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(昭和61(1986)年12月25日発行・静岡出版)

 閑ヶ丘(しずがおか)はひとつの地名である。しいてその地点を求むるならば、果しなき流れの果ての縁側の南、百億の昼と千億の夜の寄せかえす台所の北西、銀河鉄道から降り立った銀色の髪の亜里沙が、蜂を追う少年と結ばれるべき床の間のはるかな東と考えられる。

 実に閑ヶ丘は、作者・杉山恵一の心象中にこのような情景をもって実在したドリームランドとしての日本静岡県である。

 そこではあらゆることが可能である。人は一瞬にして富士山の姿を別の地点に見出すこともあれば、桶田ヶ池に発生するトンボと未来を語ることもできる。

 罪や、かなしみでさえそこでは聖くきれいにかがやいている。深い虎爪山の密林や、風や影、高級住宅地、高野ヶ原南斜面に建つロココ趣味の邸宅…、それはまことにあやしくも楽しい国土である……。

 以上、宮澤賢治の『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』の広告ちらし(【新】校本宮澤賢治全集 第12巻 校異篇 10頁)をもじって書いてみた。「イーハトヴは一つの地名である」で始まる、「イーハトヴ」について論じる際によく引用される文章である。

 宮澤賢治が生前に出版した童話集は『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』ただ一冊だけである。その「序」において、彼は次のような説明をした。

 

   これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹(にじ)や月あかりからもらってきたのです。

 ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。 (【新】校本宮澤賢治全集 第12巻 本文篇 7頁)

 

 「どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです」……多分、杉山恵一も「閑ヶ丘物語」について、このように言うだろう。

  もちろん「閑ヶ丘」とイーハトヴは同じではない。それは静岡県と岩手県とが違う場所であり、また、杉山恵一と宮澤賢治とが違う人物である以上、当然のことだ。

  宮澤賢治は、幼い時から「石コ賢さ」と呼ばれるほど、岩石を愛し集めた。

  杉山恵一は昆虫を愛し集めた。特に情熱の対象となったのは、蜂である。

  そのことについて、彼は次のように語っている。

 そもそも昆虫などというものは、一般の人々にとって存在しないも同然である。そんなものに深いまなざしを注ぐ人間は、いわば見えないものを見ている人間、つまり幻に犯された人間であり、異界をさまよう不可解な人物である。――中略――  彼には、たまたま人間に生まれたからという、ただそれだけの理由で、人間一般に対して親密感を抱くことの方が不思議なことのように感じられる。

(杉山恵一『ハチの博物誌』1989年 青土社・285~6頁)

 だから、杉山恵一の書くものはSFになる。「たまたま、今、生物である」という視点で書かれた宮澤賢治の作品がSFになってしまうのと同じ理由による。

  彼等の見るものが幻ならば、現実とはすべて幻なのだ。むしろ、見えないものを見る目こそが、人間や土地の真の姿を見抜くことがある。

  1921年の日付を持つ童話「注文の多い料理店」は、「西洋近代」や「東京」の傲慢さを鋭く告発していた。

  そして、1986年に出版された『閑ヶ丘物語』は、農地解放による土地の破壊(22頁)や、原子炉のある土地を地震が襲う恐怖(99頁)を描く。

  『閑ヶ丘物語』は、我々の生きる「戦後」という時代を誠実かつ濃密に反映している。それも、作者はいわゆる「社会派」ではないので、いっそう的確なのである。

  だからこそラストのオチが衝撃的かつ素晴らしいのであるが、ネタバレになるのでこれ以上は書かない。童話「注文の多い料理店」のラストを未読の人に話すようなものだ。そんな無粋なことを、誰がするものか!

 思えば、『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』だって、それが出版された時点ではほとんど理解されなかった。作者が多くを買いとらざるを得なかったし、子供たちに駆けっこをさせて、順位に関係なく配ったなんてエピソードも伝わっている。それが今では、多くの人に読まれ、教科書にも載っている。

   こういった本は、その存在自体がSF的とも言えよう。
 とにかく一度読んでごらん。面白いぜ! 

