ビアル星の記憶 ――富野アニメに見る神秘主義の起源

礒部剛喜

神は人類の堕落を憎み、地上に悪疫を流行らす風を吹き送った。純粋な毒は地上に 舞い降り、あらゆるものを死滅させた。このとき、人並みすぐれて誠実な家長は彼が 選んだ一団の人びととともに頑丈な扉のついた囲いの中に(洞窟か?)閉じ込もっ た。こうしてわずかに一握りの人びとだけが無事に避難できた。…リオン湖の堤がこ われ、大津波がイギリスの岸べに迫り、どしゃぶりの雨が続いて地上に大洪水が起 こった。(村社伸訳)

ドネリー『ラグナロク――火と瓦礫の時代』(一八八 三)

アーサー・C・クラークが近代懐疑主義精神の持主であることは、決して疑いよう がない。二十世紀イギリスを代表するSF作家として、彼がUFO,ESP,オー パーツ、ネッシー,いずれの存在にも懐疑的だった。ただクラークはノンフィクショ ンとしての神秘主義を肯定することはなかったが、フィクションにおいては必ずしも そうではなかった。

クラークの代表作『幼年期の終り』(一九五三)は、彼に内在された神秘主義の産 物だと言えたからだ。大都市の上空に浮かぶ銀色に輝く雲のような宇宙船、堕天使を 思わせる征服者オーヴァーロード、無意識下で発揮される超常現象能力、そして心霊 書記によるコンタクト。物語に散りばめられたキーワードを追えば、『幼年期の終 り』はクラークの神秘主義的な宇宙観を全面的に押し出している。『幼年期の終り』 を読む限りにおいては、クラークの内心にあるはずの懐疑主義の気配は微塵も感じら れない。

『幼年期の終り』は、近代懐疑主義精神が神秘主義と共存していても矛盾はないとい う事実を示唆していると言えるのではないだろうか? アイザック・ニュートン卿に したところで、占星術と無縁とは言えなかったのだから。ではクラークの内面に、懐 疑主義と神秘主義の両者を併存させることになった起源は何なのだろうか。その解答 は彼自身の幼年期における読書体験にあると言えるかもしれない。

さて、クラークの神秘思想の起源を辿るとき、そこに静岡を舞台にしたSF作品に接 点が浮かぶとして、両者に通底した神秘主義が存在していたと考えるのは荒唐無稽な 着想なのだろうか。

共通した神秘主義を内包したという点で、『幼年期の終り』と接点を持つ作品として 取り上げてみたいのは、静岡県駿河湾を起点に始まる富野喜幸(現・由悠季)監督の 巨大ロボット・アニメーション『無敵超人ザンボット3』(一九七七)である。ク ラークの『幼年期の終り』と、『無敵超人ザンボット3』が同質の起源を共有してい たと推断することは、それ自体が擬似科学的な発想なのだろうか?

十二歳の少年神勝平は、焼津市漁港の網元、神一族の長男だ。一族の長老神北兵左 衛門は、埋没したご先祖の遺産を見つけたと言い出して、駿河湾で採掘工事を始めて いた。そんなおりもおり、焼津市に正体不明の怪物が出現して街を破壊しだす。沖合 の採掘現場も破壊されるが、海底から巨大な宇宙船が浮上し、勝平を収容する。神一 族の祖先が残した遺産とは、宇宙船〈ビアル一世〉だった。神一族は、かつて宇宙の 破壊者ガイゾックに母星を滅ぼされ、地球に逃れてきたビアル星人の末裔だったの だ。街を襲った怪物は、ガイゾックの放ったロボット・メカブーストだった。勝平と 神一族は、祖先の残した宇宙船〈キング・ビアル〉と巨大ロボット兵器ザンボット3 に乗り込み、ガイゾックを迎え撃つ。

物語の基本構成は単純で明快ながら、人間ドラマに焦点を置いた展開は、決して正義 対悪という単調な図式に収まってはいない。神一族は、ほとんど単独でガイゾックに 闘いを挑み、ほぼ全員が壮烈な最期を遂げ、勝平だけが地球に生還するという衝撃的 な結末だった。加えて特筆すべきは富野監督のキャスティングセンスで、神勝平を演 じるのは、後にドラえもん役で知られる大山のぶ代その人である。

この作品で最も重要なのは、古代に滅亡した高度な文明の残した超技術の産物が現代 に復活するという構図である。『勇者ライディーン』(一九七五)で始められた、太 古の超文明の遺産である巨大ロボットを受け継ぐという着想は、『ザンボット3』、 『伝説巨神イデオン』(一九八〇)と、富野アニメで繰り返し用いられている。『機 動戦士∀ガンダム』(一九九九)も、この範疇に含まれていい。

