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『究極超人あ~る』(OVA版・1991年)
――第一世代オタクの夢――

西園寺ツーリストの東京駅発飯田線スタンプツアーに挑戦することになった光画部(写真部)。当初、費用はツーリスト側が負担すると思っていた光画部だったが、実はそこには厳しい時間制限があった!はたしてこの試練をあ~るたちは乗り越えることができるのか。

この作品には表向きSFに出てくるようなメカっぽいメカは、ほとんど出てこない。出てくるのは成原博士の作った巨大怪獣型ロボに変形するカメラと、あ~るの持ってきた被写体を消すカメラくらいである。しかも成原博士のロボは、口から小さなシャベルを出し、砂浜の砂を一つまみするとお約束どおり爆発してしまう。

こうしたSFに出てくるようなメカの代わりに克明に描かれるのは、現代のメカともいうべき電車であり、電車が通過するトンネルであったり鉄橋であり、その周囲に広がる自然風景や駅舎だったりする。ちなみに作中で光画部が道に迷う伊豆半島の山中は、季節こそ違え『伊豆の踊子』で主人公が踊子を追って駆けたところである。原生林の生い茂る山々や、峠の茶屋などの描写は、『伊豆の踊子』に対するオマージュだろう。また、飯田線の通っている天竜川沿いの地域は、古代から「塩の道」として栄え、特に飯田・下伊那地域は、七百基にも及ぶ古墳群(うち前方後円墳・二十四基)が見つかっているような古代遺跡の宝庫である。

恐らくこのOVA版の製作スタッフには熱狂的な鉄道ファンがいて、スタッフの主要メンバーはこのルートを取材旅行しているはずである。それは電車が路線ごとにきっちり描き分けられ、特に飯田線ではローカル線でよく見られる色違いの電車が複数登場するこだわりからも分かる。こんなふうに述べると、一見この作品は、SFと何の関係もない作品ように見えるかもしれない。しかし少なくとも私には、この作品が、八十年代前半のSFブームを支えた第一世代オタク(1960年代生まれのオタク)と呼ばれる人たちのる人たちの心のうちを的確に表現しているように見える。言い換えれば、『究極超人あ~る』のOVA版で描かれている電車なり、鉄橋なり、伊豆半島や飯田線沿いの風景は、SFブームを支えた人たちのもう一つの理想的な心象風景だったと思われるのである。以下、多少言葉を足しながらそのことを説明してみたい。

一般に『究極超人あ~る』という作品は、「80年代おもしろ主義」の典型とみなされている。知らない読者のために一応説明しておくと「80年代おもしろ主義」というのは、「楽しくなければテレビじゃない」といった言葉に端的に表れているような楽しさ(面白さ)だけを純粋に追求するような世論の風潮のことである。特に「オレたちひょうきん族」や「夕やけニャンニャン」といったバラエティー番組がその代表され、そこでは基本的に素人っぽさ、馬鹿さかげん、娯楽を娯楽として純粋に楽しむ感覚が重視された。ソシュールの構造主義がもてはやされ、ダジャレのような言葉遊びが文学や哲学のテーマになったのもこの頃である。この「おもしろ主義」のライトな感覚は、折からのバブル経済やそれにともなう「マイナスのことは言ってはいけない」という社会的な脅迫観念とあいまって、次第に社会の主流をなす感性となっていった。

『BSマンガ夜話』の中でもすでに指摘されているように『究極超人あ~る』という作品には、突出した中心となるキャラクターがいない。OVA版を見ていても一応、話を展開させるために、鳥坂と小夜子がアクションを起こしているが、だからといってこの二人が、主役というわけではなく、どのキャラクターにも同じくらいの比重がかけられている。こうしたキャラクター構成にも、おもしろ主義的なサークルのノリやアマチュアリズムを感じ取ることができる。言い換えれば、お金をかけなくても少しのアイデアとそれを実行する勇気があれば、大人たちには見えない知覚や風景にめぐり合えずはずだという確信がこの世代を突き動かしていたように見える。

『究極超人あ~る』OVA版でも、スタンプツアーをしている鳥坂に向かって熱海駅の駅員が「こんなツアーやる人いるとは思いませんでした」とあきれたように言うシーンが出てくるし、光画部が豊橋駅のベンチで野宿しているところを見つけた警官も、「駄目だこりゃ」といってその場を立ち去っている。まだ見たことのないものを見たい、まだ自分が知らないことを知りたいという欲求が、現実に向かったとき「飯田線スタンプツアー」のような突飛な企画になったのだろうし、ひるがえってその欲求が未来に向いたとき、SFという姿を取ったのではないか。OVA版に出てくる伊豆半島や飯田線沿線のリアルという以上に瑞々しい風景は、そのことを強く感じさせるし、あ~るたち光画部のメンバーのくったくのない感情はそれに彩りを添える。

しかし一方でそうした悪ふざけ的な企画には、結局自分たちは大人に守られている、失敗しても誰かが尻拭いしてくれるという確信が潜んでいる。作中に登場する駅前のベンチで野宿していた光画部員たちを見逃す警官や、バスで大騒ぎした部員たちをやさしく叱る運転手などは、彼らが所詮、自分たちは社会に守られている存在だと自覚していた自己認識の表れでもあるだろう。また成原博士のカメラが、巨大ロボに変身したにもかかわらず、砂浜の砂を一つまみすることしかできないシーンは、所詮、自分たちがどんな理想を思い描いたところで、実際にできることは僅かだと考えていた証しのように見える。こうした感情は、恐らく彼らに先行する団塊の世代が、七十年安保闘争に失敗して結局、保守化したという反省に基づくものだろうが、一方でゲバ棒振り回しても社会に受け入れられるのなら、暴力に訴えない自分たちの行動は、多少無茶なものであっても許されるはずだというエクスキューズの感情も混ざっているように思われる。

『究極超人あ~る』のOVA版は、1991年に公開されている。この年は、すでに経済的なバブルは崩壊していたが、まだまだバブル経済の余韻が残っている時期だった。東京都内最大のディスコ「ジュリアナ東京」ができたのもこの年だったし、新宿に今の都庁ができたのもこの年だった。成田エクスプレスが東京駅に乗り入れ、『週間少年ジャンプ』が六百万部の大台にのったのもこの年である。そうした歴史的な観点から見返したとき、『あ~る』OVA版に描かれている光画部員たちのくったくのない感情や瑞々しい風景は、まさに八十年代おもしろ主義の最後のあだ花であったように思えてならない。しかしだからこそ、ここにはSFブームを支えた第一世代オタクたちの夢がぎっしりつまっているのである。

(参考文献)
『マンガ夜話VOL.8 特集:三浦健太郎「ベルセルク」・ゆうきまさみ「機動警察パトレイバー」』、 キネマ旬報社,、2000年.

