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「キングコング対ゴジラ」一九六二年、東宝株式会社、監督:本多猪四郎、特技監督:円谷英二、出演:高島忠夫、藤木悠、有島一郎、浜美枝、若林映子。
ゴジラシリーズの第三作。観客数は千二百五十五万人を記録し大ヒットとなった。
「キングコング」一九三三年、RKO制作、監督:メリアン・C・クーパー、アーネスト・B・シュードサック、出演:フェイ・レイ、ロバート・アームストロング・ブルース・キャボット。空前の大ヒットとなった。キングコングの熱狂的なファンのピーター・ジャクソン監督によって2005年にも制作された。日本のゴジラシリーズはキングコングの正規のライセンスを得たものである。

はじめに
 かつて神話が現実であった時代には人々は怪物を信じ怖れ、鎮めるための祭りを行ってきた。現在では神話は神話にすぎなくなってしまったが、怪物は現実から消えてしまったわけではない。「キングコング」や「ゴジラ」のように映像化されて登場し、大変な人気を呼んだのである。ところがこの二つの作品は、発表当時には、評論家からほとんど問題にされず、キワモノとしてしか論じられなかった。「キングコング」は馬鹿にされ、映画評論家は論ずることを恥ずかしがって、まともに取り上げなかった(1、21-28頁)。「ゴジラ」も同様であったが、さらに「キングコング」よりも低く評価され、「ゴジラ」派の人々を怒らせた(2、93頁)。「ゴジラ」は発表当時から「キングコング」のライヴァルであり、両者は戦わなければならない運命にあった。それにしても、なぜ怪物はこのようにおとしめられながらも、人々を強く惹きつけるのだろうか。

都築道夫のキングコング体験
 「母に手をひかれた幼いころ、たった一度だけこれ(王子電車、現在の都電荒川線)に乗ったとき、市電の終点からアーチまで歩くあいだに、右がわの映画館の前に巨大な怪物が立っているのを、私は見た。ベニヤ板を切り抜いたキングコングの絵看板で、それにショックを受けた記憶が、私のなかで強烈に、王子電車とむすびついている」(3、上巻、62頁)。
 都築道夫はキングコングとの出会いをこのように書いている。彼が、幼い頃受けたこのショックを、おそらく半世紀ほどたっても、これほど鮮明に記憶していたのはなぜだろうか。ここには、子どもと怪物の関係を解き明かすヒントがある。
 都築にとって、大人になっても忘れられないというショックは、体に染みつくほどの恐怖の体験であったことを意味している。そのとき、都築少年は、母親と一緒に王子電車に乗っている最も幸せな時であった。ところが、怪物はそこに突然容赦なく侵入して、幸せを根底からおびやかしたのである。
 このショックの原因は、都築少年が初めて人間として目覚めて、自分の世界を発見したところに由来する。彼は母親と一緒に王子電車に乗っていた。彼は自分が幸せであることに気がついた。ところがそのとき得体のしれない恐怖が襲いかかってきた。彼は幸せと同時に、その幸せが破壊される危険があることも発見したのである。都築少年の場合、昂揚した幸せな感情はとてつもなく大きなものに向かって投影された。そこには、闇の中に何やら巨大なものがあった。それは一挙に生命を与えられ、強烈な恐怖として跳ね返ってきたのであった。
 しかし都築少年は負けなかった。彼は、この怪物が、実は大きなキングコングの看板であり、電車の中に侵入する危険はないということを見破ったのであった。それは彼の知性の勝利であり、世の中を見る目が成長したことを意味していた。恐怖は意識的に抑制されて、素敵な電車の中に母と一緒にいるという光に満ちた幸せへと反転した。都築がこのエピソードを忘れられないというのは、その頃から、物心がついて利口になった喜びを意味している。すなわち、自分と周りの世界との関係が、恐怖をうまく抑制することによってはっきり意識できるようになったのである。
  都築道夫の体験は、恐怖が愛する人といる幸せな時間をさらに輝かせるということ、それから人間の心には子どもの頃の恐怖が隠れていることを示している。「キングコング」や「ゴジラ」などの怪獣映画を見に行った子どもは、たいてい家族とか親しい人と一緒であり、その時の恐怖と幸せは忘れえぬものになる。

