» 静岡SF大全のブログ記事

 データの確認に時間がかかってしまった。遅くなり申し訳ない。
 さて、ここまで長らくお付き合いいただいた静岡SFであるが、実は他にもまだまだ候補作はある。当初は10本集まるかどうかと危ぶまれたものだが、これまでに紹介されたものと合わせて堂々百本を超える候補作が集まった。感慨深い。
 静岡を舞台にしたご当地SFの発掘は、あまり省みられなくなっている作品の発掘という意味も含めて、非常に意義深かった。 最後に私たちが作成したリストを見ていただきながら、次に手を取る一篇の参考にしていただければと思う。
 次回は北海道SF。これまたガラリと異なる展開が期待できそうだ。
 ご縁があればまた次回、お会いしましょう。                                                          (評論賞チーム代表  高槻真樹)

【小説】
半村良『亜空間要塞』『亜空間要塞の逆襲』 (ともにハルキ文庫、入手困難)
 「質の日会」(=一の日会)のメンバーが伊豆の別荘で遭遇…とまるで「東京SF大全」と「静岡SF大全」をつなぐかのような作品。楽屋落ちネタ的な楽しさ満載。
菊地秀行「エイリアン黙示録」(朝日ソノラマ文庫、入手困難)
 菊地版高校生インディジョーンズというべき「エイリアン」シリーズの一冊。最終決戦の舞台が御殿場の工場とされている。
鯨統一郎「富士山大噴火」(講談社文庫)
 ケレン味たっぷりのタイトルそのままの、驚異の怪作。
有沢まみず「いぬかみっ!」(電撃文庫) 全14巻
 アニメにもなった人気ライトノベル。主人公の川平啓太は静岡県清水区(旧清水市)の出身。
柳美里「雨と夢の後に」(角川文庫)
 テレビドラマ化も話題になった幻想ホラー。終盤で浜名湖が登場する。
野尻抱介「ふわふわの泉」(ファミ通文庫、入手困難)
 浜松の高校の化学部で偶然できた立方晶窒化炭素「ふわふわ」をめぐる騒動を描いたライトノベル。「楽に生きたい」がモットーのヒロインの性格が静岡的? 第33回星雲賞長編部門を受賞。
京極夏彦「塗仏の宴」(講談社文庫)全2巻
 作者の代表作である妖怪シリーズの一冊にして、シリーズ最長の巨編。伊豆を舞台に繰り広げられる妖異と陰謀の数々を合理的に解釈していく作業は、SFファンからも注目された。

【特撮映画】
「三大怪獣 地球最大の決戦」(1964年東宝) 本多猪四郎監督
「地球防衛軍」 (1957年東宝)本多猪四郎監督
「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」 (1966年東宝)本多猪四郎監督
「大巨獣ガッパ」 (1967年日活)野口晴康監督
「フランケンシュタイン対地底怪獣<バラゴン>」(1965年東宝・米ベネディクトプロ) 本多猪四郎監督
「ガメラ 大怪獣空中決戦」(1995年大映・日本テレビ・博報堂)金子修介監督
 本編でも何度か紹介したが、特撮映画に富士山は欠かせないランドマークということなのだろう。その系譜はリアルな報道描写が話題となった近年の金子ガメラにも引き継がれている。静岡第一テレビのアナウンサーが臨時ニュースを実際に読み上げた。
「亡国のイージス」(2005年日本ヘラルド・松竹)阪本順治監督
「戦国自衛隊1549」 (2005年角川映画・東宝)手塚昌明監督
 ともに福井晴敏原作。「戦国自衛隊」は半村良作品を原案としているが直接の関連はなく、富士山麓の演習場から物語が始まる。

【コミック】
望月峯太郎「ドラゴンヘッド」(講談社)全10巻
 冒頭の新幹線事故が起きるのは浜松。映画化もされ、話題を呼んだ。
黒田硫黄 「茄子 富士山の戦い」(講談社)
 茄子を主人公にしたユニークな連作短編集全3巻のうち、第3巻の冒頭を飾る作品。富士山頂で茄子の怪物と戦うSFアクション篇。
芦奈野ひとし「カブのイサキ」(講談社)「アフタヌーン」連載中、4巻まで刊行
 地理的スケールが10倍になった世界での飛行機乗りたちの日常。3巻あたりから静岡篇に入り、11年9月現在、37760メートルの巨峰となった富士山に登山中。
丸川トモヒロ「成恵の世界」(角川書店)12巻まで刊行
 浜松を舞台にした中学生の少年と宇宙人の少女のラブコメ、なのだが、タイトル自体が「非Aの世界」のもじりであり、SFへの愛情に満ちた展開となって いる。アニメ化もされたが原作はまだ連載が続いており、先日最新12巻が発売されたばかり。
くぼたまこと「仮面レンジャー田中」(ジャイブ)全1巻
       「超絶変身!!アースカイザー」(講談社)全2巻
 ともに話題となった「天体戦士サンレッド」と同じ世界を舞台にし、ダーティな正義の味方や人情味あふれる悪の怪人たちの掛け合いが楽しい。どちらも舞台は静岡。

【SFノンフィクション】
小松左京「日本イメージ紀行」 (電子書籍版・全集31巻収録版は入手可)
 東日本を旅し、弥生以前の原日本文化を探るSF紀行。冒頭に「黒潮に秘められた伊豆七島の謎」が置かれている。

【アニメ】
 こちらも特撮系アニメに静岡を舞台にしたものが多い。本篇で扱った「新世紀エヴァンゲリオン」もその系譜上にあるのだろう。
「プランゼット」(2010年コミックス・ウェーブ・フィルム・メディアファクトリー) 粟津順監督
 「惑星大怪獣ネガドン」で注目された粟津順監督によるフルCGアニメの第二弾。侵略宇宙人との最終決戦の舞台が静岡の基地。富士山が巨大熱線砲台となる。
 以下は簡単に記す。静岡SFといえるかどうかは賛否両論あると思うが、参考としてみていただければと思う。
「大空魔龍ガイキング」(御前崎市)
「無敵超人・ザンボット3」(焼津市)
「マジンガ-Z」(光子力研究所が富士山麓の静岡県側に所在)
「宇宙ショーへようこそ」(静岡らしきワサビ産地が舞台)
「月面兎兵器ミーナ」(御前崎市が一部登場)
「きんぎょ注意報!」(磐田郡)
「怪物王女」(笹鳴町:浜松市中区佐鳴台がモデル)
「仮面のメイドガイ」(蒼木ヶ原市秀峰町:静岡県内で富士山が近い)

【ゲーム】
「サイレントヒル」
 舞台はアメリカじゃなかったか…とツッコミが入りそうだが、実は本来モデルとなったのは静岡(=サイレントヒル)だという説がある。
「planetarian ~ちいさなほしのゆめ~」
 浜松市のプラネタリウムを舞台にした近未来SF。シナリオ担当は「青猫屋」で第10回ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞した涼元悠一。
「スーパーロボット大戦」
 ガンダムやマジンガーZなど人気ロボットが競演する人気シリーズ。作品中に伊豆基地が登場する。
「FRONT MISSION3」
 軍事シミュレーションRPG。序盤で沼津港が舞台。

【境界系ややSF寄り】
井原祐司「DOLL MASTER」(メディアワークス、コミック)
静岡市を舞台にフィギュア師の日常を描く。
ばらスィー「苺ましまろ」(メディアワークス、アニメ・コミック)
小学生女子四人組と大学生の姉の掛け合いで展開する不条理マンガ。舞台は原作者の出身地でもある浜松市。アニメ版ではややぼかされているが、姉の免許証に「静岡県」と書かれていたり、小学校の黒板に「静岡県」と大書されていたりする。
「ハヤテのごとく!第2期」15~17話(アニメ)
 この3話は、熱海・下田が舞台。
「ぼくのなつやすみ2」(ゲーム)
 舞台は伊東市。
「ラブプラス+」(ゲーム)
 熱海市が舞台。実際に温泉街とタイアップし、話題を呼んだ。
田宮俊作「田宮模型の仕事」(文春文庫、ノンフィクション)
 大会参加者ならご存知、田宮模型のヒストリー。

【境界系非SF寄り】
さくらももこ「ちびまる子ちゃん」(りぼんマスコットコミックス)
 舞台は旧清水市。「ノストラダムスの大予言」などはSFファンにも有名。
天野こずえ「あまんちゅ!」(コミック、マッグガーデン)3巻まで刊行
 伊東・伊豆市を舞台に、高校ダイビング部の日常を描く。
横溝正史「女王蜂」(推理小説、角川文庫)
 伊豆沖の架空の島・月琴島が舞台。
白井喬二「富士に立つ影」(時代小説、ちくま文庫、入手困難)全10巻
 荒唐無稽・波乱万丈にして不条理かつ思弁的な架空歴史小説。映画にもなっている。
三島由紀夫「天人五衰」(新潮文庫)
 主人公が次々と転生していく幻想譚連作「豊穣の海」の第四部。清水港が舞台。
大江健三郎「燃え上がる緑の木第三部大いなる日に」(「大江健三郎小説」10巻収録)
 伊豆高原が、主人公サッチャンの蘇生の地。

 静岡を舞台にした純文学作品のうち、メンバーから提案があった作品も挙げておく。幻想度には幅があるが、いずれも静岡の地が作品の中で重要な位置を占める。SFといえるかどうかは ぜひあなた自身で判断してみてほしい。以下のものはネット上で全文を読むことができる。
泉鏡花「斧・琴・菊」
http://web-box.jp/schutz/pdf/ykgtk9.pdf#search=’斧・琴・菊’
岡本綺堂「修善寺物語」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card45457.html
島木健作「赤蛙」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000008/card7.html
森鴎外『澁江抽斎』
http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/card2058.html

昔話「金太郎」
 舞台はあまり意識されることがないが、足柄峠は静岡県駿東郡小山町にある。現地には今も金太郎を奉る金時神社がある。


あいつらの悲歌(エレジー) (光文社文庫)

初出・〈SF宝石〉1979年10月号~1980年12月号 → 単行本・1981年6月(光文社) → 文庫本・1987年1月(光文社文庫)

 『あいつらの悲歌』……「悲歌」には「エレジー」とルビが振ってある。
「UFO来襲! 地球の危機せまる ―― 宇宙人の巨大な謀略の秘密とは何か? あいつらの計画は着々と進行している…」と、帯にある。
この「あいつらの悲歌」は静岡SFである。こう言うと、首をかしげる人が多いかもしれない。
 主人公・貢の務める月刊アンバランス編集部のオフィスは「日本橋から東京駅にかけての一画」にあるし、彼が最初、UFO搭乗者の話を聞くために訪れるのは鎌倉である。UHOが着陸するのは茅ヶ崎の海岸だし、宇宙人の基地ができるのは、武蔵野の中心部…。
 そう、この物語にはかなりあちこちの地名が登場する。
その中にまぎれてわかりにくくなってはいるが、重要なラストの舞台となるのは、静岡のここである。

「なぜ、石廊崎でなければだめなんですか?」
 貢はハンドルを小きざみに回しながらたずねた。
 海岸道路は、崖のひだに沿って、右に左に屈曲する。
「それはだな」
 石堂修二郎は、まばたきもせずに、しだいに近づいてくる石廊崎を見つめていた。
「それはだな。わしの思念が信号となってかれらの感覚器官にはたらき、思考を刺激するにもっとも適した場所には、石廊崎の位置がいいのだ」
                (単行本 338頁)

 そして、石廊崎には「地球に来ている円盤」がすべて集まってくる。「二千や三千ではきかないかもしれない」それらが石廊崎に集結し、そして、物語は大団円を迎える。
 さて、どうして石廊崎がUFOを集めるのに「もっとも適した場所」として設定されたのか?
  