一昨日のことになってしまいましたが、編集部の作業がすべて終了いたしました。

プログレスレポート、スーベニアブック、当日配布物ではタイムテーブル、それからスタッフTシャツ等のデザインと編集が主な作業だったわけですが、印刷所にすべて入稿したのでした。

当日配布のスーベニアブックにはご期待下さい。

表紙は加藤直之さん、同じイラストをロゴ等をのせない状態で巻頭カラーにも収録させていただきました。また、巻頭カラーにはすがやみつるさんのプログレスレポート3号表紙も、同じくロゴをのせない状態で掲載してあります。

編集部の作業が終わったので、昨日は自作の電子書籍を公開いたしました。プログレスレポートの編集作業を手伝ってもらったのですでにご存じかも知れませんが、私は京都精華大学でDTPの授業を担当していまして、その講義で9月から電子書籍を扱うことになっており、pdfやePub形式での電子書籍についていろいろ勉強しているところなのです。

『ザ セカンドドア』

こちらの『ザ セカンドドア』は文庫判で40ページくらいの短編。pdf形式で公開しています。

『つきがちがってはつかえない』『CSI:MARS』は10ページ未満の掌編で、ePub形式で公開しています。

電子書籍サイトにもいろいろあって面白いですね。

それでは皆様、SF大会当日をお楽しみ下さい。当日私はディーラーズルームとホビーロボット・コロッセオのどちらかにいる予定です。ぜひお声をおかけ下さい。

EMOTION the Best 絶対少年 DVD-BOX / 豊永利行, 三橋加奈子, 斎藤…

EMOTION the Best 絶対少年 DVD-BOX / 豊永利行, 三橋加奈子, 斎藤千和, 斎藤恭央 (出演); 望月智充 (監督)

好きなアニメのロケハン地を見つけ出し、訪問してカメラに収める。近年、「聖地巡礼」は、欠かせぬイベントとなった。「けいおん!」の校舎のモデルとなった滋賀県豊郷小は今なお熱心なファンたちの憩いの場だ。今年(2011年)制作された作品では、「花咲くいろは」(石川県湯涌温泉)「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない」(埼玉県秩父市)など、最初から特定の地域とタイアップしてロケハンし、作品の中にその風景を取り込むことによってファンを観光に誘う例すらある。もはやアニメが地域振興に積極的に関わることは当たり前のこととなった。

「絶対少年」は、それらの系譜のほぼ先頭に位置する作品ではないかと思う。むろん、これに先行する作品もたくさんある。そもそもアニメが現実の光景を積極的に背景に取り込み始めた先駆けは、「機動警察パトレイバーthe Movie」(89年)であろう。それまでも部分的に試みた例はあった。しかし、その場面が現実のどこの風景なのかをはっきり特定できるほど克明な描写とともに全編描ききった作品は、おそらくこれが初めてではないかと思う。これは飛びぬけて早い例であり、監督である押井守の「都市としての東京を描く」という強い意思のもとに初めて実現された。

多くの作品がロケハンを取り入れるようになるのは、これよりかなり後の話だ。そのあたりの裏事情を考察するテキストとしては、昨年の「TOKON10」で寄稿された岡村天斎の「DARKER THAN BLACK 黒の契約者」論往復書簡が興味深い。

http://blog.tokon10.net/?month=201005

「現実の場所を舞台にするという手法は最近とみに多くなっていますが、その理由のひとつにデジカメの普及があります。フィルム時代は1ショット百円…そんな貧乏観念が足かせとなり、そうそう気軽に写真を撮るという行為に踏み切れなかったのです。
ロケハンに行ってもついついケチってあとあと必要になる角度を撮っていないとか…そんなことが良くありました。それが一回のロケハンで一人頭三千枚とか平気で撮れる様になったのですから…」
(前記ブログ内「1.『技術』に背中を押されて  岡村天斎」より )

 これは注目に値するだろう。デジタル時代が、現実との融合への背を押したのだ。確かに、デジタル映像ならば取り込みも加工も極めて容易だ。リアルすぎる光景がアニメのキャラクターとうまく融合しない問題もデジタルなら解決できるだろう。

 ただ、それでも最初は予算の都合もあってスタジオ近辺におそるおそるカメラを持ち出すという感じだったようだ。「絶対少年」が静岡県の函南町丹那という明らかに都市ではない場所に舞台を持ち出すという手法がいかに画期的であったかわかっていただけると思う。

 設定・美術面での「絶対少年」の先駆性とは何か。それはおそらくほぼ初めて「聖地巡礼」が実施されたアニメであろうということだ。作品中で舞台がどこであるかはまったく触れられていない。丹那は田菜という名前に変えられている。それでも熱心なファンというのはすごいもので、ロケハン場所を探り出し、じっさいにその地を訪れ、写真を撮ってきてネット上で報告してしまう。放映当時、複数の「聖地巡礼」サイトが立ち上がったが、ここではそのうち一例だけ挙げておく。

http://ryubun.net/2005/10/10/262/

 脚本を担当した伊藤和典が現在伊豆に居を構え、地方から世界を見つめる視点に長けていたということはあるだろう。だがそれ以上に極めて謎めいた「ファーストコンタクトSF」というべき内容が魅力的だった。機械のようであり生物のようでもある。少年少女たちがこの作品の中で出会った存在はいったい何なのか。宇宙人とも異次元生物とも分からない。まったく理解の範疇を超えた異質な存在に出会ったとき私たちはどのようにふるまうのか。本当によく分からないものを表現するために、認知論や脳科学までが動員される。その描写はレム的ですらある。

 ここで緻密なロケハンが生きてくる。前半は静岡県田菜(丹那)、後半は横浜。リアルな現実に根ざした舞台の中に「よく分からない」ものが置かれることによって、絵空事ではない、リアルなファーストコンタクトが再現される。

 登場人物たちが出会い「マテリアルフェアリー」と名づけた存在の正体は何か。視聴者がそれぞれに回答を探していかなければならない。そのことから「とことん調べつくさずにいられない」熱心なファンがついた。「聖地巡礼」もその系譜にあるものだろう。
 ごく早い時期のNHK衛星放送ということもあって、残念ながら知らないままの人も多いだろう。今回のSF大会をぜひとも再評価の機会としたい。幸いにも、大会の直後にDVD-BOXが発売される。