キングコング
 キングコングとゴジラはいずれも怪物であり自然の中で誕生した。しかしどちらも突然現れそこにいたのであり、祖先ははっきりしない。またその祖先を問う人などは誰もいない。しかし、怪物の概念は神話と密接な関係がある。したがって、同じ怪物でも、西洋人の生み出したキングコングと日本人のゴジラとには差異がある。
 キングコングは、ギリシア神話の怪物、ギガンテスの流れをくんでいる。ギガンテスの中のティオテュオスは身を草原に横たえると、九エーカー(36.420平方メートル)を覆うほどの大きさだった。またエンケラドスは抑え込むのにアイトナ山全体をのせておかなければならないほどだった(4、226-223頁)。ギガンテスの中には人間と恋をしたり争いをしたりするものもあったというから、このような伝統は、キングコングと美女の関係として現れている。キングコングの行動は、人間的なところがあるが、これは西欧の怪物の特徴だろう。
 オリジナルの「キングコング」の背景は、山口昌男によれば(1、85-87)、「欧米の都市文化に抑圧してきた暗黒大陸アフリカへの潜在的な恐怖と憧憬が映像を通して噴出してきたようなところがある」。「暗黒大陸や奥地は、巨大なエネルギーを秘めた潜在的幻想空間として十九世紀から二十世紀、つまり人間の意識に対する反措定としての無意識が、時至らば主導権を握りうるということが次第々々に人に理解されてきた結果、『恐怖』の空間として造形化される条件が整って来ていたということである」。
 捕獲されたキングコングの存在理由は怪物として見世物にされることだけであった。大勢の見物人が押すな押すなと押し寄せてきた。ところが、人間の好奇心の創造した最もおぞましい怪物は、いったん創造されると破壊する恐怖の存在へと変わった。破壊することは怪物の使命である。しかしそのキングコングは美女に魅入られて、少しばかり人間化される。しかし、その人間化のためにキングコングはあえなく殺されるのである。

ゴジラ
 第一作の「ゴジラ」によれば、ゴジラは水爆実験によって太古の眠りから覚めた。ゴジラの誕生は人間の誕生と同時であったが、それまで眠り続けてきたのであった。ゴジラは人間の科学が内包する恐怖の極限の表現である。すなわち、原爆と水爆の犠牲者である日本人の核爆弾への生々しい記憶を視覚化したものである(水爆については、第五福竜丸がビキニ環礁で行われた水爆実験の死の灰をかぶった)。このように核爆弾の恐怖を背景にしているゴジラと、暗黒大陸の恐怖を背景にしているキングコングとは、まったくその恐怖の質が異なっている。したがって、ゴジラにキングコングのような人間的なところはないのは当然である。
 日本神話を見ると、日本における怪物の起源は八岐大蛇である(5)。大蛇は巨大で、八つの谷と八つの峰にわたっており、胴体一つに八つの頭と八つの尾がある。ゴジラも八岐大蛇に通ずる爬虫類のように見えるが、頭は一つで尾も一つであるが、その尾は強大な力を持っている。八岐大蛇は若い娘や酒を好物としているが、ゴジラには一切好みはない。英雄神スサノオノミコトは八岐大蛇を殺し、尾の中から草なぎの太刀という名刀を見つけた。八岐大蛇は完全な悪ではなかった。英雄がさらに力を増すことができる太刀を与えたのである。この神話には、人間と怪物との間の両価的な関係が示されている。
 ゴジラは東京に上陸し縦横無尽に暴れまわり、原子爆弾さながらに町を破壊した。しかし最終的に退治されていずこかへと消え去ったのである。ところが、「キングコング対ゴジラ」では、再びゴジラは氷山の下で目覚めた。ゴジラが日本を目指すのは、キングコングに襲われる危険を予知したからであろうか。怪物は怪物を呼ぶのだろうか。ゴジラは日本を蹂躙するが、同時にキングコングから日本を救うのである。

キングコングとゴジラは雄か雌か?
 キングコングは雄か雌か。キングコングがギリシア神話のギガンテスの流れにあるとすれば雄であろう。キングコングが美女を助けて優しく扱うのは雄である証拠と解釈できる。キングコングの大きさから、その「いちももつ」の大きさを推定した人がいて、平常時は百八十センチ強、勃起時は三百六十センチ強であるそうである。これではいかなる美女でもひとたまりもなく破裂してしまうだろう(1、88-95)。女性たちはただ恍惚と見とれ、男性は目を伏せて恥じ入る以外にないだろう。しかし雄である分だけ、キングコングは怪物性の度合いは低くなる。実際、人間の男性と同様に、宿命の女にそそのかされて、ついに破滅する運命をたどることになる。
 一方、ゴジラは雄か雌かわからない、性を超越しているという点で、出自は闇に包まれ、純然たる怪物あるいは怪獣といえる。したがってゴジラはキングコングのように美女を愛でることはない。ただ容赦なく、口から炎を吐き巨大な足で踏みにじり強力な尻尾で破壊するだけである。こうしてみると、巨大化した動物であるキングコングに比べて、ゴジラの方が怪物性が高い。

富士の裾野の真昼の決闘
 キングコングとゴジラは歴史を横断して、ウクロニーとして相まみえることになる。両者は、最終的に富士の裾野で雌雄を決する。クライマックスに入る直前にちらりと、うっとりするほど見事な富士山が現れる。これは、格闘技の始まる前に、美女たちがリングに上がって雰囲気を盛り上げる場面を想起させる。富士山が現れることによって、世紀の戦いの興奮は頂点に達する。真昼の日差しの中にくっきりと浮かび上がる富士山!このシーンは九州でも北海道でもダメであり、まさしく富士山でなければならない。
 ゴジラもキングコングも、夜に現れるお化けや吸血鬼や魑魅魍魎などのように、日の光の中で消えるようなひ弱なものではない。両者の「真昼の決闘」は、太陽と富士山の見守る中で正々堂々と行われる。恐怖の戦いは、優雅な熱海城を徹底的に粉砕しながらクライマックスに達する。建物を破壊しないと怪獣のだいご味はない。怪獣は人間の作り上げたものをいとも易々と瓦礫に変えるのである。