 日本SF第一世代の作家達にUFO……空飛ぶ円盤という存在が与えた影響の大きさについては、今さら言うまでもないだろう。「日本空飛ぶ円盤研究会」で知り合ったメンバーたちが、日本SFを創り上げる核の部分を形成していったのだから。
評論賞を受賞後、評論賞チームの一員でUFO現象専門家の礒部剛喜氏と「『あいつらの悲歌』は面白い!」という話で盛り上がったことがあった。
宮野「おお、私以外にもあのマイナーな『あいつらの悲歌』に着目している人がいたなんて!」
礒部「あれは、超常現象大集合の観がありましたよね。主人公が勤務先で編集している超常現象専門誌〈アンバランス〉なんて、極めてマニアックなネーミングですね。円谷プロの『ウルトラQ』の企画段階のタイトルは『アンバランス』なんですよ」
宮野「そ、そうなんですか」
礒部「その企画には脚本家として光瀬さんも加わっていたようですね」
宮野「なるほど。そんなふうに、多分、個人的な要素が他にも一杯詰まっている作品なんでしょうね。語り得るギリギリのところを語っているという感触があるんです。あれは、光瀬龍について論じるのに絶対に外せない作品です。でも、その確信を「論」として言語化することが難しくって…。だけど、光瀬龍が最初から最後までUFOにこだわった人だということは、明らかですよね?」
礒部「それは同感です」

作品内の「土地」とは、不可思議な存在である。
 この世のものであって、この世のものでない。
 作者が作品の舞台としてある土地を選びだすという作業は、多分、何がその人を作家にしたのかという問題と深く結びついている。
 
石廊崎は伊豆半島の最南端に位置する。縁結び、役行者…伝説の多い土地である。
海に突き出た場所…それは異界への入り口である。その意味では、伊豆半島そのものが、海に突き出た場所としての側面を持つ。
 そして、伊豆は光瀬龍にとって特別な土地である。
伊豆の下田には、筑波大学の臨海実習所がある。筑波大学の前身、東京教育大学で学んだ光瀬龍はここで学生時代のひとときを過ごし、新婚旅行の行先にもした。
 また、彼がそのペンネームを作中の人物の名から採るほどに(註)敬愛した作家、井上靖は伊豆でその少年時代をすごした。自伝的小説『あすなろ物語』の舞台も伊豆である。

「明日は檜になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。でも、永久に檜にはなれないんだって! それであすなろうと言うのよ」
                       (新潮文庫『あすなろ物語』47頁)

 主人公は自らを「あすなろう」だと認識しつつ大人になっていく。大人になっても、やはり、「あすなろう」である。
そして、光瀬龍は次のように書いている。

決して勝つことができないものを相手にして阿修羅王は戦いつづけなければならないのです。決して勝つことができない相手、つまり絶対者を相手どって阿修羅王は永遠に戦いつづけなければならなくなったのです。
(早川文庫旧版『百億の昼と千億の夜』巻末の「あとがきにかえて」)

決して勝つことができないものを相手にして永遠に戦いつづけなければならない存在……これは「あすなろう」の姿そのものである。
光瀬龍はそのペンネームを井上靖の作品から獲得する前は、菊川善六という名で詩を書いていた。
小説家として名高い井上靖も、文学的出発は詩であった。
多くのすぐれた詩を遺しているが、その中に次のようなものがある。

      アスナロウ
下北半島のアスナロウの林をジープで走った。夕方から雪が落ち、突端の小さい部落へはいった時は吹雪になっていた。同行した森林管理人は宿の土間で、ゴム長の雪を払いながら、アスナロウの交配が寒中、このような吹雪の中で行われるということを語った。
私は昼間通り抜けた鬱蒼たる大原始林が雪に降り込められているさまを目に浮かべながら、絶えてない解放された思いに打たれた。そこでは生と死はスポーツのように軽快であった。どうしてこのようなことに気付かなかったのか。太古から死はまさしく吹雪のように空間に充満して来るものであったし、その中に於て、生はアスナロウの花粉のように烈しく飛び交うもの以外の何ものでもなかった筈だ。
                     (新潮文庫『井上靖全詩集』74頁)

この詩のイメージでもって、『あいつらの悲歌』のラストを読んではいけないだろうか?
石廊崎の上空にUFOは集結する。「銀色の点刻の集まりとなって浮遊して」(344頁)くる。……そう、まるで、雪のように。
 太古から、死はまさしくUFOのように空間に充満してくるものだったし、その中において、生は阿修羅王のように烈しく戦いつづけるもの以外の何ものでもなかった筈だ。
 井上靖と同じく、光瀬龍の文学的出発も「シ」からであった。
光瀬龍の仕事場には、井上靖の詩集が常に置かれていたという。
                               (宮野由梨香)

(註)光瀬龍というペンネームは、井上靖の短編小説「チャンピオン」の登場人物に由来する。拙稿「阿修羅王は、なぜ少女か」(〈SFマガジン〉2008年5月号所収)参照。 

【付記】原稿を評論賞チームのMLに流したところ、関竜司さまから次のようなメッセージを戴きました。非常に貴重なご指摘なので、ご了解を得て、ここに載せさせていただきます。

確かに半島の突端とか岬などは、船乗りにとって神聖な場所で宮野様のおっしゃられるように異界の入り口でもあったと思います。
石廊崎に熊野神社があるのも、大阪から紀伊半島を回って一端、熊野あたりに集まって、そこから黒潮に乗って東に向かう海上交通のルートがあったからで、伊豆半島や石廊崎はその中継地点に使われていたようです。(ちなみに石廊崎の次は日米和親条約で開港した下田です。)
こうした海からの視点というのは実は静岡という地域を考えるうえで重要で、海上交通とか貿易といった観点が、静岡のハイカラで国際的な感覚(サッカーが好きとかクラシックカーが好きとか)と結びついているのではないかと思います。
ただそれ以上に重要なのは石廊崎上空というところはどうもB29の侵入ルートだったということです。(恐らくレーダーも設置されていたと思われます。)
宮野さんの原稿を読む限り、ここでの空飛ぶ円盤のイメージは直接的にはB29と重ねあわされているのではないかと思います。特に静岡には中島飛行機の工場があったわけで静岡の人は日本とアメリカの工業力の差を、まざまざと見せつけられるわけです。
しかも戦後は、航空機産業は凍結されて日本人は「空が飛べなくなる」。
そこで中島飛行機の技術者たちは自動車とかバイクとかに転身するわけですが、「空飛ぶ」という言葉一つにも、実は敗戦の刻印があるのではないかなと思いました。

中井久夫『分裂病と人類』(1982)

分裂病と人類 (UP選書 221)

分裂病と人類 (UP選書 221)

  • 作者: 中井 久夫
  • 出版社/メーカー: 東京大学出版会
  • 発売日: 1982/01
  • メディア: -



何故『分裂病と人類』などというSFとも静岡とも何の縁もなさそうなタイトルをわざわざ「静岡SF大全」に寄稿するのか、といぶかる読者の方々もいらっしゃると思う。今回、「静岡SF」と言われて、はたと考え込んでしまった、「SFにとって静岡とは何か、静岡にとってSFとは何か」という重大問題に対して、果たして自分は答えを出せるのだろうか。その問いに対して、答えが出たと感じたのが、この本なのである。

漠然とした印象と散漫な引用で論を進める怠惰をお許しいただけるなら、僕個人が初めて静岡に行った際の感想から始めたい。駅周辺や、整備された森などにはそれほど感銘を受けなかった。驚いたのは、バスで移動しているときに見た「茶畑」である。あまりに整然としていて、ずっと続いている。もこもこした地面にもこもこと茶があるのに、全体が西洋庭園のように整然としている。これは一体なんだ、変な空間だ、と新鮮に思った記憶がある。

『分裂病と人類』の第2章「執着気質の歴史的背景」を読んでいて、はっと膝を打つ箇所があった。「執着気質的職業倫理は人文地理的には扇状地型農業にむすびついたものと言いうるかもしれない。明治期以後、二宮の方法と倫理が実践された代表的な例は静岡県の茶栽培であり、茶が扇状地に最適の作物であることは周知の通りである」(東京大学出版版 p62)。

そうなのか! とこれを読んで膝を打つ人はおそらくいないと思うので、「執着気質型職業倫理」と「二宮」について説明を加えたい。

執着気質型職業倫理とは、大雑把に言えば、近代化の原動力になったと中井が考えている心性である。その典型を、中井は二宮尊徳に見ている。

二宮尊徳は「農村構造改革」と「農業技術革新」を行った人物である。「計算可能性」に基づいて、窮乏した村落の「立て直し」をした人物である。一般的には「二宮金次郎」として知られている。

この中井の論は、戦後のメンタリティから遡って二宮を発見したとも言える側面がある。実際中井はこう言っている。「高度成長を支えた者のかなりの部分が執着気質的職業倫理であるとしても、高度成長の進行とともに、執着気質者の、より心理的に拘束された者から順に取り残され、さらに高度成長の終末期には倫理そのものが目的喪失によって空洞化を起こしてきた」(p68)。これはどこか、『日本沈没』において成長が達成された社会への違和感が原動力になって「危機」自体を作り出すメンタリティと、似てはいないだろうか。

二宮は「比較的近い過去に興隆した栄光の歴史」を持っていたが、五歳のときに災害(水害)によって一帯を壊滅させられてしまう。その災害が、彼の人生に影響をした。「執着気質的職業倫理は、本質的に『建設の倫理』ではなく『復興の倫理』である」(p49)。そのような災害を経験した二宮が「執着気質的職業倫理」すなわち、簡単に言えば「勤勉」になるのは必然だったであろう。そして思想家としての彼の意見や改革を受け入れるだけの社会構造になっていたであろうと中井は言う。