 今回の大会では、望月智充監督と脚本の伊藤和典氏をお招きして、4日午前11時半から「絶対少年再考」パネルを開催する。参加予定の方はぜひおいでいただきたい。

http://sf50.sakura.ne.jp/timetable/timetable.cgi

(高槻 真樹)

JASRACに楽曲申請。
映像系で色々聞かれたけど、権利者によるプロモーション活動で押し切った。

消防署に防火計画申請。

イベント保険の契約。
いつもの代理店でいつものように。

機材業者打合せ。
いつもの業者と打合せ。

会場臨時電話申請。
インターネット回線も、区分では「電話」になる。

※この原稿は岡和田晃の単著『「世界内戦」とわずかな希望――伊藤計劃・SF・現代文学』(アトリエサード/書苑新社、2013年11月発売予定)に加筆のうえ収録されたため、削除させていただきました。

『新世紀エヴァンゲリオン』(原作:GAINAX 監督:庵野秀明)
――異界としての静岡――

『新世紀エヴァンゲリオン』(1995-1996)の舞台が、芦ノ湖畔の第3新東京市であることは、よく知られている。最近でも箱根町に、ローソン第3新東京市店がオープンして話題になった。そして芦ノ湖畔が舞台に選ばれたのが、使徒と呼ばれる奇妙な姿をした敵がそこに向かってやってくるからだという設定も、周知の事実である。さらに言えば、この駿河湾から富士山の方向に向かって「敵」が進撃するという設定が、円谷プロの怪獣たちの進撃ルートであることもSFファンならすでに気づかれていることだろう。しかしなぜ使徒や怪獣たちは、駿河湾から富士山に向かって進撃し、その途中の富士の裾野でウルトラマンやエヴァンゲリオンたちと戦うことになるのだろうか。恐らくそれは、関東の住民にとって、静岡という地域が伝統的に「異界」だったからではないかと思われる。

なぜ富士山麓が、怪獣の跋扈する場所になったのか。その直接的な理由は、やはり「富士講」に求められるように思われる。富士講というのは文化・文政期(1804-30)に、江戸で流行り始めた宗教的な集まりのことである。この講は、普段は、富士塚という小さな山を作ってそれに登ることで富士山に登ったことにするといったことをしていたが、富士山から行者が来たときには、代表者を選んで行者と一緒に、実際の富士に登らせたりもしていた。富士講において富士山とは、あの世の世界であり、六道輪廻、つまり救われない魂の世界だった。そしてその死後の世界を苦労して経巡ることは、救われない魂の労苦を肩代わりすることになると考えられていた。例えば重い荷物を背負って富士に登ることは、馬や牛など畜生道におちた人間の苦労を肩代わりすることになり、登山の途中でのどが渇いたり、お腹がすいたりすることは、餓鬼(常に飢えていて何か食べていなければ落ち着かない妖怪)に生まれ変わったものの飢えや渇きを癒すことになるとされていたのである。さらに富士山という死の世界から帰ってきた人間は、一度死んで生まれ変わったもの、言い換えれば、穢れない新しい命を得たものともみなされていた(擬死再生)。こうした特殊な信仰が生まれた背景を、五来重は、古来、富士山は葬送の地とされており、風穴と呼ばれる穴に死体を入れて風葬していたからだろうと述べているが、このような富士山を死後の世界、魑魅魍魎の跋扈する世界とみなす考え方を念頭に置かない限り、なぜ富士山をバックに怪獣が暴れるのかは理解できないはずである。

富士山と怪獣とのつながりで言えば、ダイダラボッチにも触れておかなければならない。ダイダラボッチとは、主に関東から中部地方に伝わっていた巨人伝説で、関東地方の沼地(相模原市大沼・八王子市池の窪など)には、ダイダラボッチが富士山を背負おうとして踏ん張った足跡だという逸話が残っている。また「奇談一笑」や『静岡県伝説昔話集』には、琵琶湖はダイダラボッチが掘った穴であり、その捨土が富士山だという途方もないスケールの話も残されている。こうした地形を変えてしまうほど巨大な神のイメージが、先に述べた魑魅魍魎のイメージと結びつくことで、円谷プロの怪獣たちになっていったのである。ちなみに宮崎駿は『もののけ姫』の中で、ダイダラボッチを半透明化したゴジラのように描いているが、これも宮崎が、ゴジラのイメージの原型が、ダイダラボッチであることに気づいていたからだろう。

こうした静岡が――より正確に言えば、箱根の関から向こうが――異界だというイメージは、江戸に幕府が開かれたことによって、さらに強化されることになったようだ。特に家康が、秀忠に家督を譲ったにもかかわらず、隠居先の駿府で実権を握っていたことは、いわば二重政権の状態を作り出すことになり、生まれたばかりの政権の基盤を危ういものにしていた。『甲賀忍法帖』(1958-59)に出てくる竹千代(徳川家光)と国千代(徳川忠長)との跡目争いも、もとを質せば、二重政権の構造から生まれた問題だった。もっとも家康死後、駿府政権は後ろ盾を失い衰退していき、新たに駿府にやってきた徳川忠長も家臣を手討ちにしたという理由で、甲府に蟄居になる。こうして江戸を中心とした政権がようやく確立し、太平の世が訪れるのだが、それでも江戸幕府にとって駿府は油断のならない土地だと思われていたようだ。というのも、家康の整備した当時の駿府の城下町は、幕府のある江戸とほぼ同じ規模の町だったからである。いつ駿府で決起が起こって攻め込まれるか分からない。そのためには江戸と駿府の往来を厳格に監視し、規制する必要がある。箱根の関で「入鉄砲出女」のような人見改めが行われ、江戸城下に暗君・徳川忠長の悪行の風説が流れたのも、関東の住民を西に行かせまいとする幕府側の方便であると考えると分かりやすい。徳川忠長の悪行というのは、忠長が家臣を手討ちにしたという事実を膨らませて、駿河浅間社の神獣であった野猿を徹底的に斬殺したり、江戸に来て辻斬りをしているといった噂のことである。南條範夫の『駿河城御前試合』(1964)は、家光が江戸城で、武道の達人たちを対決させたのに対抗して、忠長が駿府城で真剣の対決をさせたという話だが、恐らくそれに類した噂もあったのではないか。こうした噂は、明らかに、箱根の関から向こうは、人の法の及ばぬところ、何が起こっても不思議ではない恐ろしいところという印象を植え付けようとしている。

