中井久夫『分裂病と人類』(1982)

分裂病と人類 (UP選書 221)

分裂病と人類 (UP選書 221)

  • 作者: 中井 久夫
  • 出版社/メーカー: 東京大学出版会
  • 発売日: 1982/01
  • メディア: -



何故『分裂病と人類』などというSFとも静岡とも何の縁もなさそうなタイトルをわざわざ「静岡SF大全」に寄稿するのか、といぶかる読者の方々もいらっしゃると思う。今回、「静岡SF」と言われて、はたと考え込んでしまった、「SFにとって静岡とは何か、静岡にとってSFとは何か」という重大問題に対して、果たして自分は答えを出せるのだろうか。その問いに対して、答えが出たと感じたのが、この本なのである。

漠然とした印象と散漫な引用で論を進める怠惰をお許しいただけるなら、僕個人が初めて静岡に行った際の感想から始めたい。駅周辺や、整備された森などにはそれほど感銘を受けなかった。驚いたのは、バスで移動しているときに見た「茶畑」である。あまりに整然としていて、ずっと続いている。もこもこした地面にもこもこと茶があるのに、全体が西洋庭園のように整然としている。これは一体なんだ、変な空間だ、と新鮮に思った記憶がある。

『分裂病と人類』の第2章「執着気質の歴史的背景」を読んでいて、はっと膝を打つ箇所があった。「執着気質的職業倫理は人文地理的には扇状地型農業にむすびついたものと言いうるかもしれない。明治期以後、二宮の方法と倫理が実践された代表的な例は静岡県の茶栽培であり、茶が扇状地に最適の作物であることは周知の通りである」(東京大学出版版 p62)。

そうなのか! とこれを読んで膝を打つ人はおそらくいないと思うので、「執着気質型職業倫理」と「二宮」について説明を加えたい。

執着気質型職業倫理とは、大雑把に言えば、近代化の原動力になったと中井が考えている心性である。その典型を、中井は二宮尊徳に見ている。

二宮尊徳は「農村構造改革」と「農業技術革新」を行った人物である。「計算可能性」に基づいて、窮乏した村落の「立て直し」をした人物である。一般的には「二宮金次郎」として知られている。

この中井の論は、戦後のメンタリティから遡って二宮を発見したとも言える側面がある。実際中井はこう言っている。「高度成長を支えた者のかなりの部分が執着気質的職業倫理であるとしても、高度成長の進行とともに、執着気質者の、より心理的に拘束された者から順に取り残され、さらに高度成長の終末期には倫理そのものが目的喪失によって空洞化を起こしてきた」(p68)。これはどこか、『日本沈没』において成長が達成された社会への違和感が原動力になって「危機」自体を作り出すメンタリティと、似てはいないだろうか。

二宮は「比較的近い過去に興隆した栄光の歴史」を持っていたが、五歳のときに災害(水害)によって一帯を壊滅させられてしまう。その災害が、彼の人生に影響をした。「執着気質的職業倫理は、本質的に『建設の倫理』ではなく『復興の倫理』である」(p49)。そのような災害を経験した二宮が「執着気質的職業倫理」すなわち、簡単に言えば「勤勉」になるのは必然だったであろう。そして思想家としての彼の意見や改革を受け入れるだけの社会構造になっていたであろうと中井は言う。

この「復興の倫理」とは、どこか、戦後の日本のようではないだろうか。特に、敗戦による焼け跡を原動力としていた小松左京を強く思い起こさせはしないだろうか。『日本アパッチ族』がこの時代に書かれていたら、滅んだ村から物語が始まったかもしれない。

中井は戦争にも言及する。「農民だけではない。この倫理に従った技術者たちは、敗戦によって他の人々のような深刻な同一性(アイデンティティ)の混乱を起こさず、戦争と政治への反省を行わなかった。彼らはたとえば軍艦のかわりにタンカーをつくる。大戦直後には鍋釜さえつくった――『とにかくわれわれは頑張ったのだ』『科学の力の差だ』」(p60)