この「復興の倫理」とは、どこか、戦後の日本のようではないだろうか。特に、敗戦による焼け跡を原動力としていた小松左京を強く思い起こさせはしないだろうか。『日本アパッチ族』がこの時代に書かれていたら、滅んだ村から物語が始まったかもしれない。

中井は戦争にも言及する。「農民だけではない。この倫理に従った技術者たちは、敗戦によって他の人々のような深刻な同一性(アイデンティティ)の混乱を起こさず、戦争と政治への反省を行わなかった。彼らはたとえば軍艦のかわりにタンカーをつくる。大戦直後には鍋釜さえつくった――『とにかくわれわれは頑張ったのだ』『科学の力の差だ』」(p60)

そしてその「立て直し」の路線は「世直し」の路線と対比される。「世直し」の路線においては、「カタストロフへの待望は、カタストロフへの恐怖と表裏一体をなして、潜在し続けたのである」(p60)。「『立て直し』路線は、『世直し』路線の人をたえず『立て直し』路線にくり込み、ついにくり込みえない者を極端な破滅的幻想の中に追いやるだけの強力性をもっている」(p63)。どこか、『日本沈没』のようでも、『AKIRA』のようでも、その後の終末論的な作品のブームのようでもあり、オウム真理教によるサリン事件すら想起させられる。(ついでにいえば、「執着気質者であろうとなかろうと、『立て直し』の倫理としての執着気質的職業倫理は、成功とともにその持ち主に対する規範としての力を失う」(p52)という箇所は、90年代、ゼロ年代の構造不況や閉塞感などの背景に漠然と存在している心的機制の原因をすら説明しているように思う)

さて、これが静岡とどう関係するのか。二宮が、近代化、そして戦後に至るまで続く日本の精神を形成したとする中井の仮説を受け入れるなら、彼がその倫理と思想を作り上げた場所である、窮状にある村々がその原点にあるだろう。二宮が「立て直し」を実施した村々は「二宮の故郷の村に酷似していた」と中井は言う。「それは河川が山間部より出たところでつくる扇状地にある。扇状地は洪水に荒されるとはいえ排水がよく、水利は上流より分水して導水路をつくることによって行うことが可能である。天災の危機にさらされやすいとはいえ、復興もまた容易で、方法はすべての村民に理解せしめうるほど明快である」(p61)

中井の「二宮が近代化・戦後日本の精神を形成した」という仮説を受け入れるにしろしないにしろ、彼の論じている内容と日本SFが似ているように感じることは拒絶しがたい事実である。この関係性については、真の熟考が必要とされるので、本論では示唆のみに留めたい。

ここで僕が提出してみたいのは、ささやかな思い付きである。思い付きであるので、いい加減なものである点はご容赦願いたい。

それは、『日本沈没』についてである。『日本沈没』が何故静岡を舞台に使うのか、実は今までよくわからなかった。「静岡SF論4」で石和義之はその点について以下のように述べた。

『日本沈没』は、伊豆沖で沈んだ島の挿話に始まり、3月12日の富士山の大噴火をクライマックスとして終わる。主な舞台が静岡を選んでいるのは、偶然にもそこに「糸魚川静岡構造線」が走っているからだ。東日本と西日本を分かつユーラシアプレートと北米プレートの境界線が「糸魚川静岡構造線」なのである。「本州を西と東にわける関東山脈の下の富士火山帯は、今や一斉に燃え上がり……」と作品中では描かれているが、ここでは日本という風土のみならず、それ以上に昭和という時代そのものが燃え上がっているようだ。

これに対し、中井の論は『日本沈没』の射程が「昭和」より広いのではないかと考えさせられる。二宮思想の実践の代表例が静岡の茶畑であり、その「災害」と「立て直し」に、小松左京が敗戦と復興を経験したことを「重ね合わせ」たのだとしたら――

これは、とっぴな思い付きではない。『日本沈没』は、『日本沈没 第二部』で描かれるように、「ディアスポラ」を描く予定の物語であった(D計画のDとは、ディアスポラのDである)。山本七平の『日本人とユダヤ人』に影響を受けたこの日本人とユダヤ人の気質の重ね合わせと検討の中で、小松が山本の『日本資本主義の精神』の影響を受けなかったとは考えにくい。『日本資本主義の精神』においては日本人の社会倫理と精神が、江戸時代の思想家・石田梅岩や鈴木正三に起源が求められていたが――中井の言う、二宮説と同じような意見もどこかで目にしていたのかもしれない。

その上で、『日本沈没』の企みを、そこをあえて「静岡」に設定することで「災害」と「立て直し」の象徴としての「茶畑」を想起させようとしていたと仮定するなら、この書物の「重ね合わせ」の試みは、以下のように整理できる。

水害による村の壊滅と「立て直し」

敗戦による焼け野原からの戦後復興

地震と噴火による日本沈没とその後の世界中でのディアスポラ(『第二部』)

ユダヤ人のディアスポラとその復活

この中で、「ディアスポラ」が何故描かれるのか、僕は長年分からなかった。クラークの一神教的な『幼年期の終わり』に対抗して日本の宗教的伝統を用いて『果しなき流れの果に』を書いたぐらいなので、ユダヤ教が背景にあってディアスポラが耐えられた、あるいはディアスポラによってユダヤ教が世界宗教になった、そういう事柄を「日本」的な宗教なり道徳に置き換えて思考実験しようとしているものなのかと勝手に解釈していた。

先日、偶然、長崎浩の『共同体の救済と病理』を読んでいて、その中でユダヤ教の預言書である「エレミヤ書」を紹介する箇所に出会った。それは「社会に蔓延する不正と不義を告発し、罪と背信にたいする神の裁きとして民に災いが下ることが告知され、それでもなおたかをくくってヤハウェに立ち帰らない民を弾劾する」(p167)内容である。

その中の一節が、まさに『日本沈没』の背後にあったテーマだと、恥ずかしながら、僕はこのときに知った。孫引きで申し訳ないが、引用させていただきたい。

永久の愛をもって、わたし(ヤハウェ)はあなたを愛した。

それ故に、わたしはあなたに慈愛を注ぎ続けた。

わたしは再び、あなたを建て直す。

あなたは建て直される、乙女イスラエルよ。

再びあなたは、鼓で身を飾り、

楽を奏でる者たちの、踊りの輪に入る。

再びあなたは

サマリアの山々に、諸々の葡萄畑を作る。

植える者たちは植え、そして収穫を得る。

まことに、見張りの者たちが、

エフライムの山で、呼ばわる日が来る。

「あなたたちは立ち上がれ。

われわれは上ろう、

シオンへと、

われわれの神ヤハウェのもとへ」と。 (関根清三訳)

乙女イスラエルを「日本」に置き換えた上で、最後の四行の一神教的構造に対してどう日本的な結末をつけるか。そこは、あまりにも、難問であっただろう。よく考えれば、『神への長い道』においても小松はこの問題を思考しているのであった。(『第二部』をお読みの方なら、この四行がどう反映したかご存知の筈だ)

となると、「サマリアの山々」は「静岡の山々」で、「葡萄畑」は「茶畑」か。そんな馬鹿な、と言いたくなるが、「葡萄」がユダヤ教において「怒りの葡萄」=踏み潰された人々の血であると同時に、キリスト教においては神の血であることを踏まえると、一神教的な構造に対決した『果しなき流れの果に』のラストが縁側でのんびりするシーンであったことを思い出さずにはいられない。それが小松にとって「神」や「救済」の代わりであったとするならば、そこに必要な「神の血」は、当然「茶」ということになる。

その「茶」は、洪水などで壊滅した人々の「立て直し」の刻苦と勤勉さの象徴のようなものである。まさに流された血と汗の結晶なのである。

西洋庭園の整然とした幾何学的空間とも、日本庭園のような「自然と人工の調和」とも違う、独特の、歪んでモコモコしているのに、異様に均質的で強迫神経的な「茶畑」に僕が感じた驚きの正体がここに明らかになったような気がした。そこには西洋庭園、日本庭園に対比されるべき「茶畑の哲学」があり「茶畑の美」がある。

「茶畑の哲学」なり「茶畑の美」の背景には、災害と「立て直し」の精神と、長い勤勉さと刻苦の歴史がある。我々は茶を飲むとき、その歴史を共有し、聖体拝領を行い、血を飲んでいるのであると伝えるために、小松左京が『日本沈没』の舞台を静岡にしたのだという仮説―― この仮説によって、初めて僕は、「SFにとって静岡とは何か、静岡にとってSFとは何か」という答えの一端に、たどり着けたような気がした。(藤田直哉)

ビアル星の記憶 ――富野アニメに見る神秘主義の起源

礒部剛喜

神は人類の堕落を憎み、地上に悪疫を流行らす風を吹き送った。純粋な毒は地上に 舞い降り、あらゆるものを死滅させた。このとき、人並みすぐれて誠実な家長は彼が 選んだ一団の人びととともに頑丈な扉のついた囲いの中に(洞窟か?)閉じ込もっ た。こうしてわずかに一握りの人びとだけが無事に避難できた。…リオン湖の堤がこ われ、大津波がイギリスの岸べに迫り、どしゃぶりの雨が続いて地上に大洪水が起 こった。(村社伸訳)

ドネリー『ラグナロク――火と瓦礫の時代』(一八八 三)

アーサー・C・クラークが近代懐疑主義精神の持主であることは、決して疑いよう がない。二十世紀イギリスを代表するSF作家として、彼がUFO,ESP,オー パーツ、ネッシー,いずれの存在にも懐疑的だった。ただクラークはノンフィクショ ンとしての神秘主義を肯定することはなかったが、フィクションにおいては必ずしも そうではなかった。

クラークの代表作『幼年期の終り』(一九五三)は、彼に内在された神秘主義の産 物だと言えたからだ。大都市の上空に浮かぶ銀色に輝く雲のような宇宙船、堕天使を 思わせる征服者オーヴァーロード、無意識下で発揮される超常現象能力、そして心霊 書記によるコンタクト。物語に散りばめられたキーワードを追えば、『幼年期の終 り』はクラークの神秘主義的な宇宙観を全面的に押し出している。『幼年期の終り』 を読む限りにおいては、クラークの内心にあるはずの懐疑主義の気配は微塵も感じら れない。

『幼年期の終り』は、近代懐疑主義精神が神秘主義と共存していても矛盾はないとい う事実を示唆していると言えるのではないだろうか? アイザック・ニュートン卿に したところで、占星術と無縁とは言えなかったのだから。ではクラークの内面に、懐 疑主義と神秘主義の両者を併存させることになった起源は何なのだろうか。その解答 は彼自身の幼年期における読書体験にあると言えるかもしれない。

さて、クラークの神秘思想の起源を辿るとき、そこに静岡を舞台にしたSF作品に接 点が浮かぶとして、両者に通底した神秘主義が存在していたと考えるのは荒唐無稽な 着想なのだろうか。

共通した神秘主義を内包したという点で、『幼年期の終り』と接点を持つ作品として 取り上げてみたいのは、静岡県駿河湾を起点に始まる富野喜幸(現・由悠季)監督の 巨大ロボット・アニメーション『無敵超人ザンボット3』(一九七七)である。ク ラークの『幼年期の終り』と、『無敵超人ザンボット3』が同質の起源を共有してい たと推断することは、それ自体が擬似科学的な発想なのだろうか?

