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中井久夫『分裂病と人類』(1982)

分裂病と人類 (UP選書 221)

分裂病と人類 (UP選書 221)

  • 作者: 中井 久夫
  • 出版社/メーカー: 東京大学出版会
  • 発売日: 1982/01
  • メディア: -



何故『分裂病と人類』などというSFとも静岡とも何の縁もなさそうなタイトルをわざわざ「静岡SF大全」に寄稿するのか、といぶかる読者の方々もいらっしゃると思う。今回、「静岡SF」と言われて、はたと考え込んでしまった、「SFにとって静岡とは何か、静岡にとってSFとは何か」という重大問題に対して、果たして自分は答えを出せるのだろうか。その問いに対して、答えが出たと感じたのが、この本なのである。

漠然とした印象と散漫な引用で論を進める怠惰をお許しいただけるなら、僕個人が初めて静岡に行った際の感想から始めたい。駅周辺や、整備された森などにはそれほど感銘を受けなかった。驚いたのは、バスで移動しているときに見た「茶畑」である。あまりに整然としていて、ずっと続いている。もこもこした地面にもこもこと茶があるのに、全体が西洋庭園のように整然としている。これは一体なんだ、変な空間だ、と新鮮に思った記憶がある。

『分裂病と人類』の第2章「執着気質の歴史的背景」を読んでいて、はっと膝を打つ箇所があった。「執着気質的職業倫理は人文地理的には扇状地型農業にむすびついたものと言いうるかもしれない。明治期以後、二宮の方法と倫理が実践された代表的な例は静岡県の茶栽培であり、茶が扇状地に最適の作物であることは周知の通りである」(東京大学出版版 p62)。

そうなのか! とこれを読んで膝を打つ人はおそらくいないと思うので、「執着気質型職業倫理」と「二宮」について説明を加えたい。

執着気質型職業倫理とは、大雑把に言えば、近代化の原動力になったと中井が考えている心性である。その典型を、中井は二宮尊徳に見ている。

二宮尊徳は「農村構造改革」と「農業技術革新」を行った人物である。「計算可能性」に基づいて、窮乏した村落の「立て直し」をした人物である。一般的には「二宮金次郎」として知られている。

この中井の論は、戦後のメンタリティから遡って二宮を発見したとも言える側面がある。実際中井はこう言っている。「高度成長を支えた者のかなりの部分が執着気質的職業倫理であるとしても、高度成長の進行とともに、執着気質者の、より心理的に拘束された者から順に取り残され、さらに高度成長の終末期には倫理そのものが目的喪失によって空洞化を起こしてきた」(p68)。これはどこか、『日本沈没』において成長が達成された社会への違和感が原動力になって「危機」自体を作り出すメンタリティと、似てはいないだろうか。

二宮は「比較的近い過去に興隆した栄光の歴史」を持っていたが、五歳のときに災害(水害)によって一帯を壊滅させられてしまう。その災害が、彼の人生に影響をした。「執着気質的職業倫理は、本質的に『建設の倫理』ではなく『復興の倫理』である」(p49)。そのような災害を経験した二宮が「執着気質的職業倫理」すなわち、簡単に言えば「勤勉」になるのは必然だったであろう。そして思想家としての彼の意見や改革を受け入れるだけの社会構造になっていたであろうと中井は言う。

この「復興の倫理」とは、どこか、戦後の日本のようではないだろうか。特に、敗戦による焼け跡を原動力としていた小松左京を強く思い起こさせはしないだろうか。『日本アパッチ族』がこの時代に書かれていたら、滅んだ村から物語が始まったかもしれない。

中井は戦争にも言及する。「農民だけではない。この倫理に従った技術者たちは、敗戦によって他の人々のような深刻な同一性(アイデンティティ)の混乱を起こさず、戦争と政治への反省を行わなかった。彼らはたとえば軍艦のかわりにタンカーをつくる。大戦直後には鍋釜さえつくった――『とにかくわれわれは頑張ったのだ』『科学の力の差だ』」(p60)

そしてその「立て直し」の路線は「世直し」の路線と対比される。「世直し」の路線においては、「カタストロフへの待望は、カタストロフへの恐怖と表裏一体をなして、潜在し続けたのである」(p60)。「『立て直し』路線は、『世直し』路線の人をたえず『立て直し』路線にくり込み、ついにくり込みえない者を極端な破滅的幻想の中に追いやるだけの強力性をもっている」(p63)。どこか、『日本沈没』のようでも、『AKIRA』のようでも、その後の終末論的な作品のブームのようでもあり、オウム真理教によるサリン事件すら想起させられる。(ついでにいえば、「執着気質者であろうとなかろうと、『立て直し』の倫理としての執着気質的職業倫理は、成功とともにその持ち主に対する規範としての力を失う」(p52)という箇所は、90年代、ゼロ年代の構造不況や閉塞感などの背景に漠然と存在している心的機制の原因をすら説明しているように思う)

さて、これが静岡とどう関係するのか。二宮が、近代化、そして戦後に至るまで続く日本の精神を形成したとする中井の仮説を受け入れるなら、彼がその倫理と思想を作り上げた場所である、窮状にある村々がその原点にあるだろう。二宮が「立て直し」を実施した村々は「二宮の故郷の村に酷似していた」と中井は言う。「それは河川が山間部より出たところでつくる扇状地にある。扇状地は洪水に荒されるとはいえ排水がよく、水利は上流より分水して導水路をつくることによって行うことが可能である。天災の危機にさらされやすいとはいえ、復興もまた容易で、方法はすべての村民に理解せしめうるほど明快である」(p61)

中井の「二宮が近代化・戦後日本の精神を形成した」という仮説を受け入れるにしろしないにしろ、彼の論じている内容と日本SFが似ているように感じることは拒絶しがたい事実である。この関係性については、真の熟考が必要とされるので、本論では示唆のみに留めたい。

ここで僕が提出してみたいのは、ささやかな思い付きである。思い付きであるので、いい加減なものである点はご容赦願いたい。

それは、『日本沈没』についてである。『日本沈没』が何故静岡を舞台に使うのか、実は今までよくわからなかった。「静岡SF論4」で石和義之はその点について以下のように述べた。

『日本沈没』は、伊豆沖で沈んだ島の挿話に始まり、3月12日の富士山の大噴火をクライマックスとして終わる。主な舞台が静岡を選んでいるのは、偶然にもそこに「糸魚川静岡構造線」が走っているからだ。東日本と西日本を分かつユーラシアプレートと北米プレートの境界線が「糸魚川静岡構造線」なのである。「本州を西と東にわける関東山脈の下の富士火山帯は、今や一斉に燃え上がり……」と作品中では描かれているが、ここでは日本という風土のみならず、それ以上に昭和という時代そのものが燃え上がっているようだ。

これに対し、中井の論は『日本沈没』の射程が「昭和」より広いのではないかと考えさせられる。二宮思想の実践の代表例が静岡の茶畑であり、その「災害」と「立て直し」に、小松左京が敗戦と復興を経験したことを「重ね合わせ」たのだとしたら――

これは、とっぴな思い付きではない。『日本沈没』は、『日本沈没 第二部』で描かれるように、「ディアスポラ」を描く予定の物語であった(D計画のDとは、ディアスポラのDである)。山本七平の『日本人とユダヤ人』に影響を受けたこの日本人とユダヤ人の気質の重ね合わせと検討の中で、小松が山本の『日本資本主義の精神』の影響を受けなかったとは考えにくい。『日本資本主義の精神』においては日本人の社会倫理と精神が、江戸時代の思想家・石田梅岩や鈴木正三に起源が求められていたが――中井の言う、二宮説と同じような意見もどこかで目にしていたのかもしれない。

その上で、『日本沈没』の企みを、そこをあえて「静岡」に設定することで「災害」と「立て直し」の象徴としての「茶畑」を想起させようとしていたと仮定するなら、この書物の「重ね合わせ」の試みは、以下のように整理できる。

水害による村の壊滅と「立て直し」

敗戦による焼け野原からの戦後復興

地震と噴火による日本沈没とその後の世界中でのディアスポラ(『第二部』)

ユダヤ人のディアスポラとその復活

この中で、「ディアスポラ」が何故描かれるのか、僕は長年分からなかった。クラークの一神教的な『幼年期の終わり』に対抗して日本の宗教的伝統を用いて『果しなき流れの果に』を書いたぐらいなので、ユダヤ教が背景にあってディアスポラが耐えられた、あるいはディアスポラによってユダヤ教が世界宗教になった、そういう事柄を「日本」的な宗教なり道徳に置き換えて思考実験しようとしているものなのかと勝手に解釈していた。

先日、偶然、長崎浩の『共同体の救済と病理』を読んでいて、その中でユダヤ教の預言書である「エレミヤ書」を紹介する箇所に出会った。それは「社会に蔓延する不正と不義を告発し、罪と背信にたいする神の裁きとして民に災いが下ることが告知され、それでもなおたかをくくってヤハウェに立ち帰らない民を弾劾する」(p167)内容である。

その中の一節が、まさに『日本沈没』の背後にあったテーマだと、恥ずかしながら、僕はこのときに知った。孫引きで申し訳ないが、引用させていただきたい。

永久の愛をもって、わたし(ヤハウェ)はあなたを愛した。

それ故に、わたしはあなたに慈愛を注ぎ続けた。

わたしは再び、あなたを建て直す。

あなたは建て直される、乙女イスラエルよ。

再びあなたは、鼓で身を飾り、

楽を奏でる者たちの、踊りの輪に入る。

再びあなたは

サマリアの山々に、諸々の葡萄畑を作る。

植える者たちは植え、そして収穫を得る。

まことに、見張りの者たちが、

エフライムの山で、呼ばわる日が来る。

「あなたたちは立ち上がれ。

われわれは上ろう、

シオンへと、

われわれの神ヤハウェのもとへ」と。 (関根清三訳)

乙女イスラエルを「日本」に置き換えた上で、最後の四行の一神教的構造に対してどう日本的な結末をつけるか。そこは、あまりにも、難問であっただろう。よく考えれば、『神への長い道』においても小松はこの問題を思考しているのであった。(『第二部』をお読みの方なら、この四行がどう反映したかご存知の筈だ)

となると、「サマリアの山々」は「静岡の山々」で、「葡萄畑」は「茶畑」か。そんな馬鹿な、と言いたくなるが、「葡萄」がユダヤ教において「怒りの葡萄」=踏み潰された人々の血であると同時に、キリスト教においては神の血であることを踏まえると、一神教的な構造に対決した『果しなき流れの果に』のラストが縁側でのんびりするシーンであったことを思い出さずにはいられない。それが小松にとって「神」や「救済」の代わりであったとするならば、そこに必要な「神の血」は、当然「茶」ということになる。

その「茶」は、洪水などで壊滅した人々の「立て直し」の刻苦と勤勉さの象徴のようなものである。まさに流された血と汗の結晶なのである。

西洋庭園の整然とした幾何学的空間とも、日本庭園のような「自然と人工の調和」とも違う、独特の、歪んでモコモコしているのに、異様に均質的で強迫神経的な「茶畑」に僕が感じた驚きの正体がここに明らかになったような気がした。そこには西洋庭園、日本庭園に対比されるべき「茶畑の哲学」があり「茶畑の美」がある。

「茶畑の哲学」なり「茶畑の美」の背景には、災害と「立て直し」の精神と、長い勤勉さと刻苦の歴史がある。我々は茶を飲むとき、その歴史を共有し、聖体拝領を行い、血を飲んでいるのであると伝えるために、小松左京が『日本沈没』の舞台を静岡にしたのだという仮説―― この仮説によって、初めて僕は、「SFにとって静岡とは何か、静岡にとってSFとは何か」という答えの一端に、たどり着けたような気がした。(藤田直哉)

ビアル星の記憶 ――富野アニメに見る神秘主義の起源

礒部剛喜

神は人類の堕落を憎み、地上に悪疫を流行らす風を吹き送った。純粋な毒は地上に 舞い降り、あらゆるものを死滅させた。このとき、人並みすぐれて誠実な家長は彼が 選んだ一団の人びととともに頑丈な扉のついた囲いの中に(洞窟か?)閉じ込もっ た。こうしてわずかに一握りの人びとだけが無事に避難できた。…リオン湖の堤がこ われ、大津波がイギリスの岸べに迫り、どしゃぶりの雨が続いて地上に大洪水が起 こった。(村社伸訳)

ドネリー『ラグナロク――火と瓦礫の時代』(一八八 三)

アーサー・C・クラークが近代懐疑主義精神の持主であることは、決して疑いよう がない。二十世紀イギリスを代表するSF作家として、彼がUFO,ESP,オー パーツ、ネッシー,いずれの存在にも懐疑的だった。ただクラークはノンフィクショ ンとしての神秘主義を肯定することはなかったが、フィクションにおいては必ずしも そうではなかった。

クラークの代表作『幼年期の終り』(一九五三)は、彼に内在された神秘主義の産 物だと言えたからだ。大都市の上空に浮かぶ銀色に輝く雲のような宇宙船、堕天使を 思わせる征服者オーヴァーロード、無意識下で発揮される超常現象能力、そして心霊 書記によるコンタクト。物語に散りばめられたキーワードを追えば、『幼年期の終 り』はクラークの神秘主義的な宇宙観を全面的に押し出している。『幼年期の終り』 を読む限りにおいては、クラークの内心にあるはずの懐疑主義の気配は微塵も感じら れない。

『幼年期の終り』は、近代懐疑主義精神が神秘主義と共存していても矛盾はないとい う事実を示唆していると言えるのではないだろうか? アイザック・ニュートン卿に したところで、占星術と無縁とは言えなかったのだから。ではクラークの内面に、懐 疑主義と神秘主義の両者を併存させることになった起源は何なのだろうか。その解答 は彼自身の幼年期における読書体験にあると言えるかもしれない。

さて、クラークの神秘思想の起源を辿るとき、そこに静岡を舞台にしたSF作品に接 点が浮かぶとして、両者に通底した神秘主義が存在していたと考えるのは荒唐無稽な 着想なのだろうか。

共通した神秘主義を内包したという点で、『幼年期の終り』と接点を持つ作品として 取り上げてみたいのは、静岡県駿河湾を起点に始まる富野喜幸(現・由悠季)監督の 巨大ロボット・アニメーション『無敵超人ザンボット3』(一九七七)である。ク ラークの『幼年期の終り』と、『無敵超人ザンボット3』が同質の起源を共有してい たと推断することは、それ自体が擬似科学的な発想なのだろうか?

