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『究極超人あ~る』(OVA版・1991年)
――第一世代オタクの夢――

西園寺ツーリストの東京駅発飯田線スタンプツアーに挑戦することになった光画部(写真部)。当初、費用はツーリスト側が負担すると思っていた光画部だったが、実はそこには厳しい時間制限があった!はたしてこの試練をあ~るたちは乗り越えることができるのか。

この作品には表向きSFに出てくるようなメカっぽいメカは、ほとんど出てこない。出てくるのは成原博士の作った巨大怪獣型ロボに変形するカメラと、あ~るの持ってきた被写体を消すカメラくらいである。しかも成原博士のロボは、口から小さなシャベルを出し、砂浜の砂を一つまみするとお約束どおり爆発してしまう。

こうしたSFに出てくるようなメカの代わりに克明に描かれるのは、現代のメカともいうべき電車であり、電車が通過するトンネルであったり鉄橋であり、その周囲に広がる自然風景や駅舎だったりする。ちなみに作中で光画部が道に迷う伊豆半島の山中は、季節こそ違え『伊豆の踊子』で主人公が踊子を追って駆けたところである。原生林の生い茂る山々や、峠の茶屋などの描写は、『伊豆の踊子』に対するオマージュだろう。また、飯田線の通っている天竜川沿いの地域は、古代から「塩の道」として栄え、特に飯田・下伊那地域は、七百基にも及ぶ古墳群(うち前方後円墳・二十四基)が見つかっているような古代遺跡の宝庫である。

恐らくこのOVA版の製作スタッフには熱狂的な鉄道ファンがいて、スタッフの主要メンバーはこのルートを取材旅行しているはずである。それは電車が路線ごとにきっちり描き分けられ、特に飯田線ではローカル線でよく見られる色違いの電車が複数登場するこだわりからも分かる。こんなふうに述べると、一見この作品は、SFと何の関係もない作品ように見えるかもしれない。しかし少なくとも私には、この作品が、八十年代前半のSFブームを支えた第一世代オタク(1960年代生まれのオタク)と呼ばれる人たちのる人たちの心のうちを的確に表現しているように見える。言い換えれば、『究極超人あ~る』のOVA版で描かれている電車なり、鉄橋なり、伊豆半島や飯田線沿いの風景は、SFブームを支えた人たちのもう一つの理想的な心象風景だったと思われるのである。以下、多少言葉を足しながらそのことを説明してみたい。

一般に『究極超人あ~る』という作品は、「80年代おもしろ主義」の典型とみなされている。知らない読者のために一応説明しておくと「80年代おもしろ主義」というのは、「楽しくなければテレビじゃない」といった言葉に端的に表れているような楽しさ(面白さ)だけを純粋に追求するような世論の風潮のことである。特に「オレたちひょうきん族」や「夕やけニャンニャン」といったバラエティー番組がその代表され、そこでは基本的に素人っぽさ、馬鹿さかげん、娯楽を娯楽として純粋に楽しむ感覚が重視された。ソシュールの構造主義がもてはやされ、ダジャレのような言葉遊びが文学や哲学のテーマになったのもこの頃である。この「おもしろ主義」のライトな感覚は、折からのバブル経済やそれにともなう「マイナスのことは言ってはいけない」という社会的な脅迫観念とあいまって、次第に社会の主流をなす感性となっていった。

『BSマンガ夜話』の中でもすでに指摘されているように『究極超人あ~る』という作品には、突出した中心となるキャラクターがいない。OVA版を見ていても一応、話を展開させるために、鳥坂と小夜子がアクションを起こしているが、だからといってこの二人が、主役というわけではなく、どのキャラクターにも同じくらいの比重がかけられている。こうしたキャラクター構成にも、おもしろ主義的なサークルのノリやアマチュアリズムを感じ取ることができる。言い換えれば、お金をかけなくても少しのアイデアとそれを実行する勇気があれば、大人たちには見えない知覚や風景にめぐり合えずはずだという確信がこの世代を突き動かしていたように見える。