     (宮野由梨香)

「空から見た閑ヶ丘」(2011年7月25日撮影)

ご当地SFを探す楽しみとは、それまでまったくアンテナに引っかからなかった思いもかけない作品との出会いにあるだろう。今回の場合「静岡」というキーワードを足がかりに網を広げ、思わぬ作品の発見に日々驚いている。その成果は、こうしてこのブログで日々お知らせしている。まさかこの作品が「静岡SF」であるとは。そんな新しい発見の連続だ。

 そんな中にあって、今回まさしく究極の「発見」といえるのが、SFファンにはほぼまったく知られていない「杉山恵一」という作家との出会いである。杉山氏は静岡の地方文壇でコツコツと自費出版を続けてこられた方で、残念ながら県外ではほんど知られていない。私もまったくの偶然から遭遇した。
 だがその作品の内容たるや、SFも純文学も軽く凌駕した奇想天外なものばかりだ。SFとはほとんど接触を持たないまま、ほぼ独力でラファティの如き奇想やバラードの如き思索やピンチョンの如き知的遊戯やバロウズの如きカットアップを打ち立ててしまった。あまりの奇想ぶりに静岡文壇では黙殺されがちだそうだが、ここは私たちSFファンこそが、杉山氏をプッシュするべきではないか。そう強く感じるほどに、作品とSFの親和性は高い。いったいその作品とはどのようなものか。少し紹介してみよう。
 残念ながらすべて、極めて小部数の自費出版であり、入手は大変に困難。ただし、今回の「ドンブラコン」では、杉山氏ご本人の提供にてディーラーズスペースで著作が販売される。ご期待いただきたい。

「地底の王国」(1993)191頁
 短編集。表題作「地底の王国」は、スティーヴ・エリクソンの「リープ・イヤー」が想起される、幻想込みのノンフィクション小説。大半は湾岸戦争での原油流出被害を調べるため、サウジアラビアを訪れた時の記録。油で汚れた水鳥を黙々と洗うシーンなどは、貴重な時代の記録といえる。「かぼちゃ畑を掘ってごらん」は、NWなテイストを感じる怪作。ある学園のクラスメイトたちの内面に潜む妄想が次々と実体化していき、最後に悪夢の楽園ができあがる。断章を積み重ねて虚構を膨らませていくスタイルは、バラードやラグンドン・ジョーンズを思わせる。「安穏経」は、日本語で試みられたカットアップ小説。カットアップの激しさは「ノヴァ急報」なみ。言語の合間からおぼろげに見えるのは宇宙創成から消滅までの壮大な物語。たぶん本書で一番の傑作。言葉の組み合わせのミスマッチは絶妙で、結構笑える。なにしろ宇宙創成の瞬間にいきなりスペースシャトルが出てくるのだから。

「閑ヶ丘物語」(1986)385頁
 ラファティの長編を彷彿とさせる、大変にシュールなコメディ。この世界と微妙に異なる「閑ヶ丘」に住まう政界・財界・文化界の面々が右往左往する中、ツチミカド様と妖しの巫女・金剛式部が対決、はたして閑ヶ丘に巨大地震は起きるのであろうか…とほとんど「帝都物語」のような展開。杉山氏の友人・知人が大挙して強制出演、そういう意味でも帝都物語的だが、物語は徹底してコミカルでドタバタ。ラファティの長編のごとく、常に何か異常な出来事が起こり続けている。ドンブラコンに向けて、25年ぶりの続編が現在執筆中。

「南アルプス探検隊」
 杉山作品では珍しく増刷された人気作。実際の生態系を取り入れているがノンフィクションではない。三人の男女の登山行を小説化した奇怪な長編小説。

「太田河原慶一郎氏の一日」(1982)214頁

 長編。夢の世界で目覚めた主人公が脱出しようと格闘する、筒井康隆ばりの「夢の文学」。自作による手書きイラストや肉筆が作品中に取り込まれ、カオスははてしなく拡大していく。

「藤枝物語」(1986)192頁
「続・藤枝物語」(1987)202頁
 長編。杉山氏の少年時代の思い出…なのだが、非常になまりのきつい藤枝弁で表記されているため、ほとんど何を言っているのか分からない(笑)ほとんどダダイズムの音声詩のような印象。

