» 2011 » 5月 » 2のブログ記事

(角川文庫)

 静岡の精神病院に、記憶を失い言葉すら発しない一人の女性が運び込まれた。彼女は入水自殺しようとしたところ、たまたま発見され一命をとりとめた。ところが、彼­女が死を選ぶにいたった理由も、そしてなにより彼女の名前も生い立ちも、まったくわからず、かたくなに閉じた彼女の心を外から開くことなど不可能に思えた。彼女­をみることになった精神科医・望月に助力を申し出たのは、彼女と同じ病院に入院し、今は退院した元・患者である砂子健史だった。仕事によって精神を磨耗し、ほと­んど自殺に近い交通事故を起こした砂子は、生と死の狭間をさ迷い歩いていた。出会った彼女は、彼を生へと一押ししてくれたのだ。東京に帰るついでにこの女性のこ­とを調べてくると望月に約束した砂子が見つけたのは、彼女の複雑な生い立ちと、元・アイドル歌手という経歴だった。それに彼女が自殺直前に付き合っていた男・真­木洋一の存在だった。彼女の名前は浅川さゆり。父親を自殺でなくし、今現在、妊娠している。それが誰の子どもなのか、彼女は何も言おうとしない。

 さて、『リング』『らせん』などのホラーで有名な作者・鈴木光司の生まれ故郷である浜松を舞台にした本作は、一読してわかるように典型的なジャンルSFには分類­されない。裏表紙の紹介文は「ヒューマン・ミステリー」とざっくりとまとめている。とはいえ、「ヒューマン・ミステリー」という作品分類も、だいぶ、あいまいで­ある。彼女=浅川さゆりが何を思い、何を抱え、そして死を決意したのかという「謎」を中心に、物語が展開していくことをさして「ミステリー」と呼び、それが密室­や殺人といったいわゆる狭義のミステリーではなく、登場人物たちの感情や利害の対立、心理的葛藤がこの謎を脚色しているということで「ヒューマン」と形容したの­だろう。読む前はピンとこないかもしれないが、読後であれば「ヒューマン・ミステリー」といわれて、なるほどと思う分類である。

 文庫巻末解説は貴志祐介が執筆し、本作を『リング』シリーズに連ねるキーワードとして「遺伝子」をあげている。そうなのだ、本作にはとある遺伝病が物語で重要な­役割を果たし、ミステリーの核に位置している。浅川さゆりは自らの遺伝子、つまりは彼女を運命づけるプログラムと格闘し、葛藤している。人間(ヒューマン)が生­み出す・解決する謎(ミステリー)という程度の意味しかもっていないはずの「ヒューマン・ミステリー」というカテゴリーは、しかし読後あらためて考えてみると、­「人間(ヒューマン)こそが謎(ミステリー)」とも理解できる。わたしたちの細胞ひとつひとつに格納されている膨大な遺伝情報=遺伝子。科学の分野ではずっと、­どの遺伝子がどのような形質を決めるのかをめぐり研究が重ねられてきた。浅川さゆりが直面し、苦しめられる問題も、彼女の遺伝子に刻みこまれたものの結果である­。ただし、人間こそが謎であると考える立場からいえば、遺伝子のメッセージを解読して物語は終わるのではない。むしろ、その意味を読み解けたところから、ふたた­び始まる。最後には、浅川さゆりが死を決意した理由は明らかにされる。いわば人間が生み出した謎には解が与えられる。ただし、人間という謎は解けない。彼女に刻­まれた遺伝子を、科学的に調べることはできるのだろう。発病するのかしないのか、じきに結果は明らかになるのだから。ただ、それでも彼女という人間の謎は残る。­彼女の形質をかたちづくるあらゆるものが記述され、彼女の心理的葛藤の背景までほりおこされたとしても、それでもなお謎は残る。人間・という・謎。

 最後にSFめいたことをつけくわえるならば、こうなるだろう。科学とは記述することであった。しかし、どのように科学の記述を積み重ねても、人間はその記述から­つねに過剰・不足してしまう。この人間をとらえようというある意味で絶望的、またべつの意味では希望的な試みがサイエンス・フィクションではないのか。鈴木光司­『光射す海』は、SFでおなじみの現実ばなれした科学描写こそでてこないが、科学と、そこからこぼれてしまう人間という謎をいっしょに描こうとしている。この精­神は極めてSF的なものなのだ。                                (海老原豊)