『究極超人あ~る』OVA版でも、スタンプツアーをしている鳥坂に向かって熱海駅の駅員が「こんなツアーやる人いるとは思いませんでした」とあきれたように言うシーンが出てくるし、光画部が豊橋駅のベンチで野宿しているところを見つけた警官も、「駄目だこりゃ」といってその場を立ち去っている。まだ見たことのないものを見たい、まだ自分が知らないことを知りたいという欲求が、現実に向かったとき「飯田線スタンプツアー」のような突飛な企画になったのだろうし、ひるがえってその欲求が未来に向いたとき、SFという姿を取ったのではないか。OVA版に出てくる伊豆半島や飯田線沿線のリアルという以上に瑞々しい風景は、そのことを強く感じさせるし、あ~るたち光画部のメンバーのくったくのない感情はそれに彩りを添える。

しかし一方でそうした悪ふざけ的な企画には、結局自分たちは大人に守られている、失敗しても誰かが尻拭いしてくれるという確信が潜んでいる。作中に登場する駅前のベンチで野宿していた光画部員たちを見逃す警官や、バスで大騒ぎした部員たちをやさしく叱る運転手などは、彼らが所詮、自分たちは社会に守られている存在だと自覚していた自己認識の表れでもあるだろう。また成原博士のカメラが、巨大ロボに変身したにもかかわらず、砂浜の砂を一つまみすることしかできないシーンは、所詮、自分たちがどんな理想を思い描いたところで、実際にできることは僅かだと考えていた証しのように見える。こうした感情は、恐らく彼らに先行する団塊の世代が、七十年安保闘争に失敗して結局、保守化したという反省に基づくものだろうが、一方でゲバ棒振り回しても社会に受け入れられるのなら、暴力に訴えない自分たちの行動は、多少無茶なものであっても許されるはずだというエクスキューズの感情も混ざっているように思われる。

『究極超人あ~る』のOVA版は、1991年に公開されている。この年は、すでに経済的なバブルは崩壊していたが、まだまだバブル経済の余韻が残っている時期だった。東京都内最大のディスコ「ジュリアナ東京」ができたのもこの年だったし、新宿に今の都庁ができたのもこの年だった。成田エクスプレスが東京駅に乗り入れ、『週間少年ジャンプ』が六百万部の大台にのったのもこの年である。そうした歴史的な観点から見返したとき、『あ~る』OVA版に描かれている光画部員たちのくったくのない感情や瑞々しい風景は、まさに八十年代おもしろ主義の最後のあだ花であったように思えてならない。しかしだからこそ、ここにはSFブームを支えた第一世代オタクたちの夢がぎっしりつまっているのである。

(参考文献)
『マンガ夜話VOL.8 特集:三浦健太郎「ベルセルク」・ゆうきまさみ「機動警察パトレイバー」』、 キネマ旬報社,、2000年.

一昨日のことになってしまいましたが、編集部の作業がすべて終了いたしました。

プログレスレポート、スーベニアブック、当日配布物ではタイムテーブル、それからスタッフTシャツ等のデザインと編集が主な作業だったわけですが、印刷所にすべて入稿したのでした。

当日配布のスーベニアブックにはご期待下さい。

表紙は加藤直之さん、同じイラストをロゴ等をのせない状態で巻頭カラーにも収録させていただきました。また、巻頭カラーにはすがやみつるさんのプログレスレポート3号表紙も、同じくロゴをのせない状態で掲載してあります。

編集部の作業が終わったので、昨日は自作の電子書籍を公開いたしました。プログレスレポートの編集作業を手伝ってもらったのですでにご存じかも知れませんが、私は京都精華大学でDTPの授業を担当していまして、その講義で9月から電子書籍を扱うことになっており、pdfやePub形式での電子書籍についていろいろ勉強しているところなのです。

『ザ セカンドドア』

こちらの『ザ セカンドドア』は文庫判で40ページくらいの短編。pdf形式で公開しています。

『つきがちがってはつかえない』『CSI:MARS』は10ページ未満の掌編で、ePub形式で公開しています。

電子書籍サイトにもいろいろあって面白いですね。

それでは皆様、SF大会当日をお楽しみ下さい。当日私はディーラーズルームとホビーロボット・コロッセオのどちらかにいる予定です。ぜひお声をおかけ下さい。