そしてその「立て直し」の路線は「世直し」の路線と対比される。「世直し」の路線においては、「カタストロフへの待望は、カタストロフへの恐怖と表裏一体をなして、潜在し続けたのである」(p60)。「『立て直し』路線は、『世直し』路線の人をたえず『立て直し』路線にくり込み、ついにくり込みえない者を極端な破滅的幻想の中に追いやるだけの強力性をもっている」(p63)。どこか、『日本沈没』のようでも、『AKIRA』のようでも、その後の終末論的な作品のブームのようでもあり、オウム真理教によるサリン事件すら想起させられる。(ついでにいえば、「執着気質者であろうとなかろうと、『立て直し』の倫理としての執着気質的職業倫理は、成功とともにその持ち主に対する規範としての力を失う」(p52)という箇所は、90年代、ゼロ年代の構造不況や閉塞感などの背景に漠然と存在している心的機制の原因をすら説明しているように思う)

さて、これが静岡とどう関係するのか。二宮が、近代化、そして戦後に至るまで続く日本の精神を形成したとする中井の仮説を受け入れるなら、彼がその倫理と思想を作り上げた場所である、窮状にある村々がその原点にあるだろう。二宮が「立て直し」を実施した村々は「二宮の故郷の村に酷似していた」と中井は言う。「それは河川が山間部より出たところでつくる扇状地にある。扇状地は洪水に荒されるとはいえ排水がよく、水利は上流より分水して導水路をつくることによって行うことが可能である。天災の危機にさらされやすいとはいえ、復興もまた容易で、方法はすべての村民に理解せしめうるほど明快である」(p61)

中井の「二宮が近代化・戦後日本の精神を形成した」という仮説を受け入れるにしろしないにしろ、彼の論じている内容と日本SFが似ているように感じることは拒絶しがたい事実である。この関係性については、真の熟考が必要とされるので、本論では示唆のみに留めたい。

ここで僕が提出してみたいのは、ささやかな思い付きである。思い付きであるので、いい加減なものである点はご容赦願いたい。

それは、『日本沈没』についてである。『日本沈没』が何故静岡を舞台に使うのか、実は今までよくわからなかった。「静岡SF論4」で石和義之はその点について以下のように述べた。

『日本沈没』は、伊豆沖で沈んだ島の挿話に始まり、3月12日の富士山の大噴火をクライマックスとして終わる。主な舞台が静岡を選んでいるのは、偶然にもそこに「糸魚川静岡構造線」が走っているからだ。東日本と西日本を分かつユーラシアプレートと北米プレートの境界線が「糸魚川静岡構造線」なのである。「本州を西と東にわける関東山脈の下の富士火山帯は、今や一斉に燃え上がり……」と作品中では描かれているが、ここでは日本という風土のみならず、それ以上に昭和という時代そのものが燃え上がっているようだ。

これに対し、中井の論は『日本沈没』の射程が「昭和」より広いのではないかと考えさせられる。二宮思想の実践の代表例が静岡の茶畑であり、その「災害」と「立て直し」に、小松左京が敗戦と復興を経験したことを「重ね合わせ」たのだとしたら――

これは、とっぴな思い付きではない。『日本沈没』は、『日本沈没 第二部』で描かれるように、「ディアスポラ」を描く予定の物語であった(D計画のDとは、ディアスポラのDである)。山本七平の『日本人とユダヤ人』に影響を受けたこの日本人とユダヤ人の気質の重ね合わせと検討の中で、小松が山本の『日本資本主義の精神』の影響を受けなかったとは考えにくい。『日本資本主義の精神』においては日本人の社会倫理と精神が、江戸時代の思想家・石田梅岩や鈴木正三に起源が求められていたが――中井の言う、二宮説と同じような意見もどこかで目にしていたのかもしれない。

その上で、『日本沈没』の企みを、そこをあえて「静岡」に設定することで「災害」と「立て直し」の象徴としての「茶畑」を想起させようとしていたと仮定するなら、この書物の「重ね合わせ」の試みは、以下のように整理できる。