十二歳の少年神勝平は、焼津市漁港の網元、神一族の長男だ。一族の長老神北兵左 衛門は、埋没したご先祖の遺産を見つけたと言い出して、駿河湾で採掘工事を始めて いた。そんなおりもおり、焼津市に正体不明の怪物が出現して街を破壊しだす。沖合 の採掘現場も破壊されるが、海底から巨大な宇宙船が浮上し、勝平を収容する。神一 族の祖先が残した遺産とは、宇宙船〈ビアル一世〉だった。神一族は、かつて宇宙の 破壊者ガイゾックに母星を滅ぼされ、地球に逃れてきたビアル星人の末裔だったの だ。街を襲った怪物は、ガイゾックの放ったロボット・メカブーストだった。勝平と 神一族は、祖先の残した宇宙船〈キング・ビアル〉と巨大ロボット兵器ザンボット3 に乗り込み、ガイゾックを迎え撃つ。

物語の基本構成は単純で明快ながら、人間ドラマに焦点を置いた展開は、決して正義 対悪という単調な図式に収まってはいない。神一族は、ほとんど単独でガイゾックに 闘いを挑み、ほぼ全員が壮烈な最期を遂げ、勝平だけが地球に生還するという衝撃的 な結末だった。加えて特筆すべきは富野監督のキャスティングセンスで、神勝平を演 じるのは、後にドラえもん役で知られる大山のぶ代その人である。

この作品で最も重要なのは、古代に滅亡した高度な文明の残した超技術の産物が現代 に復活するという構図である。『勇者ライディーン』(一九七五)で始められた、太 古の超文明の遺産である巨大ロボットを受け継ぐという着想は、『ザンボット3』、 『伝説巨神イデオン』(一九八〇)と、富野アニメで繰り返し用いられている。『機 動戦士∀ガンダム』(一九九九)も、この範疇に含まれていい。

失われた古代科学の再生という着想は、現代SFから忘れられて久しい〈第一期文 明仮説〉に基づいている(古代に異星人が地球を訪問していたという〈古代宇宙飛行 士飛来仮説〉もこれに含まれる)(1)。かつて高度なテクノロジイを持った (ムー、アトランティス、レムリア、パンとあまたの呼び名がある)大文明が繁栄し ていたが、地球規模のカタストロフによって滅亡したという〈第一期文明仮説〉は、 本来SFには古典的なテーマだった。

〈第一期文明仮説〉は、現在では〈シェイヴァー・ミステリ〉(2)同様に、完全な 擬似科学と見なされるようになったため、最近のSFのテーマとして浮上してくるこ とは稀であるものの、同質の着想が富野アニメで繰り返されたことは黙殺すべきでは ない。

さまざまな歴史的な材料を物語に巧みに導入している点が、富野アニメの特徴だった ことを考えれば、滅亡した文明のテクノロジイを受け継ぐという着想と展開にも、同 じような史実性の援用が含まれているはずであり、彼が用いる小道具を軽視してはな らない。

たとえば『機動戦士ガンダム』(一九七九)における宇宙要塞〈ア・バオア・クー〉は、ボルヘスの『幻獣事典』から引用された回教神話の妖怪に起因していることはよ く知られているし、『重戦機エルガイム』(一九八四)では、重層性のある背景を中 国史に求めている。〈ペンタゴナ・ワールド〉の帝王ポセイダルの情報機関〈十三人 衆〉とは、中国国民党の秘密警察〈藍衣社〉と同義語であった。

SFの文学史的な潮流から見ても、決して擬似科学として排撃してよいものではない〈第一期文明仮説〉テーマの作品は無数に書かれたが、その起源となったのはイグ ネーシャス・ロヨーラ・ドネリーの『アトランティス――大洪水以前の世界』(一八 八二)であった。フィラデルフィアの弁護士で、ミネソタ副知事を経て連邦下院議員 となったドネリーは、あらゆる古代文明は水没した幻の大陸アトランティスを起源と するという仮説を極めて一般的なものにすることに大きく貢献したのである。

ドネリーの仮説が広く受け入れられた理由は、それが――後に、モーリス・ジェサッ プ、フランク・ドレイク、ル・ポア・トレンチ卿といった〈古代宇宙飛行士飛来仮 説〉を支持した人々に模倣されたように――聖書の世界観を再構築したものだったか らだ(3)。すなわちドネリーが示してみせたのは、ユダヤ・キリスト教的世界観の 正当性だった。これはクラークの『幼年期の終り』と矛盾するものではない。後に有 名になるヴェリコフスキーの『衝突する宇宙』が、ドネリーの直径の子孫であったこ とは、旧約聖書神話の実証の試みという点で明らかである。

そしてクラークはその少年時代に、ドネリーの『アトランティス…』と『ラグナロク ――火と瓦礫の時代』(一八八三)に強い影響を受けていた。『幼年期の終り』の結 末で、霊的存在へと進化した人類が、繭を破るように地球を崩壊させる光景は、ドネ リーの描写した天変地異とよく似ている。クラークがドネリーを擬似科学の守護聖人 と批判しても、『幼年期の終り』に関する限り、ドネリーの影響を拒絶することは困 難である(4)。

確かに『ザンボット3』は、『ライディーン』や『イデオン』に較べれば神秘的な色 彩は希薄である。しかしそれは、前作『ライディーン』で神秘性が強すぎるという理 由で総監督を降番となった反省に立っていたからだと見なしても誤りではないであろ う。『イデオン』と比較しても『ライディーン』のキリスト教色は際立って強かった からだ。ヒロイン明日香麗は、修道女から戦闘機のパイロットに転身してくるのだ。

かくてユダヤ・キリスト教的な〈第一期文明仮説〉という鏡に映し出せば、富野ア ニメに秘められた神秘主義的な世界観は、『幼年期の終り』と限りない酷似性を共有 していたと見なせるのではないだろうか。                ――ニ 〇一一年七月

(1)〈第一期文明仮説〉を扱った作品には、ハミルトン『虚空の遺産』ラインス ター『死都』が有名だ。ホーガンの『星を継ぐもの』も、〈第一期文明仮説〉に関し ては、豊田有常『神話と伝説にみる異郷体験』(『SFファンタジア 第三巻異世界 編』(学研)収録)が詳しい。
(2)現代のSF史から故意に抹殺された、滅亡した古代レムリア文明の末裔とのコン タクト・ストーリー〈シェイヴァー・ミステリ〉騒動については、アシュリー『SF雑 誌の歴史』(東京創元社)を読まれたい。
(3)いずれも〈古代宇宙飛行士飛来仮説〉の先駆者たちである。太古に異星人が地 球を訪問していたという仮説は、E・V・デニケンの著書『未来の記憶』(角川文庫) が有名だが、同書がベストセラーになった理由は、その先駆者たちよりキリスト教色 を希薄にしている点にある。
(4)クラークの神秘主義的世界観の起源については、自伝的読書録『楽園の日々』(早川書房)を参照。


「キングコング対ゴジラ」一九六二年、東宝株式会社、監督:本多猪四郎、特技監督:円谷英二、出演:高島忠夫、藤木悠、有島一郎、浜美枝、若林映子。
ゴジラシリーズの第三作。観客数は千二百五十五万人を記録し大ヒットとなった。
「キングコング」一九三三年、RKO制作、監督:メリアン・C・クーパー、アーネスト・B・シュードサック、出演:フェイ・レイ、ロバート・アームストロング・ブルース・キャボット。空前の大ヒットとなった。キングコングの熱狂的なファンのピーター・ジャクソン監督によって2005年にも制作された。日本のゴジラシリーズはキングコングの正規のライセンスを得たものである。

はじめに
 かつて神話が現実であった時代には人々は怪物を信じ怖れ、鎮めるための祭りを行ってきた。現在では神話は神話にすぎなくなってしまったが、怪物は現実から消えてしまったわけではない。「キングコング」や「ゴジラ」のように映像化されて登場し、大変な人気を呼んだのである。ところがこの二つの作品は、発表当時には、評論家からほとんど問題にされず、キワモノとしてしか論じられなかった。「キングコング」は馬鹿にされ、映画評論家は論ずることを恥ずかしがって、まともに取り上げなかった(1、21-28頁)。「ゴジラ」も同様であったが、さらに「キングコング」よりも低く評価され、「ゴジラ」派の人々を怒らせた(2、93頁)。「ゴジラ」は発表当時から「キングコング」のライヴァルであり、両者は戦わなければならない運命にあった。それにしても、なぜ怪物はこのようにおとしめられながらも、人々を強く惹きつけるのだろうか。

都築道夫のキングコング体験
 「母に手をひかれた幼いころ、たった一度だけこれ(王子電車、現在の都電荒川線)に乗ったとき、市電の終点からアーチまで歩くあいだに、右がわの映画館の前に巨大な怪物が立っているのを、私は見た。ベニヤ板を切り抜いたキングコングの絵看板で、それにショックを受けた記憶が、私のなかで強烈に、王子電車とむすびついている」(3、上巻、62頁)。
 都築道夫はキングコングとの出会いをこのように書いている。彼が、幼い頃受けたこのショックを、おそらく半世紀ほどたっても、これほど鮮明に記憶していたのはなぜだろうか。ここには、子どもと怪物の関係を解き明かすヒントがある。
 都築にとって、大人になっても忘れられないというショックは、体に染みつくほどの恐怖の体験であったことを意味している。そのとき、都築少年は、母親と一緒に王子電車に乗っている最も幸せな時であった。ところが、怪物はそこに突然容赦なく侵入して、幸せを根底からおびやかしたのである。
 このショックの原因は、都築少年が初めて人間として目覚めて、自分の世界を発見したところに由来する。彼は母親と一緒に王子電車に乗っていた。彼は自分が幸せであることに気がついた。ところがそのとき得体のしれない恐怖が襲いかかってきた。彼は幸せと同時に、その幸せが破壊される危険があることも発見したのである。都築少年の場合、昂揚した幸せな感情はとてつもなく大きなものに向かって投影された。そこには、闇の中に何やら巨大なものがあった。それは一挙に生命を与えられ、強烈な恐怖として跳ね返ってきたのであった。
 しかし都築少年は負けなかった。彼は、この怪物が、実は大きなキングコングの看板であり、電車の中に侵入する危険はないということを見破ったのであった。それは彼の知性の勝利であり、世の中を見る目が成長したことを意味していた。恐怖は意識的に抑制されて、素敵な電車の中に母と一緒にいるという光に満ちた幸せへと反転した。都築がこのエピソードを忘れられないというのは、その頃から、物心がついて利口になった喜びを意味している。すなわち、自分と周りの世界との関係が、恐怖をうまく抑制することによってはっきり意識できるようになったのである。
  都築道夫の体験は、恐怖が愛する人といる幸せな時間をさらに輝かせるということ、それから人間の心には子どもの頃の恐怖が隠れていることを示している。「キングコング」や「ゴジラ」などの怪獣映画を見に行った子どもは、たいてい家族とか親しい人と一緒であり、その時の恐怖と幸せは忘れえぬものになる。