一方、寛永年間(1624年-45年)から150年後の文化・文政期になると、箱根の関を超えてあえて異界に行ってみたいという機運が高まることになる。先に述べた富士講の富士行人はその一例だし、『東海道中膝栗毛』や各地の名所図会が出版され、旅情が誘われたのもこの時期である。こうした江戸庶民の感情が、人の道理の通らない危険なところ、しかしだからこそあえて行ってみたい所という静岡像を定着させたのである。そしてこの地域的オリエンタリズムともいうべき視点こそ、SFやサブカルチャーに出てくる「静岡」を理解するための重要な視点なのである。例えば、しりあがり寿は『膝栗毛』に着想を得た『弥次喜多in Deep』(2000-2003)の中で、箱根から向こうは人の道理の通らないところという設定を利用しながら、弥次さん喜多さんを精神の迷路に迷い込ませ、人間のアイデンティティーを探る旅へと向かわせている。これなども、道理の通らない異界という先入見を内面に折り返すことで、うまく利用した秀逸な例と言えよう。もちろん先に述べた富士山をバックにして暴れる怪獣というイメージも、そうした静岡の異界性を強調したものとみなせるはずである。

最後にもう一度『エヴァンゲリオン』の話に戻りたい。『エヴァ』の使徒が、ウルトラマンなどに出てくる怪獣をモデルにしたものであることはすでに述べたが、使徒と怪獣とでは大きな違いがある。それはウルトラマンに出てくる「怪獣」が、生物の姿をきちんと残して現れるのに対して、エヴァの「使徒」は、ほとんど抽象的で幾何学的な図形として登場するところである(もちろん例外はあるが)。これは何を意味しているのだろうか。

『新世紀エヴァンゲリオン』を監督した庵野秀明は、エヴァを作った当時、すでにスーパーロボット・アニメは時代遅れだという旨の発言をしていたように思う。この発言がどういう文脈でなされたのか、すでに忘れてしまったが、その意識は、「抽象化された怪獣」の表現にも現れている。ある意味、ウルトラマンが怪獣をやっつける――この場合は、マジンガーZが機械獣を倒す例の方が適切かもしれないが――物語構造は、端的に言って、近代の科学的・合理的思想が、土俗的な迷妄を打ち破るという啓蒙主義的な発想のうえに成り立っている。しかしこの物語構造が成立するには、その前提として土俗的な迷妄の世界が、リアルな形で存在していなければならない。そうした観点から見たとき、庵野による「怪獣の抽象化」は、土俗的な精神世界が消えつつあることの象徴のように見えるし、「スーパーロボット・アニメは時代遅れ」という発言は、近代科学が打ち破るべき迷妄(敵)を失ったことを意味しているようにもみえる。さらに言えば、迷妄が解かれてしまった現代社会の中で、人々の科学に対する関心は、フィクションという媒介を通さず直接、科学的知見を獲得することに向かっている。昨今の数学ブームなどはまさにそれだろう。

啓蒙主義的な作品構造が成立しなくなり、科学的な関心が直接、科学的な知見を求めることへと向かう中で、あえてフィクションという要素を媒介させる積極的で説得的な意義が、今のSFには問われている。SFに現れた「静岡」を考えることは、そうした意義を考える格好のモデル・ケースとなるように思うのだが、どうだろうか。(関竜司)

(参考文献)
五来重『山の宗教』、角川ソフィア文庫、2008年
宮田登「諸国の富士と巨人伝説」、『正月とハレの日の民俗学』、大和書房、1997年
柳田國男「ダイダラ坊の足跡」、『定本柳田國男全集』第五巻、筑摩書房、1962年
『静岡県史』(通史編3近世一)、静岡県、1996年

実行委員長の池田です。

大会まであと一週間になりました。
大阪では最後の発起人会議が、東京では最後の企画会議が開催されました。
最終送付物は8月20日に一括発送し、26日に追加発送しました。
名札等の届いていない方は、当日受付でお申し出ください。

あと一週間♪

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しらなかったよ
ずいぶん沢山あったんだね 静岡SF
おお この作品も静岡SFだぁ! って
かいた様子はこっちで読んでね → http://prologuewave.com/archives/931#extended
えらばれなかった作品さんたち
すみません これからかもです
えすえふ大会まで、あと一週間ですから!
ふいに明日から毎日アップになるのです
たいかいに向けて
いよく満々の我々です
ぜひ ひきつづき カーテ
んコールまで ご愛読下さいませ!!
(SF評論賞チーム)

日本沈没 上 (小学館文庫 こ 11-1) [文庫] / 小松 左京 (著); 小学館 (刊)
日本沈没 下 (小学館文庫 こ 11-2) [文庫] / 小松 左京 (著); 小学館 (刊)

小松左京は懐かしい。その懐かしさは、小松が故人となった現在、さらに増しているかのようだ。小松という存在、そして彼の人生の軌跡は、戦後日本の、とりわけ昭和という時代の象徴として、ふるさとのように懐かしい。私の世代にとって、昭和40年代(1965~1974年)という時間が、私たちのふるさとの役割を果たした。それは東京オリンピックから、大阪万博を挟んで、オイルショックへと至る時間帯だ。その10年という歳月において、戦後日本の切れば必ず血の出る「大きな物語」は生きられた。

ここでいう「大きな物語」は、フランスの哲学者リオタールが語ったマルクス主義のようなイデオロギーを必ずしも意味しない。エコノミストの水野和夫が言うところの国民経済の成長物語を指して、「大きな物語」という言葉を使っている。資本と国家と国民という三位一体の関係が成立し、経済発展することが、三者それぞれの利益となる、言い換えれば進歩の先に幸福があると信じられていたモダニズムの夢を「大きな物語」と呼んでいる。小松左京という作家は、「大きな物語」の時代の刻印を受けた作家だった。

戦後の廃墟というゼロ地点から、「復活の日」を信じて、おのが実存を壮大なプロジェクトに投企するという、青年のビルドゥングス・ロマンが小松文学の真骨頂である。それは1970年代前半までは成立したのである。日本はまだまだ若かった。平成の成熟社会日本とは状況が違ったのである。世界経済にとって1974年前後が重大な転換点だったと、水野和夫は語る(『超マクロ展望 世界経済の真実』『金融大崩壊』その他)。水野によれば、1974年は「実物経済」から「金融経済」への移行期の始まりである。