失われた古代科学の再生という着想は、現代SFから忘れられて久しい〈第一期文 明仮説〉に基づいている(古代に異星人が地球を訪問していたという〈古代宇宙飛行 士飛来仮説〉もこれに含まれる)(1)。かつて高度なテクノロジイを持った (ムー、アトランティス、レムリア、パンとあまたの呼び名がある)大文明が繁栄し ていたが、地球規模のカタストロフによって滅亡したという〈第一期文明仮説〉は、 本来SFには古典的なテーマだった。

〈第一期文明仮説〉は、現在では〈シェイヴァー・ミステリ〉(2)同様に、完全な 擬似科学と見なされるようになったため、最近のSFのテーマとして浮上してくるこ とは稀であるものの、同質の着想が富野アニメで繰り返されたことは黙殺すべきでは ない。

さまざまな歴史的な材料を物語に巧みに導入している点が、富野アニメの特徴だった ことを考えれば、滅亡した文明のテクノロジイを受け継ぐという着想と展開にも、同 じような史実性の援用が含まれているはずであり、彼が用いる小道具を軽視してはな らない。

たとえば『機動戦士ガンダム』(一九七九)における宇宙要塞〈ア・バオア・クー〉は、ボルヘスの『幻獣事典』から引用された回教神話の妖怪に起因していることはよ く知られているし、『重戦機エルガイム』(一九八四)では、重層性のある背景を中 国史に求めている。〈ペンタゴナ・ワールド〉の帝王ポセイダルの情報機関〈十三人 衆〉とは、中国国民党の秘密警察〈藍衣社〉と同義語であった。

SFの文学史的な潮流から見ても、決して擬似科学として排撃してよいものではない〈第一期文明仮説〉テーマの作品は無数に書かれたが、その起源となったのはイグ ネーシャス・ロヨーラ・ドネリーの『アトランティス――大洪水以前の世界』(一八 八二)であった。フィラデルフィアの弁護士で、ミネソタ副知事を経て連邦下院議員 となったドネリーは、あらゆる古代文明は水没した幻の大陸アトランティスを起源と するという仮説を極めて一般的なものにすることに大きく貢献したのである。

ドネリーの仮説が広く受け入れられた理由は、それが――後に、モーリス・ジェサッ プ、フランク・ドレイク、ル・ポア・トレンチ卿といった〈古代宇宙飛行士飛来仮 説〉を支持した人々に模倣されたように――聖書の世界観を再構築したものだったか らだ(3)。すなわちドネリーが示してみせたのは、ユダヤ・キリスト教的世界観の 正当性だった。これはクラークの『幼年期の終り』と矛盾するものではない。後に有 名になるヴェリコフスキーの『衝突する宇宙』が、ドネリーの直径の子孫であったこ とは、旧約聖書神話の実証の試みという点で明らかである。

そしてクラークはその少年時代に、ドネリーの『アトランティス…』と『ラグナロク ――火と瓦礫の時代』(一八八三)に強い影響を受けていた。『幼年期の終り』の結 末で、霊的存在へと進化した人類が、繭を破るように地球を崩壊させる光景は、ドネ リーの描写した天変地異とよく似ている。クラークがドネリーを擬似科学の守護聖人 と批判しても、『幼年期の終り』に関する限り、ドネリーの影響を拒絶することは困 難である(4)。

確かに『ザンボット3』は、『ライディーン』や『イデオン』に較べれば神秘的な色 彩は希薄である。しかしそれは、前作『ライディーン』で神秘性が強すぎるという理 由で総監督を降番となった反省に立っていたからだと見なしても誤りではないであろ う。『イデオン』と比較しても『ライディーン』のキリスト教色は際立って強かった からだ。ヒロイン明日香麗は、修道女から戦闘機のパイロットに転身してくるのだ。

かくてユダヤ・キリスト教的な〈第一期文明仮説〉という鏡に映し出せば、富野ア ニメに秘められた神秘主義的な世界観は、『幼年期の終り』と限りない酷似性を共有 していたと見なせるのではないだろうか。                ――ニ 〇一一年七月

(1)〈第一期文明仮説〉を扱った作品には、ハミルトン『虚空の遺産』ラインス ター『死都』が有名だ。ホーガンの『星を継ぐもの』も、〈第一期文明仮説〉に関し ては、豊田有常『神話と伝説にみる異郷体験』(『SFファンタジア 第三巻異世界 編』(学研)収録)が詳しい。
(2)現代のSF史から故意に抹殺された、滅亡した古代レムリア文明の末裔とのコン タクト・ストーリー〈シェイヴァー・ミステリ〉騒動については、アシュリー『SF雑 誌の歴史』(東京創元社)を読まれたい。
(3)いずれも〈古代宇宙飛行士飛来仮説〉の先駆者たちである。太古に異星人が地 球を訪問していたという仮説は、E・V・デニケンの著書『未来の記憶』(角川文庫) が有名だが、同書がベストセラーになった理由は、その先駆者たちよりキリスト教色 を希薄にしている点にある。
(4)クラークの神秘主義的世界観の起源については、自伝的読書録『楽園の日々』(早川書房)を参照。