キングコング
 キングコングとゴジラはいずれも怪物であり自然の中で誕生した。しかしどちらも突然現れそこにいたのであり、祖先ははっきりしない。またその祖先を問う人などは誰もいない。しかし、怪物の概念は神話と密接な関係がある。したがって、同じ怪物でも、西洋人の生み出したキングコングと日本人のゴジラとには差異がある。
 キングコングは、ギリシア神話の怪物、ギガンテスの流れをくんでいる。ギガンテスの中のティオテュオスは身を草原に横たえると、九エーカー(36.420平方メートル)を覆うほどの大きさだった。またエンケラドスは抑え込むのにアイトナ山全体をのせておかなければならないほどだった(4、226-223頁)。ギガンテスの中には人間と恋をしたり争いをしたりするものもあったというから、このような伝統は、キングコングと美女の関係として現れている。キングコングの行動は、人間的なところがあるが、これは西欧の怪物の特徴だろう。
 オリジナルの「キングコング」の背景は、山口昌男によれば(1、85-87)、「欧米の都市文化に抑圧してきた暗黒大陸アフリカへの潜在的な恐怖と憧憬が映像を通して噴出してきたようなところがある」。「暗黒大陸や奥地は、巨大なエネルギーを秘めた潜在的幻想空間として十九世紀から二十世紀、つまり人間の意識に対する反措定としての無意識が、時至らば主導権を握りうるということが次第々々に人に理解されてきた結果、『恐怖』の空間として造形化される条件が整って来ていたということである」。
 捕獲されたキングコングの存在理由は怪物として見世物にされることだけであった。大勢の見物人が押すな押すなと押し寄せてきた。ところが、人間の好奇心の創造した最もおぞましい怪物は、いったん創造されると破壊する恐怖の存在へと変わった。破壊することは怪物の使命である。しかしそのキングコングは美女に魅入られて、少しばかり人間化される。しかし、その人間化のためにキングコングはあえなく殺されるのである。

ゴジラ
 第一作の「ゴジラ」によれば、ゴジラは水爆実験によって太古の眠りから覚めた。ゴジラの誕生は人間の誕生と同時であったが、それまで眠り続けてきたのであった。ゴジラは人間の科学が内包する恐怖の極限の表現である。すなわち、原爆と水爆の犠牲者である日本人の核爆弾への生々しい記憶を視覚化したものである(水爆については、第五福竜丸がビキニ環礁で行われた水爆実験の死の灰をかぶった)。このように核爆弾の恐怖を背景にしているゴジラと、暗黒大陸の恐怖を背景にしているキングコングとは、まったくその恐怖の質が異なっている。したがって、ゴジラにキングコングのような人間的なところはないのは当然である。
 日本神話を見ると、日本における怪物の起源は八岐大蛇である(5)。大蛇は巨大で、八つの谷と八つの峰にわたっており、胴体一つに八つの頭と八つの尾がある。ゴジラも八岐大蛇に通ずる爬虫類のように見えるが、頭は一つで尾も一つであるが、その尾は強大な力を持っている。八岐大蛇は若い娘や酒を好物としているが、ゴジラには一切好みはない。英雄神スサノオノミコトは八岐大蛇を殺し、尾の中から草なぎの太刀という名刀を見つけた。八岐大蛇は完全な悪ではなかった。英雄がさらに力を増すことができる太刀を与えたのである。この神話には、人間と怪物との間の両価的な関係が示されている。
 ゴジラは東京に上陸し縦横無尽に暴れまわり、原子爆弾さながらに町を破壊した。しかし最終的に退治されていずこかへと消え去ったのである。ところが、「キングコング対ゴジラ」では、再びゴジラは氷山の下で目覚めた。ゴジラが日本を目指すのは、キングコングに襲われる危険を予知したからであろうか。怪物は怪物を呼ぶのだろうか。ゴジラは日本を蹂躙するが、同時にキングコングから日本を救うのである。

キングコングとゴジラは雄か雌か?
 キングコングは雄か雌か。キングコングがギリシア神話のギガンテスの流れにあるとすれば雄であろう。キングコングが美女を助けて優しく扱うのは雄である証拠と解釈できる。キングコングの大きさから、その「いちももつ」の大きさを推定した人がいて、平常時は百八十センチ強、勃起時は三百六十センチ強であるそうである。これではいかなる美女でもひとたまりもなく破裂してしまうだろう(1、88-95)。女性たちはただ恍惚と見とれ、男性は目を伏せて恥じ入る以外にないだろう。しかし雄である分だけ、キングコングは怪物性の度合いは低くなる。実際、人間の男性と同様に、宿命の女にそそのかされて、ついに破滅する運命をたどることになる。
 一方、ゴジラは雄か雌かわからない、性を超越しているという点で、出自は闇に包まれ、純然たる怪物あるいは怪獣といえる。したがってゴジラはキングコングのように美女を愛でることはない。ただ容赦なく、口から炎を吐き巨大な足で踏みにじり強力な尻尾で破壊するだけである。こうしてみると、巨大化した動物であるキングコングに比べて、ゴジラの方が怪物性が高い。

富士の裾野の真昼の決闘
 キングコングとゴジラは歴史を横断して、ウクロニーとして相まみえることになる。両者は、最終的に富士の裾野で雌雄を決する。クライマックスに入る直前にちらりと、うっとりするほど見事な富士山が現れる。これは、格闘技の始まる前に、美女たちがリングに上がって雰囲気を盛り上げる場面を想起させる。富士山が現れることによって、世紀の戦いの興奮は頂点に達する。真昼の日差しの中にくっきりと浮かび上がる富士山!このシーンは九州でも北海道でもダメであり、まさしく富士山でなければならない。
 ゴジラもキングコングも、夜に現れるお化けや吸血鬼や魑魅魍魎などのように、日の光の中で消えるようなひ弱なものではない。両者の「真昼の決闘」は、太陽と富士山の見守る中で正々堂々と行われる。恐怖の戦いは、優雅な熱海城を徹底的に粉砕しながらクライマックスに達する。建物を破壊しないと怪獣のだいご味はない。怪獣は人間の作り上げたものをいとも易々と瓦礫に変えるのである。

 竹内博は、この映画はキングコングとゴジラにどちらに勝って欲しいというような肩入れはなく、結果的には引き分けだったので後味がよかったと書いている(6、18-19頁)。円谷英二監督は、まだ時代劇映画のキャメラマンの時代に、「キングコング」を見て感動し特撮をやろうと決心した。したがって、円谷監督の思いはキングコングにもゴジラにも乗り移っている。
 子供たちは母親や父親の手をじっと握りしめて、かたずをのんでキングコングとゴジラの戦いを見守っている。恐怖と幸せの混合である。映画が終わって出てきたときの子供は、もはや映画を見る前と同じではない。子供たちはその恐怖の体験を乗り越えたことによって、少しばかり大人になっている。

参照
1. 季刊 映画宝庫 創刊号 1977。
2. 竹内博、山本慎吾編「完全増補版 円谷英二の映像世界」、実業の日本社、2001。
3.都築道夫「推理作家の出来るまで」上、六二頁、フリースタイル、2000。
4 トマス・ブルフィンチ、大久保博訳「ギリシア・ローマ神話」、角側文庫、1970年、226-227頁。
5. 「古事記」次田真幸全訳注、講談社文庫、1977、97-105。
6.竹内博「元祖怪獣少年の日本特撮映画研究四十年」、実業の日本社、2001。

『甲賀忍法帖』(山田風太郎)
――カラクリ世界の中のエロス――

『甲賀忍法帖』(昭和三十三年-昭和三十四年)は、山田風太郎・忍法帖の記念すべき第一作目である。山田が『甲賀忍法帖』を書いた昭和三十年代前半は、第二次忍法ブームと言われるほど、忍者小説が多く書かれた時期だった。五味康祐の『柳生武芸帳』(昭和三十一年)、司馬遼太郎『梟の城』(昭和三十四年)、白土三平『忍者武芸帳』(昭和三十四年)、柴田錬三郎『赤い影法師』(昭和三十五年)といった流れに、『甲賀忍法帖』も位置づけることができる。そしてこれらの作品が、「立川文庫」に収められていた荒唐無稽な忍術物に、合理的な理由づけを与え、大人も楽しめる娯楽作品に昇華させた点もすでに指摘されていることである。

「立川文庫」というのは、明治四十四年に創刊された講談本の一種で、特に『真田幸村漫遊記』シリーズからスピンアウトした『猿飛佐助』や『霧隠才蔵』が、大正期の第一次忍法ブームを巻き起こすことになった。管見では『甲賀忍法帖』に対応するはずの「駿河城御前試合」は、立川文庫には収められていないようである。しかし、例えば『真田幸村漫遊記佐渡ケ島大仇討』では、家康在世当時の駿府が登場し、幸村と猿飛佐助は、徳川方の動静をさぐるために、駿府に入り、家康の浮島ケ原での大調練を見物したり、家康の追っ手をけむに巻いたりと、「駿河」・「家康」・「忍者」というテーマが、すでに出てきている。また主人公が「漫遊」・「股旅」しながら敵と戦うのが立川文庫の「ウリ」だったのだが、そのウリも『甲賀忍法帖』では、東海道を駿府に向かう甲賀弦之介一行と、追う伊賀の朧たちという形で、しっかり受け継がれている。恐らく山田は、立川文庫に類した講談本で、甲賀と伊賀の忍者が、駿河で対決するという話を読んでいたのだろう。