「豚鷲の止まり木」(1984)241頁
 ある平凡な会社員が、会長から神へのお使いを頼まれる。不条理な企業小説。

「尻」(1985)114頁

「癩王抄」(1986)102頁
「喚問」(1987)126頁

「雲の檻」(1983)130頁
「青絲編」(1984)110頁

 前衛詩集。若さとそれに伴う苦さを全面に押し出した味わい。
「定連は雲の座に収まりけり惑星もそれぞれの止まり木でかたづを飲む」など、SF的表現も多用されている。「尻」には五次元世界を舞台にした詩論というおよそ理解し難いものが収められている。「喚問」は裁判の最終弁論の形を取った長編詩だが、バロウズばりのSFカットアップ。「癩王抄」はムアコックばりのヒロイックファンタジー長編叙事詩。現実世界とファンタジー世界をランダムに行き来する、主人公が欝気味という点でもムアコック的。

 ちなみに杉山氏は無名の文芸マニアなどではなく、実はかなりの有名人である。静岡大学の名誉教授にして、日本にビオトープの概念を紹介した著名な環境学者だ。環境保全関連では膨大な著作を誇っている。だが、その頭の中には、ビオトープとはあまり関連のない強烈な想像力が息づいている。今回のドンブラコンでは、その実像を明らかにしていきたい。

 まず「静岡SF大全」では、もっとも「静岡SF度」が高いシュールなドタバタSF「閑ヶ丘物語」を、次回29日にくわしくご紹介する。

 さらに本大会では、「杉山教授の奇妙な冒険~ビオトープから奇想小説まで」と銘打って、その奇天烈な世界を紹介するパネルを企画している。杉山氏ご本人もお招きしており、奇書批評家の北原尚彦氏とともに作品世界に迫っていきたい。静岡SF最大の知られざる異才。ぜひともその世界を体験していただきたい。(高槻 真樹)

士郎正宗『攻殻機動隊 (1)』 KCデラックス [コミック]
「草薙素子はなぜ草薙なのか?」

攻殻機動隊に出てくる草薙素子の草薙が、草薙剣から来ていることはよく知られている(1)。そしてヤマトタケルが敵の罠にかかって周囲から火責めにあったとき、草薙剣で足元の草を払って敵を撃退したという地が静岡県の焼津である。しかしなぜこんな神話に出てくる剣の名前を、士郎正宗は主人公につけたのだろうか。他にも「フチコマ」という名前を、スサノヲノミコト(須佐之男命)の乗る「天乃斑駒(あめのふちこま)」から取るなど(2)、士郎正宗の作品には、神話から題材を取った名前が多い。もちろんマクルーハンがいうように「新しいメディアの登場は古い感性を呼び戻す」と答えてしまえば簡単だが、それではあまりに芸のない答えだろう。もう少し深読みをしてみたい。

草薙剣とは、スサノヲが出雲に下り、住民を悩ましていた「八頭の大蛇(ヤマタノオロチ)」と戦った際、大蛇の尾の中から見つけたものである。石見神楽の『大蛇』も、大蛇が火を吐くシーンばかりが有名だが、本来はこのときのことを記念して演じられているものである。このヤマタノオロチの神話には様々な解釈があるが、とりあえずは「剣」に象徴される鉄器技術の発達によって、「大蛇」に象徴される川の氾濫を抑えた治水事業の様子を語っていると解したい。

スサノヲによって発見された草薙剣は、アマテラスに献上され、時代が下ってヤマトタケル東征の際、景行天皇からヤマトタケルに授けられることになる。現在でも静岡県静岡市清水区には草薙神社という神社があり、「龍勢花火」という祭りが行われている。広場に発射台を組み、そこから巨大なロケット花火を打ち上げるのだが、これも恐らくロケット花火の軌跡を「龍」=「大蛇」に見立てて、雨乞いをしたのがその起源ではないかと思われる。実際、林羅山も『丙辰紀行』の中で、ヤマトタケルが腰に帯びた剣から、蛇のような龍が現れ、その雲気によって敵の火が消えたと、暗に焼畑農耕から稲作農耕への移行を暗示するような漢詩を遺している。羅山は、この詩の着想を、旅の途中で出会った地元の人との会話で得たはずだから、草薙剣が「水」と関連した剣であることは間違いなさそうだ。