 竹内博は、この映画はキングコングとゴジラにどちらに勝って欲しいというような肩入れはなく、結果的には引き分けだったので後味がよかったと書いている(6、18-19頁)。円谷英二監督は、まだ時代劇映画のキャメラマンの時代に、「キングコング」を見て感動し特撮をやろうと決心した。したがって、円谷監督の思いはキングコングにもゴジラにも乗り移っている。
 子供たちは母親や父親の手をじっと握りしめて、かたずをのんでキングコングとゴジラの戦いを見守っている。恐怖と幸せの混合である。映画が終わって出てきたときの子供は、もはや映画を見る前と同じではない。子供たちはその恐怖の体験を乗り越えたことによって、少しばかり大人になっている。

参照
1. 季刊 映画宝庫 創刊号 1977。
2. 竹内博、山本慎吾編「完全増補版 円谷英二の映像世界」、実業の日本社、2001。
3.都築道夫「推理作家の出来るまで」上、六二頁、フリースタイル、2000。
4 トマス・ブルフィンチ、大久保博訳「ギリシア・ローマ神話」、角側文庫、1970年、226-227頁。
5. 「古事記」次田真幸全訳注、講談社文庫、1977、97-105。
6.竹内博「元祖怪獣少年の日本特撮映画研究四十年」、実業の日本社、2001。

『甲賀忍法帖』(山田風太郎)
――カラクリ世界の中のエロス――

『甲賀忍法帖』(昭和三十三年-昭和三十四年)は、山田風太郎・忍法帖の記念すべき第一作目である。山田が『甲賀忍法帖』を書いた昭和三十年代前半は、第二次忍法ブームと言われるほど、忍者小説が多く書かれた時期だった。五味康祐の『柳生武芸帳』(昭和三十一年)、司馬遼太郎『梟の城』(昭和三十四年)、白土三平『忍者武芸帳』(昭和三十四年)、柴田錬三郎『赤い影法師』(昭和三十五年)といった流れに、『甲賀忍法帖』も位置づけることができる。そしてこれらの作品が、「立川文庫」に収められていた荒唐無稽な忍術物に、合理的な理由づけを与え、大人も楽しめる娯楽作品に昇華させた点もすでに指摘されていることである。

「立川文庫」というのは、明治四十四年に創刊された講談本の一種で、特に『真田幸村漫遊記』シリーズからスピンアウトした『猿飛佐助』や『霧隠才蔵』が、大正期の第一次忍法ブームを巻き起こすことになった。管見では『甲賀忍法帖』に対応するはずの「駿河城御前試合」は、立川文庫には収められていないようである。しかし、例えば『真田幸村漫遊記佐渡ケ島大仇討』では、家康在世当時の駿府が登場し、幸村と猿飛佐助は、徳川方の動静をさぐるために、駿府に入り、家康の浮島ケ原での大調練を見物したり、家康の追っ手をけむに巻いたりと、「駿河」・「家康」・「忍者」というテーマが、すでに出てきている。また主人公が「漫遊」・「股旅」しながら敵と戦うのが立川文庫の「ウリ」だったのだが、そのウリも『甲賀忍法帖』では、東海道を駿府に向かう甲賀弦之介一行と、追う伊賀の朧たちという形で、しっかり受け継がれている。恐らく山田は、立川文庫に類した講談本で、甲賀と伊賀の忍者が、駿河で対決するという話を読んでいたのだろう。

一方、『甲賀忍法帖』にあって「立川文庫」にないのが「エロス」という要素である。立川文庫では、人情・侠客・エロスといった要素を排したことが、大阪船場の丁稚たちや中学生のような子どもの読者に受け入れられた要因だった。それに対して『甲賀忍法帖』では、忍法に切り裂かれる四肢やセックスシーンのような猟奇的・エロス的表現が前面に出てくる。これに関してはすでに川崎賢子氏が、一九二〇年代半ばの江戸川乱歩の『D坂の殺人事件』以降の、エロ・グロ・ナンセンスの影響を山田が受けており、それが戦争中の被虐と加虐の体験や、敗戦後のジェンダー・バンラスの崩壊によって表面化したのではないかと推測されている。川崎氏の推測は恐らくその通りだと思うが、ここではもう一つ、映画からの影響という点を指摘してみたい。

「立川文庫」の研究者である足立巻一氏は、大正時代の忍者ブームを、「立川文庫」によって火をつけられた忍術ブームが、忍術映画によって増幅されたためだとみている。当時マキノ省三は、尾上松之助主演の忍術映画を、2・3日に一本の割合で量産していた。マキノは、特殊撮影を駆使し、呪文を唱えて九字を切るとパッと姿が消えたり、雲に乗って走ったりするシーンを撮り、「立川文庫」以上に少年たちを熱狂させていた。また化け猫や天竺徳兵衛のガマ、白縫姫のナメクジの術などを、ぬいぐるみを使ってトリック撮影したが、これも大変人気を博したという。そしてこのマキノの撮った忍術映画を念頭に置いたとき、山田のアンビヴァレントな感情も理解できる気がするのである。

