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『芙蓉峰』(村井弦斎)

 静岡とSFのつながりは、実は昨日今日に始まったことではない。古典SFの世界にも、静岡SFは存在する。それは今から百年以上も前、明治30年(1897年)に発表された村井弦斎『芙蓉峰』である。
 作者は、知っている方には説明の要もない、『食道楽』の著者として知られる人物である。横田順彌氏の『近代日本奇想小説史』にも、長山靖生氏の『日本SF精神史』にも取り上げられている、古典SF史上において非常に重要な作家だ。その全体像については、黒岩比佐子氏の『『食道楽』の人 村井弦斎』に詳しい。
 そんな弦斎の『芙蓉峰』は、富士山に巨大電気燈を設置して、静岡県下はおろか、東京など関東圏全体を照らして不夜城にしよう、という壮大な計画の物語だ。日本一の山・富士山は、静岡県にそびえ立つ(正確には山梨県と半々だが)。そして富士山以外の場面も、ほぼ沼津市と静岡市とで展開される。要するに、舞台が静岡県から出ないと言っても過言ではないのだ。
 では、さっそくストーリーを追ってみることにしよう。そもそもは、沼津にある名家・福田家のひとり娘お秋(美人)が、富士山を眺めるのが好きだったことから始まる。そして富士山を眺めるだけではもったいない、山頂に巨大な電気燈を設置すれば、関東八州を照らして夜の闇をなくすことができる、と考えた。しかしお秋の父は金持ちだったが今はなく、母とふたりきり。その事業を成し遂げられるような男性を夫にしたい、と思っていた。
 お秋の女中経由で、それを聞きつけたのが、花水浮之助という美男子だが遊び人の書生。自分が富士山巨大電気燈を計画しているように装って、美人娘とその財産を我が物にしようと企んだのだ。
 お秋が富士山に下見登山をするというので、これぞ好機と花水浮之助も連れの岩山と共に登る。そしてわざとお秋に聞こえるように、連れに「僕の電気燈計画では……」などと話しかけたのだ。結果、お秋はころりと騙されてしまう。
 岩山は無骨な(かつ女嫌いの)真面目一辺倒の書生で、花水浮之助と同じく法野という代言人(弁護士)のもとに寄宿している。彼は浮之助の本質を見抜いて馬鹿にしつつも、電気燈については良い計画だと考え、浮之助には無理だろうから自分でやろうと考え始める。
 お秋の母も花水浮之助は怪しいと考えていたが、お秋はすっかり信じ込んでいる。しかし、浮之助の前の女が乗り込んでくるなどということも起こる。
 まあ、さすがに浮之助が目論み通りに結婚するのは無理だろう、お秋と岩山が結ばれるんだろうなあ——と思いつつ読んでいると、ところがどっこい、浮之助はまんまと福田家の婿養子に収まってしまうのだ。
 ええっ、そうなの? これは意外——と思いつつ読み進める。お秋は「あなたが事業に成功するまで臥所は共にいたしませんわ」とかなんとか言って、とりあえず彼女は清らかなまま。そういうことですか。
 やがて舞台は沼津から静岡市へと移る。浮之助がそちらに「大日本天光會創立事務所」を設置したのだ。しかしそれは福田家から金を引き出す方便で、浮之助はその金で酒に女にと楽しく暮らしていた。
 そこに新キャラ登場。元武士の娘だが、家が金に困って芸者をしている富士江(美人だが男嫌い)。浮之助が彼女を無理矢理身請けしようとしたところを、助けたのが岩山だった。彼もまた、静岡市に「富士山電燈会社創立事務所」を設置していたのだ。この住所が「番町の一番外れ」という記述があるから、現在の静岡市葵区の、一番町から八番町のどこかということだろう。
 以降、富士江はなにくれとなく岩山の手伝いをしようとする。が、岩山は無骨者なので迷惑顔。富士江が岩山に惚れているのは明々白々だが、当の岩山は全く気づかない始末。
 このキャラを出したということは、岩山は富士江とくっつくのかな……と思いつつ、更に読み進める。
 しかし遂に真相に気づいたお秋が、沼津から静岡へと乗り込む。ひと騒動あって、お秋と浮之助は離婚することになる。岩山は恩人の法野に頼まれ、かつ富士山電燈の真の発案者がお秋であることを知り、お秋の婿になるのだった。
 うむうー、そうなのか。未婚であっても芸者をしている女性よりも、バツイチの名家の女性とくっつけるのですか、弦斎先生。お秋はあくまで自分の理想を現実化してくれる対象として岩山を望んだのであり、それよりも純粋に岩山という男性を慕っている富士江の方がいじらしくて可愛いと思うのですが。
 何はともあれ、十数年後に富士山の頂上に巨大電燈が建設され、物語は幕を下ろす。
 正直に言って、本作のSFポイントは「巨大電気燈」の一点に尽きるし、それが完成するのは物語の最後の最後。だが登場人物同士の会話のやりとりなどがたまらなく可笑しく、わたしは読みながら何度も声を出して笑ってしまった。全体としての面白さは、かなりのものなのである。
 村井弦斎は、早くから電気の重要性に気づいており、後に日立製作所の創業者となる小平浪平に対して、これからは電気の時代になる、とアドバイスしたという。現在の東京を見てみれば、巨大電気燈という形ではないけれども、電気の力によって不夜城と化しているではないか。村井弦斎の先見の明は、かなりのものだったといえよう。大長篇『日の出島』では、太陽光エネルギーによる「太陽燈」まで登場させているほどだ。
 本作は「報知新聞付録」に明治三十年一月から三月まで連載され(その際は「峰」の字が違い『芙蓉峯』)、同年八月に春陽堂から単行本化された。現物を入手しようとするとなかなか難しいが(ネット古書店などを見るとウン万円のお値段が付いている)、幸いなことに国会図書館の近代デジタルライブラリーに入っているおかげで、ご家庭でも簡単に読むことができる。総ルビなので、割合と簡単に読めると思う。面白さは本当に保証付きだし、とにかく静岡SFの古典なので、是非ともご一読いただきたい。(北原尚彦)

【付記】北原尚彦は評論賞チームではないのですが、今回の作品は明治SFのため、日本古典SF研究会会長として特別に参加させて頂きました。