一方、『甲賀忍法帖』にあって「立川文庫」にないのが「エロス」という要素である。立川文庫では、人情・侠客・エロスといった要素を排したことが、大阪船場の丁稚たちや中学生のような子どもの読者に受け入れられた要因だった。それに対して『甲賀忍法帖』では、忍法に切り裂かれる四肢やセックスシーンのような猟奇的・エロス的表現が前面に出てくる。これに関してはすでに川崎賢子氏が、一九二〇年代半ばの江戸川乱歩の『D坂の殺人事件』以降の、エロ・グロ・ナンセンスの影響を山田が受けており、それが戦争中の被虐と加虐の体験や、敗戦後のジェンダー・バンラスの崩壊によって表面化したのではないかと推測されている。川崎氏の推測は恐らくその通りだと思うが、ここではもう一つ、映画からの影響という点を指摘してみたい。

「立川文庫」の研究者である足立巻一氏は、大正時代の忍者ブームを、「立川文庫」によって火をつけられた忍術ブームが、忍術映画によって増幅されたためだとみている。当時マキノ省三は、尾上松之助主演の忍術映画を、2・3日に一本の割合で量産していた。マキノは、特殊撮影を駆使し、呪文を唱えて九字を切るとパッと姿が消えたり、雲に乗って走ったりするシーンを撮り、「立川文庫」以上に少年たちを熱狂させていた。また化け猫や天竺徳兵衛のガマ、白縫姫のナメクジの術などを、ぬいぐるみを使ってトリック撮影したが、これも大変人気を博したという。そしてこのマキノの撮った忍術映画を念頭に置いたとき、山田のアンビヴァレントな感情も理解できる気がするのである。

恐らくこの忍術映画をみた少年たちは、二つの矛盾した感情を抱いたはずである。一つは、密教的な呪術に対する憧れの感情である。呪文を唱えたり、九字を切ったりすることで、特殊な超能力が使えると説くのは、真言密教である。真言密教では、身・口・意の一致ということが言われ、身体の挙動と口で唱えることと、心で思うこととはそれぞれ互いに影響を及ぼし合い、特殊な呪文を唱えたり、特殊な印相を結ぶことで超人的な身体能力を獲得できるとされている。例えば、忍者が変身するときに結ぶ智拳印という印相は、真言密教で最高の仏である大日如来の結んでいる印相で、要するに最高位の仏と同化することで、森羅万象あらゆるものに「なる」ができるということなのである。さらに密教の根本経典の一つである『理趣経』は、男女の性行為を大胆に肯定しており、一部では男女の性行為がそのまま成仏の道であると誤って解釈されていた。恐らく『理趣経』が真言密教で重視される背景には、身体を変容(メタモルフォーゼ)させる感覚の中に、エロティックな感覚があるからだろうが、そうした変身するものの中にあるエロティシズムを山田も感じていたのではないかと思われる。皮膚を吸盤にして相手の血を吸うお胡夷、全身の毛穴から血を吹き出す朱絹、塩の中に溶けることで半流動の物体に変化する雨屋陣五郎、ルパン三世のようなマスクを使って別人なりすます如月左衛門たちには、体を別のものに変容させることに対する山田の特別な執着が感じられる。

一方、忍術映画をみていた少年たちは、それが虚構のカラクリ世界であり、さらに言うなら西洋のハイカラな技術(映画)によって作られた世界であることも自覚していたはずである。中野翠氏は、山田が宇宙を支配する力や摂理のことを、「宇宙のからくり」と呼んでいたことに感銘をうけたと述べているが、こうした宇宙や世界をカラクリとみる意識には、やはり忍術映画の特殊撮影を見たときの感覚が生きていたとみるべきだろう。その際、山田が念頭に置いていたカラクリが、歌舞伎のせりや人形浄瑠璃のような日本の伝統的なカラクリではなく、西洋的なカラクリであることは、山田が忍法に科学的で医学的な根拠を持たせようとしていることからも分かる。ここにはエロス的な身体を支える機械世界(カラクリ世界)という構図を読み取ることができる。

こうした古い呪術(忍法)と最新の技術(映画)、エロス的身体とカラクリ世界(機械世界)、幻想と科学、日本と西洋との幸福な融合を、山田たちの世代は忍者映画に見て取り、潜在的な意識として共有していたのではないだろうか。そしてそれが、精神的な成長とともに、エロ・グロ・ナンセンスへと進化したと考えられないだろうか。戦後に入って忍者物を書いた山田たちのこうした感性は、日本のSFにも多大な影響を及ぼしている。というのも、山田たちの巻き起こした戦後の忍者ブームは、テレビ番組にも波及し、『隠密剣士』シリーズをへて『仮面ライダー』や戦隊物へと姿を変えていったからである。その意味で言えば、風太郎・忍法帖の第一作目である『甲賀忍法帖』は、単にエロ・グロ・ナンセンスを取り込んだリアル忍法小説というだけでなく、戦後の日本SFの嚆矢とも言えるのである。

(参考文献)
足立巻一『立川文庫の英雄たち』、文和書房、1980年
川崎賢子「占領期文学としての視点―山田風太郎の世界におけるセックス/ジャンダー/セクシャリティをめぐって」、『ユリイカ』2001年12月号、青土社
中野翠・木田元「<宇宙のからくり>としての風太郎ワールド」、『ユリイカ』2001年12月号、青土社
平岡正明「風太郎左派」、『文藝別冊 山田風太郎』、河出書房新社、2001年

 伝説の映画人・鈴木清順の高らかな復活を遂げたこの作品、SFファンにとっても非常に興味深いものがあるだろう。内田百閒の「サラサーテの盤」をモチーフとし、清順美学のすべてを詰め込んだ金字塔。

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 実際、これほど「夢の文学」としての内田百閒の手触りを完璧に映画化したものは、他にないだろう。生きている人が死んでいるような、死んでいる人が生きているような、夢と現実の境目が見分けのつかないおぼろげな世界。文学でしかできないと思われた世界がすっかり映像に移し変えられた驚き。

 鈴木清順がそれまでおずおずと遠慮がちに見せていた超現実的世界観を初めてはっきりとした確信とともに見せた。清順はその個性的な美学世界を「娯楽」 だと断言した。そんな馬鹿な。いやいや、美学を「娯楽」と言い切れるあたりがまた清順ならではなのだろう。

 この作品のロケは大部分鎌倉で行われたという。だが、なぜかこの作品のロケ部分は「静岡」あたりの遠さを感じる。鎌倉ほど東京から近いはずはない。

 もっと東京から遠いどこか、東京が消え去る一歩手前、それはおそらく、静岡であろう。東京が東京ではない場所と溶け合う地。

 この感覚は根拠のないものではないのだ。映画の冒頭、非常に重要な場所で、静岡ロケが敢行されている。水平線の彼方へ伸びていく木製の幻想的な橋。本作品にとって非常に重要なこの橋が実在するのは、静岡県島田市。「蓬莱橋」と名づけられたこの橋が架けられたのは明治初期だという。全長900メート
ル、世界一の長さを誇る木製の歩道橋としてギネスブックにも登録されているという。実際に歩いてみると、いつまでも終わらない、果てしない道のり、それこそあの世まで続いているかのように感じられるのだそうだ。あの世とこの世を繋ぐような、不可思議な光景。

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 実際に百閒にはそのような小説がある。直接の原作とされた「サラサーテの盤」ではない。それが「由比駅」である。東京駅で誰かを待っているのだがいつになっても来ない。そのうち「相手は先に行っているそうだ」という伝言を受け、鉄道に乗って由比駅へ向かう。由比駅は現在の静岡市清水区にある。特に意味はない。郊外に出かけ、人に会うだけだ。だが鉄道に乗り、東京から遠ざかるにつれて、どんどん現実も遠ざかっていく。由比駅に着き、女に会う頃には、世界はすっかり様変わりしている。そもそも会うはずだった相手はこの女だったのだろうか?だがもはや取り返しはつかない。(高槻 真樹)

 (小説、第21回早稲田文学新人賞受賞作、「早稲田文学」2005年1月号所収) 写真:第九次「早稲田文学」の表紙群。(「早稲田ウィークリー」のウェブサイト(http://www.waseda.jp/student/weekly/contents/2005a/065j.html)より引用。)
 
 五合目で酔ひつぶれるや蝉しぐれ

 五合目とは、不二山(富士山)の五合目のことである。語り手の「おれ」は、「パート募集 巫女 十八〜二十二才迄」という求人広告の上に貼られていた「不二山頂登頂者募集 急募 日給五千円」という怪しげな募集に応募し、八月一杯をかけたこの仕事を受けることにする。仕事内容は、不二山の観光シーズンに併せた神主の業務補佐であり、仕事場は、五合目から徒歩で四時間のところ、まさに不二山頂である。冒頭で引いた句は、五合目から山頂に登ろうとするものの、うねった山道を進む神社のマイクロバスでしたたか酔ってしまった語り手が発する一句である。このナンセンスな一句が、文字通り、本作を象徴していると言っても過言ではないだろう。

 しばしば町田康に比される全体的に軽妙でとぼけた筆致、外国人観光客との妙にずれた会話など、おかしみを誘う旺盛なサービス精神、さりとて、近代文学でしばしば取りざたされる超俗的な感興(への沈潜)に対する禁欲的な抑止を湛えた該作は、いわば知られざる静岡SFの傑物として、静かな存在感を見せている。何より、主人公に輪をかけて奇天烈で、大学の法学部を出ながらもめぐりめぐって新宿で屋台を引く牛乳屋となり、餃子売りへ転身した巨勢(こせ)の強烈なインパクトはいちど読むと忘れられない。二人が乗った車がスピーカーから鳴り響く「ギョーザー」という音を止めることができずに高速道路をひた走るシーンは爆笑ものだ。

 しかしなぜ、筆者の知る限りSF者が誰も言及したことのない該作を、静岡SFと言うことができるのか。それは、不二山の頂上というモニュメンタルな地勢を文字通り「征服する」というプリミティヴな欲望に対し、可能な限り批評的な眼差しを注ごうとしているからにほかならない。ちょろっと富士山(=不二山)が出てくるから静岡SF、どころの話ではない。富士山の上で、文字通り暮らしてしまう静岡SF、それが「不二山頂滞在記」なのだ。不二山は「日本」という国家、そして国家が体現する近代精神の象徴としてまま語られるが、該作は観光客的な興味本位以前の段階、すなわち状況にひたすら流されるだけの無目的かつ無為無策な語り手の境遇を契機としているという不遜な作品なのである。

 極めて批評性の高い現代日本文学として評価されている阿部和重の『プラスティック・ソウル』では、皇居という日本の「空虚なる中心」の周りをぐるぐると回る光景が描出されたが、一方の「不二山頂滞在記」は、こともあろうに、不二山の中心へあっという間に飛び込んでしまうという、おそるべき蛮勇を見せてくれる。まさに「見る前に跳べ」(大江健三郎)という文学的スローガンを体現しているというわけだが、この大胆不敵さは、これまでいわゆる「SF文壇」で批評の対象となってきた作品群に負けず劣らずSF的だと言えるだろう。