水害による村の壊滅と「立て直し」

敗戦による焼け野原からの戦後復興

地震と噴火による日本沈没とその後の世界中でのディアスポラ(『第二部』)

ユダヤ人のディアスポラとその復活

この中で、「ディアスポラ」が何故描かれるのか、僕は長年分からなかった。クラークの一神教的な『幼年期の終わり』に対抗して日本の宗教的伝統を用いて『果しなき流れの果に』を書いたぐらいなので、ユダヤ教が背景にあってディアスポラが耐えられた、あるいはディアスポラによってユダヤ教が世界宗教になった、そういう事柄を「日本」的な宗教なり道徳に置き換えて思考実験しようとしているものなのかと勝手に解釈していた。

先日、偶然、長崎浩の『共同体の救済と病理』を読んでいて、その中でユダヤ教の預言書である「エレミヤ書」を紹介する箇所に出会った。それは「社会に蔓延する不正と不義を告発し、罪と背信にたいする神の裁きとして民に災いが下ることが告知され、それでもなおたかをくくってヤハウェに立ち帰らない民を弾劾する」(p167)内容である。

その中の一節が、まさに『日本沈没』の背後にあったテーマだと、恥ずかしながら、僕はこのときに知った。孫引きで申し訳ないが、引用させていただきたい。

永久の愛をもって、わたし(ヤハウェ)はあなたを愛した。

それ故に、わたしはあなたに慈愛を注ぎ続けた。

わたしは再び、あなたを建て直す。

あなたは建て直される、乙女イスラエルよ。

再びあなたは、鼓で身を飾り、

楽を奏でる者たちの、踊りの輪に入る。

再びあなたは

サマリアの山々に、諸々の葡萄畑を作る。

植える者たちは植え、そして収穫を得る。

まことに、見張りの者たちが、

エフライムの山で、呼ばわる日が来る。

「あなたたちは立ち上がれ。

われわれは上ろう、

シオンへと、

われわれの神ヤハウェのもとへ」と。 (関根清三訳)

乙女イスラエルを「日本」に置き換えた上で、最後の四行の一神教的構造に対してどう日本的な結末をつけるか。そこは、あまりにも、難問であっただろう。よく考えれば、『神への長い道』においても小松はこの問題を思考しているのであった。(『第二部』をお読みの方なら、この四行がどう反映したかご存知の筈だ)

となると、「サマリアの山々」は「静岡の山々」で、「葡萄畑」は「茶畑」か。そんな馬鹿な、と言いたくなるが、「葡萄」がユダヤ教において「怒りの葡萄」=踏み潰された人々の血であると同時に、キリスト教においては神の血であることを踏まえると、一神教的な構造に対決した『果しなき流れの果に』のラストが縁側でのんびりするシーンであったことを思い出さずにはいられない。それが小松にとって「神」や「救済」の代わりであったとするならば、そこに必要な「神の血」は、当然「茶」ということになる。

その「茶」は、洪水などで壊滅した人々の「立て直し」の刻苦と勤勉さの象徴のようなものである。まさに流された血と汗の結晶なのである。

西洋庭園の整然とした幾何学的空間とも、日本庭園のような「自然と人工の調和」とも違う、独特の、歪んでモコモコしているのに、異様に均質的で強迫神経的な「茶畑」に僕が感じた驚きの正体がここに明らかになったような気がした。そこには西洋庭園、日本庭園に対比されるべき「茶畑の哲学」があり「茶畑の美」がある。

「茶畑の哲学」なり「茶畑の美」の背景には、災害と「立て直し」の精神と、長い勤勉さと刻苦の歴史がある。我々は茶を飲むとき、その歴史を共有し、聖体拝領を行い、血を飲んでいるのであると伝えるために、小松左京が『日本沈没』の舞台を静岡にしたのだという仮説―― この仮説によって、初めて僕は、「SFにとって静岡とは何か、静岡にとってSFとは何か」という答えの一端に、たどり着けたような気がした。(藤田直哉)