静岡SF大全5 『田紳有楽』(藤枝静男)

「田紳有楽」(「群像」1974年1月号)、「田紳有楽前書き」(「群像」1974年7月号)、「田紳有楽前書き(二)」(「群像」1975年4月号)、「田紳有楽終節」(「群像」1976年2月号)→講談社『田紳有楽』(谷崎潤一郎賞、1976年5月)→講談社文庫『田紳有楽』(1978年11月)→講談社文芸文庫『田紳有楽・空気頭』(1990年10月) ※津久井隆の年譜(『藤枝静男随筆集』、2011年1月、講談社文芸文庫によった)

田紳有楽・空気頭 (講談社文芸文庫)

田紳有楽・空気頭 (講談社文芸文庫)

  • 作者: 藤枝 静男
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1990/06/05
  • メディア: 文庫

 

 振り返って思う。あの時にもし先に「田紳有楽」を読んでいたら、私は雷に打たれて死んでしまっただろうと。今生きている。空を裂く稲妻の高笑いに怯えながら、激しく暖かい豪雨の中で。――笙野頼子

 藤枝静男。若き日に志賀直哉と瀧井孝作に出逢い、その圧倒的な影響のもと、さながら信仰告白のように「私小説」を書き続けた作家である。筆名が生地「藤枝」から採られていることから、また生業の眼科医を開業していた浜松の地を繰り返し舞台にしていることからもわかるように、静岡と縁が深い文学者だ。

 盟友の平野謙・本多秋五らが創刊した「近代文学」でデビューし、同誌や「群像」などの純文学の文芸誌を主な執筆の場としながらも、藤枝静男のテクストは、瀧井孝作式の「自分の考えや生活を一分一厘も歪めることなく写していく」方法を批判的に乗り越える過程で、ほかならぬSFと交錯する。

 ニューウェーヴ以降における現代SFの根幹を築いたJ・G・バラードは(SF)作家の役割を、虚構と現実の基礎が逆転した地点に有した「現実の特異点」を理解することだと規定した(「未来のための新しい隠喩」(一九七三))。縦軸としての私小説の作法と、横軸としての妻の病態について科学者的な知見に基づく叙述が奇妙な交わりを見せる、『空気頭』(一九六八)の結末部分では、「ベトナム戦争の天然色記録映画」に描かれた惨劇が語られるが、「平生の生活で自分がその一人だ」と書きつける藤枝静男の意識は、バラードの言う「現実の特異点」と奇妙にも照応を見せている。

  『空気頭』は先述した瀧井孝作式の「私小説」観の再検討が全面に出ていた作品だが、仮に藤枝静男の文学が、「現実の特異点」における「私」の位置をめぐるものだったとするならば、そもそも藤枝静男にとっての「現実の特異点」とは何なのだろう。
  

 塩田勉は、「藤枝静男『田紳有楽』――〈イカモノ汎神論〉の地平――」において、川西政明を引きながら、「皇国思想」あるいは「共産主義革命」、「敗戦体験」、「安保闘争」といった歴史的・社会的事象に、藤枝文学における「現実の特異点」を模索する。

 おそらく『人生の奇跡 J・G・バラード自伝』で描かれるような収容所体験(*1)に相当するものが、例えば藤枝静男にとっての「皇国思想」ではないかと思うが、こうした「現実の特異点」は、藤枝静男にとっての「私」の複数化をもたらす契機として機能するものにほかならない。それが瀧井孝作と藤枝静男を分かつ点なのだろう。
  

 もう少し、藤枝静男にとっての「私」とは何かを考えてみよう。遺作となった小説「今ここ」(一九八五)の最後の段落に、「若いころから、自分で自分を操ることができにくいという生まれつきの弱点を自覚しながら諦めのわるい生活を続けてきた。続けている。」という文章が存在する。

 この種の忸怩たる思いは、藤枝作品において幾度も主題とされてきた。『空気頭』では、肉体関係にあった看護婦のB子に「打ち負かされまい」とする過程において、なんと人糞の汁より製造した強精剤を服用することさえしてまで淫蕩に動かされる様子が描出される。最晩年の「老いたる私小説家の私倍増小説」(一九八五)では「二十歳あたりからの数年間」、彼は「自分自身に大して『ダス・エーケル』(嫌悪)」という言葉を当てはめ「酷く苦しんだ」様子が語られてもいる(その他、川西政明によればもう2つの大きな主題があるがここでは略す)。
 