一方、草薙素子の「素子」が、半導体素子から来ていることもよく知られている事実である。草薙素子には、全身擬体、つまり脳以外すべてサイボーグという設定が与えられているのだが、ネットで生まれた生命である「人形使い」を登場させたことで、士郎正宗はこの設定自体に疑問をもつようになる。つまり生命現象とは、電気雲の基本的な構造から生み出されたものにすぎず、脳医学用の素子(デバイス)を詰め込んだサイボーグになら生命がやどるのではないかと考えるのである。士郎が、セルロイドの人形にも魂の入ることがあることを強調したり、『攻殻機動隊』第一巻の終わりを、草薙素子と人形使いとの融合で締めくくったのは、サイバネティクス化する社会の中で、人間の魂や命というものが、本質的に特別なものではなく、モノ・ベースのものになることを士郎が予見していたからである。ちなみに士郎は、生命を生み出す電気雲を、天御柱と同一視しているが、この天御柱も竜巻のイメージをもった五穀豊穣の神であるとされる。

恐らく作者の士郎正宗は、この「素子」という名前に、情報革命を可能にした半導体素子や集積回路による、人間の意識の支配という意味を込めている。言い換えれば、剣に象徴される「鉄」が治水技術のような「外なる自然」の支配を可能にした象徴とするならば、「素子」は人間の意識という「内なる自然」の支配の象徴とみなされているのである。確かに今のところ私たちは、人工心臓のような特殊な例を除いて、草薙素子のように自分の体を擬体化していない。しかし1990年代から、自分の意識が誰かに覗き見られているのではないか、あるいは自分の意識は知らず知らずのうちに別の誰かにコントロールされているのではないかという不安を描いた小説が登場し始める。

トマス・ピンチョンは『ヴァインランド』(1990)の中で、クレジットカードを利用することで、知らず知らずのうちに自分の消費行動をカード会社に知らせ、データベース化されている不安を語っているし、ウィリアム・ギャディスは『フロリック・オブ・ヒズ・オウン』(1994)の中で、今ここにいる自分ではなく、カードのうえの電子的なデータとしての自分こそが本当の自分なのではないかという不安を描いている。『攻殻機動隊』の中で語られる不安も、この種の不安、つまり私たちの意識は、データベースとして管理され、解析され、私たち自身以上に把握されているのではないかという不安なのである。最近でも”Youtube”のホームページの中に「あなたへのおすすめ」の欄ができたとき、不安に駆られた人たちがネットで騒いでいたように思うが、これなども、あくまでその他大勢として扱われていると思っていた自分の情報が、実は個人単位で把握されていたことを知ったことに対する驚きや不安の現われだったのではないかと思われる。しかもそれが自分の趣味や嗜好性の部分に関わっていたために、さらに気持ち悪かったのである。

特に『攻殻機動隊』やピンチョン、ギャディスの小説が発表された九十年代前半は、まだWindows95が発表される以前であり、パソコンやインターネットによる「内なる自然」支配が、具体的にどのようなメリット・デメリットをもたらすか把握できていない時代だった。そのことが作家たちの不安と同時に、想像力を駆り立てることになったのだろう。「さあて、どこに行こうかしらねえ、ネットは広大だわ」という草薙素子の最後のセリフは、そうした不安や希望をないまぜにした象徴的な言葉のように思えてならない。(関竜司)

(1) 『マンガ夜話VOL.5 望月峯太郎「バタアシ金魚」古谷実「行け!稲中卓球部」士郎正宗「攻殼機動隊」』、キネマ旬報社、1999年, p.226-227.
(2) Ibid.

(参考文献)
『マンガ夜話VOL.5 望月峯太郎「バタアシ金魚」古谷実「行け!稲中卓球部」士郎正宗「攻殼機動隊」』、キネマ旬報社、1999年
『攻殻機動隊メカニカル解析読本』、講談社、1998年
『新訂東海道名所図会』、ぺりかん社、2001年
木原善彦『UFOとポストモダン』、平凡社新書、2006年

(六三年、「新刊ニュース」初出。『小松左京ショートショート全集1 ホクサイの世界』角川春樹事務所版を参照)

ホクサイの世界―小松左京ショートショート全集〈1〉 (ハルキ文庫)

ホクサイの世界―小松左京ショートショート全集〈1〉 (ハルキ文庫)

