『甲賀忍法帖』(山田風太郎)
――カラクリ世界の中のエロス――

『甲賀忍法帖』(昭和三十三年-昭和三十四年)は、山田風太郎・忍法帖の記念すべき第一作目である。山田が『甲賀忍法帖』を書いた昭和三十年代前半は、第二次忍法ブームと言われるほど、忍者小説が多く書かれた時期だった。五味康祐の『柳生武芸帳』(昭和三十一年)、司馬遼太郎『梟の城』(昭和三十四年)、白土三平『忍者武芸帳』(昭和三十四年)、柴田錬三郎『赤い影法師』(昭和三十五年)といった流れに、『甲賀忍法帖』も位置づけることができる。そしてこれらの作品が、「立川文庫」に収められていた荒唐無稽な忍術物に、合理的な理由づけを与え、大人も楽しめる娯楽作品に昇華させた点もすでに指摘されていることである。

「立川文庫」というのは、明治四十四年に創刊された講談本の一種で、特に『真田幸村漫遊記』シリーズからスピンアウトした『猿飛佐助』や『霧隠才蔵』が、大正期の第一次忍法ブームを巻き起こすことになった。管見では『甲賀忍法帖』に対応するはずの「駿河城御前試合」は、立川文庫には収められていないようである。しかし、例えば『真田幸村漫遊記佐渡ケ島大仇討』では、家康在世当時の駿府が登場し、幸村と猿飛佐助は、徳川方の動静をさぐるために、駿府に入り、家康の浮島ケ原での大調練を見物したり、家康の追っ手をけむに巻いたりと、「駿河」・「家康」・「忍者」というテーマが、すでに出てきている。また主人公が「漫遊」・「股旅」しながら敵と戦うのが立川文庫の「ウリ」だったのだが、そのウリも『甲賀忍法帖』では、東海道を駿府に向かう甲賀弦之介一行と、追う伊賀の朧たちという形で、しっかり受け継がれている。恐らく山田は、立川文庫に類した講談本で、甲賀と伊賀の忍者が、駿河で対決するという話を読んでいたのだろう。

一方、『甲賀忍法帖』にあって「立川文庫」にないのが「エロス」という要素である。立川文庫では、人情・侠客・エロスといった要素を排したことが、大阪船場の丁稚たちや中学生のような子どもの読者に受け入れられた要因だった。それに対して『甲賀忍法帖』では、忍法に切り裂かれる四肢やセックスシーンのような猟奇的・エロス的表現が前面に出てくる。これに関してはすでに川崎賢子氏が、一九二〇年代半ばの江戸川乱歩の『D坂の殺人事件』以降の、エロ・グロ・ナンセンスの影響を山田が受けており、それが戦争中の被虐と加虐の体験や、敗戦後のジェンダー・バンラスの崩壊によって表面化したのではないかと推測されている。川崎氏の推測は恐らくその通りだと思うが、ここではもう一つ、映画からの影響という点を指摘してみたい。

「立川文庫」の研究者である足立巻一氏は、大正時代の忍者ブームを、「立川文庫」によって火をつけられた忍術ブームが、忍術映画によって増幅されたためだとみている。当時マキノ省三は、尾上松之助主演の忍術映画を、2・3日に一本の割合で量産していた。マキノは、特殊撮影を駆使し、呪文を唱えて九字を切るとパッと姿が消えたり、雲に乗って走ったりするシーンを撮り、「立川文庫」以上に少年たちを熱狂させていた。また化け猫や天竺徳兵衛のガマ、白縫姫のナメクジの術などを、ぬいぐるみを使ってトリック撮影したが、これも大変人気を博したという。そしてこのマキノの撮った忍術映画を念頭に置いたとき、山田のアンビヴァレントな感情も理解できる気がするのである。

恐らくこの忍術映画をみた少年たちは、二つの矛盾した感情を抱いたはずである。一つは、密教的な呪術に対する憧れの感情である。呪文を唱えたり、九字を切ったりすることで、特殊な超能力が使えると説くのは、真言密教である。真言密教では、身・口・意の一致ということが言われ、身体の挙動と口で唱えることと、心で思うこととはそれぞれ互いに影響を及ぼし合い、特殊な呪文を唱えたり、特殊な印相を結ぶことで超人的な身体能力を獲得できるとされている。例えば、忍者が変身するときに結ぶ智拳印という印相は、真言密教で最高の仏である大日如来の結んでいる印相で、要するに最高位の仏と同化することで、森羅万象あらゆるものに「なる」ができるということなのである。さらに密教の根本経典の一つである『理趣経』は、男女の性行為を大胆に肯定しており、一部では男女の性行為がそのまま成仏の道であると誤って解釈されていた。恐らく『理趣経』が真言密教で重視される背景には、身体を変容(メタモルフォーゼ)させる感覚の中に、エロティックな感覚があるからだろうが、そうした変身するものの中にあるエロティシズムを山田も感じていたのではないかと思われる。皮膚を吸盤にして相手の血を吸うお胡夷、全身の毛穴から血を吹き出す朱絹、塩の中に溶けることで半流動の物体に変化する雨屋陣五郎、ルパン三世のようなマスクを使って別人なりすます如月左衛門たちには、体を別のものに変容させることに対する山田の特別な執着が感じられる。

一方、忍術映画をみていた少年たちは、それが虚構のカラクリ世界であり、さらに言うなら西洋のハイカラな技術(映画)によって作られた世界であることも自覚していたはずである。中野翠氏は、山田が宇宙を支配する力や摂理のことを、「宇宙のからくり」と呼んでいたことに感銘をうけたと述べているが、こうした宇宙や世界をカラクリとみる意識には、やはり忍術映画の特殊撮影を見たときの感覚が生きていたとみるべきだろう。その際、山田が念頭に置いていたカラクリが、歌舞伎のせりや人形浄瑠璃のような日本の伝統的なカラクリではなく、西洋的なカラクリであることは、山田が忍法に科学的で医学的な根拠を持たせようとしていることからも分かる。ここにはエロス的な身体を支える機械世界(カラクリ世界)という構図を読み取ることができる。

こうした古い呪術(忍法)と最新の技術(映画)、エロス的身体とカラクリ世界(機械世界)、幻想と科学、日本と西洋との幸福な融合を、山田たちの世代は忍者映画に見て取り、潜在的な意識として共有していたのではないだろうか。そしてそれが、精神的な成長とともに、エロ・グロ・ナンセンスへと進化したと考えられないだろうか。戦後に入って忍者物を書いた山田たちのこうした感性は、日本のSFにも多大な影響を及ぼしている。というのも、山田たちの巻き起こした戦後の忍者ブームは、テレビ番組にも波及し、『隠密剣士』シリーズをへて『仮面ライダー』や戦隊物へと姿を変えていったからである。その意味で言えば、風太郎・忍法帖の第一作目である『甲賀忍法帖』は、単にエロ・グロ・ナンセンスを取り込んだリアル忍法小説というだけでなく、戦後の日本SFの嚆矢とも言えるのである。

(参考文献)
足立巻一『立川文庫の英雄たち』、文和書房、1980年
川崎賢子「占領期文学としての視点―山田風太郎の世界におけるセックス/ジャンダー/セクシャリティをめぐって」、『ユリイカ』2001年12月号、青土社
中野翠・木田元「<宇宙のからくり>としての風太郎ワールド」、『ユリイカ』2001年12月号、青土社
平岡正明「風太郎左派」、『文藝別冊 山田風太郎』、河出書房新社、2001年