恐らくこの忍術映画をみた少年たちは、二つの矛盾した感情を抱いたはずである。一つは、密教的な呪術に対する憧れの感情である。呪文を唱えたり、九字を切ったりすることで、特殊な超能力が使えると説くのは、真言密教である。真言密教では、身・口・意の一致ということが言われ、身体の挙動と口で唱えることと、心で思うこととはそれぞれ互いに影響を及ぼし合い、特殊な呪文を唱えたり、特殊な印相を結ぶことで超人的な身体能力を獲得できるとされている。例えば、忍者が変身するときに結ぶ智拳印という印相は、真言密教で最高の仏である大日如来の結んでいる印相で、要するに最高位の仏と同化することで、森羅万象あらゆるものに「なる」ができるということなのである。さらに密教の根本経典の一つである『理趣経』は、男女の性行為を大胆に肯定しており、一部では男女の性行為がそのまま成仏の道であると誤って解釈されていた。恐らく『理趣経』が真言密教で重視される背景には、身体を変容(メタモルフォーゼ)させる感覚の中に、エロティックな感覚があるからだろうが、そうした変身するものの中にあるエロティシズムを山田も感じていたのではないかと思われる。皮膚を吸盤にして相手の血を吸うお胡夷、全身の毛穴から血を吹き出す朱絹、塩の中に溶けることで半流動の物体に変化する雨屋陣五郎、ルパン三世のようなマスクを使って別人なりすます如月左衛門たちには、体を別のものに変容させることに対する山田の特別な執着が感じられる。

一方、忍術映画をみていた少年たちは、それが虚構のカラクリ世界であり、さらに言うなら西洋のハイカラな技術(映画)によって作られた世界であることも自覚していたはずである。中野翠氏は、山田が宇宙を支配する力や摂理のことを、「宇宙のからくり」と呼んでいたことに感銘をうけたと述べているが、こうした宇宙や世界をカラクリとみる意識には、やはり忍術映画の特殊撮影を見たときの感覚が生きていたとみるべきだろう。その際、山田が念頭に置いていたカラクリが、歌舞伎のせりや人形浄瑠璃のような日本の伝統的なカラクリではなく、西洋的なカラクリであることは、山田が忍法に科学的で医学的な根拠を持たせようとしていることからも分かる。ここにはエロス的な身体を支える機械世界(カラクリ世界)という構図を読み取ることができる。

こうした古い呪術(忍法)と最新の技術(映画)、エロス的身体とカラクリ世界(機械世界)、幻想と科学、日本と西洋との幸福な融合を、山田たちの世代は忍者映画に見て取り、潜在的な意識として共有していたのではないだろうか。そしてそれが、精神的な成長とともに、エロ・グロ・ナンセンスへと進化したと考えられないだろうか。戦後に入って忍者物を書いた山田たちのこうした感性は、日本のSFにも多大な影響を及ぼしている。というのも、山田たちの巻き起こした戦後の忍者ブームは、テレビ番組にも波及し、『隠密剣士』シリーズをへて『仮面ライダー』や戦隊物へと姿を変えていったからである。その意味で言えば、風太郎・忍法帖の第一作目である『甲賀忍法帖』は、単にエロ・グロ・ナンセンスを取り込んだリアル忍法小説というだけでなく、戦後の日本SFの嚆矢とも言えるのである。

(参考文献)
足立巻一『立川文庫の英雄たち』、文和書房、1980年
川崎賢子「占領期文学としての視点―山田風太郎の世界におけるセックス/ジャンダー/セクシャリティをめぐって」、『ユリイカ』2001年12月号、青土社
中野翠・木田元「<宇宙のからくり>としての風太郎ワールド」、『ユリイカ』2001年12月号、青土社
平岡正明「風太郎左派」、『文藝別冊 山田風太郎』、河出書房新社、2001年

 伝説の映画人・鈴木清順の高らかな復活を遂げたこの作品、SFファンにとっても非常に興味深いものがあるだろう。内田百閒の「サラサーテの盤」をモチーフとし、清順美学のすべてを詰め込んだ金字塔。

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 実際、これほど「夢の文学」としての内田百閒の手触りを完璧に映画化したものは、他にないだろう。生きている人が死んでいるような、死んでいる人が生きているような、夢と現実の境目が見分けのつかないおぼろげな世界。文学でしかできないと思われた世界がすっかり映像に移し変えられた驚き。

 鈴木清順がそれまでおずおずと遠慮がちに見せていた超現実的世界観を初めてはっきりとした確信とともに見せた。清順はその個性的な美学世界を「娯楽」 だと断言した。そんな馬鹿な。いやいや、美学を「娯楽」と言い切れるあたりがまた清順ならではなのだろう。