  • 作者: 小松 左京
  • 出版社/メーカー: 角川春樹事務所
  • 発売日: 2003/02
  • メディア: 文庫

(※このエッセイは「ホクサイの世界」のオチまで完全にネタバレしています。ご注意ください)

 ほんの数ページほどのショート・ショートである。僕は今回「静岡SF大全」のために読み返して、この作品を読むのは三度目ぐらいだと途中で気がついたものの、改めて読み返して戦慄した。時機に合いすぎている、と思ったのだ。
 3.11、すなわち東日本大震災の後、日本SFの再読が盛んになった。一度読んだ作品であっても、そこに新たな側面を発見することが多かった。例えば、日本SFではないが、日本においてオールタイム・ベストの一位に選ばれる作品の『夏への扉』を再読する機会があった。以前は、猫のピートや、SF的仕掛けやラブロマンスばかりに意識が行っていたが、再読すると作品の背景にある放射能汚染された世界や、主人公が家族を核兵器で失い、戦争で核弾頭を詰め込む作業から復員してきたばかりであるという、背後の暗い部分を強く意識するようになっていた。この暗い背景があるからこそ技術を巡る主人公の葛藤やハッピーエンドがより意味があるものであることが、初読よりも強く理解できたのだ。
作品自体は、何も変化していない。変化したのは我々である。受容理論を持ち出すまでもなく、読者が如何に読むかによって作品というのは成立する。並んでいる字だけで作品は完成されているのではなく、大勢が、違う場所・時代・感性で読むその瞬間瞬間に作品はその都度生成される。……そのようなことを「頭で」知っているのと、体験するのとは大きく違う。震災後、僕は小松左京作品などを再読して、それを「体験」することになった。
 震災の直後、書店から『日本沈没』がなくなったと耳にした。どうも、やはりこの事態を『日本沈没』になぞらえ、フィクションから何某かを手に入れようとする方々が多かったのであろう。八〇年代以降、高度消費的なリアリティや、ネット的なリアリティがSF作品では猛威を振るったが、それ以前の、第二次産業的な手触りのある小松作品が再読されうるメンタリティに読み手の変化を促した、ということなのかもしれない。8月に刊行予定の『SFと311』(仮題 作品社)における座談会や論考でも、小松の名前は何度も召還された。そしてその名前を呼び出してしまうことの意義、小松左京作品の射程などなどは、個々の論者が鋭い意識で議論されているので、是非その精緻な議論を参照していただきたい。
 そしてこの「ホクサイの世界」。静岡SFだと言われて読んだのだけれど、静岡が関係しているのは「富士山」ぐらいであろうか。直接静岡そのものがSF的な内容に食い込み、有機的な連関をしているかと言えば、そうではないだろう。未来社会の夫婦がホクサイの絵を見て、実際にその時代にタイムマシンで遊びに行くこの作品では、タイムマシンの出現ポイントは隅田川の近くとなっている。なので、「SFにとって静岡とは何か、静岡にとってSFとは何か」という本質を抉ることができるような作品ではない、という点を、静岡の方々にお詫びしておきたい。
 さて、免許を取りたてで時間を数世紀間違えてしまうような妻の運転で、19世紀のエド時代に行く(妻はエドワード王朝と間違えている)。するとそこに広がっていたのは、ホクサイの絵そのままの世界だった。「今の今までホクサイやヒロシゲの絵は、画家の自由な抽象による、理想化されたものにすぎないと僕は思っていた。彼等が実は写実派だったという事実を、現にこの眼で確かめながら、なお夢見る心地だった」という箇所は、リアリズム論として奇妙な捩れを感じて非常に面白い箇所である。
 そして太古の趣のある自然の中を抜けて、ほんの十軒ばかり並んでいる草葺の民家に近づき、小船に乗った「三角型の笠をかぶった半裸の男」に話しかける。男はシラウオをとっていると言う。主人公は宿屋はないかと聞く。そうすると、男は先ほどの村を指して「よそもンはとめたがらねえで……」と言う。

「ここは何という所ですの?」妻はまばらな民家を見ながら言った。
「エドでがす(中略)あれがエド村で、ここはスミダ川ちうだ(中略)むかしやァあれでもトウキョウちうて、世界第二の都会だったがの。今じゃ、やけてぶっこわれて、赤土の下になってるだ」