鉄鋼産業のような「実物経済」発展時代は、日本人のアナログなビルドゥングス・ロマンの時代だったと言っていい。それは青年的労働の時代でもある。石油などの原料を海外から輸入し、国内の製造技術をフルに活用して、国際競争に勝てる商品に仕立て上げ輸出し、外貨を獲得し富を国内に蓄積する。その過程においては、製造に携わる様々なエンジニアや労働者の育成が欠かせない。個人の成長が国全体の成長につながるという、晴れやかな成長神話が生き生きと息づいていたのである。

経済高度成長時代は、個人の努力と勝利の達成が全体の成功へと一直線にむすびつくスポ根ものの全盛期でもあった。東京オリンピックもメキシコオリンピックもそしてその先にあった大阪万博も、右肩上がりに坂を駆け登る成長物語の輝ける挿話としてあった。科学技術を開発し未来を切り開くこと。ウルトラCや回転レシーブのようなテクニックを磨きあげ、輝かしい勝利をつかみ取ること。サイエンスとスポーツの両分野で、小松左京と梶原一騎は、それぞれ、坂の上の雲を見上げながら、上昇を実現する物語を語り続けた。それが昭和40年代という舞台であった。小松は昭和6年生まれ。梶原は昭和11年生まれ。ともに私の父の世代に当たる。彼らは私の世代のために、雲へとつながる「坂」を用意してくれた(その舞台の背後には先進国による後進国の搾取というからくりがあったにせよ)。そしてまたこの時代は、バブル期の消費社会とは違って、消費を我慢して将来のために節約し、貿易黒字をため込むことが国是の時代でもあったので、かろうじて精神性に価値が認められる物語がリアリティを持っていた。星飛雄馬も矢吹丈も伊達直人も、田所博士も渡老人も小野寺俊夫も精神性の高いキャラクターとして造形されていた。そして昭和49年に昭和なるもの、すなわち小松左京的世界像は終焉を迎える(昭和50年から64年までは、プレ平成というべきものだ)。

1974年、世界の経済構造は一変する。この年、先進国の「実物経済」は頭打ちになる。またG7の国では、人口維持に欠かせない出生率2.1が、73~75年の時期にいっせいに下回る。それから経済成長にとって大事なのは世帯数および世帯数の増加に伴う都市化だが、日本では73~74年に都市化が終わっていることが明らかになっている。さらにつけ加えると世界の長期金利(利潤率の観測可能な代わりの数値)は、74年をピークとしてやはりいっせいに下がり始めるのだ。「実物経済」から「金融経済」へとシフトせざるを得ない条件が、この時期にせきを切ったように露出し始める。

「金融経済」への移行を後押ししたのは、経済史上の一大事件だと経済学者の誰もが口をそろえて言う「ニクソン・ショック=ブレトンウッズ体制の崩壊」(1971年)である。金とドルとの交換制度が停止され、変動相場制への移行が2008年のリーマン・ショックへの流れを作った。ブレトンウッズ体制というのは、通貨は管理されるべきものであるという認識に基づいた「管理通貨体制」であったが、それが崩れ落ちることによって、資本が世界中をアナーキーに駆け巡るという現象が生じるようになった。資本・国家・国民のつながりは断ち切られ、資本家や株主が国民国家を凌駕するようになる。国民国家経済は国際資本の前に敗北する(水野和夫はそれを「国家と資本が離婚する」というふうに表現する)。それはSFの世界でたとえるなら、小松左京の国民国家SF(大きな物語)がサイバーパンクSF(インターネット空間のアナーキズム)にそのヘゲモニーを譲り渡す姿に似ている。

金融経済とサイバーパンクのアナロジーは、次のような金融経済史上の事実からも見て取ることができる。アメリカのアポロ計画は1972年に打ち切られるが、その時失業したロケット工学のエリートたちが、こぞってウォール街に参入して金融工学に手を染めるようになる。この時期は変動相場制への移行によって、通貨先物市場が開設されてもいるので、彼らの能力が金融界も大いに必要としたのである。金融技術の発達には複雑な計算を可能にするコンピューターの存在が不可欠であるが、その技術を駆使することによって、彼らは日本の金融界には真似することのできない新しいスタイルを生み出した。じっさい金融ビッグバン(1996年)以降の日本の投資機関は、外国から有能な人材を引き抜くしかなかった。またインターネット空間を利用することで、実物経済の市場が飽和してしまったことによる損失を埋め合わせることが可能となった。インターネット空間を金融空間として扱うことによって、金融経済による利潤の極大化を目指すようになったのだ。国際資本の完全移動性が実現した1995年からリーマン・ショックの2008年までの13年間で、欧米主導の金融空間は100兆ドル(1京円―2009年春時点)もの金融資産を作り出してみせた。日本が戦後60年をかけて築いた金融資産が1500兆円だったことと比べると、その額がいかに途方もないものであるかがわかるであろう。

こうした時代の流れは、「長期金融」から「短期金融」への転換という流れに如実に反映されている。1952年に吉田茂内閣によって、重厚長大産業をじっくり時間をかけて育成する目的で設立された日本長期信用銀行は、1998年に破綻し、アメリカのファンドに買い取られた。「護送船団方式」と揶揄され、批判されることの多かった日本の金融システムは、大企業には都市銀行、中小企業には信用金庫、鉄鋼などの基幹産業には政府系の日本長期信用銀行がつくというふうにきめ細かく整備が整い、短期的利益が見えにくい産業を保護育成する意志を保持していた。株もアナログ時代は、この企業を育てようという意図のもと、じっと長く持っているものであったが、株券が電子化される時代にあっては、アメリカの株主は3日以上同じ株を持たない。インターネット技術に飲み込まれた株式市場では、デイ・トレーダーたちが秒単位で株を売買する。このようなサイバーパンク的ともいえる時代の趨勢が、小松左京的世界像に対して、圧倒的に不利に働くのは言うまでもない。小松SFとは、国民国家プロジェクトを感動的に描く「実物経済」時代の「大きな物語」であるからだ。NHKの人気番組「プロジェクトX」のようなものだ。あの番組もまた金融経済戦争に敗北した時代に、かつての「実物経済時代」を懐かしむ日本人にとって、時代劇=大きな物語の役割を果たしたと言える。

こうした歴史的文脈においてみると、『日本沈没』が「大きな物語」が終息する1973年に発表されたことの意味は深い。軽薄短小SFの時代に背を向けて、重厚長大SFに殉じるアナログな男の美学を読み取れるからだ。ヴァーチャルリアリティの中でしか成立しないような小さな物語へとなし崩し的に変質しつつある日本の大きな物語を、いったんは沈没させ=抹殺し、もう一度大きな物語を復活させようと試みる反時代的な「父」の不器用な生きざまにこみあげてくる愛おしさを抑えることなどできはしない。であるがゆえに、富士山の大爆発などという大時代的なけれんに対し、息子は一片の疑いも抱かずに同調する。