 この作品のロケは大部分鎌倉で行われたという。だが、なぜかこの作品のロケ部分は「静岡」あたりの遠さを感じる。鎌倉ほど東京から近いはずはない。

 もっと東京から遠いどこか、東京が消え去る一歩手前、それはおそらく、静岡であろう。東京が東京ではない場所と溶け合う地。

 この感覚は根拠のないものではないのだ。映画の冒頭、非常に重要な場所で、静岡ロケが敢行されている。水平線の彼方へ伸びていく木製の幻想的な橋。本作品にとって非常に重要なこの橋が実在するのは、静岡県島田市。「蓬莱橋」と名づけられたこの橋が架けられたのは明治初期だという。全長900メート
ル、世界一の長さを誇る木製の歩道橋としてギネスブックにも登録されているという。実際に歩いてみると、いつまでも終わらない、果てしない道のり、それこそあの世まで続いているかのように感じられるのだそうだ。あの世とこの世を繋ぐような、不可思議な光景。

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 実際に百閒にはそのような小説がある。直接の原作とされた「サラサーテの盤」ではない。それが「由比駅」である。東京駅で誰かを待っているのだがいつになっても来ない。そのうち「相手は先に行っているそうだ」という伝言を受け、鉄道に乗って由比駅へ向かう。由比駅は現在の静岡市清水区にある。特に意味はない。郊外に出かけ、人に会うだけだ。だが鉄道に乗り、東京から遠ざかるにつれて、どんどん現実も遠ざかっていく。由比駅に着き、女に会う頃には、世界はすっかり様変わりしている。そもそも会うはずだった相手はこの女だったのだろうか?だがもはや取り返しはつかない。(高槻 真樹)

 (小説、第21回早稲田文学新人賞受賞作、「早稲田文学」2005年1月号所収) 写真:第九次「早稲田文学」の表紙群。(「早稲田ウィークリー」のウェブサイト(http://www.waseda.jp/student/weekly/contents/2005a/065j.html)より引用。)
 
 五合目で酔ひつぶれるや蝉しぐれ

 五合目とは、不二山(富士山)の五合目のことである。語り手の「おれ」は、「パート募集 巫女 十八〜二十二才迄」という求人広告の上に貼られていた「不二山頂登頂者募集 急募 日給五千円」という怪しげな募集に応募し、八月一杯をかけたこの仕事を受けることにする。仕事内容は、不二山の観光シーズンに併せた神主の業務補佐であり、仕事場は、五合目から徒歩で四時間のところ、まさに不二山頂である。冒頭で引いた句は、五合目から山頂に登ろうとするものの、うねった山道を進む神社のマイクロバスでしたたか酔ってしまった語り手が発する一句である。このナンセンスな一句が、文字通り、本作を象徴していると言っても過言ではないだろう。

 しばしば町田康に比される全体的に軽妙でとぼけた筆致、外国人観光客との妙にずれた会話など、おかしみを誘う旺盛なサービス精神、さりとて、近代文学でしばしば取りざたされる超俗的な感興(への沈潜)に対する禁欲的な抑止を湛えた該作は、いわば知られざる静岡SFの傑物として、静かな存在感を見せている。何より、主人公に輪をかけて奇天烈で、大学の法学部を出ながらもめぐりめぐって新宿で屋台を引く牛乳屋となり、餃子売りへ転身した巨勢(こせ)の強烈なインパクトはいちど読むと忘れられない。二人が乗った車がスピーカーから鳴り響く「ギョーザー」という音を止めることができずに高速道路をひた走るシーンは爆笑ものだ。

 しかしなぜ、筆者の知る限りSF者が誰も言及したことのない該作を、静岡SFと言うことができるのか。それは、不二山の頂上というモニュメンタルな地勢を文字通り「征服する」というプリミティヴな欲望に対し、可能な限り批評的な眼差しを注ごうとしているからにほかならない。ちょろっと富士山(=不二山)が出てくるから静岡SF、どころの話ではない。富士山の上で、文字通り暮らしてしまう静岡SF、それが「不二山頂滞在記」なのだ。不二山は「日本」という国家、そして国家が体現する近代精神の象徴としてまま語られるが、該作は観光客的な興味本位以前の段階、すなわち状況にひたすら流されるだけの無目的かつ無為無策な語り手の境遇を契機としているという不遜な作品なのである。

 極めて批評性の高い現代日本文学として評価されている阿部和重の『プラスティック・ソウル』では、皇居という日本の「空虚なる中心」の周りをぐるぐると回る光景が描出されたが、一方の「不二山頂滞在記」は、こともあろうに、不二山の中心へあっという間に飛び込んでしまうという、おそるべき蛮勇を見せてくれる。まさに「見る前に跳べ」(大江健三郎)という文学的スローガンを体現しているというわけだが、この大胆不敵さは、これまでいわゆる「SF文壇」で批評の対象となってきた作品群に負けず劣らずSF的だと言えるだろう。

 神鳴りもここ不二山より見ればかわいらしいものだ。
 おれは天穹を仰ぎ見た。おお、星だらけ。星の連なりを寒さに耐え得る限り見つづける。(「早稲田文学」2005年1月号、192頁)