十二歳の少年神勝平は、焼津市漁港の網元、神一族の長男だ。一族の長老神北兵左 衛門は、埋没したご先祖の遺産を見つけたと言い出して、駿河湾で採掘工事を始めて いた。そんなおりもおり、焼津市に正体不明の怪物が出現して街を破壊しだす。沖合 の採掘現場も破壊されるが、海底から巨大な宇宙船が浮上し、勝平を収容する。神一 族の祖先が残した遺産とは、宇宙船〈ビアル一世〉だった。神一族は、かつて宇宙の 破壊者ガイゾックに母星を滅ぼされ、地球に逃れてきたビアル星人の末裔だったの だ。街を襲った怪物は、ガイゾックの放ったロボット・メカブーストだった。勝平と 神一族は、祖先の残した宇宙船〈キング・ビアル〉と巨大ロボット兵器ザンボット3 に乗り込み、ガイゾックを迎え撃つ。

物語の基本構成は単純で明快ながら、人間ドラマに焦点を置いた展開は、決して正義 対悪という単調な図式に収まってはいない。神一族は、ほとんど単独でガイゾックに 闘いを挑み、ほぼ全員が壮烈な最期を遂げ、勝平だけが地球に生還するという衝撃的 な結末だった。加えて特筆すべきは富野監督のキャスティングセンスで、神勝平を演 じるのは、後にドラえもん役で知られる大山のぶ代その人である。

この作品で最も重要なのは、古代に滅亡した高度な文明の残した超技術の産物が現代 に復活するという構図である。『勇者ライディーン』(一九七五)で始められた、太 古の超文明の遺産である巨大ロボットを受け継ぐという着想は、『ザンボット3』、 『伝説巨神イデオン』(一九八〇)と、富野アニメで繰り返し用いられている。『機 動戦士∀ガンダム』(一九九九)も、この範疇に含まれていい。

失われた古代科学の再生という着想は、現代SFから忘れられて久しい〈第一期文 明仮説〉に基づいている(古代に異星人が地球を訪問していたという〈古代宇宙飛行 士飛来仮説〉もこれに含まれる)(1)。かつて高度なテクノロジイを持った (ムー、アトランティス、レムリア、パンとあまたの呼び名がある)大文明が繁栄し ていたが、地球規模のカタストロフによって滅亡したという〈第一期文明仮説〉は、 本来SFには古典的なテーマだった。

〈第一期文明仮説〉は、現在では〈シェイヴァー・ミステリ〉(2)同様に、完全な 擬似科学と見なされるようになったため、最近のSFのテーマとして浮上してくるこ とは稀であるものの、同質の着想が富野アニメで繰り返されたことは黙殺すべきでは ない。

さまざまな歴史的な材料を物語に巧みに導入している点が、富野アニメの特徴だった ことを考えれば、滅亡した文明のテクノロジイを受け継ぐという着想と展開にも、同 じような史実性の援用が含まれているはずであり、彼が用いる小道具を軽視してはな らない。

たとえば『機動戦士ガンダム』(一九七九)における宇宙要塞〈ア・バオア・クー〉は、ボルヘスの『幻獣事典』から引用された回教神話の妖怪に起因していることはよ く知られているし、『重戦機エルガイム』(一九八四)では、重層性のある背景を中 国史に求めている。〈ペンタゴナ・ワールド〉の帝王ポセイダルの情報機関〈十三人 衆〉とは、中国国民党の秘密警察〈藍衣社〉と同義語であった。

SFの文学史的な潮流から見ても、決して擬似科学として排撃してよいものではない〈第一期文明仮説〉テーマの作品は無数に書かれたが、その起源となったのはイグ ネーシャス・ロヨーラ・ドネリーの『アトランティス――大洪水以前の世界』(一八 八二)であった。フィラデルフィアの弁護士で、ミネソタ副知事を経て連邦下院議員 となったドネリーは、あらゆる古代文明は水没した幻の大陸アトランティスを起源と するという仮説を極めて一般的なものにすることに大きく貢献したのである。

ドネリーの仮説が広く受け入れられた理由は、それが――後に、モーリス・ジェサッ プ、フランク・ドレイク、ル・ポア・トレンチ卿といった〈古代宇宙飛行士飛来仮 説〉を支持した人々に模倣されたように――聖書の世界観を再構築したものだったか らだ(3)。すなわちドネリーが示してみせたのは、ユダヤ・キリスト教的世界観の 正当性だった。これはクラークの『幼年期の終り』と矛盾するものではない。後に有 名になるヴェリコフスキーの『衝突する宇宙』が、ドネリーの直径の子孫であったこ とは、旧約聖書神話の実証の試みという点で明らかである。

そしてクラークはその少年時代に、ドネリーの『アトランティス…』と『ラグナロク ――火と瓦礫の時代』(一八八三)に強い影響を受けていた。『幼年期の終り』の結 末で、霊的存在へと進化した人類が、繭を破るように地球を崩壊させる光景は、ドネ リーの描写した天変地異とよく似ている。クラークがドネリーを擬似科学の守護聖人 と批判しても、『幼年期の終り』に関する限り、ドネリーの影響を拒絶することは困 難である(4)。

確かに『ザンボット3』は、『ライディーン』や『イデオン』に較べれば神秘的な色 彩は希薄である。しかしそれは、前作『ライディーン』で神秘性が強すぎるという理 由で総監督を降番となった反省に立っていたからだと見なしても誤りではないであろ う。『イデオン』と比較しても『ライディーン』のキリスト教色は際立って強かった からだ。ヒロイン明日香麗は、修道女から戦闘機のパイロットに転身してくるのだ。

かくてユダヤ・キリスト教的な〈第一期文明仮説〉という鏡に映し出せば、富野ア ニメに秘められた神秘主義的な世界観は、『幼年期の終り』と限りない酷似性を共有 していたと見なせるのではないだろうか。                ――ニ 〇一一年七月

(1)〈第一期文明仮説〉を扱った作品には、ハミルトン『虚空の遺産』ラインス ター『死都』が有名だ。ホーガンの『星を継ぐもの』も、〈第一期文明仮説〉に関し ては、豊田有常『神話と伝説にみる異郷体験』(『SFファンタジア 第三巻異世界 編』(学研)収録)が詳しい。
(2)現代のSF史から故意に抹殺された、滅亡した古代レムリア文明の末裔とのコン タクト・ストーリー〈シェイヴァー・ミステリ〉騒動については、アシュリー『SF雑 誌の歴史』(東京創元社)を読まれたい。
(3)いずれも〈古代宇宙飛行士飛来仮説〉の先駆者たちである。太古に異星人が地 球を訪問していたという仮説は、E・V・デニケンの著書『未来の記憶』(角川文庫) が有名だが、同書がベストセラーになった理由は、その先駆者たちよりキリスト教色 を希薄にしている点にある。
(4)クラークの神秘主義的世界観の起源については、自伝的読書録『楽園の日々』(早川書房)を参照。

竹取物語考――「ものをかたることの出で来はじめ」

1. 《物語の出で来はじめの祖》なる竹取物語

或る三月のうららかな春の日のこと、宮中は一斉に色めき立っていました。今をときめくふたりの姫君、すなわち、源氏の君が擁立する梅壷の女御と権中納言が擁立する弘徽殿の女御とが、帝のご寵愛をめぐって勝負をすることになったからです。その勝負の内容は、帝が絵をたいへんお愛であそばされるのにちなみ、物語を描いた絵巻を互いに持ち寄って、どちらの見せる作品がよりすぐれた芸術であるかを女官たちに品評させるというものでした。そこで梅壷の女御が提出したのが《物語の出で来はじめの祖》、つまり日本で最初の物語と呼ばれる『竹取物語』の絵巻だったのです。

梅壷の女御を応援する女官たちは『竹取物語』の価値を弁護してこう言います。「なるほど『竹取物語』は、話中の竹取の翁よろしく、古くさくつまらなく感じられるお話かもしれません。でも、かぐや姫がこの世界の穢れに染まることなく矜持を保って天へとのぼる姿は、神代の出来事にも似て、浅薄な人間にはちょっとわからぬ崇高性が感じられるのです」。弘徽殿の女御の側に立つ女官たちは、これに反論してこう言います。「かぐや姫がのぼったという天の世界がもはや人間の想像の及ばぬ境地だというのなら、そんなものは物語になりようがないでしょう。そもそもかぐや姫を育てた竹取の翁はきっと身分の卑しいひとだから、貴族であるわれらとは無縁です。じっさい、かぐや姫は、もったいなくも帝のご寵愛を受けながらとうとう妃にならなかったではありませんか。おまけに『竹取物語』に登場する公達がとても無様に描かれているのはけしからぬことです」。

上に引いたのは、『源氏物語』の第17帖「絵合」の巻の中の一節です。このくだりは『竹取物語』の名前が言及される最古の記述であると同時に、現存する限りで歴史上はじめての『竹取物語』についてのまとまった論評と見ることができます。じっさい、梅壷の女御を応援する女官たちも、弘徽殿の女御の側に立つ女官たちも、作品を擁護するか誹謗するかでは立場が分かれるものの、両者の主張の内容自体はそれほどかけはなれてはいません。両者とも、かぐや姫をいささか傲慢な人物と見なす点で一致しています。そして、かぐや姫を傲慢と見なす評価の背後には、『竹取物語』の価値観が貴族社会のそれとおそらく相容れないだろうという判断がはたらいています。なぜなら、『竹取物語』とは竹取の翁という「下人」を中心にして展開する物語であるのみならず、貴人たちを――あまつさえ帝その人を――ないがしろにしていると受け取れる節すらあるからです。

じっさい、『源氏物語』から千年近く下った時代にあって、川端康成が『竹取物語』の解説を書くさいに苦慮したのもまさにこの点でした。なぜなら、彼が『竹取物語』の現代語訳を上梓した1937年は、日中戦争が開始した年でもあったからです。天皇制のイデオロギーを中心にして日本の価値観が一元化されていく大きな流れの真っただ中で、川端は、かぐや姫が帝に肘鉄を食わせる描写を不敬と見る向きを刺激しないよう、細心の注意を払いながら『竹取物語』の文学的価値を擁護しなければなりませんでした。にもかかわらず、そんな難しい時期に敢えて川端が『竹取物語』の訳業を遂行したのだとすれば、きっとそれだけの理由があったはずです。彼がリスクと引き換えにするだけの意義を『竹取物語』に認めていたのだと仮に想像したところで、これはあながち的外れな推測だとは言えないでしょう。

それでは、川端康成が『竹取物語』に見いだした意義とは何でしょうか。じつのところ、彼は『竹取物語』を「わが国小説の始祖」、つまり日本で最初の小説作品と見なしていたのでした。川端が『竹取物語』に対して送る賞賛の言葉はすべて、「小説としての善し悪し」という観点から下された判断に基づいています。少し長くなりますが、川端本人の言を見てみましょう。

竹取物語は、小説として、発端、事件、葛藤、結末の四つがちゃんとそろっている。そしてその結構にゆるみがないこと、描写がなかなか潑溂(はつらつ)としていて面白いこと、ユーモアもあり悲哀もあって、また勇壮なところもあり、結末の富士の煙が今も尚天に昇っているというところなど、一種象徴的な美しさと永遠さと悲哀があっていい。しかし何よりもいいのはやはりその文章である。簡潔で、要領を得ていて力強く、しかもその中に自然と色々の味が含まっているところ、われわれはどうしても現代文でその要領のよさを狙うことはできない。しかしその中にちゃんと調子(トーン)があって、強まるべきところは強まり、抑えられるべきところは抑えられてあって、この作者がなかなか芸術家であることが感じられる

つまり、川端康成も、そして紫式部も、『竹取物語』をひとつの芸術作品として――しかも、最初の芸術作品として――捉える点にかけて共通しているわけです。いまぼくは「芸術作品」と言いました。この場合の「芸術作品」とは、その物語が、何らかの伝説を語り継ぐことによって生み出されたのではなく、たとえ氏名不詳にせよ、単一の作者による独創を基にして創作されたのだということを意味します。だから、『竹取物語』は、さまざまな神話伝承を編纂することによって生まれた『記紀』とは峻別されるのです。

川端が賞賛する『竹取物語』の文章の美点とは、言うなれば、その作者が“自分は創作行為をおこなうのだ”と自覚できていたからこその結果に他なりません。そして、この自覚の背後には、『竹取物語』の作者が、神話の伝承というコンテクストから分断されていたという事態が存在します。すでに『源氏物語』の時点で、『竹取物語』は、いつ制作されたかもわからないほど古い物語だと語られていると同時に、その内容は「まるで神々の時代の事蹟のようである」と述べられています。ということは、紫式部でさえ、『竹取物語』の起源についてまったく知らなかったにもかかわらず、これを『記紀』で語られるような神話から区別しなければならないと理解していたことになります。もし『竹取物語』を神話の範疇に数え入れていたのなら、彼女はこれを指して「まるで神々の時代の事蹟のようだ」などという言い回しは用いなかったでしょうから。