『日本沈没』は、伊豆沖で沈んだ島の挿話に始まり、3月12日の富士山の大噴火をクライマックスとして終わる。主な舞台が静岡を選んでいるのは、偶然にもそこに「糸魚川静岡構造線」が走っているからだ。東日本と西日本を分かつユーラシアプレートと北米プレートの境界線が「糸魚川静岡構造線」なのである。「本州を西と東にわける関東山脈の下の富士火山帯は、今や一斉に燃え上がり……」と作品中では描かれているが、ここでは日本という風土のみならず、それ以上に昭和という時代そのものが燃え上がっているようだ。火を噴く富士山というアイコンは、昭和の終焉にふさわしい。

それにしても「富士山」は、「桜」同様、「日本」なるものを鮮やかに象徴してやまない(平成ふうに「JAPAN」と表記してはならない。あくまでも昭和的に「日本」である)。この山が日本列島のほぼ中心点に位置していることは、とても偶然とは思えない。かつては霊峰と呼ばれ、修験者の信仰対象であったこの山が、「日本」なるものの象徴として日本列島のど真ん中に位置するのは必然だったのだ。そして静岡もまた、日本列島のど真ん中に位置している。東日本と西日本の境界にあたるのが静岡なのである。再び繰り返せば、「糸魚川静岡構造線」を境にして、東日本と西日本はまるで地質構造が異なるのである。静岡を中心に真っ二つに裂かれるイメージが、田所博士が幻視し、的中させた日本=昭和の破局=再生なのである。小野寺と玲子のラブシーンにおける天城山の噴火など、静岡は『日本沈没』において、特権的な場所であり続ける。「一頭の竜」という美しいイメージを小松によって託された日本にとって、静岡は竜の腹部に当たる。引き裂かれる竜という劇的な竜の死のメイン・ステージとして静岡は、『日本沈没』の読者に対して崇高な輝きを持ち続けるだろう。

ところで、もし小松左京が一世代(30年)遅れて生まれていたらと、つい想像してしまう。平成のSFは異なる姿を見せていたのではなかったかと。『超マクロ展望』において、水野和夫と萱野稔人は、21世紀の経済戦略として、暴走する国際資本への規制としての「トービン税」の可能性や、温暖化に対する環境規制による市場の創出などのアイデアを出している。小松なら現実的条件から出発するSF的想像力を、水野や萱野のように行使したのではないか。彼らのいう「超マクロ展望」とは、従来の「マクロ経済学」の枠組みでは解決できない現象への試みとしてある。それはSFの試みと同義である。「超マクロ展望」とは、SFの視線と等しく、なかんずく小松左京的俯瞰する視線の運動は「超マクロ展望」の知性のことだ。水野と萱野の試みにSFは嫉妬せざるを得ない。けれども、このようなところに小松のDNAが息づいていることを知り、小松の子供はほっとし、一筋の希望の光を認めないわけにはいかない。(石和義之)

(コミック、2004年~2008年まで連載、全15巻、講談社ヤンマガKC、別巻『赤灯えれじい 東京物語』(2009年)。また、プラチナコミック版(コンビニコミック)として再発中(2011年6月~))


赤灯えれじい(1) (ヤングマガジンコミックス)


 「ボンクラ!」「ボケ!」「死ね!」「チンカス!」

 きらたかしのコミック『赤灯えれじい』(全15巻、講談社ヤンマガKC)の頁を繰った読者がまず目にするのは、夜勤者として交通誘導業務を行なうガードマンである主人公が、いかにもガラの悪そうなトラックの運転手や、苛立つタクシードライバーから投げつけられる種々の罵倒である。

 主人公サトシは「高校を卒業して1年プータロー生活」を余儀なくされているフリーターだ。生活費を稼ぐため連日出かける警備の夜勤アルバイトは決して楽なものではない。朝日が差し込む頃に帰宅して仮眠を取り、しばらく経つとまた夜勤業務が始まる。ガードマンのアルバイトに学歴制限も年齢制限もあってないようなものだが、そのぶん薄給で重労働(会社はサトシを「隊長」に任じても昇給はさせない)、ゆえに生活に余裕など生まれそうにない。特に冬場は体力的にきつく、「ももひきを二枚重ね着」してもなお凍えるほどの骨身に沁みる寒さのなか、労働者は一晩中の立哨を余儀なくされる。

 こうしたガードマンの現場におけるリアリティが、『赤灯えれじい』では極めて綿密に描出されている(*1)。とはいえ、『赤灯えれじい』はガードマンの「日常」を描くことそのものを主題とした作品ではない。ここで描き出される日常は、ある志向性を明確に帯びている。それは、社会人として一歩ずつ成長しようと、がむしゃらにもがくサトシの姿からも明らかだ。

 『赤灯えれじい』の語り口(ナラティヴ)の大部分はサトシの視点からのものである(ただし、サトシがいないシーンではもう一人の主人公・チーコの視点が往々にして採用される)。「ヘタレ」で「童貞」のサトシが、いかにして泥沼の日常に光明を見出し、暇な現場を割り当てられたガードマンが余儀なくされるような「時間潰し」の感覚から脱していくのか。そしてサトシは自らの実存を、いったい何に「投企」(サルトル)すべきと判断するのか。

 『赤灯えれじい』においては、金髪でガラが悪く、でも美しい「元ヤンキー」の20歳・チーコに惚れてしまったことが、劇的な変化のきっかけとして提示される。ただし誤解を恐れず言えば、『赤灯えれじい』は「同棲漫画」ではあっても「恋愛漫画」ではない。甘酸っぱい恋愛を主軸とするにしては、二人はあまりにも早く相思相愛となり、あまりにも早く、精神的にも肉体的にも結ばれてしまう。傍目には「釣り合わない」と言われ続けるサトシとチーコだが、チーコは早くから(それこそ単行本の1〜2巻時点で)サトシの篤実な人柄を見抜いており、12巻で告白される過ちをふまえてもなお、サトシを裏切ることはない。