 上記引用部では、語り手が「星」を見て得た感興がさらりと記されているが、この感興を一種のセンス・オヴ・ワンダーと理解してしまっては贔屓の引き倒し、SF者ならではの穿ちすぎとの誹りを逃れられないだろうか。しかしながら語り手の姿勢は、おそらく多くのSF大会の参加者に共通するものがあるだろう。彼らの大多数は、そこにSF大会があるからはるばる地方へ遠征するのであって、その逆ではない。そこでは、すでに存在する象徴的な何かを事後的に追認するのではなく、SF大会というフレームをもって、その土地土地の特徴が読み替えられ(いわば「SF化」され)、ひいては支配的な文化的な共通項(コード)に新たな価値が付与されることになるわけだ。

 だがそもそも、仮に近代文学の延長線上にSFを位置づけるとするならば、SFを読むという行為は、世界をそのように読み替えること、世界を絶えず「SF化」していくことにほかならない。すでに「SF化」が完了してしまっていたとしてもなお、その事実すらをも呑み込む形で、再帰的に世界の「SF化」は進行していく。しかしながら、商業的に支配的な(しばしばサブカルチャーの形をとった)コードを無批判に並べる形で、その土地土地の特性を殺していき「フラット化」を進める類の文化的均質化と、「不二山頂滞在記」の方法論が求める「SF化」はまったく異なるものがある。

 そもそも「不二山頂滞在記」のSF性は、これまで商業媒体で取り扱われて来たSFガジェットとはまったく関係ない。SF者を唸らせる精緻なロジックや奇想とも無縁である。にもかかわらず、本作にはジュディス・メリルやラングドン・ジョーンズのアンソロジーに入っていてもおかしくないくらいに、SF者の心をくすぐる何かがある。ニューウェーヴSFの現代的継承がここにある、と言えば、草葉の陰にたたずむジュディス・メリルに失笑されてしまうかもしれない。いや、メリルならば大手を振って受け入れてくれるに違いない。

 かつて筒井康隆は、SFマインドをもった書き手が記したものはみなSFだとうそぶいたと言われるが、それこそ筒井康隆のような「SFマインド」を期待しても肩透かしを食らうだろう。現代文明を嘲笑うかのような大胆な風刺も該作には備わっておらず、かといって、これがSFじゃないと言い切るのは躊躇われるからだ。こうした異質性が、主人公が山頂で過ごす日々、出逢う人々とのどこか噛み合わない暮らしぶりにリンクしてしまうところが面白い。そのうち、「不二山頂滞在記」のテクストによって、書き手当人すら意識していなかったであろう文学史的な記憶を喚起させられることとなる。ここには、「フラット化」によってまま見過ごされる、細部の愉しみがある。だから私たちは、「不二山頂滞在記」を読むとことで、フラット化の暴力が奈辺にあるのかを認識することが可能になると言ってしまっては、持ち上げも過ぎるだろうか。

 「不二山頂滞在記」の語り手は、「あと半月の勤務」を残し「痛いわけでもなく、重いわけでもなく、山酔いとも違って、頭の奥で何かが引っかかって流れない感じ」に見舞われる。この痛みに耐えても結局は神主になることができないとわかった彼は、「登りに四時間かかった山道を二時間」で帰り、いわば「還俗」することになる。さらりと書かれたここでの苦悩とその帰結へ、仮にクリストファー・マーロウが描いたファウストゥス博士の無念を重ね合わせたとすれば、雅雲すくねは考えすぎだと苦笑するに違いない。にもかかわらず、雅雲すくねの方法論を「フラット化」の一途をたどる状況に対置するものとして置くのは、決して無理のある理解ではない。

 実は、雅雲すくねは二作目のない作家なのだ。しかしながら、何らかの特殊な理由があって二作目が出ないという事情を仄聞してはいない。察するに、状況が二作目の掲載を許さなかったのではなかろうか。というのも、雅雲すくねが第21回早稲田文学新人賞を受賞してから間もなく、2005年5月号をもって、「リトル・マガジン」としての反骨的矜持を貫いた第九次早稲田文学はやむなく休刊してしまったからだ。以後、筆者の知る限りにおいて、第十次早稲田文学くとして復活してからも、雅雲すくねの名前を商業媒体において見かけたことはいまだない(*1)。

 なぜなのだろう。「不二山頂滞在記」が新人賞受賞作として選出される過程を掲載号において読むことができるが、そこでは該作にはさしたる期待は寄せられておらず、むしろ「早稲田文学」という「リトル・マガジン」の外部でもこの人は活躍できるだろうという、期待半ば皮肉半ばのコメントが選考委員から寄せられている。そこに悪意は感じない。しかしそれならば、たとえ細々とした形であっても、雅雲すくねは生き残りを見せてもよかったのではないか。