この原稿でわたしたちは、『竹取物語』が《物語の出で来はじめの祖》と呼ばれる理由を、「神話と物語の違い」という観点からできるだけつまびらかにしようと考えています。そして、この試みは同時に、『竹取物語』の主題とはそもそも何であるのかという謎に一抹の光を投げかけるでしょう。

2. 言葉の起源をめぐる物語

みなさんにも思い出していただきたいのですが、『竹取物語』は、言葉の起源を解き明かす説話というスタイルを採っています。その一例として、世にもたぐいまれなる美貌とうわさされるかぐや姫のすがたを一目見ようと、野次馬たちがむらがった場面を挙げましょう。男たちは、夜も眠らず竹取の翁の屋敷の周りにやってきて、垣根に穴をあけてのぞきこんでは、あちらこちらをうろつくのでした。そして、このようにかぐや姫を求める男たちが夜中に徘徊することから「夜這い」という言葉が生まれたのだと『竹取物語』は説明しています。

「よばい」とは、もともとは「呼ばふ」の名詞形に由来する言葉です。たとえば、『古事記』では、八千矛神(やちほこのかみ)が沼河比売(ぬなかはひめ)の家に来て妻問いの歌を詠み呼びかけるときに、「よばひ」という言葉を用いています。ところが『竹取物語』は、言うなれば、神聖な求婚の儀式としての「よばひ」を、あさましい男たちの「夜這い」へとすり替えてしまうことで、パロディの笑いを生み出しているわけです。

神話の世界では、言葉の起源を解き明かす説話は、必ず特定の神の行為とその神にまつわる特定の地名とに結びつけられます。特定の地名は、その土地を嘉する神にちなんで命名されるものなので、他のどんな言葉とも交換できない特別な価値を秘めているのです。たとえば、『常陸国風土記』では、ヤマトタケルが新しい泉の水に袖をひたしたという事蹟にちなんで、常陸の国と名づけられたと説明されています。《その國俗(くにぶり)のことわざに、筑波岳に黒雲かかり、衣袖漬(ころもでひたち)の國》と『常陸国風土記』が語るとき、その背後には、神託によってその土地の呼ぶべき名があらわされた以上、土地の名とは神に呼びかけるための神の名でもあるという信仰が隠れています。風土記に言う「ことわざ」とは、神託の言葉であると同時に神を呼ぶ言葉なのであって、この発想は、やまとうたの枕詞へと引き継がれるでしょう。

このように言葉が呪能をもつと考えるいわゆる言霊信仰の発想と『竹取物語』のそれとを引き比べると、両者の違いは歴然と言わねばなりません。『竹取物語』においては、言葉の起源を説明するのは、神ではなく人間たちの事蹟なのですから。五人の皇子がかぐや姫の出す難題にほんろうされたあげく次々と失敗していく様子を指して、「恥(鉢)を捨てる」とか「あへ(阿部)なし」とかといった言葉が生まれたとする『竹取物語』の語り口には、『源氏物語』で女官たちが憤慨したように、貴族社会への揶揄が見え隠れします。しかし、さらにもう一歩踏み込んで考えるなら、『竹取物語』が徹頭徹尾まなざしを向けているのは、人間世界の何たるかなのです。かぐや姫に求婚する貴族たちが情けなく描かれるのは、貴族という社会身分が情けないのではなく、そもそも神ならぬ人間という存在が情けないからです。このことについてはまたあとで、あらためて考える機会があるでしょう。

神ではなく、あくまで人間に密着して言葉の起源を語ろうとする『竹取物語』の姿勢は、富士山の命名の由来を解き明かす結末の段に、端的にあらわれています。すなわち、当該のくだりでは、なぜ富士山がそう呼ばれるようになったかと言うと、山の頂上で「不死」の薬を燃やすさいに「あまたの士」が山をのぼったからだと語られているのです。ここで注目して欲しいのは、『竹取物語』の作者が、「富士の山」という地名をめぐって、「ふじ」という音の観点から「不死」という観念を想起させると同時に、「富士」という字形の観点から「あまた(富)の士」という観念を関連づけている点です。つまり、『竹取物語』の作者は、空想物語という表現を用いているとはいえ、音韻と字義という純粋に言語論的な地平から/純粋に言語論的な地平にとどまって「富士」という言葉を語ろうとしているのです。言い換えると、『竹取物語』は、言葉そのものについて鋭敏な感覚をもったひとの手になる物語だと見なす必要があります。

『竹取物語』が書かれたと推定されている平安朝初期は和歌が衰退して漢詩が興隆した時代だったという理由で、国文学者の小島憲之氏はこの時期を指して国風暗黒時代と形容しました。じっさい、『竹取物語』の作者も漢学の素養を備えた人物だったと考えられています。しかし、もう少し高い目線から考えるなら、この時代は、ただ和歌が漢詩に圧迫されていた時期というだけでなく、日本の文化それ自体が大陸の文化と混淆して、旧来の日本のアイデンティティが消失の危機を迎えた時代でさえあります。そして、消失の憂き目にあったものの中には、日本の古い神話の伝統も含まれているのです。そんな具合に、伝統的な文化と新しい異文化とが混淆を起こして、両者の境界があいまいになる危機の時期には、必ず「日本とは何か」という問いがひとびとの中で発生します。伝統とは、そうした問いかけの中で獲得された思惟に基づいてあらためて境界を画定され、再構成されながら存続していくものなのです。

『竹取物語』は、まさしく、再構成された新たなる国風の芸術として生み出されました。『竹取物語』の作者は、漢学に精通していた人物だった――ということは、この人物は、日本語という言語の世界の外側に出て、日本語の限界を見直すだけの展望をもつひとでした。じっさい、国文学者の泰斗・西郷信綱氏は、『竹取物語』の作者を指して、当時の漢学者たちはバイリンガルな世界に生きながら自国語を対象化して、その全体としてのあり方を意識せざるをえない立場にいたと述べています。仮に日本人が大陸の文化の影響をこうむることがなければ、日本語それ自体を考察するという発想はけして生まれはしなかったでしょう。したがって、『記紀』で語られるような日本神話の伝統がひとつの節目を迎えて、その代わりに『竹取物語』のような新しい形式の文学が誕生するという事態と、『竹取物語』の作者が言語に鋭敏な感性をもちながら、日本語それ自体を主題化するような物語を創作するという事態とは、じつは表裏一体をなしているのです。

ところで、このように『竹取物語』の作者は、或る意味でそれまでの日本の伝統を総括するという思想のもとに創作をおこなっているのですが、彼と相通じる思想をもつ偉大なSF作家をわたしたちはよく知っています。それは小松左京氏です。みなさんもよくご存知の通り、小松左京氏は、その長きにわたる作家活動を通していつも、わたしたちが生きるこの宇宙と未来との関係を、繰り返し問い直そうと試みました。わたしたち人間は、この宇宙のあり方について「なぜ」という問いを発さずにはいられません。「なぜわたしたちは存在するのか」、「なぜこの宇宙は存在するのか」、「なぜわたしたちは問わずにはいられないのか」……などなど。しかるに、わたしたちが「なぜ」という問いを発するとは、未だ見ぬ答えを既存の世界を超えた地点に求める行為に他なりません。つまり、「未来への問い」に他ならないのです。そして、わたしたちが未来に向かって一歩を踏み出すとは、これまでの世界の限界を線引きして、既存の秩序のすべてを――人類を、モラルを、社会を、文明を、歴史を――総体として思惟の対象にすることを意味します。この「未来への問い」を物語という表現を通して思索するというのが、小松左京氏の定義するサイエンス・フィクションです。そして、この意味で『竹取物語』は、日本で最初の物語であると同時に、日本で最初のSF小説でもあると言えるのです。

3. 《我をな視たまひそ》――『古事記』と『竹取物語』の穢れ観

しかし、『竹取物語』が“問い”の対象にするのは、ただ言葉の由来に尽きるというわけではありません。みなさんは、『竹取物語』がきわめてあざやかな手腕でもって、人間社会の縮図を表現していることにお気づきでしょうか。これは、『源氏物語』の中で女官たちが『竹取物語』を指して、身分の卑しいひとの生きる世界を描いた物語だと評していた点とも関係します。

いまさら言うまでもありませんが、『竹取物語』は、竹を取ることを生業にしている竹取の翁が、竹林で一本の不思議な光る竹を目撃して、その竹の中に小さな女の子を見つける場面からはじまります。女の子を見つけて以来、翁はたびたび竹の節の中に黄金が入っているのを発見するようになりました。そうして翁は富豪になって権勢をふるうようになります。女の子が成人して「かぐや姫」と名づけられたさいに催されたお祝いの儀では、身分の貴賎を問わず男なら誰も彼もが呼び集められて、大宴会が興じられました。しかしそのためにかぐや姫の評判が天下にひろまって、五人の貴人の求婚者があらわれ、やがて帝その人までもが姫に恋することになります。

つまり、『竹取物語』には、竹取りという卑しい身分である翁からはじまって、次にその翁が富豪となって、さらに続いて貴族たちがやって来て、最後に帝があらわれるというかたちで、社会の最下層から頂点に至るまで――シンボリックな表現方法で簡略化されているとはいえ――あらゆる身分の人間が順番に物語に登場するのです。これは、言い換えると、『竹取物語』の作者の“問い直し”の対象にされる定めからは、人間世界の最高存在たる天皇ですら逃れられていないということを意味します。その意味では、川端康成が対応に苦慮したあの『竹取物語』が天皇制を揶揄しているという非難の声に、まったく謂われがないというわけでもないと言えるでしょう。ただし、『竹取物語』論でよく話題に出るように、帝がかぐや姫に袖にされたかどうかが問題なのではありません。本当の問題は、『竹取物語』の中で、この地上世界の全体が「穢きところ」とされている点にあるのです。

平安朝の社会に生きたひとびとが「穢れ」をめぐる世界観によって諸般の行動を全面的に規制されていたことについては、あらためて説明の要もないでしょう。『竹取物語』とほぼ同時代に書かれた『延喜式』は、穢れの忌避について細かな規則を定めています。しかし、当然ながら、一定の規則体系として整備されるのに先駆けて、穢れという観念自体はひとびとの意識の中に存在していたはずです。なぜなら、穢れとは、時代を下るにつれて形骸化したイデオロギーと化していくものの、もともとは人間の自然な身体感覚から発生した観念だからです。わたしたちは『古事記』の中に、穢れの観念の原型をあらわしている挿話を求めることができるでしょう。その模範例が、有名なイザナギの黄泉国訪問譚です。

そのあらましについては、ここで語るまでもないでしょう。むしろわたしたちが目を向けたいのは、黄泉の国から帰還したさいにイザナギがこう語ることです。《吾はいなしこめしこめき穢き国に至りて在りけり。故、吾は御身の禊為む》。イザナギは、黄泉の国に足を踏み入れて身体が黄泉の穢れに触れてしまったから、その穢れを浄めるためにミソギをしなければならないと宣言します。しかし、問題なのは、いったいどうしてイザナギは黄泉の国に行っただけで穢れを身に帯びることになったのかという点です。イザナギが黄泉の国をおとずれたとき、イザナミはすでに「ヨモツヘグヒ」をしていたせいで生者の世界へ帰ることができませんでした。「ヨモツヘグヒ」とは、黄泉の国のカマドで煮炊きしたものを食することです。黄泉の国のかまの飯を食べると黄泉の国の人となってしまい、もはやこの世に戻ることはできなくなります。「ヨモツヘグヒ」とは、生者と死者とを分つひとつの境界線であって、イザナミはこの境界線を超え出てしまったから、死者たちに仲間入りしてしまったのでした。しかし、イザナギの方はどうでしょう。はたして「ヨモツヘグヒ」に類するような行為を何かしでかしていたのでしょうか。

自分を迎えにきたイザナギに対して、イザナミは、「わたしが生の世界に帰れるかどうかをこれから黄泉の神と相談して来るので、そのあいだわたしをけして見ないで下さい」と言い置き、黄泉の国の奥殿へとすがたを消します。しかし、待ちきれなくなったイザナギは、灯りをともして奥殿へと入り込み、そこで腐乱したイザナミのすがたを目撃することになります。これは、通説では「見るなのタブー」と呼ばれる物語定型と説明されます。すなわち、「見るな」と禁止されているにもかかわらず見てしまうことから破局が生まれるという、世界中でひろく観察される民話のモチーフだというわけです。ギリシャ神話の「パンドラの箱」、オルペウスの冥府下り、日本のおとぎ話の「鶴の恩返し」、「三枚のお札」などがその有名な例です。とはいえ、『古事記』の黄泉の国に関する記述を、その他の民話と同列の「見るなのタブー」の一例というだけで片付けてしまってはいけません。イザナギの黄泉国訪問では、単に定型であることを超えて、「見る」という行為が特別な意味をもつからです。

その片鱗は、すでに「黄泉」という名称それ自体にうかがえます。というのは、「ヨミ」とは、「ヤミ(闇)」が母音交替によって転化して生まれた言葉であって、つまりは視覚に由来する名称だからです。奥殿へと消えたイザナミを追いかけるときにイザナギがひとつ火をともして殿に入ったという記述からも、黄泉の国が闇に閉ざされた場所だというイメージが喚起されます。そしてまた、黄泉の国から帰還したさいにイザナギがミソギをして、最後に目を洗うことによってアマテラスが誕生する点も見逃せません。それはつまり、イザナギが黄泉の穢れをミソギで清める中で、とくに目を清めることが重要だったことを意味しているからです。だから、わたしたちはここでひとつの仮定を立ててみるとしましょう。すなわち、イザナギは、イザナミの死体を「見た」せいで穢れたのだと。