 『赤灯えれじい』で恋愛成就のジレンマに代わって描かれるのは、サトシの緩やかな成長の過程だ。二人は互いに、貪るようなセックスを繰り返す。ともすると、そうした無軌道に互いを貪る行為こそが「若さ」なのかもしれないが、そこにはプラトンが『饗宴』で描き出したような、失われた半身を求めるがごとき執着が確実にある(現に、破局の危機が何度訪れようとも、あるいはいかなる誘因があろうとも、サトシは決してチーコを裏切らない)。そして十年一日の如き泥沼から、チーコとともに暮らす日常はひとつの目標を持った長い道程へと形を変え、物語の結末において、それまで「弟」のようにチーコへ依存していたサトシは、文字通りチーコを「背負う」存在としてまで成長を遂げたことが示される。

 15巻に及ぶ単行本の頁を繰り終えた者が何よりも印象づけられるのは、3年にわたるサトシとチーコの生活が描写の極め細やか、特に同棲生活をめぐる逸話の秀逸さだろう。トイレを使った後、(臭いを気にして)「待って 15分」と言うところから、ワンルームに二人という狭い環境にいるせいで配線コードに足をひっかけてしまうところまで、具体例を持ち出すと暇がない。「神は細部に宿る」という言葉を体現するかのようなその眼差しと筆遣いは、近代日本文学の作法を継承した現代小説の多数よりも、若者が強いられている現実を説得的に切り取ることに成功している。そこでは彼らの生活が「物語」の類型で処理されることを、巧妙に避ける戦略がある。

 マルクス主義の方法論でコミック批評を手がける紙屋高雪は、ベストセラー『電車男』と対比させながら「潰れかかった零細な町工場」であるチーコの実家にヤクザが押しかける様子を一例とすることで、『赤灯えれじい』における登場人物の家庭環境の描かれ方に目を向ける。紙屋は「この二人のフリーターの恋は、とてもリアルな貧困のなかで育まれる」と述べているが(*2)、何よりもこの、「貧困」からまったく目を背けないという点において、『赤灯えれじい』の表現は、とりわけ2000年代に猖獗を極めた「まんが・アニメ的リアリズム」(大塚英志)とはまったく異なる表現の可能性を切り拓くことに成功している。

 しかし読み違えてはならないのは、『赤灯えれじい』の方法論が、貧困を極端に戯画化することで、それをひとつのイデオロギーに仕立て上げる行為を注意深く避けていることだ。『赤灯えれじい』で描かれる貧困がリアルなのは、それが日常生活へ完全に浸透しているからにほかならない。『赤灯えれじい』の登場人物は、皆、完全に貧困へ慣らされてしまっている。その意味で、『赤灯えれじい』の方法論は、イデオロギーを鼓舞する読まれ方が往々にしてなされる『蟹工船』よりもむしろ、貧困が人々を統御するシステムとして、完全に浸透した社会を戯画の枠を越えて描き出すトマス・ディッシュの『334』に照応を見せるだろう(*3)。

 さて、サトシとチーコの「その後」を描いた別巻『赤灯えれじい 東京物語』は、本編に続く「真の結末」が描かれている。その内容はご自身の目で確認いただくとして、そのほかにも、同書の末尾には、ちばてつや賞を受賞し、その後『赤灯えれじい』が連載される契機となった読み切り版が収められている(*4)。この読み切り版において、貧困をめぐる表現はいっそう苛烈なものとなっている。だがその苛烈さは、一方において、極めて禁欲的な表現でもある。詳しく見ていこう。

 読み切り版において「親の借金を毎月8万円ずつ返している」2歳年上のチーコと同棲生活を送っているサトシ(「もうじき21歳」)は、「そろそろ男としてケジメつけないかん そのためにもまずは就職」と、会社の面接の前日にもかかわらず夜勤に入るような境遇であり、ルート配送ドライバーの仕事をしているチーコとは生活時間帯が異なるため、日々、すれ違いの生活を送っている。

 しかしサトシが面接予定だった「健康器具販売会社」はいきなり倒産し、サトシが今の生活から抜け出すメドは立ち消えてしまう……。こうした読み切り版の設定および描写は、後の連載版よりもいっそうえげつない。特にチーコの実家の工場の泥臭さは、掲載媒体が「ヤングマガジン」ではなく「ガロ」でもおかしくないのではないかと早合点したくなるくらいだ(*5)。そして、サトシとチーコの二人は、連載版よりもはるかに大人びた描かれ方をしている。おそらく読者は読み切り版のサトシとチーコの年齢が、あと10〜20歳上だったとしても、この光景をリアルなものとして受け入れることができるだろう。こうした貧困をめぐるリアリティの担保があるからこそ、読み切り版のラストは読み手に静かな感動を呼ぶ。残念ながら彼らは、とうぶん現在の境遇から抜け出せそうにない。にもかかわらず、彼らは互い罵り合い、殴り合い、そのことで、知らず、互いに支え合っていることに気づくのだ。

 『赤灯えれじい』の全巻を読み終えた読者であれば例外なく、2000頁に及ぶ『赤灯えれじい』のエッセンスが、この読み切り版に凝縮されていたことを感じ取るだろう。逆の言い方をすれば、連載版『赤灯えれじい』は、読み切り版に込められた主題を、さらに拡大して描き直したものにほかならない。そして、きらたかしはサトシとチーコの日常を描き直すことで、彼らにとっての出口を模索したのだ。

 連載版『赤灯えれじい』は大阪東部を舞台にしているが、物語の転機においては、バイクを通した「旅」のモチーフが登場する。その「旅」の模様が最初にダイレクトに描かれるのが、サトシの20歳の誕生日を前にして、二人が1週間仕事を休んで行なった「原チャリ」での旅である(4巻)。

 夜はラブホテルや健康ランドを泊まり歩き、昼は海水浴場で楽しいひとときを過ごす彼らだったが、飛び出してきたダンプカーにサトシが轢かれそうになり、怒ったチーコがガラの悪い運転手に頭突きを食らわし喧嘩になった挙句、「事務所」からの応援を振りきって逃げ出した結果、原チャリが「ガス欠」となり、夜の山中を徒歩で行軍することとなる。この際、二人は初めて互いの心中を吐露し合い、互いの真情を垣間見る。むろん、そこに思弁性はまったく介在しない。彼らは世界を歩く生活者であって、哲学者ではなく、それゆえ世界を外部から眺めることがないからだ。二人が告白するのは欠落を埋めるための、孤独感の表明にすぎない。しかし孤独感を共有した結果として、彼らは「一緒に住もう」と、互いを支え合うことを決意する。二人はひしと抱き合ったまま朝を迎えるが、ここで、二人を祝福するがごとき装いで現れるのが、ほかならぬ富士山なのである。

