あいつらの悲歌(エレジー) (光文社文庫)

初出・〈SF宝石〉1979年10月号~1980年12月号 → 単行本・1981年6月(光文社) → 文庫本・1987年1月(光文社文庫)

 『あいつらの悲歌』……「悲歌」には「エレジー」とルビが振ってある。
「UFO来襲! 地球の危機せまる ―― 宇宙人の巨大な謀略の秘密とは何か? あいつらの計画は着々と進行している…」と、帯にある。
この「あいつらの悲歌」は静岡SFである。こう言うと、首をかしげる人が多いかもしれない。
 主人公・貢の務める月刊アンバランス編集部のオフィスは「日本橋から東京駅にかけての一画」にあるし、彼が最初、UFO搭乗者の話を聞くために訪れるのは鎌倉である。UHOが着陸するのは茅ヶ崎の海岸だし、宇宙人の基地ができるのは、武蔵野の中心部…。
 そう、この物語にはかなりあちこちの地名が登場する。
その中にまぎれてわかりにくくなってはいるが、重要なラストの舞台となるのは、静岡のここである。

「なぜ、石廊崎でなければだめなんですか?」
 貢はハンドルを小きざみに回しながらたずねた。
 海岸道路は、崖のひだに沿って、右に左に屈曲する。
「それはだな」
 石堂修二郎は、まばたきもせずに、しだいに近づいてくる石廊崎を見つめていた。
「それはだな。わしの思念が信号となってかれらの感覚器官にはたらき、思考を刺激するにもっとも適した場所には、石廊崎の位置がいいのだ」
                (単行本 338頁)

 そして、石廊崎には「地球に来ている円盤」がすべて集まってくる。「二千や三千ではきかないかもしれない」それらが石廊崎に集結し、そして、物語は大団円を迎える。
 さて、どうして石廊崎がUFOを集めるのに「もっとも適した場所」として設定されたのか?
  
 日本SF第一世代の作家達にUFO……空飛ぶ円盤という存在が与えた影響の大きさについては、今さら言うまでもないだろう。「日本空飛ぶ円盤研究会」で知り合ったメンバーたちが、日本SFを創り上げる核の部分を形成していったのだから。
評論賞を受賞後、評論賞チームの一員でUFO現象専門家の礒部剛喜氏と「『あいつらの悲歌』は面白い!」という話で盛り上がったことがあった。
宮野「おお、私以外にもあのマイナーな『あいつらの悲歌』に着目している人がいたなんて!」
礒部「あれは、超常現象大集合の観がありましたよね。主人公が勤務先で編集している超常現象専門誌〈アンバランス〉なんて、極めてマニアックなネーミングですね。円谷プロの『ウルトラQ』の企画段階のタイトルは『アンバランス』なんですよ」
宮野「そ、そうなんですか」
礒部「その企画には脚本家として光瀬さんも加わっていたようですね」
宮野「なるほど。そんなふうに、多分、個人的な要素が他にも一杯詰まっている作品なんでしょうね。語り得るギリギリのところを語っているという感触があるんです。あれは、光瀬龍について論じるのに絶対に外せない作品です。でも、その確信を「論」として言語化することが難しくって…。だけど、光瀬龍が最初から最後までUFOにこだわった人だということは、明らかですよね?」
礒部「それは同感です」

作品内の「土地」とは、不可思議な存在である。
 この世のものであって、この世のものでない。
 作者が作品の舞台としてある土地を選びだすという作業は、多分、何がその人を作家にしたのかという問題と深く結びついている。
 
石廊崎は伊豆半島の最南端に位置する。縁結び、役行者…伝説の多い土地である。
海に突き出た場所…それは異界への入り口である。その意味では、伊豆半島そのものが、海に突き出た場所としての側面を持つ。
 そして、伊豆は光瀬龍にとって特別な土地である。
伊豆の下田には、筑波大学の臨海実習所がある。筑波大学の前身、東京教育大学で学んだ光瀬龍はここで学生時代のひとときを過ごし、新婚旅行の行先にもした。
 また、彼がそのペンネームを作中の人物の名から採るほどに(註)敬愛した作家、井上靖は伊豆でその少年時代をすごした。自伝的小説『あすなろ物語』の舞台も伊豆である。