穢れは接触を介して伝染するという理解が一般的ですので、見るという行為が穢れを伝染するという解釈は奇妙に聞こえるかもしれません。この点についてみなさんに納得していただくためには、先に、『古事記』が語る黄泉の世界像が「モガリ」と呼ばれる古代の埋葬儀礼と結びついていることを説明する必要があります。じっさい、書紀一書に曰く、イザナギはその妹を見たいと欲して《モガリの処》へと至ったとされています。モガリとは、死者のなきがらを埋葬するまでのあいだ、一時的に安置しておくことです。生と死の判別が容易ではなく、また火葬が導入される以前の日本では、死者が腐敗して腐臭を発するようになるまでは、その肉体を保管して“早すぎる埋葬”の間違いをしでかすまいと用心していたわけです。このことを踏まえた上で、黄泉の国でのイザナミの記述を振り返るなら、《ウジタカレコロロキテ》という表現は、まさに死体が糜爛して、血膿がこぼれ、おびただしい数のウジ虫がうごめいている様子を形容していることに気づかされます。《コロロク》とは「むせび泣く」の意であって、ウジが死体を旺盛にむさぼるさまをコロコロと鳴く虫の声になぞらえているのです。

しかし、明らかに腐敗死体と確認されるより以前のなきがらについては、生死の判断が留保されていました。モガリの最中の死体は、厳密に言えば、生者の領域にも死者の領域にも属さず、一方から他方への移行状態にあると考えられていたのです。このことは、イザナミにもあてはまります。『古事記』によると、イザナミのなきがらは《出雲国と伯伎国の堺の比婆の山》に葬られたとあります。ここで言う「出雲国」とは、たとえば想像上の「西方」が極楽浄土と比定されるのと同じで、『古事記』の神話宇宙の中で“死の世界”の役割をになう場所です。つまりイザナミは、出雲国ではなく、出雲国の“境”に埋葬されたのだから、ただちに死者と認定されたのではありません。そして同じ意味で、黄泉の国は、じつは「死の世界」ではなく、正確には「生と死の中間領域」と理解されなければなりません。そうすれば、イザナギが黄泉の国におもむいた理由も納得がいくようになります。そもそも黄泉の国が死の世界であるのなら、イザナミを生の世界に連れ戻すことなどはじめから不可能だからです。そしてまた、以上の話から、イザナミが《我をな視たまひそ》と発言したわけも今や明らかです。というのは、イザナミは、イザナギに自分のすがたを見られない限り、死者と認定されることなく、少なくとも生死不明の状態でいられたのですから。

要するに、モガリにおいて死体を「見る」という行為は、生死未分のグレーゾーンに決着をつけ、生と死とのあいだにあらためて境界線を確定するという決定的な意義をもっていました。そして、「穢れ」とは、このように生死が決定不可能な状態のことを指す言葉だったのです。じっさい、平安期のひとびとの意識では、同じ死体であるとはいえ、白骨に触れたところで触穢とは見なされませんでした。あるいは、手とか足とかのようなごく一部しか残存しない死体もまた穢れを触発しないか、あるいは、穢れを触発するにしてもその程度として、完全な死体に比べて軽微であると判断されていました。つまり、誰が見ても完全に死に終えている死体はもはや穢れてはいないのであって、穢れとは、生と死とが混淆して宙吊りにされている状態に固有の観念なのです。

こうしてみると、まるで『古事記』の黄泉国訪問譚は、千年以上前に先取りされた「シュレーディンガーの猫」の感があると思われるかもしれません。しかし、穢れという現象が、それを認識する者との関係によって決定されるという発想こそ、平安朝のひとびとを支配する思考なのでした。その顕著な例は、触穢に対する忌みの作法に求められます。『延喜式』の定めるところ、穢れに触れた人間は、一定の日数だけ、参内なり神事なり公の行事への参加を忌み慎まなければなりません。なぜなら、穢れに触れた人間に接触した人間もまた、穢れに伝染すると見なされていたからです。しかし、忌み日の日数をいつから数えはじめるかというと、死の瞬間から測るというのが一般的だったようです。それはつまり、いつをもって死を死と認めるかという判断と穢れとが、切っても切り離せないことを意味します。でも、もっと面白いことがあります。それは、穢れものが存在すると知らずに穢れに触れていた場合、穢れものが発見されたときから忌みのはじまりを数えはじめるか、あるいはそもそも忌みの必要がないと考えられていたことです。たとえば『為房卿記』九月二十日のくだりでは、前日の夕方から内裏に犬の死体があったにもかかわらず、その発見は殿下がすでに内裏を出てからのことだったので、殿下は穢に触れたことにならなかったと記されています。ここからも、穢れは人間の認識が生み出すのであって、認識されない穢れはもはや穢れではないという考えがうかがえるでしょう。

話を元に戻しましょう。「穢れ」が「見る」という認識行為と相即しているという事態は、もうひとつの重要な帰結を導きます。穢れは、「空間認識」によって規定されるのです。イザナギにすがたを見られたイザナミは、《吾に辱見せつ》と言って彼を追いかけます。そこでイザナギは、ヨモツヒラサカに千引の石を引き塞えて、イザナミにコトドを渡します。「ヨモツヒラサカ」の「ヒラ」とは、切り立った崖を意味します。すなわち、地上と地下深い世界とを行き来するための通路をなす境界の意であって、それが「サカ」、つまり境という言葉に通じます。この黄泉の世界と現世との境に石を置くとは、生と死とのあいだに境界を画定することを意味して、この境界画定を宣言する行為が「コトド」に他なりません。「コトド」の「コト」とは「別」であって、つまりは別れの言葉なのですが、ただし、ひろく信じられているように、これをイザナミに離縁を告げる言葉と解釈するのは間違いです。「コトド」とは、モガリにおいて生死不明の状態にある死者に対して、死を確認してそれを宣言する呪言なのです。ゆえに、コトドは、感覚の次元でも観念の次元でも、生の空間と死の空間の境界を線引きする行為と言わねばならないでしょう。よく黄泉国訪問譚と比較されるオルペウスの冥府下りの物語でも、オルペウスは、「振り向くな」と禁じられていたにもかかわらず、地上に出た瞬間にエウリュディケーを案じて振り向いてしまいます。そのときオルペウスが目撃するのは、エウリュディケーが生の境界線の向こう側に立っているすがたです。つまり、この神話の中でも「見る」という行為はそのまま境界画定の行為と相即しているのです。

じっさい、モガリとは、喪屋を建てて、死体の安置されている空間と生者のそれとを区別する営為であって、この喪屋は「モガリの宮」とか「アラキの宮」と呼称されます。『総合日本民俗語彙』によると、青森県の津軽地方では、喪のある家の表口に二本の木をななめ十字に組んで立て、これをモガリと呼ぶそうです。これは要するに、かつて死体の置かれていた空間を垣根で囲んでいた習俗の名残りです。同じく、茨城県では小児を葬るさい、四十九本の青竹を割って周囲に柵を結い、これをモガリと称していたという話からも、このことは確認できます。そして、死者のための空間を画定するというモガリの意識は、平安朝の穢れの観念へと受け継がれます。すなわち、穢れが伝染する範囲は、空間の境界によって定められていたのです。たとえば、建物の壁に囲われた空間は、建物の外部で発生した穢れから、建物内にいる人を守ってくれます。反対に、建物の内部で穢れが発生したさいには、穢れは建物を囲む垣根を越えてひろがっていくことはないとされていました。

今や、わたしたちは、黄泉の国におもむいたイザナギが穢れに触れたとされる理由を、完全に理解することができます。イザナギは、モガリの宮でイザナミと空間を共有したから、穢れを身に受けたのです。なぜなら、モガリにおいて生死未分の存在に決定を下すとは、自分自身がこの生死未分の中間状態へと入り込むことを意味したからです。「見る」とは、視の対象と同じ世界に帰属することです。死を見つめようとするひとは、死において、死から見つめ返される。それが、「空間を共有する」という事態の本質に他なりません。だからこそ、モガリという行為は、穢れという危機的事態を触発すると同時に、視覚と切っても切り離せない関係を有するのです。

そして、ここであらためて『竹取物語』の記述を振り返るなら、この地上世界のすべてを「穢きところ」と呼ぶ感覚が、『古事記』の世界観といかにかけ離れているかということに気づかされます。『竹取物語』の世界では、穢れの概念は、モガリの空間を越境して、極限にまで拡大されています。そしてその背後には、おそらく、仏教によってもたらされた火葬の経験が潜在しています。

繰り返しになりますが、モガリとは、生から死への移行態にある死体を、完全に死が確認されるまでの期間だけ保存することでした。つまり、モガリの死体は、再生する可能性を保持しています。それがヨミガエリです。じっさい、『日本霊異記』には、ヨミガエリにまつわる挿話がいくつか収録されています。そして、それらのエピソードでは、突然に死を遂げた人物がいて、その死体を《モガリして置く》と、数日後にヨミガエるという物語のパターンが共通しています。しかし反対に、『霊異記』には、火葬によって葬られたひとの話も載せられています。中巻二十五に曰く、死すべき定めにあった或る女が閻魔の使いに賄を送ったおかげで、この使いの鬼は、同名の女を冥途に連れて行きました。しかし、鬼のごまかしは閻魔の知るところとなって、冥途に連れて来られた女は現世に帰ることになります。ところがすでに、女の身体は焼かれてしまっていました。そこで代わりに、本来死すべきだった女の身体に入ってヨミガエる……そんな話です。つまり、火葬は死の最終決定であって、ひとたび身体が荼毘に付されてしまっては、もはや蘇生の可能性は絶無となってしまうのです。

前節で見た通り、『竹取物語』の時代とは、相異なる文化の混淆によってあいまいになった日本のアイデンティティがあらためて画定された時代です。そして、生と死の境界線をどこに引くかという問題もまた、この時期に火葬という新しい方法で、新しい回答が与えられるようになりました。死者に対して向き合う態度が変化した結果、生から死への移行態という観念もまた変質をこうむるでしょう。すなわち、人間が「生きる」ことそれ自体が、すでにして生死未分の状態、すなわち「穢れ」であるとする思想が誕生するのです。それが「穢土」という観念です。どうして竹取の翁に《さかきの造》という名前がわざわざつけられているのかという謎の答えもまた、この点に存します。というのは、作者が竹取の翁の素性をどのようなものとして構想していたかに関係なく、翁に「造」という「姓(カバネ)」が与えられている点こそが重要だからです。

「姓」とは、本来は地方豪族の称号だったものが、大和朝廷によって政治制度として組織化され、社会の階級をあらわす呼称となりました。しかし、さらに下って律令国家の時代になると、姓は一般民衆にまで拡大されて、誰もが戸籍をもつようになります。血縁集団という発想は、「姓」という表現を与えられてはじめて実体化するものです。つまり、戸籍制度の発足から百年以上の時間を経て平安朝の時代には、一般民衆にまで「家族」という概念が浸透していたということです。だからこそ、竹取の翁は、かぐや姫に対して、「女性のしあわせとは結婚して、男女の契りを交わして一門を増やすことだ」と説くのです。しかし、人間が生殖によって子孫を増やすという行為の裏には、人間が死すべき存在だという事実が存在します。その意味で、「姓」は「屍」に通じるのです。

生殖も死もかぐや姫にとっては、同じひとつの現象の表と裏に過ぎません。すなわち「穢れ」です。かぐや姫にとってのこの地上の人間は、イザナギにとっての黄泉のイザナミにひとしい存在だと言い換えてもかまいません。かぐや姫が貴人たちからの求婚をこばみ続けるのは、穢れに触れまいとする努力であって、つまりはかたちを変えたコトド渡しなのです。だから、かぐや姫は、五人の皇子たちに絶対に達成不可能な試練を課しました。そうして五人の皇子たちは、かぐや姫にほんろうされながら、はじめから失敗が約束されている冒険を繰り広げるでしょう。その中には、石作皇子のように、ずるくて姑息な振る舞いもあります。車持皇子のように、同じ詐術にしても大胆不敵で、機知にあふれた作戦もあります。阿部御主人のように、間抜けで、それだけに憫笑を引き起こす顛末もあります。大友御行大納言のように、すったもんだの滑稽譚もあります。中納言石上麻呂足のように、精一杯力を尽くした甲斐もなく、みじめに失敗して破滅する悲劇もあります。しかし、そんな人間的な喜怒哀楽のすべてが、かぐや姫にとっては穢れに他なりません。

このことを象徴的に表現しているのが、かぐや姫が帝に言い寄られて、あわや連れ去られようとした場面での出来事です。そのときかぐや姫は、帝にこう言います。「わたしがこの国に生まれたものであったなら、お宮仕えもいたしましょう。しかし、そうではないのですから、お連れになるわけにはいかないでしょう」。そして次の瞬間、かぐや姫は、突然影になって消えてしまいます。ここでかぐや姫の言う「国」を、国家とか政治体制とかといった意味に解してしまうと、もうその次の展開の意味がわからなくなってしまうでしょう。この「国」という言葉は、「黄泉の国」がそうであるように、ひとつの次元を指し示します。したがって、「この国に生まれたのではない」というかぐや姫の台詞は、地上の人間と自分とではそもそも「生」の次元が違うのだということを言っていると解さなければなりません。生の違いは世界の違い、すなわち帰属する空間の違いです。だから、かぐや姫は、影のようにかき消えて、人間である帝には見えも触れもしない存在へと変貌します。「影のようになる」とは、かぐや姫が地上と同じ空間に属していないというテーゼの想像的表現です。そしてそれゆえに、のちに姫がじつは月のひとだったと明かされるとき、その意想外の展開が読者にすんなりと受け容れられるための布石ともなっているのです。