 神鳴りもここ不二山より見ればかわいらしいものだ。
 おれは天穹を仰ぎ見た。おお、星だらけ。星の連なりを寒さに耐え得る限り見つづける。(「早稲田文学」2005年1月号、192頁)

 上記引用部では、語り手が「星」を見て得た感興がさらりと記されているが、この感興を一種のセンス・オヴ・ワンダーと理解してしまっては贔屓の引き倒し、SF者ならではの穿ちすぎとの誹りを逃れられないだろうか。しかしながら語り手の姿勢は、おそらく多くのSF大会の参加者に共通するものがあるだろう。彼らの大多数は、そこにSF大会があるからはるばる地方へ遠征するのであって、その逆ではない。そこでは、すでに存在する象徴的な何かを事後的に追認するのではなく、SF大会というフレームをもって、その土地土地の特徴が読み替えられ(いわば「SF化」され)、ひいては支配的な文化的な共通項(コード)に新たな価値が付与されることになるわけだ。

 だがそもそも、仮に近代文学の延長線上にSFを位置づけるとするならば、SFを読むという行為は、世界をそのように読み替えること、世界を絶えず「SF化」していくことにほかならない。すでに「SF化」が完了してしまっていたとしてもなお、その事実すらをも呑み込む形で、再帰的に世界の「SF化」は進行していく。しかしながら、商業的に支配的な(しばしばサブカルチャーの形をとった)コードを無批判に並べる形で、その土地土地の特性を殺していき「フラット化」を進める類の文化的均質化と、「不二山頂滞在記」の方法論が求める「SF化」はまったく異なるものがある。

 そもそも「不二山頂滞在記」のSF性は、これまで商業媒体で取り扱われて来たSFガジェットとはまったく関係ない。SF者を唸らせる精緻なロジックや奇想とも無縁である。にもかかわらず、本作にはジュディス・メリルやラングドン・ジョーンズのアンソロジーに入っていてもおかしくないくらいに、SF者の心をくすぐる何かがある。ニューウェーヴSFの現代的継承がここにある、と言えば、草葉の陰にたたずむジュディス・メリルに失笑されてしまうかもしれない。いや、メリルならば大手を振って受け入れてくれるに違いない。

 かつて筒井康隆は、SFマインドをもった書き手が記したものはみなSFだとうそぶいたと言われるが、それこそ筒井康隆のような「SFマインド」を期待しても肩透かしを食らうだろう。現代文明を嘲笑うかのような大胆な風刺も該作には備わっておらず、かといって、これがSFじゃないと言い切るのは躊躇われるからだ。こうした異質性が、主人公が山頂で過ごす日々、出逢う人々とのどこか噛み合わない暮らしぶりにリンクしてしまうところが面白い。そのうち、「不二山頂滞在記」のテクストによって、書き手当人すら意識していなかったであろう文学史的な記憶を喚起させられることとなる。ここには、「フラット化」によってまま見過ごされる、細部の愉しみがある。だから私たちは、「不二山頂滞在記」を読むとことで、フラット化の暴力が奈辺にあるのかを認識することが可能になると言ってしまっては、持ち上げも過ぎるだろうか。

 「不二山頂滞在記」の語り手は、「あと半月の勤務」を残し「痛いわけでもなく、重いわけでもなく、山酔いとも違って、頭の奥で何かが引っかかって流れない感じ」に見舞われる。この痛みに耐えても結局は神主になることができないとわかった彼は、「登りに四時間かかった山道を二時間」で帰り、いわば「還俗」することになる。さらりと書かれたここでの苦悩とその帰結へ、仮にクリストファー・マーロウが描いたファウストゥス博士の無念を重ね合わせたとすれば、雅雲すくねは考えすぎだと苦笑するに違いない。にもかかわらず、雅雲すくねの方法論を「フラット化」の一途をたどる状況に対置するものとして置くのは、決して無理のある理解ではない。

 実は、雅雲すくねは二作目のない作家なのだ。しかしながら、何らかの特殊な理由があって二作目が出ないという事情を仄聞してはいない。察するに、状況が二作目の掲載を許さなかったのではなかろうか。というのも、雅雲すくねが第21回早稲田文学新人賞を受賞してから間もなく、2005年5月号をもって、「リトル・マガジン」としての反骨的矜持を貫いた第九次早稲田文学はやむなく休刊してしまったからだ。以後、筆者の知る限りにおいて、第十次早稲田文学くとして復活してからも、雅雲すくねの名前を商業媒体において見かけたことはいまだない(*1)。

 なぜなのだろう。「不二山頂滞在記」が新人賞受賞作として選出される過程を掲載号において読むことができるが、そこでは該作にはさしたる期待は寄せられておらず、むしろ「早稲田文学」という「リトル・マガジン」の外部でもこの人は活躍できるだろうという、期待半ば皮肉半ばのコメントが選考委員から寄せられている。そこに悪意は感じない。しかしそれならば、たとえ細々とした形であっても、雅雲すくねは生き残りを見せてもよかったのではないか。

 このように考え「不二山頂滞在記」が掲載された「早稲田文学」全体の読み直し(リ・リーディング)を行ってみた。再読を経てみると、(図らずしも)該作が、第九次早稲田文学の末期を象徴する「近代文学の終わり」(柄谷行人)に対置されていたことに、改めて気づかされた。「近代文学の終わり」とは、文芸評論家として著名な柄谷行人が、文学の仕事から離れることを意思表明した、一種の宣言文として読むことができる。そこでは、近代文学はもはや、社会における普遍的な問題(たとえば、環境問題)を正面から取り上げるだけの実効性を欠いているとの指摘がなされた。

  「早稲田文学」上で、「近代文学の終わり」について正面から異議を表明した書き手として、笙野頼子と向井豊昭の二人の名前を挙げることができる。向井豊昭については、かつて別の文章を書いたことがある(※2)のでここでは深入りしないが、「不二山頂滞在記」の掲載号は奇しくも、笙野頼子の「反逆する永遠の権現魂」の初出号となってもいる。「反逆する永遠の権現魂」は、現在は笙野頼子の『徹底抗戦、文士の森』(河出書房新社)に収録されているが、同書は「近代文学の終わり」と「フラット化」の暴力について、一人の書き手が果敢にも戦い抜くという姿勢を記したものである。そして、奇しくも笙野頼子の名文と肩を並べることになった「不二山頂滞在記」は、いわば「近代文学の終わり」以後、新しい世代がいかなる文学的実践を行なうべきか、その最初期の事例として配置がなされたようにも理解することも可能なのだ。

 しかしながら、雅雲すくねはデビュー作を発表してから沈黙を余儀なくされた。一方の笙野頼子が戦っていた状況は、さらに拡散を続けて、その全体像はますます把捉が困難なものとなっている。こうした状況は、直接的にも間接的にも、SFをめぐる言説にも大きな影響を与え続けている。静岡SF大全のみならず、SF評論は、そしてSF評論を支える読み手は、こうした問題についての思考を、否応なしに強いられていると言わざるをえない。あるいは、私たちはシニカルに唇の端を歪めながらこうした状況を是認するか、あるいは、確たる後ろ盾なしに孤独な奮闘を強いられるか、二者択一を迫られてしまっていると言ってもよいだろう。

 この点についてより主題的に考えることは、すでにこの「静岡SF大全」のフレームを逸脱してしまいかねない。しかし「不二山頂滞在記」が体現した問題について、笙野頼子の『海底八幡宮』、『人の道御三神といろはにブロガーズ』を検討していきながら、別の場所にて引き続き考えていきたいと思うので、お付き合いをいただければ幸甚だ。

 だがいまは、間近に迫ったSF大会を全身で楽しみ、できれば終わった後にでも時間を見つけて、まだご存知ない方は「不二山頂滞在記」に触れてみてほしい。だいじょうぶ、「不二山頂滞在記」の語り手たちのような連中ですら平気だったのだから、「たまたま参加した」「たまたま読んだ」でもなんとかなる、きっと。むしろその、貴重な「たまたま」、よき「たまたま」を大事にしよう!(岡和田晃)
 

(*1)ただし、2011年8月現在において、雅雲すくねの活動は、以下のホームページにおいて観測することができる(http://gaunsukune.web.fc2.com/situation.html)。そこでは、なめたけの作成、声楽家北村哲朗氏のホームページ作成といった活動歴のほかに、手書き原稿であった「不二山頂滞在記」のタイプ打ちが進んでいるという進捗報告が進んでいる。現在入手困難となっている「不二山頂滞在記」を、何らかの形でふたたび目にすることのできる日は近いのかもしれない。いずれにせよ、雅雲すくねの復活を強く望むものである。

(*2)向井豊昭アーカイブ(http://www.geocities.jp/gensisha/mukaitoyoaki/index.html)を参照。

大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス [DVD] / 特撮(映像) (出演)

大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス [DVD] / 特撮(映像) (出演)

1954年に公開された東宝映画『ゴジラ』に遅れること約10年、1965年に大映の「ガメラシリーズ」は始まった(第1作『大怪獣ガメラ』)。シリーズ中人気怪獣となったギャオスが登場する第3作『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』が公開されたのは1967年のことである。「もはや戦後ではない」と経済白書で謳われた1956年をはさんで、『ゴジラ』と『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』は、まるで異なる日本の精神風土の中に置かれている。

第五福竜丸事件をきっかけに制作された『ゴジラ』は戦争の記憶を濃厚にまとわせていたが、1967年の『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』は高度経済成長の風景の中に置かれている。冒頭の明神礁、三宅島の噴火、それに続く富士山の噴火と、この映画は、現代に牙をむく古代の荒々しい力を印象付ける。じっさい、富士山の噴火の火を食らいにガメラが現れ、その調査のために上空を飛行するヘリコプターは、二子山から発せられる怪光線によって破壊される。恐怖の怪獣が住まう舞台として、魔の山としての富士火山帯ほど似つかわしいものはないといえる。

ところがこの魔の山は、一方で、東名高速道路建設予定地であり、高度経済成長を押し進める近代の波に飲み込まれつつある。そこには観光客のための近代的な宿泊施設が整い、「ハイランドパーク」なる娯楽施設(「富士急ハイランド」らしい)も併設されている。高速道路を巡っては、地元の住人たちによって反対運動が組織されているが、彼らの目的は「自然を守る」とか「近代への懐疑」とかそういったものではまったくなく、補償金額を釣り上げようとする欲得でしかない。