 だが「私」の苦しみは――「空気頭」で見られたように――一方で医学者としての透徹とした眼差しをもって相対化される。社会と離れて無垢なる「私」が存在することはかなわず、現世、すなわち穢土(えど)につきまとうしがらみは、膏血(こうけつ)を絞るがごとくに「私」を苛み、なまなかな形で「茫界偏視」の境地へ遊ぶことを許さない。

 けれどもこうした葛藤は、作中内で往々にして韜晦される自己像とは裏腹に、藤枝静男の強靭な意志を逆説的に示すものともなっている。それは題材よりもむしろ、文体が伝えるものではないか。

  『欣求浄土』の連作(一九七〇)に見られるように、藤枝静男は風景描写に優れた技倆を示しているが、「「文体・文章」」と題した随筆(一九七六)の中で、彼は唐代の書家、顔真卿を引き合いに出して「自己固有のスタイル」を語っている。悪筆で知られる作家は多い。しかし藤枝静男の筆になる書は高潔にして味があり、その品格をそのまま文体へ移し替えることに成功した稀有な存在と見てよい(*2)。

 そんな彼は「優雅流麗な書の流行した時代に彼だけが何故こんな無愛想で凝り固まったような字ばかり書いていたのだろう」という疑問から始まり、「或る時突然にまわりのお手本から来る呪縛から逃れた状態で試みた無意識自由な作品が自分固有のスタイルとして飲みこまれ、以来動かぬものになったのではあるまいか」と、顔真卿の独創的な「類のない強い書体」=文体の成立を空想する。いずれはその「小型なものでもいいから何時か自分にも訪れぬものか」と「はかない望み」を抱くのである。

 その到来を予期させる作品こそが『田紳有楽』(一九七六)だ。藤枝静男は『田紳有楽』に必ずしも十全に満足はしていなかったようで、それゆえ顔真卿たることはできなかったと意地の悪い者は言うかもしれない。だが「私」の複数化によって生まれるテクストの輻輳(ふくそう)性を身をもって表現したという意味において、本作は紛うことなき文学の顔真卿と言えるだろう。

 だが文学の顔真卿は、ある意味、呪われた存在でもあった。「半僧坊」(一九七八)においては、冒頭で「魑魅魍魎」と元旦試筆で書きつけるさまが描かれ、その言葉によって記述は独自の運動を行うのである。この運動性は、魑魅魍魎ならではの自由と呼ぶことができるのではないか。晩年の藤枝静男の作品の多くは、心境小説という言葉がふさわしいが、その心境は仙境に遊ぶ類のものではなく、苦しみ抜いた末、苦しみとは無縁な場所に在ることを祈念するものである。
 

 そして『田紳有楽』は、虚構に遊ぶ魑魅魍魎の軽やかさがもっとも豊かなに発揮された作品と見ることができる。『田紳有楽』の世界では、浜松における著者の家の庭とおぼしき場所から、グイ飲みと、(和金と出目金の混血である)C子との幸福な交合が描き出され、藤枝静男の本名「勝見次郎」より連想された「滓見白」なる「イカモノ」の丹羽焼きが、遙かユーラシア大陸、チベットへと文字通り高らかな飛翔を遂げるのだ。

 藤枝静男は焼き物についての随筆を多く残しているが、焼き物の来歴を遡るかのように時空間を超越する『田紳有楽』の筆致は、バラードの『夢幻会社』(一九七九)を彷彿とさせる解放感に満ち、楽しく、美しい。

 増田まもるは「「永遠の現在」へのパスポート」において、『夢幻会社』にニーチェの『悲劇の誕生』で描かれるようなディオニュソス的狂騒性を見出しているが、これは『田紳有楽』にも共通する点だと言うことができる。

 『田紳有楽』のテクストでは、もはや「私」をめぐる苦しみは見られない。「私」は絶えず流転し、ある「私」は別の「私」の憑坐(よりまし)となり、別の生へと移り変わる。弥勒菩薩の化身は骨董屋に身を窶(やつ)し、「夢、夢、埒もない夢」の中、チベット仏教の祈祷のもと、菩薩が、丼鉢が、狂騒とともに飛び回る。音楽はヒマラヤに轟き渡り、「山川草木悉皆成仏」、「万物流転生滅同根」、「万物贋物不増不滅」の唱和が響き渡る。

 藤枝静男によってその才を見出された笙野頼子は、「神仏も、天皇もマルクスも彼は信じない」と『田紳有楽』における語り手の思想を語った(「たいせつな本 藤枝静男『田紳有楽』(上)」)けれども、笙野も充分に承知しているように、それらの不信がアイロニーを意味するわけではまったくない。

 