「生きる」という事態の内容が本質的に異なる以上、かぐや姫と地上のひとびととのコミュニケーションは、最初からすれ違いに終わることが決定しています。たとえかぐや姫その人が共感と同情とを示しているように見える場合でさえ、この大前提は揺るぎません。なぜなら、かぐや姫を本当の娘のように愛して慈しんだり、姫が月に帰らなければならないと聞いて「いっそ死んだ方がいい」と嘆き悲しんだりする竹取の翁の思いも、月を見あげては憂い悩んだり、竹取の夫婦を残して月に帰ることを心苦しく感じたりするかぐや姫の思いでさえも、物語の結末では、すべてひとしく「穢れ」として決着をつけられる定めにあるからです。しかし、それと同時に、この結末においては、「言葉」と「穢れ」という『竹取物語』のふたつの主題が、一瞬の邂逅を見せるでしょう。わたしたちは最後にこのことについて考えてみなくてはなりません。

4. ものをかたることのあはれ

かぐや姫が地上に対峙するときの態度というものを考えるとき、『古事記』の国譲りの段、アメノワカヒコにまつわる挿話が連想されます。アメノワカヒコとは、葦原中国の荒ぶる神々を平定するために、高天原から遣わされた神です。ところが彼は、葦原中国に降り立つと、土着の神の首長である大国主の娘、下照比売(したてるひめ)を妻にめとって、この国を支配してやろうという野心を抱き、天への復命を放棄してしまいます。その結果、彼は、最後には天からの呪いを受けていのちを落とすことになりました。

しかし、この話にはさらに続きがあります。すなわち、アメノワカヒコの妻・下照比売は、夫の死を嘆き悲しんで、その哭き声は風とともに天にまで届きました。そうして彼の死を知ったアメノワカヒコの家族が地上に降りて喪屋を建て、八日八夜のあいだ哀哭し続けていると、ワカヒコの友であったアヂスキタカヒコネがとむらいに来ます。ところが、アヂスキタカヒコネを見た家族たちは、彼の容姿が生前のワカヒコととても似ていたせいで、ワカヒコがモガリからヨミガエったのだと勘違いして、「わが子は死なないでいた」、「わが夫は死なないでいらっしゃった」と言うと、彼の手足にすがって泣きました。するとアヂスキタカヒコネは激怒して、「親しい友と思えばこそとむらいに来たのに、どうしてわたしを穢い死人になぞらえるのだ」と叫び、剣を抜いてワカヒコの喪屋を切り倒して、足で蹴飛ばしてしまうのです。

アヂスキタカヒコネが、アメノワカヒコと見間違えられたことに怒った理由は、モガリという観念を延長することで理解できます。すなわち、生死未分の閾であるモガリにおいて、死者であるワカヒコに「なぞらえられる」ということは、アヂスキタカヒコネにとって、文字通り致命的な危機を引き起こしかねない事態なのです。だから、アヂスキタカヒコネがワカヒコの喪屋を破壊したのも、たんなるうっぷん晴らしではなく、《穢き死人》になぞらえられた危機に対処するための呪的行為と考えなくてはなりません。つまり、アヂスキタカヒコネは、ワカヒコのモガリを強制的に終了させることで、ワカヒコの死を完全に確定してコトドを言い渡したと考えるべきなのです。

しかし、ワカヒコの喪屋が破壊されたことの背景には、もうひとつの理由が存在します。それは、アメノワカヒコが、国つ神たちを平定するために葦原中国に派遣されたにもかかわらず、その使命をまっとうせず、かえって国つ神たちにおもねるような《邪き心(キタナキココロ)》の持ち主だったことです。のみならず、ワカヒコは、高天原から彼の様子を見に来た使者である雉を矢で射殺することまでします。この矢は、雉を貫いて、天つ神のいる天にまで射上げられました。それゆえに、天つ神は、「もしアメノワカヒコに邪き心があるならこの矢に当たって災いあれ」と宣言して矢を投げ返すことで、ワカヒコを呪い殺すのです。つまり、アメノワカヒコの死は、不吉な死に他ならないのであって、モガリをまっとうして祖霊たちのいる世界へと移行することははじめから禁じられていました。こうして、ワカヒコの霊は、永久に安らぎをうることなく、この地上をさまよい続ける死霊となるでしょう。

このアメノワカヒコの物語を、かぐや姫のそれと比べるなら、両者が一種の対称型をなしていることに気づかされます。すなわち、かぐや姫は月の世界で罪をえた結果、この地上に降りてくるものの、人間世界の栄華におもねることなく、地上の首長たる帝に嫁いで国を支配しようという野心を起こすことなく、月からの命にしたがってまた元の世界へと帰って行きます。つまり、かぐや姫は、ワカヒコと違って地上に執着する《邪き心》をもたない人物なのです。しかしながら、かぐや姫は、《邪き心》を自分の意志で克服できていたわけではありません。なぜなら、かぐや姫は、竹取の翁に自分の出自を説明してから、こう語るからです。――「わたくしは、この世界で長いあいだお世話になってすっかり慣れ親しんでしまいました。今さら月の世界に帰ると言っても、嬉しい気持ちなど感じず、ただただ悲しいばかりです。けれども、自分の意志ではどうにもならないことなので、帰らなければならないでしょう」。つまり、『竹取物語』の世界では、地上に残るか天に帰るかの選択は、もはや自発的な意志でどうこうするものですらないと言わねばなりません。ここに「穢れ」の観念の決定的な転換があります。『古事記』と違って『竹取物語』では、穢れた心をもっているかどうかが問題にされているのではありません。その代わりに、心とはもとより穢れではないかという問いが、新たに思考されているのです。

先にわたしたちは、かぐや姫と地上のひとびととでは、「生きる」という概念の内容が決定的に異なっているということを見ました。それでは、『竹取物語』の作者は、月のひとびとの生をいったいどんな具合に思い描いているのでしょうか。かぐや姫は、月のひとは《いとけうらに、老をせずなん。思ふこともなく侍るなり》と語ります。《老をせずなん》とは、つまり、「時間にともなう変化が存在しない」ということを意味します。また、そう解釈するなら、月のひとびとがかぐや姫を迎えに来る場面の描写も、理解可能となります。というのは、竹取の翁が帝に要請して用意してもらった武士たちは、月のひとびとが天から降りてくるや否や、気力がなえて、身動きができなくなるからです。「周囲のひとびとの毛穴が見える」と形容されるほど明るく神々しい光に満たされる空間を背景に、他のすべての人物が静止している中を、かぐや姫だけがひとりしずしずと月からの迎えの前に歩み出る光景は、『竹取物語』の描写の中でもっとも美しく神秘的なものだと言えますが、この場面の要点は、《いとけうらに、老をせずなん》と語られる月のひとびとの属性が、視覚空間に仮託して描き出されているというところにあります。つまり、清らかな月の光に満たされて、完全なる静謐が顕現しているこの空間では、つかの間のあいだだけ地上が天の世界へと変容を遂げているのであって、この神秘の世界では、時が止まっているがゆえに、運動も変化もありはしないのです。したがって、月のひとは《思ふこともなく侍る》と語るとき、『竹取物語』の作者は、「老い」だけでなく「思い」もまた、時間の中に生きる存在に固有の属性だと考えていることになります。

そもそも「喪」とは、「オモヒ(思)」に由来する言葉だそうです。地上の人間が思いを抱くことと、死に定められていることとは、人間が時間の中で変化しながら生きる存在だという単一の事実が見せるふたつの相貌に他なりません。それゆえに、かぐや姫は、月からの使者に差し出された不死の薬を口にして天の羽衣を身にまとうと、その心は変容してしまい、竹取の翁を愛おしく悲しいと思うこともなくなって、月へと帰っていってしまいます。その直前に、かぐや姫は、翁に向かって「あなたを見捨てて帰ってしまうのでは、天にのぼる道中でも、また地上へと落ちてしまうような心持ちがいたします」と書き置いた手紙を残しているだけに、このかぐや姫の変容は、よりいっそう残酷な現実となって読者に突きつけられます。翁のことを愛して、別れを憂い嘆いていたかぐや姫はもはや消滅して、どこにもいなくなってしまい、ただ過ぎ去った思いを書き付けた手紙だけがあとに残されるばかりです。しかし、「思い」と「言葉」の関係とは、いつもそういうものではないでしょうか。じっさい、地上を去る最後の瞬間にかぐや姫が帝のために詠じた一首こそ、この両者の関係について表現した歌に他ならないのです。

今はとて 天の羽衣 きるおりぞ 君をあはれと 思ひいでける

この歌に言う「あはれ」とは、「愛しい」という意味でも「可哀想」という意味でもあって、このふたつの意味が分ちがたく結びついています。じっさい、「愛しい」という思いを抱くことはまた、哀れなことなのです。なぜなら、ひとが心に抱く思いも、思いの対象も、この地上の時間の中ではいつか必ず滅びずにはいられないからです。だから、かぐや姫は、この歌を詠んでいる今この瞬間には帝のことを「あはれ」と思っていようと、歌を詠み終えた次の瞬間にはそう思わなくなってしまいます。そして、ただ「あはれ」という言葉だけが残存するでしょう。これが竹取物語の最終的な帰結です。言い換えると、永遠は人間の手に届くかどうかという問いが、『竹取物語』の究極の主題なのです。

もともとかぐや姫は、竹取の屋敷の奥に閉じこもって隠れ続け、家族を除いて誰の目に触れることもなく、求愛の手紙に答えることさえありませんでした。そんなかぐや姫がどうして男たちの評判を呼び、貴族たちから求婚を受け、帝まで呼び寄せる展開になってしまったのか。これを、「おとぎ話だから」の一言で片付けてしまうのは、『竹取物語』の作者の知性をあなどる行為だと言わねばなりません。発想を逆にしなければならないのです。かぐや姫は、誰の目にも触れたことがなかったからこそ、また誰からの誘いをも拒み続けたからこそ、万人の欲望を掻き立てたのでした。なぜなら、人間は未だ見たことの無いもの、未だこの世界に存在しないものをこそ真に欲する生物だからです。そしてそれゆえに、かぐや姫は、この時間の中で生成変化する世界を超越して、これに絶対の「否」を通告する存在として、欲望の究極の対象たる永遠を象徴するのです。

穢土を超越した世界を「月」に重ねてイメージするという『竹取物語』に固有の発想も、おそらくはこの点に由来します。というのは、歳月を通じて変わることなく天を周回する「月」は、一方では、当然ながら経過する時間に通じるとともに、他方では、時間を超えてけしてうつろわないものの存在を想起させるからです。この意味で、月とは、時間的な世界と非時間的な世界の境界面であって、言うなれば、天に引き塞えられた「千引の石」として構想されているのです。さればこそ、月のひとびとは、わたしたち地上の人間に対してコトドを渡すでしょう。この穢土の世界に永遠は存在しないのだと。それが、大陸の文化との混淆という危機の時代を経て、『竹取物語』の作者があらためて画定した人間と神的なものとの関係性に他なりません。

「今は昔」という言葉ではじまった『竹取物語』は、「言い伝えたる」という言葉で閉じられます。過ぎ去っていくものは、ただ言語の中にのみ保存される。それが、死に定められているあわれな存在に到達可能な限界点です。言い伝えは、不死の薬を燃やした煙は、未だ雲の中へとたちのぼると語ります。富士の煙は、荼毘の煙です。「不死」が「ふじ」へと読み替えられるのは、たんなる地口なのではありません。不死ならぬ人間には、大切な思いが荼毘に伏されたあとに残る、言葉――文字と音韻――という遺灰を獲得することしか許されていないのです。しかも、その「言い伝える」という営みでさえ、たちのぼる煙がいつ途切れてもおかしくないように、いずれ途絶えてしまうでしょう。富士から煙がたちのぼる光景は、人間が「ものをかたる」という行為のあわれを、これ以上ないほど痛切に表象しているのです。(横道仁志)

『新世紀エヴァンゲリオン』(原作:GAINAX 監督:庵野秀明)
――異界としての静岡――

『新世紀エヴァンゲリオン』(1995-1996)の舞台が、芦ノ湖畔の第3新東京市であることは、よく知られている。最近でも箱根町に、ローソン第3新東京市店がオープンして話題になった。そして芦ノ湖畔が舞台に選ばれたのが、使徒と呼ばれる奇妙な姿をした敵がそこに向かってやってくるからだという設定も、周知の事実である。さらに言えば、この駿河湾から富士山の方向に向かって「敵」が進撃するという設定が、円谷プロの怪獣たちの進撃ルートであることもSFファンならすでに気づかれていることだろう。しかしなぜ使徒や怪獣たちは、駿河湾から富士山に向かって進撃し、その途中の富士の裾野でウルトラマンやエヴァンゲリオンたちと戦うことになるのだろうか。恐らくそれは、関東の住民にとって、静岡という地域が伝統的に「異界」だったからではないかと思われる。