1954年の『ゴジラ』においてならありえたかもしれない怪獣という古代の神による現代への審判という物語を、1967年の『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』は、もはや担う意志を持ってはいない。この映画は、むしろ、1967年という高度成長時代の空気に同調することを目指している。物語は、お約束通り、強欲な村長が孫の言動にほだされて、欲得にまみれた心を改めると、高速道路建設反対運動をとりやめ、建設に協力する、といういかにもありそうなハッピー・エンドをむかえて幕を閉じる。こうして「東名高速道路建設」に代表される日本の近代のプロジェクトは、座礁することなく続行されることを保障される。戦後日本の近代化に大きな協力を果たすのが、怪獣ガメラというわけだ(怪獣というよりは、役割としてはむしろウルトラマンである)。

悪役ギャオスが戦後日本の敵役として君臨する。東宝のキング・コングやフランケンシュタインへの対抗馬として、大映のギャオスは吸血鬼ドラキュラをモチーフに造形された。ぬいぐるみ感が強すぎて、東宝のキングギドラに比べると邪悪な迫力感が不足気味のギャオスであるが、太陽の光を浴びると死なねばならないこの「夜の怪獣」は、近代が抑圧する古代の禍々しさを観客の眼に焼き付けた。人間の肉体を食らい、その血をすする姿は、ヒールとしての貫録を十分備えている。アンチ戦後日本としてのこの怪獣は、ヒューマニスティックな懐疑の視線を、ウルトラマンの勧善懲悪の物語に向けていた沖縄出身の金城哲夫と一脈通じるところがあるかもしれない。

ヒールならぬベビー・フェイスとしてのガメラは、ゴジラとの差別化を図るため、永田雅一大映社長のアイデアで、「子供好きの怪獣」というキャラクターに設定された。子供は好きだが、人類の敵ではあったガメラは第1作では、まだ凶暴な表情を湛えていたが、第3作ではよりソフトな外観となる。映画のエンディング・ロールでは「ひばり児童合唱団」が歌う「ガメラの歌」が流れ、まるで幼稚園のお遊戯会のような雰囲気である。映画本編内ではゴジラのテーマ曲に似た重厚な曲が流れているが、この合唱歌の登場は、1965年における『怪獣大戦争』でのゴジラの「シェー」に似て、この時期に怪獣映画が変質を遂げたことを告げている。

その変質は、一言で言えば、怪獣のアイドル化というものである。高度成長期の子供の嗜好がそうした現象を生んだと言ってよい。60年代後半の子供の感性は、テレビの感性と言ってよいが、この時期、文化現象では、映画からテレビへ、スターからアイドルへ、といった流れが加速的に進んだのである。大映もテレビの勃興による斜陽の呷りを食らって倒産への道を突き進んでいたが、大映末期の会社経営を支えたのが、映画のテレビ化ともいえる「ガメラ・シリーズ」というドル箱であったことは、なんとも皮肉である。

怪獣のアイドル化とは、第1作『ゴジラ』が持っていた戦争の記憶や水爆実験への怒りを日本社会が放棄し、「核」というものが禁忌の対象ではなくなり、容認するものへと変質したことを意味する。つい最近ホットな話題であった「浜岡原発」は、それが導入される計画段階――この時点では三重県が予定地であった――の1960年代前半においては、三重県の全漁協が反対に回ったが、『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』が公開された1967年に浜岡町側に中部電力側から打診され、建設受け入れの下地が作られる。静岡県内には、「第五福竜丸」が母港にしていた焼津港があったことから、漁民は拒否反応を示していたが、破格の補償費もあって、1969年についに建設の同意が成立する。

こうして近代プロジェクトを応援する怪獣映画という不思議な作品が高度経済成長期に出現する。静岡を舞台として演じられたのは、第1次産業が第2次産業に怪獣ならぬ懐柔される光景だった。それは日本全国で進行していた現象でもあった。それは今も「TPP」問題を巡って繰り返されている。民主党の前原誠司は「日本のGDPにおける第1次産業の割合は1.5パーセントだ。1.5パーセントを守るために98.5パーセントが犠牲になっているのではないか」と発言している。沖縄出身であるがゆえに、「本土」の論理から距離を置くことのできた金城哲夫のような存在は、本土の怪獣映画関係者にはいなかったようである。(石和義之)

『究極超人あ~る』(OVA版・1991年)
――第一世代オタクの夢――

西園寺ツーリストの東京駅発飯田線スタンプツアーに挑戦することになった光画部(写真部)。当初、費用はツーリスト側が負担すると思っていた光画部だったが、実はそこには厳しい時間制限があった!はたしてこの試練をあ~るたちは乗り越えることができるのか。

この作品には表向きSFに出てくるようなメカっぽいメカは、ほとんど出てこない。出てくるのは成原博士の作った巨大怪獣型ロボに変形するカメラと、あ~るの持ってきた被写体を消すカメラくらいである。しかも成原博士のロボは、口から小さなシャベルを出し、砂浜の砂を一つまみするとお約束どおり爆発してしまう。

こうしたSFに出てくるようなメカの代わりに克明に描かれるのは、現代のメカともいうべき電車であり、電車が通過するトンネルであったり鉄橋であり、その周囲に広がる自然風景や駅舎だったりする。ちなみに作中で光画部が道に迷う伊豆半島の山中は、季節こそ違え『伊豆の踊子』で主人公が踊子を追って駆けたところである。原生林の生い茂る山々や、峠の茶屋などの描写は、『伊豆の踊子』に対するオマージュだろう。また、飯田線の通っている天竜川沿いの地域は、古代から「塩の道」として栄え、特に飯田・下伊那地域は、七百基にも及ぶ古墳群(うち前方後円墳・二十四基)が見つかっているような古代遺跡の宝庫である。

恐らくこのOVA版の製作スタッフには熱狂的な鉄道ファンがいて、スタッフの主要メンバーはこのルートを取材旅行しているはずである。それは電車が路線ごとにきっちり描き分けられ、特に飯田線ではローカル線でよく見られる色違いの電車が複数登場するこだわりからも分かる。こんなふうに述べると、一見この作品は、SFと何の関係もない作品ように見えるかもしれない。しかし少なくとも私には、この作品が、八十年代前半のSFブームを支えた第一世代オタク(1960年代生まれのオタク)と呼ばれる人たちのる人たちの心のうちを的確に表現しているように見える。言い換えれば、『究極超人あ~る』のOVA版で描かれている電車なり、鉄橋なり、伊豆半島や飯田線沿いの風景は、SFブームを支えた人たちのもう一つの理想的な心象風景だったと思われるのである。以下、多少言葉を足しながらそのことを説明してみたい。

一般に『究極超人あ~る』という作品は、「80年代おもしろ主義」の典型とみなされている。知らない読者のために一応説明しておくと「80年代おもしろ主義」というのは、「楽しくなければテレビじゃない」といった言葉に端的に表れているような楽しさ(面白さ)だけを純粋に追求するような世論の風潮のことである。特に「オレたちひょうきん族」や「夕やけニャンニャン」といったバラエティー番組がその代表され、そこでは基本的に素人っぽさ、馬鹿さかげん、娯楽を娯楽として純粋に楽しむ感覚が重視された。ソシュールの構造主義がもてはやされ、ダジャレのような言葉遊びが文学や哲学のテーマになったのもこの頃である。この「おもしろ主義」のライトな感覚は、折からのバブル経済やそれにともなう「マイナスのことは言ってはいけない」という社会的な脅迫観念とあいまって、次第に社会の主流をなす感性となっていった。

『BSマンガ夜話』の中でもすでに指摘されているように『究極超人あ~る』という作品には、突出した中心となるキャラクターがいない。OVA版を見ていても一応、話を展開させるために、鳥坂と小夜子がアクションを起こしているが、だからといってこの二人が、主役というわけではなく、どのキャラクターにも同じくらいの比重がかけられている。こうしたキャラクター構成にも、おもしろ主義的なサークルのノリやアマチュアリズムを感じ取ることができる。言い換えれば、お金をかけなくても少しのアイデアとそれを実行する勇気があれば、大人たちには見えない知覚や風景にめぐり合えずはずだという確信がこの世代を突き動かしていたように見える。

『究極超人あ~る』OVA版でも、スタンプツアーをしている鳥坂に向かって熱海駅の駅員が「こんなツアーやる人いるとは思いませんでした」とあきれたように言うシーンが出てくるし、光画部が豊橋駅のベンチで野宿しているところを見つけた警官も、「駄目だこりゃ」といってその場を立ち去っている。まだ見たことのないものを見たい、まだ自分が知らないことを知りたいという欲求が、現実に向かったとき「飯田線スタンプツアー」のような突飛な企画になったのだろうし、ひるがえってその欲求が未来に向いたとき、SFという姿を取ったのではないか。OVA版に出てくる伊豆半島や飯田線沿線のリアルという以上に瑞々しい風景は、そのことを強く感じさせるし、あ~るたち光画部のメンバーのくったくのない感情はそれに彩りを添える。

しかし一方でそうした悪ふざけ的な企画には、結局自分たちは大人に守られている、失敗しても誰かが尻拭いしてくれるという確信が潜んでいる。作中に登場する駅前のベンチで野宿していた光画部員たちを見逃す警官や、バスで大騒ぎした部員たちをやさしく叱る運転手などは、彼らが所詮、自分たちは社会に守られている存在だと自覚していた自己認識の表れでもあるだろう。また成原博士のカメラが、巨大ロボに変身したにもかかわらず、砂浜の砂を一つまみすることしかできないシーンは、所詮、自分たちがどんな理想を思い描いたところで、実際にできることは僅かだと考えていた証しのように見える。こうした感情は、恐らく彼らに先行する団塊の世代が、七十年安保闘争に失敗して結局、保守化したという反省に基づくものだろうが、一方でゲバ棒振り回しても社会に受け入れられるのなら、暴力に訴えない自分たちの行動は、多少無茶なものであっても許されるはずだというエクスキューズの感情も混ざっているように思われる。

『究極超人あ~る』のOVA版は、1991年に公開されている。この年は、すでに経済的なバブルは崩壊していたが、まだまだバブル経済の余韻が残っている時期だった。東京都内最大のディスコ「ジュリアナ東京」ができたのもこの年だったし、新宿に今の都庁ができたのもこの年だった。成田エクスプレスが東京駅に乗り入れ、『週間少年ジャンプ』が六百万部の大台にのったのもこの年である。そうした歴史的な観点から見返したとき、『あ~る』OVA版に描かれている光画部員たちのくったくのない感情や瑞々しい風景は、まさに八十年代おもしろ主義の最後のあだ花であったように思えてならない。しかしだからこそ、ここにはSFブームを支えた第一世代オタクたちの夢がぎっしりつまっているのである。

(参考文献)
『マンガ夜話VOL.8 特集:三浦健太郎「ベルセルク」・ゆうきまさみ「機動警察パトレイバー」』、 キネマ旬報社,、2000年.