 このように考え「不二山頂滞在記」が掲載された「早稲田文学」全体の読み直し(リ・リーディング)を行ってみた。再読を経てみると、(図らずしも)該作が、第九次早稲田文学の末期を象徴する「近代文学の終わり」(柄谷行人)に対置されていたことに、改めて気づかされた。「近代文学の終わり」とは、文芸評論家として著名な柄谷行人が、文学の仕事から離れることを意思表明した、一種の宣言文として読むことができる。そこでは、近代文学はもはや、社会における普遍的な問題(たとえば、環境問題)を正面から取り上げるだけの実効性を欠いているとの指摘がなされた。

  「早稲田文学」上で、「近代文学の終わり」について正面から異議を表明した書き手として、笙野頼子と向井豊昭の二人の名前を挙げることができる。向井豊昭については、かつて別の文章を書いたことがある(※2)のでここでは深入りしないが、「不二山頂滞在記」の掲載号は奇しくも、笙野頼子の「反逆する永遠の権現魂」の初出号となってもいる。「反逆する永遠の権現魂」は、現在は笙野頼子の『徹底抗戦、文士の森』(河出書房新社)に収録されているが、同書は「近代文学の終わり」と「フラット化」の暴力について、一人の書き手が果敢にも戦い抜くという姿勢を記したものである。そして、奇しくも笙野頼子の名文と肩を並べることになった「不二山頂滞在記」は、いわば「近代文学の終わり」以後、新しい世代がいかなる文学的実践を行なうべきか、その最初期の事例として配置がなされたようにも理解することも可能なのだ。

 しかしながら、雅雲すくねはデビュー作を発表してから沈黙を余儀なくされた。一方の笙野頼子が戦っていた状況は、さらに拡散を続けて、その全体像はますます把捉が困難なものとなっている。こうした状況は、直接的にも間接的にも、SFをめぐる言説にも大きな影響を与え続けている。静岡SF大全のみならず、SF評論は、そしてSF評論を支える読み手は、こうした問題についての思考を、否応なしに強いられていると言わざるをえない。あるいは、私たちはシニカルに唇の端を歪めながらこうした状況を是認するか、あるいは、確たる後ろ盾なしに孤独な奮闘を強いられるか、二者択一を迫られてしまっていると言ってもよいだろう。

 この点についてより主題的に考えることは、すでにこの「静岡SF大全」のフレームを逸脱してしまいかねない。しかし「不二山頂滞在記」が体現した問題について、笙野頼子の『海底八幡宮』、『人の道御三神といろはにブロガーズ』を検討していきながら、別の場所にて引き続き考えていきたいと思うので、お付き合いをいただければ幸甚だ。

 だがいまは、間近に迫ったSF大会を全身で楽しみ、できれば終わった後にでも時間を見つけて、まだご存知ない方は「不二山頂滞在記」に触れてみてほしい。だいじょうぶ、「不二山頂滞在記」の語り手たちのような連中ですら平気だったのだから、「たまたま参加した」「たまたま読んだ」でもなんとかなる、きっと。むしろその、貴重な「たまたま」、よき「たまたま」を大事にしよう!(岡和田晃)
 

(*1)ただし、2011年8月現在において、雅雲すくねの活動は、以下のホームページにおいて観測することができる(http://gaunsukune.web.fc2.com/situation.html)。そこでは、なめたけの作成、声楽家北村哲朗氏のホームページ作成といった活動歴のほかに、手書き原稿であった「不二山頂滞在記」のタイプ打ちが進んでいるという進捗報告が進んでいる。現在入手困難となっている「不二山頂滞在記」を、何らかの形でふたたび目にすることのできる日は近いのかもしれない。いずれにせよ、雅雲すくねの復活を強く望むものである。

(*2)向井豊昭アーカイブ(http://www.geocities.jp/gensisha/mukaitoyoaki/index.html)を参照。

大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス [DVD] / 特撮(映像) (出演)

大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス [DVD] / 特撮(映像) (出演)

1954年に公開された東宝映画『ゴジラ』に遅れること約10年、1965年に大映の「ガメラシリーズ」は始まった(第1作『大怪獣ガメラ』)。シリーズ中人気怪獣となったギャオスが登場する第3作『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』が公開されたのは1967年のことである。「もはや戦後ではない」と経済白書で謳われた1956年をはさんで、『ゴジラ』と『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』は、まるで異なる日本の精神風土の中に置かれている。

第五福竜丸事件をきっかけに制作された『ゴジラ』は戦争の記憶を濃厚にまとわせていたが、1967年の『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』は高度経済成長の風景の中に置かれている。冒頭の明神礁、三宅島の噴火、それに続く富士山の噴火と、この映画は、現代に牙をむく古代の荒々しい力を印象付ける。じっさい、富士山の噴火の火を食らいにガメラが現れ、その調査のために上空を飛行するヘリコプターは、二子山から発せられる怪光線によって破壊される。恐怖の怪獣が住まう舞台として、魔の山としての富士火山帯ほど似つかわしいものはないといえる。