なぜ富士山麓が、怪獣の跋扈する場所になったのか。その直接的な理由は、やはり「富士講」に求められるように思われる。富士講というのは文化・文政期(1804-30)に、江戸で流行り始めた宗教的な集まりのことである。この講は、普段は、富士塚という小さな山を作ってそれに登ることで富士山に登ったことにするといったことをしていたが、富士山から行者が来たときには、代表者を選んで行者と一緒に、実際の富士に登らせたりもしていた。富士講において富士山とは、あの世の世界であり、六道輪廻、つまり救われない魂の世界だった。そしてその死後の世界を苦労して経巡ることは、救われない魂の労苦を肩代わりすることになると考えられていた。例えば重い荷物を背負って富士に登ることは、馬や牛など畜生道におちた人間の苦労を肩代わりすることになり、登山の途中でのどが渇いたり、お腹がすいたりすることは、餓鬼(常に飢えていて何か食べていなければ落ち着かない妖怪)に生まれ変わったものの飢えや渇きを癒すことになるとされていたのである。さらに富士山という死の世界から帰ってきた人間は、一度死んで生まれ変わったもの、言い換えれば、穢れない新しい命を得たものともみなされていた(擬死再生)。こうした特殊な信仰が生まれた背景を、五来重は、古来、富士山は葬送の地とされており、風穴と呼ばれる穴に死体を入れて風葬していたからだろうと述べているが、このような富士山を死後の世界、魑魅魍魎の跋扈する世界とみなす考え方を念頭に置かない限り、なぜ富士山をバックに怪獣が暴れるのかは理解できないはずである。

富士山と怪獣とのつながりで言えば、ダイダラボッチにも触れておかなければならない。ダイダラボッチとは、主に関東から中部地方に伝わっていた巨人伝説で、関東地方の沼地(相模原市大沼・八王子市池の窪など)には、ダイダラボッチが富士山を背負おうとして踏ん張った足跡だという逸話が残っている。また「奇談一笑」や『静岡県伝説昔話集』には、琵琶湖はダイダラボッチが掘った穴であり、その捨土が富士山だという途方もないスケールの話も残されている。こうした地形を変えてしまうほど巨大な神のイメージが、先に述べた魑魅魍魎のイメージと結びつくことで、円谷プロの怪獣たちになっていったのである。ちなみに宮崎駿は『もののけ姫』の中で、ダイダラボッチを半透明化したゴジラのように描いているが、これも宮崎が、ゴジラのイメージの原型が、ダイダラボッチであることに気づいていたからだろう。

こうした静岡が――より正確に言えば、箱根の関から向こうが――異界だというイメージは、江戸に幕府が開かれたことによって、さらに強化されることになったようだ。特に家康が、秀忠に家督を譲ったにもかかわらず、隠居先の駿府で実権を握っていたことは、いわば二重政権の状態を作り出すことになり、生まれたばかりの政権の基盤を危ういものにしていた。『甲賀忍法帖』(1958-59)に出てくる竹千代(徳川家光)と国千代(徳川忠長)との跡目争いも、もとを質せば、二重政権の構造から生まれた問題だった。もっとも家康死後、駿府政権は後ろ盾を失い衰退していき、新たに駿府にやってきた徳川忠長も家臣を手討ちにしたという理由で、甲府に蟄居になる。こうして江戸を中心とした政権がようやく確立し、太平の世が訪れるのだが、それでも江戸幕府にとって駿府は油断のならない土地だと思われていたようだ。というのも、家康の整備した当時の駿府の城下町は、幕府のある江戸とほぼ同じ規模の町だったからである。いつ駿府で決起が起こって攻め込まれるか分からない。そのためには江戸と駿府の往来を厳格に監視し、規制する必要がある。箱根の関で「入鉄砲出女」のような人見改めが行われ、江戸城下に暗君・徳川忠長の悪行の風説が流れたのも、関東の住民を西に行かせまいとする幕府側の方便であると考えると分かりやすい。徳川忠長の悪行というのは、忠長が家臣を手討ちにしたという事実を膨らませて、駿河浅間社の神獣であった野猿を徹底的に斬殺したり、江戸に来て辻斬りをしているといった噂のことである。南條範夫の『駿河城御前試合』(1964)は、家光が江戸城で、武道の達人たちを対決させたのに対抗して、忠長が駿府城で真剣の対決をさせたという話だが、恐らくそれに類した噂もあったのではないか。こうした噂は、明らかに、箱根の関から向こうは、人の法の及ばぬところ、何が起こっても不思議ではない恐ろしいところという印象を植え付けようとしている。

一方、寛永年間(1624年-45年)から150年後の文化・文政期になると、箱根の関を超えてあえて異界に行ってみたいという機運が高まることになる。先に述べた富士講の富士行人はその一例だし、『東海道中膝栗毛』や各地の名所図会が出版され、旅情が誘われたのもこの時期である。こうした江戸庶民の感情が、人の道理の通らない危険なところ、しかしだからこそあえて行ってみたい所という静岡像を定着させたのである。そしてこの地域的オリエンタリズムともいうべき視点こそ、SFやサブカルチャーに出てくる「静岡」を理解するための重要な視点なのである。例えば、しりあがり寿は『膝栗毛』に着想を得た『弥次喜多in Deep』(2000-2003)の中で、箱根から向こうは人の道理の通らないところという設定を利用しながら、弥次さん喜多さんを精神の迷路に迷い込ませ、人間のアイデンティティーを探る旅へと向かわせている。これなども、道理の通らない異界という先入見を内面に折り返すことで、うまく利用した秀逸な例と言えよう。もちろん先に述べた富士山をバックにして暴れる怪獣というイメージも、そうした静岡の異界性を強調したものとみなせるはずである。

最後にもう一度『エヴァンゲリオン』の話に戻りたい。『エヴァ』の使徒が、ウルトラマンなどに出てくる怪獣をモデルにしたものであることはすでに述べたが、使徒と怪獣とでは大きな違いがある。それはウルトラマンに出てくる「怪獣」が、生物の姿をきちんと残して現れるのに対して、エヴァの「使徒」は、ほとんど抽象的で幾何学的な図形として登場するところである(もちろん例外はあるが)。これは何を意味しているのだろうか。

『新世紀エヴァンゲリオン』を監督した庵野秀明は、エヴァを作った当時、すでにスーパーロボット・アニメは時代遅れだという旨の発言をしていたように思う。この発言がどういう文脈でなされたのか、すでに忘れてしまったが、その意識は、「抽象化された怪獣」の表現にも現れている。ある意味、ウルトラマンが怪獣をやっつける――この場合は、マジンガーZが機械獣を倒す例の方が適切かもしれないが――物語構造は、端的に言って、近代の科学的・合理的思想が、土俗的な迷妄を打ち破るという啓蒙主義的な発想のうえに成り立っている。しかしこの物語構造が成立するには、その前提として土俗的な迷妄の世界が、リアルな形で存在していなければならない。そうした観点から見たとき、庵野による「怪獣の抽象化」は、土俗的な精神世界が消えつつあることの象徴のように見えるし、「スーパーロボット・アニメは時代遅れ」という発言は、近代科学が打ち破るべき迷妄(敵)を失ったことを意味しているようにもみえる。さらに言えば、迷妄が解かれてしまった現代社会の中で、人々の科学に対する関心は、フィクションという媒介を通さず直接、科学的知見を獲得することに向かっている。昨今の数学ブームなどはまさにそれだろう。

啓蒙主義的な作品構造が成立しなくなり、科学的な関心が直接、科学的な知見を求めることへと向かう中で、あえてフィクションという要素を媒介させる積極的で説得的な意義が、今のSFには問われている。SFに現れた「静岡」を考えることは、そうした意義を考える格好のモデル・ケースとなるように思うのだが、どうだろうか。(関竜司)

(参考文献)
五来重『山の宗教』、角川ソフィア文庫、2008年
宮田登「諸国の富士と巨人伝説」、『正月とハレの日の民俗学』、大和書房、1997年
柳田國男「ダイダラ坊の足跡」、『定本柳田國男全集』第五巻、筑摩書房、1962年
『静岡県史』(通史編3近世一)、静岡県、1996年

日本沈没 上 (小学館文庫 こ 11-1) [文庫] / 小松 左京 (著); 小学館 (刊)
日本沈没 下 (小学館文庫 こ 11-2) [文庫] / 小松 左京 (著); 小学館 (刊)

小松左京は懐かしい。その懐かしさは、小松が故人となった現在、さらに増しているかのようだ。小松という存在、そして彼の人生の軌跡は、戦後日本の、とりわけ昭和という時代の象徴として、ふるさとのように懐かしい。私の世代にとって、昭和40年代(1965~1974年)という時間が、私たちのふるさとの役割を果たした。それは東京オリンピックから、大阪万博を挟んで、オイルショックへと至る時間帯だ。その10年という歳月において、戦後日本の切れば必ず血の出る「大きな物語」は生きられた。

ここでいう「大きな物語」は、フランスの哲学者リオタールが語ったマルクス主義のようなイデオロギーを必ずしも意味しない。エコノミストの水野和夫が言うところの国民経済の成長物語を指して、「大きな物語」という言葉を使っている。資本と国家と国民という三位一体の関係が成立し、経済発展することが、三者それぞれの利益となる、言い換えれば進歩の先に幸福があると信じられていたモダニズムの夢を「大きな物語」と呼んでいる。小松左京という作家は、「大きな物語」の時代の刻印を受けた作家だった。

戦後の廃墟というゼロ地点から、「復活の日」を信じて、おのが実存を壮大なプロジェクトに投企するという、青年のビルドゥングス・ロマンが小松文学の真骨頂である。それは1970年代前半までは成立したのである。日本はまだまだ若かった。平成の成熟社会日本とは状況が違ったのである。世界経済にとって1974年前後が重大な転換点だったと、水野和夫は語る(『超マクロ展望 世界経済の真実』『金融大崩壊』その他)。水野によれば、1974年は「実物経済」から「金融経済」への移行期の始まりである。

鉄鋼産業のような「実物経済」発展時代は、日本人のアナログなビルドゥングス・ロマンの時代だったと言っていい。それは青年的労働の時代でもある。石油などの原料を海外から輸入し、国内の製造技術をフルに活用して、国際競争に勝てる商品に仕立て上げ輸出し、外貨を獲得し富を国内に蓄積する。その過程においては、製造に携わる様々なエンジニアや労働者の育成が欠かせない。個人の成長が国全体の成長につながるという、晴れやかな成長神話が生き生きと息づいていたのである。

経済高度成長時代は、個人の努力と勝利の達成が全体の成功へと一直線にむすびつくスポ根ものの全盛期でもあった。東京オリンピックもメキシコオリンピックもそしてその先にあった大阪万博も、右肩上がりに坂を駆け登る成長物語の輝ける挿話としてあった。科学技術を開発し未来を切り開くこと。ウルトラCや回転レシーブのようなテクニックを磨きあげ、輝かしい勝利をつかみ取ること。サイエンスとスポーツの両分野で、小松左京と梶原一騎は、それぞれ、坂の上の雲を見上げながら、上昇を実現する物語を語り続けた。それが昭和40年代という舞台であった。小松は昭和6年生まれ。梶原は昭和11年生まれ。ともに私の父の世代に当たる。彼らは私の世代のために、雲へとつながる「坂」を用意してくれた(その舞台の背後には先進国による後進国の搾取というからくりがあったにせよ)。そしてまたこの時代は、バブル期の消費社会とは違って、消費を我慢して将来のために節約し、貿易黒字をため込むことが国是の時代でもあったので、かろうじて精神性に価値が認められる物語がリアリティを持っていた。星飛雄馬も矢吹丈も伊達直人も、田所博士も渡老人も小野寺俊夫も精神性の高いキャラクターとして造形されていた。そして昭和49年に昭和なるもの、すなわち小松左京的世界像は終焉を迎える(昭和50年から64年までは、プレ平成というべきものだ)。

1974年、世界の経済構造は一変する。この年、先進国の「実物経済」は頭打ちになる。またG7の国では、人口維持に欠かせない出生率2.1が、73~75年の時期にいっせいに下回る。それから経済成長にとって大事なのは世帯数および世帯数の増加に伴う都市化だが、日本では73~74年に都市化が終わっていることが明らかになっている。さらにつけ加えると世界の長期金利(利潤率の観測可能な代わりの数値)は、74年をピークとしてやはりいっせいに下がり始めるのだ。「実物経済」から「金融経済」へとシフトせざるを得ない条件が、この時期にせきを切ったように露出し始める。

「金融経済」への移行を後押ししたのは、経済史上の一大事件だと経済学者の誰もが口をそろえて言う「ニクソン・ショック=ブレトンウッズ体制の崩壊」(1971年)である。金とドルとの交換制度が停止され、変動相場制への移行が2008年のリーマン・ショックへの流れを作った。ブレトンウッズ体制というのは、通貨は管理されるべきものであるという認識に基づいた「管理通貨体制」であったが、それが崩れ落ちることによって、資本が世界中をアナーキーに駆け巡るという現象が生じるようになった。資本・国家・国民のつながりは断ち切られ、資本家や株主が国民国家を凌駕するようになる。国民国家経済は国際資本の前に敗北する(水野和夫はそれを「国家と資本が離婚する」というふうに表現する)。それはSFの世界でたとえるなら、小松左京の国民国家SF(大きな物語)がサイバーパンクSF(インターネット空間のアナーキズム)にそのヘゲモニーを譲り渡す姿に似ている。