 ――要するに、二世紀未来、すなわち二一世紀に行ってしまったのだ。六三年に発表されたこの作品において、既に東京なり日本なりを「廃墟」に戻してしまいたいという衝動は噴出している。『日本アパッチ族』(64年)が廃墟から立ち上がる、高度成長の原動力のような心性を描いていたとしたら、本作は『日本沈没』(73年)へと繋がる「廃墟に戻したい」衝動の作品である。63~64年時点で小松にはこのダイナミズムが既に孕まれていたということに驚きを禁じえない。
 SFセミナー2011の合宿企画「『日本沈没』再読」で、SF評論家でありつつ最近は学校小説論の旗手として頭角を現してきている海老原豊は、『日本沈没』の中に既に東海村から放射性物質が流れ出している描写があるのを指摘したが、それもまた震災が我々に及ぼした「受容」の変化によって発見されたものである。小松作品は、多くの作品で、主題ではない箇所においても、放射能や核の問題が見え隠れしている場合が多い。
 本作もまた、そのような核時代における破滅の予感を漲らせた「最終戦争後のビジョン」を見せる。福島第一原発が放射性物質を海に垂れ流し、放射能の影響から畸形的な生物が生まれてくるかもしれないという漠然とした不安がいだかれている“いま”の状況の中では、この結論部には、一年前、二年前、五年前、あるいは十年前に読まれたときとは違う戦慄があるのではないだろうか。

「お客さア、あんたらこれ食べなさらんかね」男ははじめて顔をあげて、ニヤリとわらった。ぬるぬる光るものを、手でつかんでつきつけながら男はいった。「ここのシラウオはの、ミツマタシラウオちうて、おっそろしい光が降ったちう昔から頭が三つあるだ。――うまいだよ」(藤田 直哉)

(玲風書房 2003年1月発行)

「七不思議」という言葉には、何かしら人の心をくすぐる響きがある。たとえば、ぼくが子供の時分には、巷で怪談が流行していて、「学校の七不思議」をテーマに取り上げたホラーが大いにもてはやされたものだった。ブームに特有の熱気という理由を差し引いても、理科室の人体標本がひとりでに動くとか、音楽室のベート―ベンの肖像が夜な夜な絵から抜け出してピアノを演奏するとか、そういった怪奇なエピソードには、子供たちを虜にするだけの魅力があることは否みがたい。なぜなら、七不思議の怪談は、何の変哲も面白みもない学校の風景の裏側に、もしかすると、恐ろしくも心躍らされるような秘密が隠れているかもしれないというほのかな期待を抱かせてくれるからだ。その意味で、学校の七不思議とは、殺風景でつまらない日常にスリリングな空想の息吹を吹き込むための、子供たちなりの暮らしの知恵だと言える。

だから、怪談話に限らず、七不思議の物語では、自分の足を伸ばして確かめに行けるくらい身近な場所に、現実を超えた不思議が存在していることを、説得力たっぷりに説いて聞かせるという点が肝心なのだ。紀元前二世紀、シドンのアンティパトロスやビザンティンのフィロンが、歴史上はじめて「世界の七不思議」をリストアップしたさいにも、彼らはあくまで、自分が生きているヘレニズム世界の地誌学を編んでいるつもりだった。七不思議の著者たちは、今日ときどき誤解されているみたいに、荒唐無稽なおとぎ話をでっちあげようとしたわけでも、失われた超古代文明のオーパーツについて証言しようとしたわけでもなかった。逆説めいた言い回しではあるけれども、日常を超越した「不思議」は、日常の延長線上に存在しているのでなければ、もう不思議としての魅力を失ってしまう。

この七不思議というトピックがはるばる日本にまで伝わったせいなのか、それとも、古今東西の別を問わず人間の考えることには一定のパターンがあるせいなのか、それはいずれとも定めがたいけれど、静岡でも昔から「七不思議」の物語が語り継がれてきた。それがこの『遠州七不思議』だ。本書に採録されているエピソードは、(1)「三度栗」、(2)「小夜の中山夜泣き石」、(3)「浪の音」、(4)「無間の鐘」、(5)「片葉の葦」、(6)「桜ヶ池のお櫃納め」、(7)「京丸ぼたん」の七篇である。ネットで検索をかければ、個々の話の輪郭はおおよそつかめるので、興味のある方はぜひ確かめていただきたい。