「明日は檜になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。でも、永久に檜にはなれないんだって! それであすなろうと言うのよ」
                       (新潮文庫『あすなろ物語』47頁)

 主人公は自らを「あすなろう」だと認識しつつ大人になっていく。大人になっても、やはり、「あすなろう」である。
そして、光瀬龍は次のように書いている。

決して勝つことができないものを相手にして阿修羅王は戦いつづけなければならないのです。決して勝つことができない相手、つまり絶対者を相手どって阿修羅王は永遠に戦いつづけなければならなくなったのです。
(早川文庫旧版『百億の昼と千億の夜』巻末の「あとがきにかえて」)

決して勝つことができないものを相手にして永遠に戦いつづけなければならない存在……これは「あすなろう」の姿そのものである。
光瀬龍はそのペンネームを井上靖の作品から獲得する前は、菊川善六という名で詩を書いていた。
小説家として名高い井上靖も、文学的出発は詩であった。
多くのすぐれた詩を遺しているが、その中に次のようなものがある。

      アスナロウ
下北半島のアスナロウの林をジープで走った。夕方から雪が落ち、突端の小さい部落へはいった時は吹雪になっていた。同行した森林管理人は宿の土間で、ゴム長の雪を払いながら、アスナロウの交配が寒中、このような吹雪の中で行われるということを語った。
私は昼間通り抜けた鬱蒼たる大原始林が雪に降り込められているさまを目に浮かべながら、絶えてない解放された思いに打たれた。そこでは生と死はスポーツのように軽快であった。どうしてこのようなことに気付かなかったのか。太古から死はまさしく吹雪のように空間に充満して来るものであったし、その中に於て、生はアスナロウの花粉のように烈しく飛び交うもの以外の何ものでもなかった筈だ。
                     (新潮文庫『井上靖全詩集』74頁)

この詩のイメージでもって、『あいつらの悲歌』のラストを読んではいけないだろうか?
石廊崎の上空にUFOは集結する。「銀色の点刻の集まりとなって浮遊して」(344頁)くる。……そう、まるで、雪のように。
 太古から、死はまさしくUFOのように空間に充満してくるものだったし、その中において、生は阿修羅王のように烈しく戦いつづけるもの以外の何ものでもなかった筈だ。
 井上靖と同じく、光瀬龍の文学的出発も「シ」からであった。
光瀬龍の仕事場には、井上靖の詩集が常に置かれていたという。
                               (宮野由梨香)

(註)光瀬龍というペンネームは、井上靖の短編小説「チャンピオン」の登場人物に由来する。拙稿「阿修羅王は、なぜ少女か」(〈SFマガジン〉2008年5月号所収)参照。 

【付記】原稿を評論賞チームのMLに流したところ、関竜司さまから次のようなメッセージを戴きました。非常に貴重なご指摘なので、ご了解を得て、ここに載せさせていただきます。

確かに半島の突端とか岬などは、船乗りにとって神聖な場所で宮野様のおっしゃられるように異界の入り口でもあったと思います。
石廊崎に熊野神社があるのも、大阪から紀伊半島を回って一端、熊野あたりに集まって、そこから黒潮に乗って東に向かう海上交通のルートがあったからで、伊豆半島や石廊崎はその中継地点に使われていたようです。(ちなみに石廊崎の次は日米和親条約で開港した下田です。)
こうした海からの視点というのは実は静岡という地域を考えるうえで重要で、海上交通とか貿易といった観点が、静岡のハイカラで国際的な感覚(サッカーが好きとかクラシックカーが好きとか)と結びついているのではないかと思います。
ただそれ以上に重要なのは石廊崎上空というところはどうもB29の侵入ルートだったということです。(恐らくレーダーも設置されていたと思われます。)
宮野さんの原稿を読む限り、ここでの空飛ぶ円盤のイメージは直接的にはB29と重ねあわされているのではないかと思います。特に静岡には中島飛行機の工場があったわけで静岡の人は日本とアメリカの工業力の差を、まざまざと見せつけられるわけです。
しかも戦後は、航空機産業は凍結されて日本人は「空が飛べなくなる」。
そこで中島飛行機の技術者たちは自動車とかバイクとかに転身するわけですが、「空飛ぶ」という言葉一つにも、実は敗戦の刻印があるのではないかなと思いました。