金融経済とサイバーパンクのアナロジーは、次のような金融経済史上の事実からも見て取ることができる。アメリカのアポロ計画は1972年に打ち切られるが、その時失業したロケット工学のエリートたちが、こぞってウォール街に参入して金融工学に手を染めるようになる。この時期は変動相場制への移行によって、通貨先物市場が開設されてもいるので、彼らの能力が金融界も大いに必要としたのである。金融技術の発達には複雑な計算を可能にするコンピューターの存在が不可欠であるが、その技術を駆使することによって、彼らは日本の金融界には真似することのできない新しいスタイルを生み出した。じっさい金融ビッグバン(1996年)以降の日本の投資機関は、外国から有能な人材を引き抜くしかなかった。またインターネット空間を利用することで、実物経済の市場が飽和してしまったことによる損失を埋め合わせることが可能となった。インターネット空間を金融空間として扱うことによって、金融経済による利潤の極大化を目指すようになったのだ。国際資本の完全移動性が実現した1995年からリーマン・ショックの2008年までの13年間で、欧米主導の金融空間は100兆ドル(1京円―2009年春時点)もの金融資産を作り出してみせた。日本が戦後60年をかけて築いた金融資産が1500兆円だったことと比べると、その額がいかに途方もないものであるかがわかるであろう。

こうした時代の流れは、「長期金融」から「短期金融」への転換という流れに如実に反映されている。1952年に吉田茂内閣によって、重厚長大産業をじっくり時間をかけて育成する目的で設立された日本長期信用銀行は、1998年に破綻し、アメリカのファンドに買い取られた。「護送船団方式」と揶揄され、批判されることの多かった日本の金融システムは、大企業には都市銀行、中小企業には信用金庫、鉄鋼などの基幹産業には政府系の日本長期信用銀行がつくというふうにきめ細かく整備が整い、短期的利益が見えにくい産業を保護育成する意志を保持していた。株もアナログ時代は、この企業を育てようという意図のもと、じっと長く持っているものであったが、株券が電子化される時代にあっては、アメリカの株主は3日以上同じ株を持たない。インターネット技術に飲み込まれた株式市場では、デイ・トレーダーたちが秒単位で株を売買する。このようなサイバーパンク的ともいえる時代の趨勢が、小松左京的世界像に対して、圧倒的に不利に働くのは言うまでもない。小松SFとは、国民国家プロジェクトを感動的に描く「実物経済」時代の「大きな物語」であるからだ。NHKの人気番組「プロジェクトX」のようなものだ。あの番組もまた金融経済戦争に敗北した時代に、かつての「実物経済時代」を懐かしむ日本人にとって、時代劇=大きな物語の役割を果たしたと言える。

こうした歴史的文脈においてみると、『日本沈没』が「大きな物語」が終息する1973年に発表されたことの意味は深い。軽薄短小SFの時代に背を向けて、重厚長大SFに殉じるアナログな男の美学を読み取れるからだ。ヴァーチャルリアリティの中でしか成立しないような小さな物語へとなし崩し的に変質しつつある日本の大きな物語を、いったんは沈没させ=抹殺し、もう一度大きな物語を復活させようと試みる反時代的な「父」の不器用な生きざまにこみあげてくる愛おしさを抑えることなどできはしない。であるがゆえに、富士山の大爆発などという大時代的なけれんに対し、息子は一片の疑いも抱かずに同調する。

『日本沈没』は、伊豆沖で沈んだ島の挿話に始まり、3月12日の富士山の大噴火をクライマックスとして終わる。主な舞台が静岡を選んでいるのは、偶然にもそこに「糸魚川静岡構造線」が走っているからだ。東日本と西日本を分かつユーラシアプレートと北米プレートの境界線が「糸魚川静岡構造線」なのである。「本州を西と東にわける関東山脈の下の富士火山帯は、今や一斉に燃え上がり……」と作品中では描かれているが、ここでは日本という風土のみならず、それ以上に昭和という時代そのものが燃え上がっているようだ。火を噴く富士山というアイコンは、昭和の終焉にふさわしい。

それにしても「富士山」は、「桜」同様、「日本」なるものを鮮やかに象徴してやまない(平成ふうに「JAPAN」と表記してはならない。あくまでも昭和的に「日本」である)。この山が日本列島のほぼ中心点に位置していることは、とても偶然とは思えない。かつては霊峰と呼ばれ、修験者の信仰対象であったこの山が、「日本」なるものの象徴として日本列島のど真ん中に位置するのは必然だったのだ。そして静岡もまた、日本列島のど真ん中に位置している。東日本と西日本の境界にあたるのが静岡なのである。再び繰り返せば、「糸魚川静岡構造線」を境にして、東日本と西日本はまるで地質構造が異なるのである。静岡を中心に真っ二つに裂かれるイメージが、田所博士が幻視し、的中させた日本=昭和の破局=再生なのである。小野寺と玲子のラブシーンにおける天城山の噴火など、静岡は『日本沈没』において、特権的な場所であり続ける。「一頭の竜」という美しいイメージを小松によって託された日本にとって、静岡は竜の腹部に当たる。引き裂かれる竜という劇的な竜の死のメイン・ステージとして静岡は、『日本沈没』の読者に対して崇高な輝きを持ち続けるだろう。

ところで、もし小松左京が一世代(30年)遅れて生まれていたらと、つい想像してしまう。平成のSFは異なる姿を見せていたのではなかったかと。『超マクロ展望』において、水野和夫と萱野稔人は、21世紀の経済戦略として、暴走する国際資本への規制としての「トービン税」の可能性や、温暖化に対する環境規制による市場の創出などのアイデアを出している。小松なら現実的条件から出発するSF的想像力を、水野や萱野のように行使したのではないか。彼らのいう「超マクロ展望」とは、従来の「マクロ経済学」の枠組みでは解決できない現象への試みとしてある。それはSFの試みと同義である。「超マクロ展望」とは、SFの視線と等しく、なかんずく小松左京的俯瞰する視線の運動は「超マクロ展望」の知性のことだ。水野と萱野の試みにSFは嫉妬せざるを得ない。けれども、このようなところに小松のDNAが息づいていることを知り、小松の子供はほっとし、一筋の希望の光を認めないわけにはいかない。(石和義之)

ご当地SFを探す楽しみとは、それまでまったくアンテナに引っかからなかった思いもかけない作品との出会いにあるだろう。今回の場合「静岡」というキーワードを足がかりに網を広げ、思わぬ作品の発見に日々驚いている。その成果は、こうしてこのブログで日々お知らせしている。まさかこの作品が「静岡SF」であるとは。そんな新しい発見の連続だ。

 そんな中にあって、今回まさしく究極の「発見」といえるのが、SFファンにはほぼまったく知られていない「杉山恵一」という作家との出会いである。杉山氏は静岡の地方文壇でコツコツと自費出版を続けてこられた方で、残念ながら県外ではほんど知られていない。私もまったくの偶然から遭遇した。
 だがその作品の内容たるや、SFも純文学も軽く凌駕した奇想天外なものばかりだ。SFとはほとんど接触を持たないまま、ほぼ独力でラファティの如き奇想やバラードの如き思索やピンチョンの如き知的遊戯やバロウズの如きカットアップを打ち立ててしまった。あまりの奇想ぶりに静岡文壇では黙殺されがちだそうだが、ここは私たちSFファンこそが、杉山氏をプッシュするべきではないか。そう強く感じるほどに、作品とSFの親和性は高い。いったいその作品とはどのようなものか。少し紹介してみよう。
 残念ながらすべて、極めて小部数の自費出版であり、入手は大変に困難。ただし、今回の「ドンブラコン」では、杉山氏ご本人の提供にてディーラーズスペースで著作が販売される。ご期待いただきたい。

「地底の王国」(1993)191頁
 短編集。表題作「地底の王国」は、スティーヴ・エリクソンの「リープ・イヤー」が想起される、幻想込みのノンフィクション小説。大半は湾岸戦争での原油流出被害を調べるため、サウジアラビアを訪れた時の記録。油で汚れた水鳥を黙々と洗うシーンなどは、貴重な時代の記録といえる。「かぼちゃ畑を掘ってごらん」は、NWなテイストを感じる怪作。ある学園のクラスメイトたちの内面に潜む妄想が次々と実体化していき、最後に悪夢の楽園ができあがる。断章を積み重ねて虚構を膨らませていくスタイルは、バラードやラグンドン・ジョーンズを思わせる。「安穏経」は、日本語で試みられたカットアップ小説。カットアップの激しさは「ノヴァ急報」なみ。言語の合間からおぼろげに見えるのは宇宙創成から消滅までの壮大な物語。たぶん本書で一番の傑作。言葉の組み合わせのミスマッチは絶妙で、結構笑える。なにしろ宇宙創成の瞬間にいきなりスペースシャトルが出てくるのだから。

「閑ヶ丘物語」(1986)385頁
 ラファティの長編を彷彿とさせる、大変にシュールなコメディ。この世界と微妙に異なる「閑ヶ丘」に住まう政界・財界・文化界の面々が右往左往する中、ツチミカド様と妖しの巫女・金剛式部が対決、はたして閑ヶ丘に巨大地震は起きるのであろうか…とほとんど「帝都物語」のような展開。杉山氏の友人・知人が大挙して強制出演、そういう意味でも帝都物語的だが、物語は徹底してコミカルでドタバタ。ラファティの長編のごとく、常に何か異常な出来事が起こり続けている。ドンブラコンに向けて、25年ぶりの続編が現在執筆中。

「南アルプス探検隊」
 杉山作品では珍しく増刷された人気作。実際の生態系を取り入れているがノンフィクションではない。三人の男女の登山行を小説化した奇怪な長編小説。

「太田河原慶一郎氏の一日」(1982)214頁

 長編。夢の世界で目覚めた主人公が脱出しようと格闘する、筒井康隆ばりの「夢の文学」。自作による手書きイラストや肉筆が作品中に取り込まれ、カオスははてしなく拡大していく。

「藤枝物語」(1986)192頁
「続・藤枝物語」(1987)202頁
 長編。杉山氏の少年時代の思い出…なのだが、非常になまりのきつい藤枝弁で表記されているため、ほとんど何を言っているのか分からない(笑)ほとんどダダイズムの音声詩のような印象。

「豚鷲の止まり木」(1984)241頁
 ある平凡な会社員が、会長から神へのお使いを頼まれる。不条理な企業小説。

「尻」(1985)114頁

「癩王抄」(1986)102頁
「喚問」(1987)126頁

「雲の檻」(1983)130頁
「青絲編」(1984)110頁

 前衛詩集。若さとそれに伴う苦さを全面に押し出した味わい。
「定連は雲の座に収まりけり惑星もそれぞれの止まり木でかたづを飲む」など、SF的表現も多用されている。「尻」には五次元世界を舞台にした詩論というおよそ理解し難いものが収められている。「喚問」は裁判の最終弁論の形を取った長編詩だが、バロウズばりのSFカットアップ。「癩王抄」はムアコックばりのヒロイックファンタジー長編叙事詩。現実世界とファンタジー世界をランダムに行き来する、主人公が欝気味という点でもムアコック的。

 ちなみに杉山氏は無名の文芸マニアなどではなく、実はかなりの有名人である。静岡大学の名誉教授にして、日本にビオトープの概念を紹介した著名な環境学者だ。環境保全関連では膨大な著作を誇っている。だが、その頭の中には、ビオトープとはあまり関連のない強烈な想像力が息づいている。今回のドンブラコンでは、その実像を明らかにしていきたい。

 まず「静岡SF大全」では、もっとも「静岡SF度」が高いシュールなドタバタSF「閑ヶ丘物語」を、次回29日にくわしくご紹介する。

 さらに本大会では、「杉山教授の奇妙な冒険~ビオトープから奇想小説まで」と銘打って、その奇天烈な世界を紹介するパネルを企画している。杉山氏ご本人もお招きしており、奇書批評家の北原尚彦氏とともに作品世界に迫っていきたい。静岡SF最大の知られざる異才。ぜひともその世界を体験していただきたい。(高槻 真樹)

実行委員長は、静岡SF大全を依頼した高槻真樹さんとSFセミナーの合宿で打ち合わせを行いました。
当初はなかなか見つからないと思っていた静岡SFの奥深さについていろいろ聞き、ネタ切れはないと安堵しましたが、逆に大会までに全貌が把握できるのかが心配になってきました。
中でもSFセミナーで高槻さんに見せていただいた、模型好きなら欲しいに違いないけれど、地元でしか売っていない本の奥付住所がグランシップと同じだったことに気がついたときの衝撃は言葉では言い表せません。
実行委員長は評論賞チームとは別の角度からこの謎に迫っていきたいと思います。

ジャズ大名 [DVD] / 唐十郎, 古谷一行, 財津一郎, 本田博太郎 (出演); 岡本喜八…

 ジャズ大名 [DVD] / 唐十郎, 古谷一行, 財津一郎, 本田博太郎 (出演); 岡本喜八 (監督)