ところがこの魔の山は、一方で、東名高速道路建設予定地であり、高度経済成長を押し進める近代の波に飲み込まれつつある。そこには観光客のための近代的な宿泊施設が整い、「ハイランドパーク」なる娯楽施設(「富士急ハイランド」らしい)も併設されている。高速道路を巡っては、地元の住人たちによって反対運動が組織されているが、彼らの目的は「自然を守る」とか「近代への懐疑」とかそういったものではまったくなく、補償金額を釣り上げようとする欲得でしかない。

1954年の『ゴジラ』においてならありえたかもしれない怪獣という古代の神による現代への審判という物語を、1967年の『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』は、もはや担う意志を持ってはいない。この映画は、むしろ、1967年という高度成長時代の空気に同調することを目指している。物語は、お約束通り、強欲な村長が孫の言動にほだされて、欲得にまみれた心を改めると、高速道路建設反対運動をとりやめ、建設に協力する、といういかにもありそうなハッピー・エンドをむかえて幕を閉じる。こうして「東名高速道路建設」に代表される日本の近代のプロジェクトは、座礁することなく続行されることを保障される。戦後日本の近代化に大きな協力を果たすのが、怪獣ガメラというわけだ(怪獣というよりは、役割としてはむしろウルトラマンである)。

悪役ギャオスが戦後日本の敵役として君臨する。東宝のキング・コングやフランケンシュタインへの対抗馬として、大映のギャオスは吸血鬼ドラキュラをモチーフに造形された。ぬいぐるみ感が強すぎて、東宝のキングギドラに比べると邪悪な迫力感が不足気味のギャオスであるが、太陽の光を浴びると死なねばならないこの「夜の怪獣」は、近代が抑圧する古代の禍々しさを観客の眼に焼き付けた。人間の肉体を食らい、その血をすする姿は、ヒールとしての貫録を十分備えている。アンチ戦後日本としてのこの怪獣は、ヒューマニスティックな懐疑の視線を、ウルトラマンの勧善懲悪の物語に向けていた沖縄出身の金城哲夫と一脈通じるところがあるかもしれない。

ヒールならぬベビー・フェイスとしてのガメラは、ゴジラとの差別化を図るため、永田雅一大映社長のアイデアで、「子供好きの怪獣」というキャラクターに設定された。子供は好きだが、人類の敵ではあったガメラは第1作では、まだ凶暴な表情を湛えていたが、第3作ではよりソフトな外観となる。映画のエンディング・ロールでは「ひばり児童合唱団」が歌う「ガメラの歌」が流れ、まるで幼稚園のお遊戯会のような雰囲気である。映画本編内ではゴジラのテーマ曲に似た重厚な曲が流れているが、この合唱歌の登場は、1965年における『怪獣大戦争』でのゴジラの「シェー」に似て、この時期に怪獣映画が変質を遂げたことを告げている。

その変質は、一言で言えば、怪獣のアイドル化というものである。高度成長期の子供の嗜好がそうした現象を生んだと言ってよい。60年代後半の子供の感性は、テレビの感性と言ってよいが、この時期、文化現象では、映画からテレビへ、スターからアイドルへ、といった流れが加速的に進んだのである。大映もテレビの勃興による斜陽の呷りを食らって倒産への道を突き進んでいたが、大映末期の会社経営を支えたのが、映画のテレビ化ともいえる「ガメラ・シリーズ」というドル箱であったことは、なんとも皮肉である。

怪獣のアイドル化とは、第1作『ゴジラ』が持っていた戦争の記憶や水爆実験への怒りを日本社会が放棄し、「核」というものが禁忌の対象ではなくなり、容認するものへと変質したことを意味する。つい最近ホットな話題であった「浜岡原発」は、それが導入される計画段階――この時点では三重県が予定地であった――の1960年代前半においては、三重県の全漁協が反対に回ったが、『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』が公開された1967年に浜岡町側に中部電力側から打診され、建設受け入れの下地が作られる。静岡県内には、「第五福竜丸」が母港にしていた焼津港があったことから、漁民は拒否反応を示していたが、破格の補償費もあって、1969年についに建設の同意が成立する。

こうして近代プロジェクトを応援する怪獣映画という不思議な作品が高度経済成長期に出現する。静岡を舞台として演じられたのは、第1次産業が第2次産業に怪獣ならぬ懐柔される光景だった。それは日本全国で進行していた現象でもあった。それは今も「TPP」問題を巡って繰り返されている。民主党の前原誠司は「日本のGDPにおける第1次産業の割合は1.5パーセントだ。1.5パーセントを守るために98.5パーセントが犠牲になっているのではないか」と発言している。沖縄出身であるがゆえに、「本土」の論理から距離を置くことのできた金城哲夫のような存在は、本土の怪獣映画関係者にはいなかったようである。(石和義之)

静岡SF大全・静岡SF論のシリーズ、いかがでしたでしょうか?
SF大会に向けて、少しでも気持ちを高めるお役に立てたのなら、幸いです。
これから、カーテンコールを行います。
まだまだ扱うべき作品は多かろうと思われます。大会が終わった後に、代表の高槻真樹から、扱えなかった作品のフォローを含めた挨拶が予定されております。
ご愛読、ありがとうございました。
(SF評論賞チーム一同)