつ執筆するというハードなスケジュールだったから、柴錬自身も眠狂四郎になりきっていたことだろう。

狂四郎から見た富士山は次のようであった。 

駿河路は、富士山が、ついてまわる。三島へ下る箱根の坂路から眺める富嶽を絶景と称する人もあり、沼津城と対応する山容を賞する人もあり、そして、千本松原の浜辺から、松の梢の上にそびえるすがたを第一とする人もある。広重は、愛鷹山(あしたかやま)を右手にかしずかせた浮島原の上の富士、松並木の彼方に浮きあがった吉原の富士、そして、東海道随一の峻坂(しゅんぱん)である薩陲(さつた)峠(とうげ)を左方にきりたたせた由井の富士を、描いている。それぞれに、そのすがたは異っているのだが、広重は、そこまでは、描きわけてはいない。地下(じげ)の人々は、おらが里から眺める富士を、海道第一と自慢している。膝栗毛(ひざくりげ)で往(ゆ)く旅人たちは、自分たちについてまわってくれる霊峰が、あるいは優美に、あるいは精鋭に、時には柔和に、時には峭絶(しょうぜつ)に――、時と場所によって、すがたを変え移してくれるのを、賞(め)でることになるのである。 

柴錬が富士山本宮浅間大社に参詣したかどうかはわからないが、そこに祀られている木花咲耶姫を連想したのではあるまいか。彼は富士山から、裂ぱくの掛け声をあげてけいこをする、火のように燃える美女の剣士、須磨のイメージを得た。須磨の素振りは恐ろしいほどの執念深さがこもっていた。実は、彼女は今度の奉納試合で父を殺した箱根臥竜軒と対決をして、その仇を討つ覚悟であったのである。彼女は臥竜軒を打ち破るために、狂四郎に教えを乞いに来たが、彼はそれを拒絶した。須磨の腕前ではとても臥竜軒に及ばないことがわかっていたからである。

狂四郎は臥竜軒と立ち合ったことがあった。臥竜軒は仙人化した兵法者であり、相当の達人であった。狂四郎は、臥竜軒と次のような会話を交わしたことがあった。

「失礼なことをおたずねするが、お主は、勿論、永年、禁欲されて居るのであろう?」と、狂四郎は尋ねた。唐突な質問に、臥竜軒は、ちょっと、とまどった表情になった。「欲情の処理は、手淫で、事足りるの」 正直にこたえて、呵々と笑った。

さて、試合当日が来た。須磨は、高島田を結い上げ、あでやかな加賀友禅の着物を着て現れた。二人は青眼に構え、にらみ合った。臥竜軒は仙人同様の暮らしを二十年も続けてきたので、須磨の美しさに見とれた。やがて、須磨の木太刀がゆっくりと上段に移り始めた。その瞬間、彼女の胸高に締めた帯が、生き物と化したように、ぱっと胴から離れて後方へ躍り、それと同時に、衣装の前がさっと左右に散りひろがった。

末広がりに現れた白い体は、まさに、黒い雪をいただいた白い富士山であった。臥竜軒がそれに瞠目した瞬間に、須磨はけんらんたる衣装を宙に撒きながら襲い掛かった。臥竜軒はしたたかに肩を打たれてよろめいた。「勝負あり!」審判人の声が高く上がった。

着物を巻き上げるのは、臥竜軒の弱点をつくために、狂四郎が須磨に授けた策であった。帯と裳裾には、天蚕糸(てぐす)がついていて、須磨が上段に振りかぶるのを合図に、引かれるようになっていたのである。

須磨は狂四郎に礼をいうために追いかけた。狂四郎は、小うるさげに、彼女にじろりと一瞥をくれると、「おれが、若い女子を助ける時、いつも要求するのは、その操だが・・・」 須磨は間髪入れずにこたえた。「さしあげまする!」 しかし、狂四郎は冷たく笑って拒絶した。

「なぜでございます?」須磨は食い下がった。「そなたは、臥竜軒ほどのものが、敗れた理由がまだわかっておらぬらしい。おれに操をくれるつもりなら、太刀を振り回す稽古よりも、色気を身につけることを習うがいい」

狂四郎が、駿府から一里半、鞠子宿を通り、泉谷の天柱山柴屋寺のあたりにさしかかったとき、復讐に燃える箱根臥竜軒が異様な格好で待ち受けていた。彼は、一糸まとわぬ裸女を、自分の身にぴったりと吸い付かせていた。胸へ胸を、腹へ腹を、ぴったり密着させ、上肢を首に巻きつかせ、下肢を大きく拡げさせて自分の胴を挟ませていた。裸女は、ぐったりと失神して、顔を肩にのせていた。

裸女はよく見ると、紛れもない須磨であった。臥竜軒は、奉納試合で敗れた無念をはらすために、一つの決意をした。裸女を自分の体にくくりつけ、欲情を起こさぬ修練をして、同時にその不自由なかたちのままで戦うことができるように工夫したのであった。

臥竜軒は、大小の白刃を、左右へ、翅のように大きく拡げて、「狂四郎、いかに!」と叫んだ。まといついた須磨の裸身は、首に巻いた腕、くびれた胴、開いた臀部など、まさに富士の高嶺に降る雪であった。この姿は、とても映画化できない、まさにSF的なものである。

狂四郎には迷いは一切なかった。円月殺法の岡崎五郎正宗が一閃し、須磨もろとも臥竜軒は、真っ二つに両断され泉水の中に落ちた。それを見届ける狂四郎の表情は、依然として非情の冷たさをたたえているばかりであった。

物陰で息を殺して見守っていた男が狂四郎をなじった。「眠殿! なぜ、須磨殿を斬ってしまわれたのでござる?」 狂四郎は答えた。「ねむり薬をのまされている間に、どのような屈辱をこうむったか、それをあとで知って、おめおめと、生きているような娘かどうか、お主にはわからなかったのか」

眠狂四郎が深く須磨を惹かれていたことは、彼が試合のときに策を授けたことで暗示される。なぜなら、彼は女性に策を授けるような善意を示すことはほとんどないからである。また、彼がにべもなく須磨を拒否したのは、愛していたからこそである。これぞまさにニヒリストの真骨頂である。

円月殺法は富士を斬った。それは、狂四郎が富士の化身である美女、須磨に捧げる、そしてまた富士に捧げる最高のオマージュであった。須磨は、水の神木花咲耶姫のように水に帰った。              (藤元登四郎)

注記

(1)柴田錬三郎(1917-1987)の眠狂四郎は昭和三十一年(1956)五月から週刊新潮に登場した。「眠狂四郎孤剣五十三次」は、同誌の昭和四十一年(1966)一月十五日号から四十二年三月四日号へかけて連載された。新潮文庫(上)2003

(2)澤部成徳「無頼の河は清冽なり―柴田錬三郎伝」集英社、1992。

(3)柴田連三郎「眠狂四郎の生誕」、新篇眠狂四郎京洛勝負帳、集英社文庫、2006。

(4)カール・グスタフ・ユング著、河合隼雄「人間と象徴 無意識の世界」、(下145-162)河出書房新社、1975。