 富士山を眼にしたチーコはゲラゲラと笑い転げ、「すごいなあ〜」とサトシは感嘆する。そうして二人は富士山に感銘を受け、金剛杖を片手に頂上まで踏破することになるのだが、この場面は、太宰治が富士山を評して述べた「人は、完全のたのもしさに接すると、まづ、だらしなくげらげら笑ふものらしい。全身のネヂが、他愛なくゆるんで、之はをかしな言ひかたであるが、帯紐(おびひも)といて笑ふといつたやうな感じである。諸君が、もし恋人と逢つて、逢つたとたんに、恋人がげらげら笑ひ出したら、慶祝である。必ず、恋人の非礼をとがめてはならぬ。恋人は、君に逢つて、君の完全のたのもしさを、全身に浴びてゐるのだ。」(富嶽百景)という一節を想起させる(*6)。

 太宰の短編小説「富嶽百景」が、山梨県側から見た「裏富士」であることを鑑みると、(『赤色エレジー』の影響色濃い)『赤灯えれじい』で描かれる富士山という形象は、生活破綻者であった太宰が一縷の希望とアイロニーをない交ぜにして書き付けた記述とある段階まで一致しながらも、最終的には中心を挟んで正反対に置かれるべきものだろう。しかし守口、あるいは徳庵といった東大阪を主とした舞台とした『赤灯えれじい』が「静岡」とダイレクトに交錯する点はやはり、この富士山という形象の機能性にほかならない。

 作中において富士山が再度登場するのは、旅行先の淡路島で思い切ってプロポーズをしたサトシが、「結婚て…考えたこともないから…」とやんわりとチーコに断られてしまい、そのショックから不能になってしまった直後、チーコが長距離ドライバーの運転手になる夢の実現の第一歩として、先輩ドライバーの手伝いをした際のことである(9巻)。

 『赤灯えれじい 東京物語』に収録されたチーコの中学生時代を描いた短篇「いもうと」において「どっか行きたい…遠いとこ…」と語られるが、『赤灯えれじい』におけるチーコの決断は、「旅」を経て己を見つめ直すことが重要な下準備となっている。むろん、チーコは太宰のような屈折した自意識はないし、思弁へ過剰に淫することもない。しかし、明確な言語化は伴わずとも、彼女は「旅」を通して自らを見つめ直し、そのことで一歩一歩、生活者として成熟していく。

 「結婚」のモチーフと「旅」のモチーフは、『赤灯えれじい』のクライマックスを描いた14巻と15巻での新潟旅行、そして『赤灯えれじい 東京物語』でひとつのピークに達するのだが、二度目の富士山は——「楽しい同棲生活」が停滞期に入り、やがて疑心暗鬼から破局に至る悲劇を、彼らが回避するだろうという——予兆として、重要な役割を果たしている。

 「富嶽百景」のクライマックスにおいて、「冬の外套着た、タイピストでもあらうか、若い知的の娘さんがふたり」語り手のもとにやってきて、「相すみません。シャッタア切つて下さいな。」との依頼を行なう場面がある。語り手は「ふたりの姿をレンズから追放して、ただ富士山だけを、レンズ一ぱいにキャッチして」その偉容を撮影するのであるが、ここで語り手が「富士山、さやうなら、お世話になりました。パチリ。」とその偉容を収めることで、寂寥とともに日々の生活へ帰ることが予告される。この「富嶽百景」における富士山の機能は、「往きて還りし物語」(トールキン)という物語構造が、『赤灯えれじい』へ見事に引き継がれていると見ることもできるだろう。言い換えれば、『赤灯えれじい』は「静岡」の象徴である富士山と出逢うことによって、作中へ出口という名の「外部」を導き出すことに成功したのである。

 そして『赤灯えれじい』というテクストは、労働と相互依存を経ながら何気ない日常を必死に生き抜く現実こそが、ひとつのセンス・オヴ・ワンダーだということを突きつけた。巽孝之は、それまで「サイエンス・フィクションを読む」行為に収斂されたSF批評の原理を、「八〇年代に〈未来〉という隠喩がはぎとられ、文字どおり〈現在〉小説としてのサイエンス・フィクションが暴露」されたという「言説空間の変容を前提とし、むしろ「読むことのサイエンス・フィクション」という形でSFの定義の原理的な更新をはかった(「サイエンス」と「フィクション」の世紀末)(*7)が、一方の『赤灯えれじい』が、作者であるきらたかし自身「時代設定は現代に合わせてるし、(物語の中に)ふつうに携帯なども登場するんですが、読んでいると現代よりももっと前、バブルよりももっと前くらいに感じられてしまうんです。」と述べているように、ともすればそのリアリズムは過剰なまでに八〇年代的だ。しかし私たちはサイバーパンクを「現在」と読んできたことと同じように、『赤灯えれじい』のリアリズムをも、「現在」を描いた「読むことのサイエンス・フィクション」として理解する必要があるのではないだろうか。

 言い換えれば、今までSFが見て見ぬふりをしてきた類のリアリズムが『赤灯えれじい』では提示されているのだ。このリアリティから目を背けず、作中にてそれを超克すること。創作にあたっても、あるいは鑑賞においても、現代SFに不可欠なのはおそらくかような視点であり、それがなければ、トマス・ディッシュはもとより、新しい経済体制が重要な役目を果たす『ねじまき少女』のパオロ・バチガルピが何を描き出そうとしたのか、正しく理解することはかなわないだろう。(岡和田晃)

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【脚注】
(*1)書評家のスズキトモユによる「きらたかしインタビュー(第1回)」では、このリアリズムに作者自身の経験が投影されていることが話題となっている
http://blog.excite.co.jp/mangaword/5454536)。

(*2)「紙屋研究所」(http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/sekitou-elegy.html)を参照のこと。

(*3)『蟹工船』と『334』の対比については、拙稿「『蟹工船』の次はトマス・ディッシュの『334』を読もう(http://speculativejapan.net/?p=61)を参照のこと。

(*4)読み切り版『赤灯えれじい』については、前述したスズキトモユのサイトが参考になる(
http://mangaword.exblog.jp/5636847/)。

(*5)「ガロ」掲載にしては前衛性が不足しているとも取れるが、『赤灯えれじい』は「ガロ」に連載された林静一の『赤色エレジー』を下敷きにしており、作中には『赤色エレジー』の主人公カップルのオマージュとおぼしき人物たちも登場することからもわかるとおり、その影響は色濃く、実質的な後継作と見ることもできるだろう。

(*6)「富嶽百景」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/270_14914.html
)は現在、青空文庫で読むことができる。

(*7)巽孝之『現代SFのレトリック』(岩波書店)所収。