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 東京、玉川学園に在籍する沖縄生まれの一人の男子学生が、国学院の院生の民俗学の講義を受け、自らの母国琉球の文化に目を見開かされる。その講座を担当した上原輝男という名を持つ若い教師は、後に沖縄出身の教え子を、特撮で名高い円谷英二に紹介することになるだろう。この時紹介された若者こそが、円谷プロの重要なシナリオライターとなる金城哲夫である。

ウルトラマン Vol.5 [DVD]

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  • 出版社/メーカー: バンダイビジュアル
  • メディア: DVD

   金城の円谷プロでの仕事は、『ウルトラQ』から始まるが、このタイトルは東京オリンピックの体操競技の「ウルトラC」に由来する。だからこのタイトルには夜郎自大的なナショナリズムの残響のようなものが秘められているといえる。『ウルトラQ』の後番組の『ウルトラマン』は、実は、元のタイトルは『ベムラー』というものだった(「ベムラー」は『ウルトラマン』の第一話に登場する怪獣と同名であり、ビジュアル的にもカラス天狗を模した幻の初代ウルトラマンの容姿と共通する部分が多い)。やがて『ベムラー』は、TBS側の意向を受ける形で、『レッドマン』、『ウルトラマン』と、タイトルやヒーロー・イメージを変えてゆくことになるのだが、その変遷の過程において、キャラクター・デザインは、怪獣のカオス的要素を排除したコスモスを体現するものとなった。デザインを担当した成田享は「古代ギリシャのプラトンの思想を援用した」と語っている。

 いささか長々と『ウルトラマン』の由来を書いたのは、ウルトラマン的なもの=スーパーマン的なアメリカの価値観が、カオス的なもの=琉球的古層を抑圧排除していることの上に成り立っていることを、確認したかったからである。付言しておくと、ウルトラマン以降70年代に登場するのは、デビルマンや仮面ライダーのような、コスモスよりはカオスの側に近いダークヒーローである。大人のドラマでもまた、木枯し門次郎や必殺仕掛人のようなダーティーヒーローが、時代の中央に出てくるようになる(ベトナム戦争による財政上の疲弊を受けてのニクソンショック=固定為替相場制から変動為替相場制への移行=ブレトン・ウッズ体制の崩壊によるアメリカの国力の相対的低下とこれらの現象は平行している)。

 金城が脚本を担当した「恐怖のルート87」(『ウルトラマン』)は、琉球の古層の記憶と科学捜査隊的なモダニズムがせめぎ合いを演じていて、後の『ウルトラセブン』につながるアンチ・ウルトラマン的な物語を大胆に導入している。ヒドラ=神話的領域に属する古層が、自動車=アメリカの現代文化の象徴に逆襲するという形で物語は展開するが、そこには日本の戦後体制への金城の強い反発が露骨に露わにされているようだ。

 『ウルトラセブン』において、金城によってはっきりと意識されるようになったウルトラセブン&ウルトラ警備隊VS怪獣=米軍&日本自衛隊による日米安保体制VS非西側体制という図式は、「恐怖のルート87」のような物語においても垣間見られるものだ。善を代表するウルトラマンと悪を代表する怪獣が、3分という制限時間(当時人気のあったキックボクシングの1ラウンドの時間に由来する)の中で、プロレスもどきの格闘を演じる、というベタな勧善懲悪の物語は、戦後の日本がそこに従属した西側体制の物語をなぞるものである。そのような正義のイデオロギーに金城は違和感を覚え、そうした物語に従うことを拒もうとする。「勝つというパターンの中で、ウルトラマンは怪獣たちをやさしく宇宙空間へ戻していたのである。それが金城の無邪気なやさしさでもあった」(「ウルトラマンを作った男」(〈潮〉1982年6月号))と実相寺昭雄が語ったように。

 金城の無邪気なやさしさは、「恐怖のルート87」では、米軍基地によって蹂躙される沖縄を、アメリカ出自である自動車にひき逃げされ死亡した1人の男の子に重ね合わせる、という設定そのものに見ることができる。「ムトウアキラ」という名の少年は、「あけぼの少年ホーム」という施設で育てられていた。孤児院を思わせるこの施設は、本土から見捨てられた沖縄の暗喩となり得ている。山鳥好きだったというアキラ少年が、ヒドラ像の原画を描き、生みの親となったのである。ハヤタ隊員により、ヒドラは有史以前の「始祖鳥」だと指摘されるが、ムラマツ隊長もまた、「乙女の化身」とされるシラサギ伝説を援用しながら「ヒドラは子供たちの守り神である」と金城その人の考えを代弁する。

 孤児=沖縄とヒドラ=近代以前の記憶が身を寄せ合うようにしながら、自動車が我が物顔をする社会=アメリカ化した世界から、身を守っている姿を描いたのが「恐怖のルート87」という特異な物語なのである。「近代以前と近代の共存あるいは衝突」といった現象にふさわしい舞台として、静岡県は絶好の土地だと言えるかもしれない。静岡は風光明媚な観光地(ヒドラは観光施設である「伊豆シャボテン公園」内に設置されている。私自身中学生の時この像を見たことがあるが、なかなか魁偉で、インパクトがあった)であると同時に、自動車産業地としても有名である。静岡に本社のある自動車企業「スズキ」は、大正時代に創業するが、1954年に「鈴木自動車工業株式会社」と社名変更する。ちなみに「伊豆シャボテン公園」が開園するのが1959年のことである。戦後の繁栄の中で見え難くなっていた近代以前の記憶や沖縄の複雑な心情を、金城哲夫はヒドラとそれに跨るアキラ少年を黙って見守るウルトラマンの戦いを放棄した姿に仮託して、われわれに突きつけようとした。           (石和義之)