 名監督、岡本喜八監督の最後から五番目の作品にして、あの筒井康隆が原作の一品。世間的には岡本監督の代表作として名前が挙がるのは『日本の一番長い日』や『肉弾』、『江分利満氏の優雅な生活』そして『独立愚連隊』であろう。とはいえ、僕の中で本作は、それらと匹敵するどころか、遥かに愛すべき作品という位置づけになっている。
 岡本監督の最高傑作は、個人的には、和風ミュージカルというスタイルを確立し、和風と洋風を音楽と映像の次元で衝突させ、字幕や音楽、編集やセットなど、「映画」であることで充分に遊びながらも、難解ではなく軽やかに喜劇を描いた『ああ爆弾』であると思っている。緊張感のある構図や編集と、その「映画」を暴露するような崩しのバランスが非常に上手いのだ。その作品のクライマックスで、選挙のシーンがある。ジャズ風の音楽にあわせ、乱闘が起こる。非常に高揚感のあるクライマックスであり、政治と暴力と音楽が、映画の音楽や編集のリズムと同調して、見事な快楽を生み出している。『ジャズ大名』は『ああ爆弾』と、能の舞台に見立てる点や、字幕での遊びなど、いくつかの点で共通点を持っている。そしてそのクライマックスである「ジャズ演奏」のシーンは、『ああ爆弾』と好対照を示しているのだ。具体的に言うならば、「政治」と「暴力」がないのだ。その差異の中に、岡本喜八と筒井康隆の思想が見事に現れており、『ジャズ大名』は見事な傑作となっている。その思想とはいかなるものなのか論じる前に、基本的な情報を確認しておきたい。
 岡本喜八監督は『ブルー・クリスマス』を除いて、ほとんどSF映画というものを撮っていない。しかし、筒井の『馬の首風雲録』が喜八監督にオマージュを捧げていたり、『新世紀エヴァンゲリオン』の「BLOOD TYPE BLUE」という設定に『ブルー・クリスマス』が影響を与えていたり、SFには何かと影響を与えている。(庵野監督の場合は、構図や編集のリズムの切れ味まで受け継いでいる)
 この『ジャズ大名』は、岡本監督と筒井康隆が対談を行ったことでも話題になった。しかし、何故筒井康隆と岡本喜八なのか。逆に言えば、何故筒井康隆は岡本喜八監督に深いリスペクトを示すのか。それは「戦争の描き方」に由来するであろう。岡本喜八監督の『独立愚連隊』が、戦争という重苦しい題材を「軽く」描く作品であったことと、筒井が「戦争」という重いテーマを扱いながらも常に「軽い」ことを美徳とされた作家であったことを重ねて見るべきであろう。『馬の首風雲録』という戦争SF作品が岡本作品を参照しているのも故のないことではないのである。
  筒井康隆が映画に大きな影響を受けて作品を作るようになったという経緯は多くの箇所で語られている。『不良少年の映画史』から特徴的な箇所を抜き出してみよう。

 戦争で大阪市内の繁華街はほとんど空襲による爆撃のため焼け野原になっていて、四ツ橋近辺もその例外ではなかった。ところが、その四ツ橋の中心部、橋のすぐ傍にある電気科学館だけはなぜか焼け残り、戦後も雑草の生えた焼け跡の中にその細長い姿でひょろりと立っていた。(中略)戦後しばらくの間ここでは客寄せのためか、プラネタリウムと同時に戦前・戦中の古い外国映画を再上映していた。(『不良少年の映画史』)

   そのような環境の中で、筒井は、チャップリンの『殺人狂時代』や『独裁者』を見て、「文明の爛熟を皮肉った映画」(『笑いの世界』)として衝撃を受けると同時に、もう一人の重要な人物、マルクス兄弟の影響を受けるのだ。

 私がなぜ、笑いの小説を書き始めたか。(中略)初期にそういうもの(引用者註、ドタバタ、スラップスティック)を書き始めたので、笑いから出発したと言えると思います。なんで笑いだったのかと考えてみますと、やはり喜劇映画が好きだったからでしょう。(中略)そして中学生の時、マルクス兄弟の映画をはじめて観たんですが、これにはびっくり仰天しました。つまりそれまでの喜劇映画は、なんとなく笑いが低劣で物足りなかったわけなんですけれども、彼らの笑いはシュールなんですね。シュールレアリズムという言葉はまだ知りませんでしたが、これはちょっとほかの喜劇映画とは違うなと思った。(中略)大学へ入ってから彼らはヨーロッパのシュールレアリストたちに高く評価されている、ということを知りました。(中略)たまたま大学の美学部におりましたので、それからシュールレアリズムの勉強をいろいろしました。そして、小説を書きはじめました。喜劇映画のスラップスティックの部分を文章にして、シュールなものにしたかったから、どうしても内容はSF的なものになります。SFというジャンルが日本にもできまして、私はその第一世代として登場したんです。(『笑いの力』)

 チャップリンの「笑い」が「戦争」や「文明」を風刺するものだとしたら、マルクス兄弟は単に馬鹿馬鹿しい。チャップリンは、『独裁者』の有名な演説シーンのように、本当に重要な政治的メッセージを発するときは「真面目」になる。言ってしまえば、笑いが政治的目的に奉仕するものとなってしまっているのだ。それに対し、マルクス兄弟は、笑いの目的を持っていない。笑いが手段ではなく目的として自立しているのだ。
 70年代に書かれたエッセイ「笑いの理由」で、筒井は自身への評価に憤激し、「風刺」と「ドタバタ」と二つを分ける考えを示している。「喜劇映画でいえばチャップリンの方が、ロイドやキートン、さらによりシュール・リアリスティックなマルクス兄弟よりも世間的には遥かに高い評価を得ている」とし、社会への有用性へと笑いを還元することこそが笑いの価値であるという意見に筒井は異議を申し立てる。
 後に、この笑いの二種類は「武器としての笑い」と「楽器としての笑い」として理論化(?)される。笑いとは「生理的には自我の崩壊だけど。簡単に二元論にして、『楽器か武器か』という議論もできる。笑いによって人を楽しませるのか、社会風刺や文明批評や世相への継承なのか」(「笑いの世界」)。だが端的に言って、この分割は、論理的にも筒井自身の創作の履歴から見ても、すぐに崩壊するものである。なぜなら、「楽器としての笑い」はそれ自体が「武器としての笑い」への「批判=武器」であるから、純粋に「楽器」としての性質のみに純化するには、何がしかの決定的な飛躍が必要である。
 実作において純粋なる「楽器としての笑い」だけを創作することが筒井が可能だったかと言えば、おそらくそうではないだろう。「公共伏魔殿」や「堕地獄仏法」「農協月へ行く」に、NHK、創価学会、農協に対する揶揄の意図が“ない“と見ることは難しい。筒井の作品の中で最も音楽に近いであろう「バブリング創世記」ですら、キリスト教や聖書に対する「攻撃」の側面がある。
  であるならば「楽器としての笑い」は理想としての「笑い」であり、実際には筒井は、戦争というモチーフを何度も繰り返し描き、「戦争」という暴力自体を「武器としての笑い」で茶化し続け、そしてその武器としての笑いを「笑う」ことで「楽器としての笑い」へと浄化させようとしていたというのが適切であろう。そして、作品全体が「武器としての笑い」の側面を持っているとしても、瞬間的には「楽器としての笑い」が実現したと考えるべきである。この二つは対立しつつ、位相が違うのだ。
 戊辰戦争の最中にジャズを延々と続けると言う本作は、「戦争」から「武器としての笑い」へ、そして「楽器としての笑い」へと次々と浄化のステップを踏んでいくという作品である。
 江戸時代末期、奴隷解放により逃げてきた黒人たちが駿河の国に流れ着き、お殿様と交流する。そのうちお殿様はジャズにはまっていき、そのジャズ熱は城中に吹き荒れる。その間、世間では戊辰戦争が起こっている。舞台の城は難所にあるために、敵対するそれぞれの勢力が通路に使っていく(ちなみに、新潟にあるはずの親不知子不知が何故か本作の舞台に設定されている)。内政的には「ええじゃないか」が起こっており、外交的にはどちらの味方につくのか迫られ、「内憂外患」のお殿様。お殿様は散々悩んだ挙句、地下室に篭もってジャズに狂う。
   原作では舞台が九州であるが、舞台が駿河の国に移すことで、明治維新前後の政治と戦の移動を強調する意図があったと言われている。とはいえ、「駿河の国」らしさがあるかと言えば、特に強調されているわけではない。本作の半分近くは城の中であり、その城はセットであることを露骨に主張しており、窓の外の照明の色だけで「夕焼け」や「朝焼け」を表現する。外界が「偽者」であることを露骨に示すのだ。
  この物語が語られる表現の軽妙さこそ本作の見所であり、岡本監督の「冴え」や「切れ」の凄まじさが生かされるのもその「表現」こそである。まず最初に噴き出すのは、黒人の台詞がなぜか東北弁で吹き替えされていることだろう。黒人と東北はなんの関係もないはずなのに、「田舎っぽい」だけで妙な吹き替えをされてしまう。「ずさんな吹き替え」の持っている悪意とギャグ。ここで、観客は露骨に映画における「吹き替え」(映像と音の食い違い)を味わう。さらに、日本に渡る船の中のシーンなどひどい。露骨に部屋を揺らしているだけで「船の中」を「演出しています」ということを露呈させている。映画というのが、そういう装置であるということ、そして「そう見えればそれでいい」ということが無造作に提出される。このようなことを、「映像」と「音」の乖離を主題化したゴダールのような政治的に難渋な意味の方向ではなく、あくまで、軽妙に、笑えるように、「遊び」として行っているという点が重要である。
    その他、映画は「映画」特有の表現を用いて好き勝手をし続ける。十字架の墓標が立っている象徴的で悲劇的なように見えた映像は、周りに「東西南北」と文字が出て単なる方位を示す記号に貶められる。城を通路にするために畳や表具を片づけるシーンには道路工事の効果音がつけられていたりする。
  渡部直己は、筒井作品の価値を、「言葉」が意味や作者の意思から離脱して自由を手に入れているという部分に見出したが(『HELLO GOOD-BYE 筒井康隆』)、『ジャズ大名』は映画という形式が、物語に寄与することだけを目指さずに自由に遊んでいる。 これは実は、重要な点である。
筒井作品の持っている「表現」自体が自律して暴走する快楽を踏襲して他ジャンルで実現させるのは相当に難しいことである。筒井康隆が原作の映画には傑作や良作が多くあるが、大林監督の『時をかける少女』でさえこのような「表現」自体が暴走する側面は捨象されていた。(とはいえ、あの作品では尾道や少女自体の魅力という素材が暴走している点が素晴らしさに繋がっている)
 今敏監督の『パプリカ』は、アニメという手法の中で「表現の暴走」を実現させようとしていた作品であったが、アニメの特性であろうか、あるいは今敏の特性であろうか、暴走というよりは「計算」の印象の方を強く感じてしまうものであった。
    本作の場合、そのような「計算」ではない部分に魅力があったりする。例えば、ラスト近くに地下室で踊り狂う人々。彼らは、内容的には、明治維新の前と後で違う曲で踊っているはずなのだ。
だが、明治維新前の曲が終わると、踊っている人々は、ストップモーションで動きを止められる。そして沈黙の中に、官軍が「トンヤレ節」で行進していく。しばしの沈黙の後、二曲目が演奏される。すると、先ほどのストップモーションが解かれ、そのまま踊り出すのだ。映画内現実においては違う曲であるにも関わらず、踊っている人々の動きが音と合うことが、映像と音の乖離を露骨に示す。しかし、同じリズムで踊っていれば、違う曲でも別に映像には合うのだ。どの道、撮影の際には、一シーン一シーン細切れに撮って踊っているわけで、本当に音楽にノって踊っているわけではないのだ。このシーンが秀逸なのは、そのような映画の嘘を露骨に見せ付けることのみを目的とした演出ではなく、単に二種類の踊りを大勢に踊り分けさせるのが面倒くさいし予算もかかるという事情を垣間見せながら、そのような「詐術」によって「エコノミー(経済)」の節約を見せる点である。観客の心理的経済と、その現場の物質的経済が両方とも節約される「技法」の力がここに見せ付けられる。
    本作の後半部で延々と続くジャズ演奏の中には色々なものが混ざってくることになる。例えば「ええじゃないか」である。不満の発露であり革命と結びついた、攻撃や政治の意味を持つ運動は、ジャズ空間に巻き込まれると、単なる音楽と踊りと化し、「武器」抜きのエネルギーとなるのだ。 さらに、このセッションには武士も紛れ込む。斬りあいをしているうちに地下に落っこちてしまった武士の刀を、娘が手で打ち据えて武器を奪う。そしてその後はセッションの一員に巻き込まれてしまう。
 ジャズのセッションの中に巻き込まれるのは、「ええじゃないか」という内乱のエネルギーや、武士同士の戦争のエネルギーだけではない。洗濯などの労働も、桶や仕事道具がセッションの楽器として使われることによって巻き込まれる。葬式に来た坊主の集団も巻き込まれ、木魚などが叩かれる。維新後に官軍が演奏する「トンヤレ節」が巻き込まれ、エレキギターやピアノ演奏、タモリが引いてくるラーメン屋台のチャルメラなどが合体し、時空も敵味方も生死も労働も遊びも混濁したエネルギーのカオスが出現する。
 それはエネルギーのカオスから敵対性と武器を剥ぎ取った、純粋なる「音楽」の世界である。戦争が、「武器としての笑い」を経由し、「楽器としての笑い」へと昇華=浄化されたエネルギーがここには存在する。そしてこのエネルギーが、「音」がある「映画」であるということで、異例の表現力を持って我々に迫るのだ。
 筒井康隆は、革命も戦争の一形態だと考えている(「メディアと感情移入」)。戦争を終らせようとすること自体も戦いであるし、戦いを終らせようとすることも戦いである。歴史はそのような戦いの連続である。筒井の目指す地点は、そのような「戦い」に対して「武器としての笑い」をぶつけ、昇華させ、その昇華の後に「楽器としての笑い」の中で「昇天」(坂口安吾)が起こるポイントなのではないか。それは、もう何かに対する否定性ではない、一切の肯定となるような地点である。
  この映画のラストには、「その後」がない。後始末や、政治的帰結は描かれない。なぜなら、「後」などないからだ。その地点が全てなのだ。このセッションは、永遠でもないし、その「後」もない。それそのものが、単にそれそのものである。そしてそのことが、素晴らしいのだ。

 (藤田直哉)