伝説の映画人・鈴木清順の高らかな復活を遂げたこの作品、SFファンにとっても非常に興味深いものがあるだろう。内田百閒の「サラサーテの盤」をモチーフとし、清順美学のすべてを詰め込んだ金字塔。

ツィゴイネルワイゼン [DVD]

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  • 出版社/メーカー: パイオニアLDC
  • メディア: DVD



 実際、これほど「夢の文学」としての内田百閒の手触りを完璧に映画化したものは、他にないだろう。生きている人が死んでいるような、死んでいる人が生きているような、夢と現実の境目が見分けのつかないおぼろげな世界。文学でしかできないと思われた世界がすっかり映像に移し変えられた驚き。

 鈴木清順がそれまでおずおずと遠慮がちに見せていた超現実的世界観を初めてはっきりとした確信とともに見せた。清順はその個性的な美学世界を「娯楽」 だと断言した。そんな馬鹿な。いやいや、美学を「娯楽」と言い切れるあたりがまた清順ならではなのだろう。

 この作品のロケは大部分鎌倉で行われたという。だが、なぜかこの作品のロケ部分は「静岡」あたりの遠さを感じる。鎌倉ほど東京から近いはずはない。

 もっと東京から遠いどこか、東京が消え去る一歩手前、それはおそらく、静岡であろう。東京が東京ではない場所と溶け合う地。

 この感覚は根拠のないものではないのだ。映画の冒頭、非常に重要な場所で、静岡ロケが敢行されている。水平線の彼方へ伸びていく木製の幻想的な橋。本作品にとって非常に重要なこの橋が実在するのは、静岡県島田市。「蓬莱橋」と名づけられたこの橋が架けられたのは明治初期だという。全長900メート
ル、世界一の長さを誇る木製の歩道橋としてギネスブックにも登録されているという。実際に歩いてみると、いつまでも終わらない、果てしない道のり、それこそあの世まで続いているかのように感じられるのだそうだ。あの世とこの世を繋ぐような、不可思議な光景。

サラサーテの盤―内田百けん集成〈4〉 (ちくま文庫)

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  • 作者: 内田 百けん
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2003/01
  • メディア: 文庫



 実際に百閒にはそのような小説がある。直接の原作とされた「サラサーテの盤」ではない。それが「由比駅」である。東京駅で誰かを待っているのだがいつになっても来ない。そのうち「相手は先に行っているそうだ」という伝言を受け、鉄道に乗って由比駅へ向かう。由比駅は現在の静岡市清水区にある。特に意味はない。郊外に出かけ、人に会うだけだ。だが鉄道に乗り、東京から遠ざかるにつれて、どんどん現実も遠ざかっていく。由比駅に着き、女に会う頃には、世界はすっかり様変わりしている。そもそも会うはずだった相手はこの女だったのだろうか?だがもはや取り返しはつかない。(高槻 真樹)