 「やい丹波、てめえは今朝の新聞を見なかったか。ここにはこれこの通り、今日から五十億年の後には太陽がどんどん膨れあがって地球も月もなかへくるめこまれたうえに、百五十億年の後には一切合財宇宙の彼方のブラックホールと云う暗黒の洞穴に吸いこまれて消え失せてしまうと記してあるぞ。してみれば、誰がこしらえたかわからぬお経に迷って悪業を重ねた末に、たとえてめえ一人が五十六億年生きのびようと、弥勒様の説法はおろか、とうの昔に身体は熔けている道理だ。さすればてめえの所業は空の空。これ、日頃の高慢はどうした。返事をしねえか」(『田紳有楽』、講談社文芸文庫『田紳有楽/空気頭』、P.133)

 藤枝静男に終生つきまとった問題が、ここでは宇宙的視座にまで拡大して語られている。「私」への疑義と、科学的な視座がもたらしたニヒリズムの相克。しかしこのニヒリズムには、「鏡へ写せばお前の右手は左手になる。耳も左右逆になるぞ。それもお前だぞ。時を写せば過去現在は逆に流れるぞ。ブラックホールから吐き出された無がお前だぞ。ここに居るぞ。如是我聞。如是我聞」という答えが返される。

 仏教の基底にある無私の精神をせせら笑い、「私」を薄める教理は甚だしくねじ曲げられたものとなっているが、こうした我田引水、いわば魑魅魍魎がしがみつく「私」を経ることで、かえって輝きを増しているようにすら映る。確かに彼らは「イカモノ」にほかならないが、外側から規定された諸条件とはまったく異なる固有性を保持している。これこそが「イカモノ」ならではの強みなのだ。
 

 『片付けない作家と西の天狗』(二〇〇四)のように、藤枝静男の読者には「半僧坊」を連想させる「天狗」を作内に登場させる笙野頼子は、近代の国民国家、そして無軌道なネオリベラリズム的な市場原理と結託し、「個」を蹂躙する強大な暴力に対抗を行うカウンター神、すなわち金毘羅として「イカモノ」たちを読み替えた(『金毘羅』(二〇〇五))。

 また平岡篤頼は「イカモノ」たちが「人の名前や素性を乗っ取って、どんどん変わっていく」(『作家の姿勢』(一九八〇))ことを「仏教的ヌーヴォー・ロマン」と呼び(「回帰不能点への道」)、アラン・ロブ=グリエの『ニューヨーク革命計画』(一九七〇)との相同性を暗示した(『記号の霙』)。

 いずれも、『田紳有楽』が示した「私」の存在の複数性を、自らの創作に惹きつけ、あるいは20世紀の世界文学の潮流へ位置づけることで、文学の力によってのみ拾いあげられる「私」の在り処を模索するものだ(*3)。これは藤枝静男が「私」の探究の果てに――人骨の笛と鳥葬の果てに――ダナ・ハラウェイやN・キャサリン=ヘイルズの言うポストヒューマニズムへ限りなく接近したことを意味している。つまり『田紳有楽』は、柴野拓美の言う「自走性」を「私」の観点から捉え直したものと見ることも可能なテクストなのだ(*4)。そして「イカモノ」たちの自由な飛翔は、筒井康隆『虚航船団』(一九八四)の先駆けと見ることも可能かもしれない。とすれば、『果しなき流れの果に』(一九六六)を、『百億の昼と千億の夜』(一九六七)を生んだ日本SFは、その系譜に『田紳有楽』をも正しく組み込む必要があるのではないか。

(岡和田 晃)
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【脚注】
*1:拙稿「J・G・バラード『人生の奇跡 J・G・バラード自伝』――すべてを語り、何も語らずにいること」(「21世紀、SF評論」)を参照されたい。(http://sfhyoron.seesaa.net/article/180590456.html)
*2:現在では、浜松文芸館が藤枝静男についての素晴らしいウェブサイトを作成しており、そこで藤枝静男の書に容易にアクセスすることができる。(http://www.hcf.or.jp/shizuo_fujieda/collection/collection01.html)
*3:浜松市文学館のウェブサイトでは、「私小説」としての『田紳有楽』に関連した資料についても手軽に閲覧することができる。読解の参考にされたい。
(http://www.hcf.or.jp/shizuo_fujieda/work_book/work/book01.html)
*4:柴野拓美の「自走性」とそれを統御するメソロドジーについては、拙稿「柴野拓美のメソドロジー」(「SF JAPAN」2010年Autmn)を参照されたい。
※藤枝静男関連、またSF関連の作品には初出年を付記した。