だが、この『遠州七不思議』を本当に楽しむためには、それが、静岡の人々が現に生きている土地で起きた事件なのだという感覚を忘れずにいる必要がある。たとえば、弘法大師の功徳で年に三度実を結ぶようになったという「三度栗」は、静岡に限った伝承ではなく、類似の民話は、四国なり新潟なり、日本各地で語り伝えられている。その意味では、もし物語のパターンにしか注目しないなら、静岡の「三度栗」は、せいぜい同系統の伝承の一派生に過ぎないという、いささか味気ない考え方しか生まれて来ないだろう。けれど、そんな考え方をしているようでは、物語の興趣が台無しになってしまう。遠州七不思議の「三度栗」は、それが、今現在は静岡県の菊川市と呼ばれている場所で、かつて実際にあった出来事なのだと受け容れることで、はじめて本当に味わい深いものとなるのだ。たとえるなら、「トイレの花子さん」の怪談は、日本全国に広まって陳腐化してしまっているが、それでも、自分の通う学校に花子さんがいるかもしれないということになると、とたんに或る種のリアリティを帯びて迫ってくるようになるのと同じである。

『遠州七不思議』に採録されている物語は、どれも、かつてのこの土地に生きていた人たちの暮らしに根ざしながら、形成されたものだ。怨敵を指してつねに一方向を向くという「片葉の葦」の伝承は、遠州地方に群生する葦が、からっ風に吹かれるせいで片方にしか葉をつけないという現象に由来するのだと言う。弥勒菩薩にまみえるため、不死の蛇と化して桜ヶ池に身を沈めたという皇円阿闍梨の伝承は、池に赤飯をつめた櫃を沈めて阿闍梨を慰撫するという彼岸の祭りの中に、今なお息づいている。

今も昔も七不思議の伝承が愛される理由は変わらない。それは、自分たちが今いる世界を、ほんのちょっぴり別の角度から、新しい方法で眺めるためのさりげない提案なのだ。「京丸ぼたん」は、旅人と村の長者の娘とが恋仲になって里を出奔するが、暮らしが立ち行かずに故郷へと戻ってきて、一礼するとそのままふたりで川に身を投げたという物語である。それから毎年、夫婦の命日になると、里には大きな白いぼたんが咲くようになったと伝承は語り伝えている。じっさいに、男女の恋愛をめぐって昔そういう悲惨な出来事があったのかもしれない。あるいは、恋愛事に関わりなくとも、よそものに対して苦い記憶があったのかもしれない。「白いぼたんが咲くようになった」という伝承が何を意味しているのかも定かではない。しかし、ひとつ言えることは、伝承は、かけおちした夫婦の死ではなく、「白いぼたん」を物語の結末に配することで、夫婦の死に何かしらの余韻を含ませているという点だ。それは、現世では悲劇に終わった夫婦だけれど彼岸で仲睦まじく暮らしていて欲しい、という願いの気持ちの反映かもしれないし、あるいは、悲劇的な経緯に対して、何も死ななくても、という後悔の気持ちをあらわしているのかもしれない。だが、いずれにせよ、七不思議の物語は、自分たちが今いる現実に対して、別様の世界の可能性をそっとほのめかしているからこそ、長く愛され語り継がれてきたのだろう。

『遠州七不思議』は、これと同じ種類の余韻を、現代に生きるぼくたちにもひとしく味わわせてくれる。なぜなら、これらの伝承は、それ自体が、すでにうつろい失われた過去の世界の証言、ぼくたちが生きているのとは別の世界の証言に他ならないからだ。ゆえに、サイエンス・フィクションの醍醐味が、今われわれが存在する世界について新しい眺めを提供する点にあるとすれば、過去の遺物に哀惜の目を向ける行為もまた、すぐれてSF的であると言わなければならない。ドンブラコンLに参加される諸兄も、もし時間が許せば、ぜひこの『遠州七不思議』を片手に、静岡の旧跡を見て回って欲しい。

(横道仁志)